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2024年8月30日金曜日

食変化と健康

 最近ネット情報などでは、日本人に合った食生活というようなことが、大きく流されている。

ゲノムの論文を読んでいると、日本人は思ったよりかなり多様性に富み、縄文系とか、弥生系だけでは済まなくなっているようだ。

それは、日本人の以前の二重構造説から三重構造説に変わってきていることからも分かる。

しかし、この考え方も疑問が多く残る。

まず、第一に縄文人は均質では無かったという説が最近有力になっている。

たまたま、貝塚で発見された人骨のDNAだけで、縄文人を判断するのはまずいと思う。

弥生人もかなり多様性を持っていることが分かっているし、その後の古墳から古代にかけて渡来した人たちは、かなり多種多様である。

中世以降の食生活は、日本人の中でもいろいろな生業形態で違っており、米だけに決して頼っていたわけでは無い。


そんな日本人が食生活を一変させたのは、戦後だと思う。

特に学校給食は、パンや牛乳を大きく普及させ、米の消費を減らすことに貢献した。

まさしくアメリカの思うつぼなのだが、アメリカの食文化を多く取り入れた食生活に大きく変化したことは確かだろう。

一番極端なのは、沖縄で米軍の食文化の波を被って、健康県から不健康県へと成り下がった。

沖縄では、旧石器人(hpRyukyu)や縄文人(hspOkinawa)から受けついだらしいピロリ菌が幸いして、胃がんが少ないというのに、近年の肥満が災いしているようだ。

奄美は、健康で長生きのイメージがあるが、戦後主食がサツマイモから米に変わってかなり変化している。

食生活は豊かになったようだが、健康に問題を抱えることが多くなったようだ。


地域の自然環境などで、その食生態にあわせた身体ができてきたのに、食生活を急激に変化させれば、健康を害するのは当たり前である。

論文によればガンなどもその影響を受けているようだ。

一括して日本人とせずに、これからはDNAの型によって、どういう食生活がふさわしいかを示すのが本来の医学だろう。

それによって、徐々に普段の食生活を変化させていくのが、健康促進になると思う。

健康食品やサプリの宣伝で危機を煽ったりする商法に、きちっと対応した情報を医学界は報告すべきだと思う。

ただし、病気がなくなってしまったら病院は不利益になるので、ゲノム研究は医学以外でももっと研究する方が良いかもしれない。




2024年8月28日水曜日

女ものの靴やサンダル

 我が家の玄関から、女性用の履き物が減って久しい。

娘が大学に通うのに下宿し始めて、娘の履き物が無くなった。

今残っているのは、家内のサンダルと運動靴くらいである。

家内はたくさん履き物は持っているが、大切に下駄箱に入れてあるので、玄関で見かけるのは、2足くらいである。

仕事には運動靴を履いていくので、玄関に小さなサンダルだけが1足残されている。

私は男兄弟が多い中で育ち、家族で女性は母一人だったので、玄関に母親の履き物は目立っていなかった。

玄関に女性の履き物があることが、いかに嬉しいことなのか思い知ったのは、学生時代に生活が破綻して、伴侶の履き物が無くなった時である。

いつも、そこにあったはずの、女性用のかわいい靴やサンダルが消えてしまうことほど、寂しさを感じさせることはない。


男用の私と息子の履き物は、履き古されて汚れていたり、くだびれてしまっていて、あまり見たくもない。

そもそも、磨いた革靴を履いて通勤することも無かったし、出かける時も歩きやすい靴を履いていて、見栄えの良い物は無い。

だから、一足でもかわいいサンダルが、玄関にあるとホット安心する。

そして、一つ残されているサンダルを見るたびに、玄関から女性用の履き物が無くなった寂しさを思い出してしまう。

そういえば、母が亡くなってから、実家の玄関をまだ片付けていないが、かなり昔に亡くなった父親の靴は全く残っていない。

私はまだ、亡くなった母の靴を処分できていない。

履き物が残っていることで、まだ生きていた頃を感じ続けている。

きれいな服や着物ではなくて、履き物に人を感じてしまうのもおかしな話だ。


2024年8月25日日曜日

そうめん やっぱり揖保乃糸

 秘密のケンメインショーでたつののそうめん「揖保乃糸」が紹介された。

兵庫県を紹介する画像のトップはいつも神戸の港だが、播磨地方を紹介するなら、せめて姫路城を出して欲しかった。

播州人にとっては、神戸は摂津国で、播磨国とはかなり違う。

そもそも、兵庫県は明治政府が神戸の外港を維持するために、5つもの国をくっつけてしまった。

だから、丹波の人も、但馬の人も、淡路の人も、播州人と同じように神戸を代表されると疎外感を感じるだろう。

そもそも、神戸の洋風の食文化と他の地域の食文化はかなり違ってきていると思う。

神戸の人もそうめんを地の物のように紹介していたが、神戸の人がそれほどそうめんに親しんでいるとは知らなかった。


そもそも、私らの世代はそうめんは普段食べられたものではなくて、盆など特別な時に親戚と一緒に食べたように思う。

夏には普段は冷や麦を食べていて、中に青色や赤色の麺が入っているのが楽しみだった。

たぶん冷や麦はそうめんより値段が安かったので、子どもが4人もいた我が家では、冷や麦を大量にゆでて出したのだと思う。

それとつけるつゆだが、自分ところでいり干しで出汁を取って、それこそヒガシマルの薄口醤油などで味付けしていた。

母方は祖母も母親も、酢を入れるのが好きで、冷や麦やそうめんは酸っぱいつゆで食べていたが、最近私も懐かしくて普通の酢や、らっきょを漬けていた酢を入れたりしている。

ネギは入れていたが、わさびなどは昔は入れることは無かったと思う。


もともとは冷や麦とそうめんは製法が違っていたらしいが、今は同じ製法だという。

私はそうめんは子供心に何か苦い感じがしたので、冷や麦の方が好きだった。

結婚してからは、家内がそうめんのひねを買ってきたり、新しいのをタッパに入れてねかして、こしのあるそうめんをおいしく食べてきた。

ただ、そうめんは腹持ちが悪くて、すぐに腹が減ったと私が言うし糖質過多になるので、最近は家内もあまり作らなくなった。

今家内が作るそうめん料理は、中にいっぱい野菜やハム、おろしたり刻んだ長いもを入れて、つゆを上にかけたもので、腹持ちも栄養バランスも良い。

一方でこのごろは、そうめんはお中元に買って贈るものということになっている。

結婚する前の私は高級なそうめんがあることを知らなかったし、贈られて喜ばれる物だとは知らなかった。

奄美ではこの日持ちするそうめんを贈られると喜ばれるのを学生時代は知らなかった。

調査に行く時に手土産で名古屋のういろうや、大阪の粟おこしのように、重くてかさばる物を持って行ったが、そうめんを持って行けば良かったと思っている。


たつのにはおいしいそうめんを出してくれる店も何軒かあるし、「そうめんの里」のように観光客が多く訪れるところもある。

私は、たつの公園の上にある、すくね茶屋で食べたそうめんがおいしかったことを記憶している。

たつのには縁があって、市内にある学校に長く勤めたのに、そうめんよりもイトメンのチャンポン麺の方をよく食べていた。

こちらも幼い頃から食べてきたもので、出汁も和風だし、麺が細くて、具材に入っている小さな干しエビを食べるのが過ぎである。

このチャンポン麺はそうめんに通じるものがあり、いつも買い置きしてあって時々食べている。

たつののそうめん製造は、ラーメンなども作る大きな工場だけで無く、小さな町工場もたくさんあって、品質を保ちながらまとめて揖保乃糸をなのっているという。

夏場は木箱を作って、冬場に麺を作る家内工業はたつの近辺の大切な地場産業になっている。

このそうめんもたつのを活気ある町にしている大切な産物なのだと改めて納得した。


それにしてもたつの出身の漫才コンビ・インディアスの片割れの田渕章裕は、新宮出身で実家がそうめん製造をしているという。

新宮町は市町村合併以前は揖保郡であり、有名なブンセンという食品メーカーもある。

私は、たつの市の合併前の学校に勤めていたので、新宮町民がたつの市民をなのることにまだ違和感を感じている。

確かに彼は、龍野高校出身でたつのにゆかりがあるが、そうめんにはちゃんと「揖保」という名前が残っている。

かれは堂々と、揖保を名なのって、大声で叫ぶよりCMフレーズで「そうめん やっぱり 揖保の糸」と歌って欲しかった。





2024年8月22日木曜日

ハイビスカスによせる思い

 


今年はハイビスカスが庭でいっぱいの花を咲かせてくれている。
これまでは、多くて一日に2から3個くらいしか咲いていなかった。
今年は、化学肥料をそれなりに与えていたので、たくさんのつぼみをつけてくれたのだと思う。
この花を買ったのは2020年の5月だ。
それまでは、家内と一緒にホームセンターにいった折に、売られているのを見て買いたいと言うと、家内には枯らすから駄目と言われ続けていた。
たまたま加西のフラワーセンターに行って、ホームセンターより安かったので、枯らしても文句は言われまいと思いきって私は買った。
私は以前は、「花より団子」「花でおなかが膨らむのか?」といって、花好きの家内には嫌みを言っていた。
そして、庭には花よりも野菜を植えたりしていた。
専業主婦だった家内は、プランターなどで花を栽培するのを楽しみにしていた。
しかし、子どもが大きくなって臨時で働き始めてから、花に関わることは殆ど無くなっていた。
一方で、私は畑を借りて本格的にやり出したので、庭に野菜を作る必要も無く、花にも興味を持たず花を育てることは無く庭も淋しいものになっていた。

そういう私も、肥満気味となり、糖質制限もしなくてはならなくなって、団子はおあずけの身になった
また、退職してからは気持ちに余裕が持てるようになって、花にも興味を持ち始めていた。
どうしてハイビスカスかというと、奄美に村落調査に行っていた頃に、与路島でよく見かけていたからだ。
民宿や宿泊所の庭先に路地植えされて大きく育ったハイビスカスに、いっぱい花が咲き、アゲハチョウが寄ってきていた。
学生時代に支えてくれていた伴侶と長津田のアパートに引っ越してベランダができたので、その懐かしいハイビスカスを近くで買ってきて育てた。
ハイビスカスを見て、奄美を思い出し励まされながら修論を書いたのだが、博士課程にすすめるだけには仕上がらなかった。
伴侶と夢を追いかけていた生活も破綻してしまい、郷里の赤穂にひとり戻って立て直すことになった。
何とか部屋で冬を越して、これから咲こうとしていたのだが、私は地元に戻るのに、ベランダに置いて帰らざるを得なかった。
辛い思い出が重なってしまった、ハイビスカスを持って帰ることをためらったというのが偽りの無い気持ちだ。

その後はハイビスカスを見ると、当時を思い出して胸が痛むので、買おうとは思わなかった。
あえてガジュマルのように、奄美だけの思い出に繋がるものを買って育て続けたが、こちらは30年近くたっている。
絶望の日から35年の月日が経って、ようやく辛い記憶も懐かしさに変わって初めて育てようと思い出した。
今はハイビスカスの花は、黄色やピンクなど様々な色があるが、当時と同じ真っ赤な色を選んだ。
買った当時は、ほんの30cmほどだった鉢植えのハイビスカスも、今は鉢も大きくして1m以上になっている。
冬には2階の書斎部屋に入れて大切に冬を越させて、花の咲く夏になると下の庭に持って降りて人に見てもらう。
学生時代は花が咲くのを一度見ただけで、記憶と共に置き去りにしてしまったハイビスカス。
今は、4年間も花を咲かせ続け、今年は満開である。
この満開になったハイビスカスのように、私はその後何とか積み重ねてきた研究を開花させたいと思っている。
たとえ、ハイビスカスのように実のならない花だとしても・・・・・





2024年8月20日火曜日

空襲警報発令!?農薬散布ヘリ機及びドローン機襲来

 JAからの通知で、今度農薬散布をするので、通知した曜日の時間帯には、洗濯物は外に出さず、窓を閉めてくださいという知らせの紙が、郵便受けに入っていた。

稲作地帯に住んでいる者は、米農家に協力するために、農薬の空中散布を受け入れねばならない。

ずっと、ブログで書き続けているように、EUでは禁止されている農薬の空中散布を日本では許可し続けている。

それが当たり前のように、紙切れ一枚の注意喚起で平然とJAは空中散布を挙行する。

既に、大規模農家では自前のドローンで農薬空中散布をしているのだが、何の予告も無く平然と行われている。

この地域の人はその大規模農家に水田を任せている人が多いので、自前でドローンを使う方法と、JAに委託する方法が普通になってきた。

他にも、昔ながらのホースを使ったやり方や、トラクターを使ったやり方をする中規模農家や営農団体も見かけるが、空中散布が増えてきたように思う。


洗濯物を取り入れて、窓を閉めねばならない毒物をまき散らされて、我慢せねばならないのが水田地帯にあえて住んでいる住民の定めなのだろう。

以前なら、農薬散布は各農家が自分で行っていた。

私の父も稲を作っていた頃は、自分で農薬を噴霧して、その後しばらく気分悪くて横になっていたことを思い出す。

家内の母方の叔父はミカン農家だったが、農薬をよく使っていた。

おそらくその被害だと思うが、肝臓がんになって60歳そこそこで亡くなってしまった。

また、太子町の方はハウスでトマトを作る人が多かったが、ハウスも農薬が欠かせず、肝臓を患って早死にする人が多かったと聞いた。


ささやかながら農業をやっている私は、収益をえるためには農薬が必要なのは、十分分かっている。

病気や虫にやられて、作物がまともにとれないことなどしょっちゅうだからだ。

私は自給用だから我慢できるが、生活がかかっていれば死活問題だろうし、有機農法しか無かった時代のように飢饉を招く可能性がある。

これは原発は将来の危機を招くことが分かっていても、使わないと今の生活が成り立たないと一緒だと思う。

大きなリスクを背負いながら、豊かさを享受しているのが現代の生活なのだから仕方ないのかもしれない。

テレビ番組では、里山の自然や山中や海辺のポツンと一軒家などの自然な暮らしに、国民の目をそらしている。

どの報道も農薬の空中散布の問題を取り上げることは無く、本当の農業の姿を原発同様に隠蔽し続けている。

EUが取り組めているのに、なぜ日本は取り組めないのだろうか?

これも、政治家と企業や圧力団体の癒着からくるものなのだろうか?

とにかく、われわれ水田地帯に住む者は、ウクライナやガザよろしく空からの襲来に備えねばならない。

何よりも可哀想なのは、稲に被害を加えない罪無き虫たち、そしてその餌を奪われる蛙、蛇、鳥たちだろう。

ハマスが市民に紛れていることで殺されるガザ市民のようだ。



2024年8月18日日曜日

ミストは必需品

 今年も、水道局の通知で漏水注意がポストに入れられていた。

去年もそうだったが、この季節には必ず、この通知が入れられる。

ミストを一日中使っているので、使用量が大幅に増えてしまう。

水道料金も馬鹿にならないので、何か良い方法はないか考えているのだが、それには貯水タンクやポンプなどの設備投資が必要になることが分かっている。

渇水対策にも備えて、出費覚悟で早めに取りかからねばとは思っている。

今年も例年通りに水道水によるミストなのだが、晴天続きでずっと水を止めることができなかった。

ところが、一日だけ夕立があって、4mmばかり雨が降ったので、ミストを夕方には水を止めて、翌日もそのままにしていた。

すると、翌日の午後には、ミストの下にあったハイビスカスの葉が萎れてきている。

要するに、今までミストの下の植物が元気でいたのは、夜にしっかりとミストの水を受けていたからなのだ。

4mmばかりの雨量では、この灼熱をしのげないのである。


とりあえず、昼過ぎの暑い時であったが、ホースで水をたっぷりとかけて、ミストも使い始めた。

しばらくすると、萎れかけた葉も元通りになって、ホッとした。

植物の葉などを見て、もっと関わりの深い農家の人や植木職人の人は、色んな要求を聞いてあげられるようだが、水を要求していることをせいぜいか感じられる程度だ。

それにしても、我が家では鉢植えの植物はミストなしでは、生きていけないということがよく分かった。

地植えしているのも、水を2日に1回ぐらいはホースでまいている。

それでも、ミョウガやホトトギス花は葉が黄色くなってきたし、カラーはもう殆ど枯れている。

何とか生け垣のカナメや梅は持ちこたえているが、葉は元気が無い。

来週には雨の予報があるので、それに期待するしかあるまい。


以前は8月には、雨台風が西日本にはやってきて、恵みの雨にもなっていた。

このところ、台風は関東や東北に行ってしまう。

台風で農作物に被害が出るのは困るのだが、適度な雨をもたらしてくれるのは歓迎だ。

この播州平野には貯水池が多くて、干魃に耐えられるようになってはいるのだが、それはあくまで水田用である。

庭の草木を守るためには、家にも干魃対策をしなければならない時代になったと思う。

庭の草木は少しでも、涼しさを保ってくれているからだ。

ミストは必需品になったのだから、水道料金を抑えるための対策を、来年の夏までにはしておこうと思っている。

これからの灼熱時代には家においてもちゃんとした対策が必要となったことを思い知った。


2024年8月15日木曜日

死にざま

 私の父方の祖母は、私のことをずっと気にかけてくれた人で、苦学生時代にはたびたび1万円を母に託してくれてありがたかった。

私の結婚式にもわざわざ参列してくれたのに、ちゃんとお礼を言えていなかったのが今でも悔やまれている。

その祖母は、足がむくんで調子が悪いのに、病院に行くのを拒んで、自宅で亡くなった。

家族に迷惑をかけたくなかったのか、死を予感して自宅で死を迎えたかったのか分からない。

死ぬ何ヶ月前に会った時は、そんなに早くなくなる状態とは思わなかった。

そのように、親類縁者の中で自ら入院を拒んで死んだのはその祖母だけだ。


私は以前、原ひろ子氏の『へヤー・インディアンとその世界』1989平凡社を読んでいた時に、

次の内容の報告を目にして、祖母と重ねて考えずにはいられなかった。

「外からの観察者としてへヤー・インディアンを見るとき、彼らは自分の死ぬときを自分で決めているように見えてくる。」

ヘアー・インディアンは、ちょっとした風邪でも、自分がもう死ぬ時だと思い込むと、食事を拒んだりして、簡単に死んでしまう。

それを、西洋医学の病院看護婦は嘆くのだが、狩猟採集民にとって自分をきちっと始末できないと、周りの者を危機に陥れることから、こういう死にざまができあがったらしい。

祖母が入院して、周りの家族が危機に陥ることは無かっただろうし、8人もの子どもを産み育て、5人は健在だったのだから、頼れば良かったと思う。

しかし、考えようによっては、それだけしっかりと生きてきた人間にとって、弱って子どもに頼る姿を見せたくなかったのかもしれない。

それは、その夫である祖父が脳梗塞で倒れた時に、周りに気を遣ったことであろうから推測できる。


今は、認知症が進んでしまったら、自分の死にざまを自分で決めることはできない。

家族がいれば病院に行くのを拒むことも難しいだろう。

その一方で、家族がいない人の中には、病院にも行けず孤独死する人もいる。

かつてヘアー・インディアンは、狩猟のための移動について行けない者は、自ら一人テントに残って死を迎えた。

ただ、先住民に年金が政府から支給されるようになって、老人がうって変わって大切にされるようになったそうだ。

今の日本では、大切にされるだけの年金を受け取れない老人も多いし、多い場合によっては振り込み詐欺に狙われたりする。

必ずしも、日本の方が老人にとって暮らしやすいとは言えないだろう。


自分も年金生活者になって、死にざまを考えねばならない年齢になった。

Lineで大学時代の同級生の写真を家内に見せたら、同じだと言われてかなりショックだった。

あまりにも老けて見えたからだ、自分自身も彼らを大学時代の印象で思い出していたように、自分自身も今の自分の姿を錯覚しているのだろう。

認知症になって、自分で自分の死にざまを考えられなくなる前に、しっかり考えておこうと思っている。

祖母の死にざまは、そういう意味で一つの見本でもあるかもしれない。