後発性障害は生まれた後の病気、ケガ、事故などによって、身体や心に不自由さや生活の困難さを生じるものだった。
私は肢体不自由などの特別支援学校に勤めていた時に、そういう児童生徒と接する機会が多かったが、一番多いケースはやはり交通事故だった。
私たちの子どもの頃は交通戦争と言われたが、1970年は年間死者数は16800人で、日清戦争の死者の17000人とそう変わらなかった。
昭和30年(1955)代に始まり、ようやく収束しはじめたのは平成20年(2008)だが、それでも現代でも年間2500人以上の死者数を出している。
アメリカは対イラン戦争で死者数が4人で負傷者数が600人である。
ウクライナ戦争ではウクライナ人の死者数が推計で10~15万人と言うが、日本での交通戦争での死者総数よりまだ少ないと思われる。
こういう殺戮戦争よりも悲惨な戦争状態にありながら、日本人は自分たちが交通戦争の戦時下にあることを悲惨な状態とは思っていなかった。
そして、今でも私自身凶器となる自動車を運転し続けているし、いつ何時事故に遭遇するかも分からない。
そして、凶器となる車は堂々とCMなどで宣伝されている。
煙草のようにCMを禁じたり、事故になるかもしれないので運転には注意しましょうと、車体には書いていない。
そして、一番気の毒に思えたのは交通事故によって障害を負って、一生その障害と付き合わねばならない本人と家族だった。
担任した生徒に関して「お地蔵さんに祈った生徒」で詳しく書いてあるので読んでほしい。
その他にも、真面目で優秀な高校生が交通事故に遭って特別支援学校に来たケースや、中学校時のバイクでの暴走行為で事故を起こして大きな障害を抱えた生徒もいた。
本人に責任があるなしにかかわらず、交通事故の後遺症は深刻な場合も多くあった。
特別支援学校はそういう生徒の受け入れ口にもなっていたのだ。
小学生の頃から交通事故について学び、安全教育を受けてきても、交通事故は無くなっていない。
これから完全になくなる見通しなど立っていない。
そもそも、日本は急速に自動車が普及してきて、道路が整備されていなかった。
外国などでは居住区に自動車を入れさせない町作りをしていたところもあった。
この8月から町の路地を通る自動車が制限速度が30kmに抑えられたが、それまで60kmだしても良かったこと自体が異常であった。
自動車優先の道路造りで、歩行者や自転車の通行が危険に晒されてきた。
私の二人の子供も小学校の通学途上の交差点で衝突事故を起こした車の巻き添えで大けがを負った。
通学途上の事故や、園からの散歩の途中での交通事故で多くの死傷者を出し続けてもいる。
本来なら安全な街作りをするか、自動車に安全機能が完備されるまで、限定的に使われるべきだった。
それを、利便性や経済優先で犠牲に目をつぶり続けてきた。
かくいう自分も東京を離れて地方に住み始めた27歳より、自家用車なしでは仕事が出来なくなっている。
路線の交通機関が便利な東京近郊ではあえて自家用車を持つ必要なないが、それが整っていない地方では仕事や暮らしのために必要不可欠になってしまっている。
ということは、これからも交通戦争の戦時下に生きていかねばならないということだ。
軍事兵器による殺戮を伴う戦争よりも、時に犠牲者を多く出してしまう交通戦争は、現代社会がそういう日常の戦争の中にあることを思い知らされる。
参考文献
É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019 「クラウゼヴィッツと六八年の思想」 『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社
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