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2025年6月19日木曜日

コウノトリやツバメの子育てに思う

 うちの村ではコウノトリのヒナが3羽誕生して、だいぶ大きくなったのでその姿を遠くからでも見ることが出来る。

あいかわらず親鳥はひな鳥たちへの餌取りが大変で飛び回って、田んぼの中を駆けづり回っている。

田植え前ではトラクターが耕したり代掻きをしているのを見つけると飛んでいって、後ろについて餌になる物が出てくるのを追いかけていた。

天然記念物のコウノトリがそのプライドも無く、サギよりも大胆にトラクターを追いかけているよと家内とは冗談を言い合っていた。

子どものためなら、遮二無二餌を求める姿には考えさせられた。

また、うちのバルコニーの下でも、ツバメが子育ての真っ最中で二羽の親鳥が頻繁に行き来している。

親鳥が戻ってくると巣の中からかわいらしいヒナの鳴き声が聞こえてくる。

子どもの頃はじっと眺めたりしていたが、親鳥が警戒すると思ってなるべく立ち止まって見ないようにしている。

やはりコウノトリ以上に休み無く餌を採ってくる姿にも考えさせられた。


コウノトリにしてもツバメにしても、この子育ての見返りは無い。

人のように老後の面倒をみてもらえることはない。

大きくなったら逆に縄張りを巡って争わなければならない関係にもなりうる。

しかし、命をつなぐことに何の見返りも求めず、将来の不安も感じてはいないだろう。

それが本能によって仕組まれている言えばそれまでなのだが、生き物の最低の使命が命を繋ぐこと、自分と似たものを再生させることだろう。

自分も振り返ってみれば、子どもが生まれて赤ん坊の頃は、ひたすら元気で育つことを願い、その笑顔や寝顔に癒やされていた。

ある意味で、ヒトは子や孫と長く関わらねばならないから、良いことも悪いことも色々と生じてしまうのだろう。


以前勤めていた高校の離任式の挨拶で、生物の先生が命をつなぐことの大切さを生徒達に向かって力説して最後の言葉としていた。

その時には、生物の先生らしいなと思っていたのだが、これは生けるものとして一番大切なことだったことに今更気がついた。

私は文化人類学を研究しているので、生命観は重要なテーマだと思ってきた。

しかし、「いのち」よりも「たましい」の方に、関心があった。

沖縄の言葉に「命(イヌチ)どぅ宝」という有名な言葉がある。

しかし、私が村落調査した与路島では、あまり命という表現はしていなかった。

やはり、「タマシ」とか「マブリ」とかいう霊魂で、人の生命や血のつながりを表現していた。


親子関係は性行為や出産を通してそのつながりを現実に体験できる。

ところが祖父母と孫の関係は、親を介在として作られた関係だ。

その命のつながりは、現実的な行為によっては確かめられない。

だから「タマシ」が祖父母から孫につがれると表現する。

生物学では遺伝子などレベルで、それらの関係は全て実証できるのだが、民俗知識では実証に用いられるはずも無い。

だから、姿や性格、名前に魂<タマシ>を込めてそれを表現してきた。

そして、大切なことは魂を通した関係を大事に育んでいくことだった。

かつてはどの日本人も、そういう信仰の上に家族は成り立っていたのだろうが、それが失われた今はそれに代わるものがなくなってしまった。


今、日本だけで無く多くの先進国では、少子化の問題に直面している。

発展途上国や移民の受け入れの多い国は、助け合うための親子関係が維持されており、子育ても重要で人口が増えている。

社会保障が充実した先進国では子どもに老後を託す必要も無く、老後を豊かに過ごすには子育てよりも現役時代の仕事が大切なのだ。

見返りを求めずひたすら命をつなごうとする鳥とは大きく違ってきた。

命をつなぐという生き物としての最低の本能を失い、築き上げてきた魂としてのつながりさえ失ってしまった。

これが高度に産業化された文明社会の現実なのかもしれない。


人間以外の動物でも動物園で飼育されたり、家畜化されると自分で繁殖したり子育てができなくなる。

私の研究のテーマの奴隷問題や家畜化<domestication>と大きく関わる問題だ。

悪く言えば国家や企業の奴隷、家畜となった近代人は、社会保障という名の保護のシステムの中で自由と引き換えに、それに依存して目先の安全と物質的豊かさを手に入れた。

それらに頼らずに生きていく方が困難であり、そのリスクを多く背負ってきた。

その先進国の影響もあって、世界の人口は発展途上国を中心にとんでもなく増えており、環境も破壊し続けられている。

そんな時代に敢えてリスクを背負って、子育てをする方がむしろおかしいとも言える。

少子化の問題は今の近代文明そのものの問題であって、子育て世代だけの問題では無い。

マスコミはその深い意味を問わずに、数値だけを追って危機を煽るのは誤った報道のように思える。

江戸時代は自然災害や疫病によって人口が大きく変動したと言われている。

しかし、日本ではその江戸エコシステムによって、豊かな自然環境を維持し養子もとりいれながら家を守ろうとしてきた。

その自然環境や命の繋がりを維持しようとしたその姿勢を、現代でも見習うときが来たようにも思えるのだ。


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