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2016年9月25日日曜日

大阪の「始皇帝と大兵馬俑展」

この9月22日の休日を利用して、大阪の兵馬俑展を家内と見に行った。
以前から見に行こうと話していたのだが、この夏は暑くて行く気にならなかった。
多くの人出であることを知っていたので、暑い中並ぶのが嫌だったのである。
家内が早く行けば空いているとネットで調べたので、私は朝5時半に起きて犬の散歩に行った。
帰ってきたら、家内は起きて食事の準備をしてくれているだろうと思っていた。
7時前に家に戻って驚いた、家内は起きていなかった!
結局、大阪には11時頃着く新快速に乗って行かざるを得なくなった。

今まで上郡駅に車を駐めたことは無かったので、駐車場のことは知らなかった。
上郡駅の付近の駐車場には、一日100円というところがある。
駅からは少し離れて、砂利が敷かれただけのものだが、駅まで歩いて5分もかからない。
しかし、雨が降りそうだったので、400円の近い方の無人駐車場に置いた。
因みに駅のすぐそばは500円だが、100円ケチった。
秋の1デイパス3600円也を二人で買って電車に乗り込んだ。
電車は休日なので意外と空いていた。

大阪駅で環状線に乗り換えて、福島駅にから歩いた。
私は大阪はあまり歩いた経験が無く、福島は生まれて二度目だ。
一度目は高校3年の冬に、当時やっていたABCラジオのヤンリクという番組の収録に行った時だ。
当時、「ミキサー完備スタジオ貸します」というキダタローのコーナーがあって、それにバンド仲間と出場した。
その時は出演料など無く、交通費として一人500円もらった。
その時の収録の様子は憶えているが、どんなビルだったかとか周りの風景は全く憶えていない。
なにせ40年前の話である。
ということは、当時年配に思えたキダタローさんは、いくつだったのだろう?

ということで、朝日放送の前を通りながらも、全く初めての場所を歩くのと同じだった。
家内は最初から私に任せるつもりで、スマホを使うこともしない。
駅前で見た地図を頼りに何とか国立国際美術館にたどり着いた。
そこで見た光景は、東京ディズニーランドへ行った時以来の長蛇の列。
最後尾の係員に聞くと、1時間かかるという。
今更帰るわけにはいかないので、我慢して並んだ。
私たちのような田舎者は、並ぶのが大の苦手なのである。
やっと中には入れても、展示を見るところも人で混み合って、思うように見られない。
年配の観客は説明を受けるヘッドホーンをつけて、展示にかぶりついているのである。

それでもそれなりに、兵馬俑の魅力を味わうことができた。
兵士の表情が非常に凜々しいのが印象的だった。
時を経ると、戦争や殺戮の遺産も美術館に展示される作品となる。
それを1500円の入館料を払って、何万もの人が訪れる。
ということは、第二次世界大戦の兵器や写真を長く置いておけば、美術館で将来展示してくれるのだろう。
小さな子供が戦闘馬車や兵器の展示を見てすごいと喜んでいたが、未来の子供も戦車を見て喜ぶのだろう。
と、今は皮肉に感じたりもするが、15万人の人を惹きつける魅力のあることは確かである。

午後1時過ぎに美術館を出て驚いた。
誰も並んでいない。
いったい、ネットの情報は何だったのだ。
昼頃来たら空いているなんて書いてなかったはずだ。
常識的に昼飯時にあわせて訪れれば空いていたのである。
気を取り直して、せっかく大阪に来たのだから、美味いものを食べようと店を探した。
結局、ゆっくりできそうなお好み焼き屋で遅い昼食を摂った。
本当はビールも飲みたかったのだが、この後に電車に乗るので尿意を催さないように我慢した。

関西エリアは一日乗り放題なのだからというので、京都に久しぶりに行くことにした。
新快速は乗り損ねたので、快速で京都まで行った。
家内は今の駅ビルを知らなかったので見せてやりたかったのである。
とにかく私たち夫婦は、車では名古屋や東京に行きながら、電車では殆ど出かけたことが無かった。
途中で、雨に降られたが、駅ビルの空中散歩を楽しんだ。
帰りは新快速に飛び乗り、姫路まで戻って来た。
姫路から相生までの普通に乗り、相生で乗り換えて上郡に戻ってきた。
車で移動している者にとって、この乗り換えは非常に面倒に思えるが、上郡に住んでいる以上仕方ない。
ただ、車よりも良いと思うのは、気楽に時間を過ごせることだ。
家内が「今日は楽しかった」と言ってくれたことが、何よりも良かった。

2016年9月11日日曜日

救助され犬

この金曜の夜(9/9)には、愚犬クロの姿は家にはなかった。
クロは庭の地面に打ち込んだ、鉄杭に太い鎖で繋いでいたのだが、杭ごといなくなった。
このところの雨で庭の土が軟らかくなり、家内は抜けかけたのを打ち込んだようだが、駄目だった。
土曜日の朝、逃げ出してもいつもなら帰ってくるはずなのに、帰ってはいなかった。
私は仕事の関係で出かけねばならず、結局暗くなって家に戻って来ても、やはりクロの姿はなかった。

今まで脱走したのは、多くは庭に設置した簡易の檻の隙間からだった。
檻に入れている時は、鎖を放しているので、鎖が何かに絡まる心配は無かった。
ただ一度だけ、散歩の途中で脱走したが、その時の引き綱は簡単に食いちぎれるもので心配なかった。
今回は頑丈な鎖と杭なので、何かに引っかかったら、首輪が抜けない限り抜け出すのは無理だった。
首輪はもらってきた時のままで、大きくなったクロには少し窮屈なくらいだった。
だから首輪が外れることは、期待できなかった。
山奥で鎖が引っかかったら、もう発見できないと思った。

最悪の事態を考えながら、二階の寝室で何もできず横になっていた。
そうすると暗闇の中で、犬の鳴き声がする。
家から西側の方角の山の方から聞こえる。
今から探しに行く手もあるが、暗くて見つけるのが大変だし、怪我をしてもいけないと思った。
ただ、クロの鳴き声だと思ったが、確証はないので家内には黙っておいた。
そして、クロがいなくなったら、また別の犬をもらってこようと、わざとネットを開いて犬の里親募集を見たりした。
実は家内が散歩させた後に、脱走したので、家内が一番気にかけていた。
家内は土曜の昼間に探しに行ったようだが、見つけることはできなかった。

日曜の朝、しっかりと山を歩ける用意をして出かけた。
昨夜の鳴き声の聞こえる方向に行くとやっぱり鳴き声がする。
猟犬なので、鳴き声と言っても遠吠えのような声である。
ずっと吠え続けていたわけではないので、聞こえたあたりにまず向かった。
そこは隣の村の墓場だった。
そして、墓場の上から聞いていると、墓場の下の竹林の方角から聞こえる。
竹林から声の方角に行くと、竹林のそばの元椎茸栽培小屋のそばでクロの匂いがする。
案の定、クロは竹の根元に鎖や杭が引っかかっえ身動きがとれない状態だった。
以前の経験から、ここで怒ると次逃げた時が大変なので、それほど怒らず連れて帰った。
二日ほど身動きがとれなかった割には元気で、普段の散歩の様子で家に戻った。
檻に入れて餌をやり、鎖は今度は庭のパーゴラの柱に巻き付けた。

もともと飼われていたのが、捨てられて野良犬になったクロは、自由な暮らしを知っている、
その一方、飼われていて餌に不自由をしないことも知っている。
適当に自由を楽しみ、適当な時間に戻って餌をねだるというのが、クロの楽しみだ。
しかし、今の時代に放し飼いは許されない。
鎖をつけたままの自由は命取りにもなる。
クロはそのことを今回の経験で分かったかどうか分からない。
むしろ飼い主の私たちが、それを思い知った。
ただ今回最も心配したのは、クロの生死よりも、他の人に迷惑をかけていないだろうかと言うことだった。。

人の役に立ち、喜ばれている犬というのは、完全に飼い主の管理下にある犬である。
盲導犬も、介助犬も、救助犬も、そして普通のペットも、決められたところ以外で自由に活動することは許されない。
今まで飼っていた犬で、これほど脱走した犬はいない。
それは一度も野良犬を経験していなかったからだ。
クロは野良犬を経験していればこそ、自由を渇望する。
現代人は自由だと言うが、本当に自給自足で生活した経験は無い。
だから、我我現代人は拘束からの自由は求めても、本当の自由は渇望しない。
ただ、自由な遊びの時間の経験があるので、常に憧れてはいる。
クロは野良時代は自活できていたので、それ以上に自由を求めているのだろう。
逆に言えば、小さい頃から管理下に置かれて、自由を知らずにいれば自由に憧れない。
そもそも現代人は、家、町、村(里)に引きこもっているだけなのではないか。
家の中に引きこもっている人だけを特別視しているだけように思えてきた。

2016年8月18日木曜日

想い出の向かえと送り

今年の盆は静かな盆になった。
私の母親が体の具合が悪く、兄弟家族が集まるの控えたからである。
いつもは集まって昔の思い出話を肴に、飲んだり歌ったりする。
今年は家にいて、撮りだめていたビデオや写真を見直したり整理した。
ちなみに私は、アナログで撮影したビデオや写真をデジタル化して、いつでもパソコンで見られるようにしている。

つい先日は娘が盆休みで勤務地から戻って来て、二日ほどで帰って行った。
その娘や息子の幼い頃のビデオや写真を見直すと、その頃の忘れていた記憶が甦った。
というより、殆ど忘れているので、新鮮に見えてくる。
こんなに子供の表情や仕草は可愛いものだったのかと思う。
自分の親は既に自分の歳では孫がいたのだが、自分には孫はいない。
まるで、孫を見るように我が子のビデオや写真を見ているのである。
また、無くなった自分の父親も元気な姿で写っていると、父親がまだ生きているような錯覚に陥る。

昨日は赤穂へ行くついでに、子供たちが幼かった頃に住んでいた
大津に立ち寄ってみた。
ビデオや写真は子供たちを中心に撮っていたので、風景はあまり写っていない。
そこでよく家族で歩いた道や、遊んだ公園を写真に撮っておこうと思った。
私たち家族が住んでいた家は、建て替えられてもうそこには無かった。
それでも多くの家はそのままで、懐かしかった。
ただ、明らかに空き家になっていたり、売り家になっているところもあり寂しくもあった。
自分が借りた畑の付近は非常に様変わりしていて、山付近は荒れ地になってしまっていた。基盤整備もできず後継者が無くて、荒れ野になるしかないのだなと思った。
最後に息子をよく連れて行った、新幹線のトンネルを見に行った。
息子はそのトンネルから列車が爆音と爆風を伴って出てくるのを非常に喜んだ。
今もそこは鉄道マニアはよく撮影に来るところだと聞いている。
ちょうど列車が出てきたが、写真は上手く撮れなかった。

いつもの盆より寂しい盆になったが、ビデオや写真を見ることで昔に戻ることができた。
お盆というのはご先祖様が戻ってきて帰るという。
その時に昔は思い出話をしながら、ご先祖様を迎えていたのだろう。
写真やビデオがあまり普及していなかった頃は、思い出話が唯一記憶を甦らせる手段だった。
今はビデオや写真で昔の様子が、今起こっているように甦る。
昔の記憶をそのまま保存したデジタルご先祖様であり、デジタル孫のようなものなのである。
一年中過去の記憶に浸っているわけにはいかないが、こうして盆休みをきっかけに浸るのも良いように思う。
仕事に疲れて乾ききった心を想い出は潤してくれる。
晴れ続きの夏に、夕立が潤してくれたような、そんなビデオと写真だった。
いちようは、盆が開ければ、その記憶をまたハードディスクに封じ込めて、今の仕事を頑張らねばならない。
これからは盆に限らず、普段のお墓参りのつもりで、過去の記憶をひもといても良いようにも思えた。

2016年8月4日木曜日

夏の出会いと別れ

英語助手のM先生が今日で去って行く。
しばらくは夫と夫のお母さんと一緒に、東日本を旅行するそうだ。
彼女とは2年前の夏に赴任してから、色々と関わりが多かった。
そもそも彼女も文化人類学を大学で専攻していたので、話がよく通じた。
もともと小学校の3年生まで日本にいて、両親とも日本人だったので日本語は堪能だった。
無理して英語を使わずに、日本語で話ができた。
たまに分からない日本語だけ、英語に翻訳する程度で済んだ。

以前、日本語があまりできない英語助手の先生とは英語でよく話をしたが、とにかく疲れた。
飲み会で一時間話を続けた後は、ぐったりとしたのを憶えている。
だから、なるべく英語では話をしたくない。
それでも英語助手の先生の中には、話し相手がなくて気の毒に思うことがあるので、無理して英語で話をすることもある。
英語の教師以外で英語で話をする人は少ないし、英語の教師は受験指導で忙しいので、暇な私は英語助手の先生とは仲良くなった。
M先生はそんな英語助手の先生の中でも、特別に仲良くなれた。

彼女は非常に社交的だったので、多くの先生と関わりを持っていた。
毎日のように色々な人と、食事会などで楽しんでいる様子だった。
そんな忙しい彼女とは、まずは音楽を通して関わりを持った。
彼女の母親はバイオリニストで彼女も小さい頃練習していたので、一緒にバンドを組んだ。
そして、You Raise Me Upのバイオリンをやってもらった。
彼女はしばらく練習していなかったので、少々嫌がったのだが無理して頼んだ。
そして、熱心に練習して仕上げてくれた。
それをYouTubeにアップしたのだが、彼女には気の毒な作品でもあった。
何回か収録した中でも、あまり彼女にとっては良い作品では無かったからである。
私にとっては、この作品は一生の思い出となった。

そのほか、彼女はスポーツ好きで一緒にジョギングや自転車、SUPもやった。
特に最後に一緒にやったSUPは、彼女から色々教わった。
彼女は小さい頃からカヌーをしていて、バランス感覚が優れていたのだ。
彼女は運動が何でもできたが、水泳だけは私の方が上手だった。
自転車に関しては、上り坂では彼女について行くのは辛かった。
またうちの畑の農作業も何度か手伝ってくれて助かった。
娘と殆ど変わらない年齢だったが、彼女は距離感を感じさせなかった。
誰に対しても物怖じしない彼女の姿勢が、そう感じさせたのだろうと思う。

私に限らず多くの同僚の先生は、彼女がアメリカに戻ることを寂しがった。
これだけ熱心で友好的な英語助手の先生は、かつていなかったからである。
私は何度か日本で仕事を続けるように奨めたが、彼女の夫の仕事の関係でそれは無理だった。
でも若い彼女はいつか戻って来てくれると思っている。
今日も彼女には「またすぐに戻ってこれるね 今度は子供を連れて」と言葉をかけた。
でも、こちらからアメリカへ遊びに行くよとは言えなかった。
日本人がアメリカに留学したがらないのと同じ気持ちなのかも知れない。




2016年7月24日日曜日

ひよこの里親

事の始まりは生物の先生が有精卵を注文したところ、数が多く来てしまった事による。
業者が気を遣って、おまけしてくれた卵が授業で必要以上に卵から孵ってしまった。
事前に「誰かもらってくれる生徒はいないか?」と頼まれていたので、授業で話したら二人応募してきた。
ところがいざあげると、そのうちの一人がもてあまして返してきた。
とりあえず他の里親を探したが見つからず、そのうちだいぶ大きくなってしまった。
返してきた二匹を私が行きがかり上、育てなくてはならなくなり、もらうことになった。
その二匹のうち、一匹はもらう前に生物室で暑さのためか、死んでしまった。
私は一匹だけ餌の持参付きもらうことになった。
ただ、雄だと鳴き出すので、返す約束をしている。
生物の先生は雄の場合には、解剖に用いるということだった。

今、家の庭でピーピーと鳴いている。
小屋を作るのは面倒なので、使っていないストーブのガードフェンスに入れた。
下の隙間をふさぎ、上はガーデン用のテーブルで屋根にした。
どこに置くか迷ったが、愚犬クロの近くに置くことにした。
たまにやる鳥の骨の匂いと同じ匂いなのか、散歩の折に襲いかからんばかりに近づいていく。
そのたびにお尻を蹴って叱ったので、少しは控えるようになった。
しかし、家内によるとひよこを眺めながら、食べたいよといわんばかりに、クークー鳴いているという。
ひよこも大きくなってしまったら、襲うことは無くなると期待している。
散歩していても、カラス以上の大きさの鳥には近寄らないからである。

考えてみれば昔は、よくひよこを売っていた。
祭りの出店もそうだが、学校の近くで色つきのひよこを売っていた。
大概は死なせてしまうので、死んだら翌日交換するという条件もあった。
安いひよこは殆ど雄で、おそらく大きくした家では鳴く前にお腹の中に入っていたのかもしれない。
うちは親が卵や肉を採るために、家の納屋のようなところで飼っていた。
父親はひよこ用の箱を作って、電球で暖めていた。
しかし、その父親も歳をとると、鶏を潰せなくなってしまっていた。
昔潰した鶏がつつきに来る夢を見るからだという。
(※鶏を殺すことを「つぶす」とか「しめる」と言った)

私はとある職業高校の文化祭で、「ひよこちゃんレース」を企画したことがあった。
競馬ののりで楽しんでくれるかなと思ったからである。
生徒はそこそこ楽しんでいたが、問題なのはその後である。
近くの種畜牧場からもらってきたひよこは全部雄である。
何匹か文化祭の客にもらってもらったが、8匹あまり余ってしまた。
とりあえずは親に預かってもらったが、そのうち鳴きだして苦情が出始めた。
それで私が、父親からやり方を教わって、すべて処分する羽目になってしまった。
それ以来、雄鳥は飼っていない。
雌なら殺さなくて済むけれど、家内が大の鶏嫌いだった。
今回も鶏の足を見るのが嫌だと近寄らない。

昔は、まさしく庭の鳥=ニワトリで、多くの家の庭先で飼っていた。
私の村では今でも飼っている人いて、時々遠くで雄鳥の鳴き声もする。
ただ、こんな村でもそういう鳴き声の苦情を警察に通報した人が近所にいる。
だから雄鳥はうちでは飼えない。
父親の子供の頃は七面鳥や軍鶏、ウサギを飼ったりしていたという。
鶏のひよこもチャボを使って孵卵させたりしたという。
そのすべてが生活のためであった。

今は鶏もペットである。
持って帰った一人の女子生徒はバナナと名付けて、一緒に散歩している。
いっぱい動画や写真を撮って楽しんでいるようだ。
私の知り合いの美術教師も、雄鳥と部屋で暮らしていた。
非常にしつけができていて、たまに学校に連れてきていた。
私はペットにする気は無い。
雌鳥ならそのまま飼って卵はいただくつもりだ。
そして退職後はどこかで場所を確保して、鶏を平飼いで飼ってみたいとも思っている。


2016年7月10日日曜日

クロのプチ家出

クロが我が家に来ておおかた一年になる。
先日そのクロが家出した。
以前も庭の檻から何度も脱走を繰り返したが、いつも帰ってきていた。
今回も一度近くまで帰ってきたが、捕まえようとして再び逃げてしまった。
今までに逃げ通せたことは無かった。

その日の朝、散歩の時に、狢を見つけて追うので紐を放したのがいけなかった。
長いリード紐でつないでおいたので、何とか捕まると思ったが、山の中に入ってしまった。
私は一度家に帰って山に入れる格好をして、探しに行った。
鳴き声がして、どこかに引っかかっていることが分かった。
声をかけると鳴き声はやんでしまった。
捕まるのを懼れたのだろう。
以前、紐が切れて脱走したときに捕まえて、こっぴどく叩かれた経験がそうさせたのだとだと思う。
山に入って探してみたが鳴き声がしなくなったので、見当が付かなくなった。
家に帰って家内と車でもう一度来たときには、もう紐から放れていたのか鳴き声はもう全く聞こえなかった。
クロはリード紐くらい食いちぎれることは分かっていた。

腹が空いたら帰ってくると思っていたが、案の定夕方になったら近くまで戻って来た。
近所の奥さんがわざわざ知らせに来てくれたのだが、家内が息子にに頼んだのが悪かった。
一番の適役は、普段クロをかわいがっている家内なのである。
当然自分には無理だが、クロは息子から呼び寄せ用のジャーキーだけもらって逃げてしまった。
私も駆けつけて、田んぼの土手にいたので、挟み撃ちにしたが、田んぼの中を走って逃げた。
必死で跡を追いかけたが、今回は全く追いつけなかった。
その後息子に追わせて、自転車を取りに戻ったが、自転車で戻ったときには姿が見えない。
家に戻って携帯電話で連絡を取ったら、高田台の池だと言うので、軽トラで出かけた。
ようやく見つけて溝に入っているのを見つけて挟み撃ちにしようとしたが、ワンと吠えて逃げていった。
高田台の坂道を上り、崖の森に入ってしまったので諦めた。

考えてみれば前回紐が切れたときに捕まえられたのは、真剣に逃げていなかったと言うことだったのだ。
切れた紐が付いていたこともあるが、本気で逃げる気では無かったことも確かである。
それを思いっきり、叩いたことが悪かったようだ。
クロとしては遊んだつもりだったのだろう。
今回は本気で逃げている。
猟犬は訓練した後に放さなければいけないことは分かっていた。
訓練もさることながら、クロとは信頼関係が築けてなかったように思う。
それはなんといっても遊んでやってなかったからだろう。
力尽くで従わせようとしたところもあった。
以前飼っていた犬とクロとの違いは、遊んでやっていたかどうかが大きいと思う。
シェルティーの雌犬モモは常にそばにいようとしたのも、かわいがってもらえたからだろう。
ただ、雄犬はじゃれ方が半端ではないので、かわいがることも面倒だった。
せめて遊んでやることを考えれば良かったと思う。
そう思いながら、帰ってこないクロを一晩待った。

翌朝、クロは戻って来て檻の中にいた。
さすがににいつもいる縁台には座れなかったのだろう。
そこには家内が餌を入れて置いていたのだが、食べてもいなかった。
その日は餌だけやって散歩には連れて行かなかった。
家内は「散歩に連れて行ってやって」といったが、「是々非々で行く」といっていかなかった。
今回は当然叩かなかったし、怒りもしなかった。
そんな不気味な態度の私に対して、上目遣いで見ながらクロは一日しおらしく檻の中にいた。
うっかりと檻の扉に隙間を空けていたのにも関わらず、外出して戻って来ても逃げてはいなかった。
夕方は散歩に出たそうにしたが連れて行かず、翌日から普通の散歩に戻った。

戻ったクロにはハーネスは着いていたが、引き綱の留め金は着いていなかった。
これは人が外さないと無理だと思う。
誰かが引っかかっているクロを外してくれたのかもしれない。
それにしてもまるまる一日の脱走劇ではあった。
思う存分外を逃げ回ったのは良いが、結局帰らざるを得なかった。
殴られる覚悟はしていたと見えて、私の姿におびえていた。
今回は殴れなかった。
もし、昨日捕まえていたなら思いっきり殴っていただろう。
それがクロにはよく分かっていたのだと思う。
いわゆるほとぼりの冷めたところで戻って来て、反省の意志を示すことまでした。
私はクロは二三日家出して、やせ細って帰ってくるかと思ったが、それほど外の世界を望んではいなかったようだ。
食い物をもらえて安心して眠れるところが、どれほどありがたいか元野良犬のクロは知っているのだろう。
逆に言えば出て行って帰ってこないということは、外で生きていく術を知っているか、一緒にいるより、のたれ死んだ方がましというわけだ。

世間でよくある離婚や家出というのもそういうことかなと思ったりした。
自分たち夫婦がやってこれたのは、子育てという共同作業があったからだ。
昔、鳩を飼っていたが、鳩は子供がいると必ず小屋に戻ってきた。
その子育ての中で夫婦ができあがってきたのだろうと思う。
とにかく、今回の逃走劇は色々考えさせられたが、クロが他の人や物に危害を及ぼさなくて良かったと思う。
クロが危害を加えそうな雰囲気では無いので、周りも騒がずにいてくれているのだろう。
それなりに地域に馴染んでいることも確かである。
クロともこれを機会に新たな関係を築かなくてはいけない。
もう力尽くではだめだと分かったからだ。
そしてこのことは人との関わりも遊びの部分が、必要なのだということも学んだ。

2016年6月19日日曜日

キラーストレスに思う

昨夜と今晩(6/18 19)のNHKの特集番組の「キラーストレス」は非常に興味深いものだった。
ストレスが病気や死に繋がることは漠然とは意識していた。
しかし、そのメカニズムまでは分からなかった。
ストレスが体や脳に与える影響がいかに大きいかを説明してくれていた。
過剰なストレスにさらされている人が癌や心筋梗塞になりやすいことも分かった。
以前職場で現役で心筋梗塞や癌で亡くなった人は過剰にストレスを抱えていたことも確かである。
ストレスは自ら招くものや、人から与えられたりするものもある。
問題なのはそれをはっきりと意識できないことだ。
ライオンの攻撃ははっきりと意識できるが、満員電車のストレスは毎日のことで意識しづらい。

管理職との人間関係もそうである。そもそも仕事のために我慢せねばならないことなのである。
なまじっか慣れるとか上手くやれるとか思わない方が良いのかもしれない。
脅威を与えるライオンと同等と見做して対処方法を考えねばならないように思えた。
戦うときには戦う。逃げるときには逃げなければならない。
特に長のついた役職などは、使いこなせない権威という武器を手に入れてしまった人もいる。
(どこかの知事を指しているのではありませんが・・・)
役職としての権力を手に入れたのは良いが。まともに使いこなせない場合は始末が悪い。
しかも、虎の威を借る狐に過ぎなかったのに、虎になったと勘違いをしている場合もある。
結局は別の虎の狐になったに過ぎないのだが・・・。
上役で無くても同僚との関係でストレスもあるので、すべて上役が悪いというわけでも無い。
場合によって自分が相手のストレスの原因になっているとも限らない。

ストレスへの対処法として、運動や瞑想、楽しいことを考えたり行ったりしたら良いという。
自分が鬱に近い状態になったときに、できていなかったのは運動だったように思う。
今は仕事が忙しくても何とか午前中の運動の時間を確保している。
楽しみは一時に比べれば減ったが、SUPという新たな楽しみもできた。
座禅は以前自己流でした経験があるのだが、これから取り入れてみようかなと思う。
将来や過去のことを気に病むことが大きなストレスとなるようなので、なるべく気持ちを入れ込むことは避けた方が良いだろう。

食物連鎖の頂点に立つ人間には、自らの社会が生んだキラーストレスという脅威にさらされている。
その餌食にならないように気をつけよう・・・