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2024年10月12日土曜日

不都合な核兵器の真実

 被団協のノーベル平和賞が決まった。

日本は、核兵器禁止条約に加盟しないままである。

理由は、同盟国のアメリカの核の傘に守られているからである。

そもそも、そういうことは核兵器の存在自体を容認していることになる。

核の傘の本質は、守ってもらっているだけでなく、脅されているのだということもちゃんと報道しなければならないと思う。

唯一の被爆国日本が核武装をすることに一番反対するのはアメリカだろう。

アメリカは核の使用を正当化しているのだから、日本が広島・長崎の報復として核攻撃をしても文句は言えないからだ。


アメリカに守られているし、脅されているから核兵器禁止条約には賛成できないと、政府も正直に言えば良い。

核兵器を禁止するには、アメリカが原爆投下の過ちを認める以外に、道は開けないことくらい分かっている。

被団協がノーベル平和賞をもらっていなかった理由に、アメリカの存在が大きかったと言われている。

被団協がアメリカへの賠償を求めているように受け止められていたともいう。

核使用の現実が迫って、さすがのノーベル賞も被団協を前面に出さざるを得なかったのが現実だろう。

そもそも、プーチン自体がアメリカが原爆投下してうまく日本を支配しているのに、なぜ使って悪いのだと思っているようだ。

今使わないのは、まだ勝つ見込みが立っていないからだ。

アメリカが原爆を投下できたのは、勝てる確証があってとどめを刺したのと、次の対ソ連戦略からだというのは分かるはずだ。

万一負けていたら、ドイツのホロコースト同様に大量虐殺として断罪されていただろう。

朝ドラの「虎に翼」のおかげでモデルである三淵嘉子氏の「原爆裁判」がやっと注目され始めたが、戦争犯罪であることを訴え続けるべきだ。


日本政府は世界の核兵器の現実から逃れられないことは確かだろう。

核兵器さえ持っていれば、脅しにも使えるし、攻め込まれて征服されることはないからだろう。

しかし、そういうの国家の戦略と対抗して世界中の人々は連帯し、核兵器廃絶の運動を繰り広げられるはずだ。

その一歩は、アメリカの原爆使用の誤りの共通理解から始めるべきだろう。

被団協などの活動が、核兵器使用をタブー化していったとも言われているが、核兵器所有もタブー化していくべきだろう。

地球環境問題への世界的な市民運動と同様に、核兵器廃絶の市民運動を繰り広げるべき時が来ていると思う。

核抑止力が核脅し力になったウクライナ戦争や、イスラエルの核施設攻撃の可能性がある今だからこそ、ノーベル賞が与えられた。

そして、日本人はこの「不都合な核兵器の真実」から目を背けずに、核兵器廃絶に取り組む歴史的責任を背負っていると思う。



2024年10月8日火曜日

酷暑に耐えた作物たち

 今年は、酷暑に雨不足で、夏物野菜は早々と駄目になった。

そんな中で、元気なのはオクラだけと以前書いたが、実は落花生、黒大豆、サツマイモなども何とか枯れずに残っていた。

落花生をまず最初に少し掘ってみたが、まだ大きく育っていなかった。

おそらく。水が不足して実が大きくならなかったのだろうが、小さいのがいっぱいついていたので、他のはしばらく置いておくことにした。

次に、サツマイモ(シルクスイート)を掘ったが、元気が無いので最近水をやってきた甲斐もあったのか、芋はそこそこできていた。

黒大豆も枝豆として食べようと一株刈り取ってみたが、やはり水不足なのか実は太っていなかった。


私は、黒マルチ(地面の覆い)を使わず、草マルチでやったが、しっかりとマルチングができていなかったので、草がかなり生えてきて、それを刈ったり抜いたりが大変だった。

草マルチを用いる自然農法というのは、そんなに容易いものではないことを思い知らされた。

ただ、苦労の甲斐あって、草と一緒ではあるが、元気に育ってくれて一安心した。

このところ、気温も下がって、雨も降り出したので、これからもっと太ってくれると思う。

一方、期待を込めて育てた高黍(コーリャン)は実が殆ど入っていない。

干魃に強いとされるのだが、枯れない代わりに実が殆ど太らなかったので実験的に秋植えの高黍を育てている

周りの稲は元気に育って、今収穫を迎えている。

やはり、水田はこういう日照りや高温に耐えられる優れものだと思い知った。

ちゃんと、川からの水を絶やさず、万一のための貯水池も作ってある。

こんな、破綻気象でも水稲だけは問題なく育っていたのだ。

日照りに不作なしというのは、こういうことであり、むしろ冷害の方が稲には悪いことが実感して分かった。


以前には、温暖化の時代は、稲よりも芋の方が適していると言われていたように思うが、里芋などは暑さで葉が枯れてしまった。

いくら、水があっても暑さにあの広い葉っぱは持たないようだ。

そういえば、池の蓮もずいぶん枯れていたのが、このところ涼しくなって復活してきた。

広い葉を持つ植物はどうも高温に弱いようで、考えてみれば熱い乾燥地帯で育つのは葉のないサボテンだった。

一番早くに駄目になったのはキュウリだったことを考えても、大きな葉を持つ作物は日照りと高温に気をつけねばならない。

これからは暑さ対策の寒冷紗が必需品となるだろう。


私は酷暑の時代で稲に代わる作物を考えたが、今年に関しては稲が一番耐えられる作物であることが分かった。

メタンガスを多く出す水田から乾田で栽培することも考えているようだが、水田だからこそ高温に耐えられたように思う。

ただ、西日本は台風による風水害をあまり受けなかったことも今年は幸いしている。

台風の常襲地帯の琉球諸島や南九州では、稲よりもサツマイモなどの方が適していることも事実である。

私自身は、現代の機械化された稲作に取り組むの二の足を踏んでいるのだが、資金面もさることながら安全面でも不安を抱えている。

今朝の朝日新聞の記事に、農家の事故の多さは、他の産業の10倍だと書いてあった。

一番の原因は高齢化とされるが、機械化されてなければ、起きない事故ばかりだ。

土木建築現場で、機械化されてそれを担うのは決して高齢者だけではないことを考えれば、いかに今の機械化農業が問題を抱えているか分かる。

現在は稲ばかりでなく、商品作物の殆どが機械化されてきているのだから、高齢者ばかりに頼らない人材確保が急がれる。


政府は時給を上げて臨時職員の生活を安定させようとしているが、時給が上がったらますます、農業は機械に追いまくられるだろう。

大型野菜農家で働いた年配の人から聞いたのだが、機械に併せて作業するのはかなり厳しいものだそうで、二度と働きたくないと言っていた。

テレビのニュースや特集では子どもたちののんびりした農業体験が流されているが、収益を上げるための機械化農業のことも知っておく必要があるだろう。

今回の米騒動から対策すべきことは多くあるのに、政治家は政策よりも選挙対策でまともに機能していない。

都市に住む人はせめて関心を持って、農家を支援する世論を作り上げて欲しいと思う。





2024年10月4日金曜日

私を導いてくれた光バイト

 今は闇バイトが世間を騒がしている。

ネットで集められた若者が中心に、高齢者や女性の単身者を狙って強盗に入ったりしている。

捕まれば一生台無しになってしまいかねないリスクを冒すほどのうまみがあるように思えない。

目先の高額なバイト料にだまされて、その世界から抜け出せない若者も多いという。

それよりも、汗水を流して働いた方が良いと思うのだが、小さい頃からTV・PCゲームばかりしていたとか身体を動かす経験の少ない人にとっては、どだい無理な話なのかもしれない。

また、そういうバイトをする若者は相談する相手がいないというので、気軽に相談できる窓口も必要なのだろう。


私は中学受験や大学受験で机に縛られていた時期を除いて、身体を動かす方が多かった。

バンド活動でもボーカルやギターでも結構体力が必要だった。

そして、大学時代にサークル活動としての村落調査に必要な金に困ってやったのは、土方(土木作業)のバイトだった。

弟は旧帝大に入っていたので、地元の赤穂に夏休みに戻ったら家庭教師の声がかかった。

私は三流大学の私学であって、短期間でも頼まれるほどの価値がなかった。

ただ、理科系の色白スリムな弟には彼女はなくて、文系で色黒マッチョな私にはちゃんと恋人がいたので、釣り合いはとれていた。

私学であっても家内のように自宅通学していた大学生は家庭教師や塾などのバイトも相生にはあった。

地元赤穂では国公立に通学している学生が殆どいなかったので、夏休みや春休みだけでも頼まれることがあって、医学部に行った多くの同級生も同じようにしていた。


私のバンド仲間だった同級生は、早大法学部の学生だったが、家庭教師や塾は不向きだったので、あえて地元でも東京でも建築現場でバイトしていた。

私より高額の日給をもらい、地下足袋をちゃんと履いて、ビルの上にも上っていると自慢していたが、1980年頃私は日給5,000円で彼は7,000円くらいもらっていた。

以前、受験ドラマ「ドラゴン桜」で、夜の土木作業のバイトが実入りが良いと奨められていたが、大学生ならともかく受験生に向いているバイトとは思わない。

何せ夏の昼間の土方(田舎では夜間の道路工事等は殆ど無い)は、どうやって夕方まで体力を維持するかである。

元気の良い朝に体力を使ってしまったら夕方まで持たなくて、ペースをつかみ身体が慣れるまでに、最低一週間はかかる。

そして、昼休みはどんな場所でも眠る必要があり、汗に濡れた長袖シャツを干しながら、ランニングシャツ一枚で板の上で横になって日陰で眠った。

やっと夕方に仕事が終わり、家に帰って夕食を済ますと泥のように眠りこけた。

問題は仕事が無くなる雨で、身体安めには良いのだが収入面では都合が悪い。

「土方を殺すに刃物はいらぬ 三日雨が降れば良い」とか

「雨が続くと仕事もせずに キャベツばかりかじってた(赤ちょうちん)」の世界である。

まさしく闇バイトならず、晴れ頼みの光バイトなのである。

親方は母親の知人の断酒会を通じての知り合いで、親方のお母さんは日本語が得意ではなくて、電話で連絡を取るのに不自由があった。

親方は強面だが口数も少なく、無理なことを押しつけるようなことは無かった。

そんなきついバイトをしている私に恋人はよく気遣ってくれて、たまの休みに二人で旅行することもできた。


こういう土方をせずに済んだのは大学院時代で、東京の公立大学院生だったので、家庭教師や塾の仕事にありつくことができた。

しかし、博士課程の進学に失敗して地元に戻ると、教諭の病欠や短期留学での短期間の中学での数学や英語の臨時講師(校長特別免許)しかなかった。

これは1~2ヶ月ほどしかなくて、その間を埋める軽いバイトが赤穂には無かった。

そこで、役に立ったのが土方の経験だった。

要するに職安(ハローワーク)から赤穂市の発掘の人夫(作業員)の仕事を紹介されたのだった。

発掘現場は、重機も使うが、丁寧に掘ったり、削ったりする仕事があった。

一緒に働いている仲間は退職したり失業した年配者が多かったが、小指を詰めた中年も混じったりしていた。

また、ご主人が借金の保証人になったために家をとられてしまったご婦人もいたり、脳梗塞で軽い障害を持った人もいた。

暑い夏の作業も辛かったが、凍てつく冬の作業も同じくらい辛いものだった。

しかも、大学院の修士をいちおう修了していたが、考古学はかじった程度で何の役にも立たず我ながら情けなかった。

それでも、そのことがきっかけとなって、市の教育委員会の人が懇意にしてくれて、教員になる道も開けていった。

要するに、土方の経験があったればこそ、発掘に携わり教員になれたとも言える。


今は、ブラックな仕事として、教員の仕事は人気が無いので、私の経験が若い人の役に立たないかもしれない。

言えるのはどんな惨めな時であっても、それなりの下積みのバイトをすれば、何かのチャンスに結びつくということだ。

大学院の修士の時に生活が破綻して、当時は医者から出されたトランキナイザーを飲みながら死ぬことしか考えなかった者でも、土方を通して道が開けた。

そして、どんな不遇な身の上ででも懸命に生きていこうとしている人から人生を学んだことも大きな経験だった。

今でも村で暮らしながら村作業や農作業ができるのも、その土方の経験があるからだ。

今は土木作業の仕事は機械化されて、素人は簡単にできないかもしれない。

それでも、今は人手不足で探せば将来の光となるバイトは見つかると思う。

ゲームばかりしていて不健康だった身体を鍛え直すチャンスかもしれない。

下積みの仕事をしている人から、勇気づけられることもあると思う。








2024年10月2日水曜日

なじみの鳥取

 全国的には鳥取県は余り知られていない。

今回、石破茂が総理大臣になったことで、鳥取も全国ニュースで知れ渡ることになった。

鳥取は私の住む兵庫県の隣の県だが、山陰で中国山地を越えねばならないので、あまりなじみは無かった。

それが、無料で通行できる鳥取道や、智頭線で繋がったことで、兵庫県の南西部とも関わりが多くなっている。

鳥取では安くておいしい海産物が手に入るので、岩見の道の駅には月に一度くらいは車で出かけている。

そこに隣接する食堂で、毎回海鮮丼を家内と一緒に食べている。

値段は少々高くて、回転寿司なら食べきれないくらい注文できるのだが、味は比べものにならない。

冬場に行けばカニなども安く食べられそうだが、雪道に慣れていないので一度も行ったことがない。

この日曜にも岩見に出かけたのだが、いつもは席に着くのも待たされるのに、全く待たされなかった。

おそらく、祭りのシーズンで、そちらに人が動いたのだろうと思う。


私自身は、鳥取出身の人と関わりが大学時代からある。

私が班長をつとめた村落調査サークルに名古屋大学の医学部生が参加してくれたが、彼女は鳥取西高校出身だった。

医学部にかかわらず、民族学に非常に興味を持ってくれて、奄美の調査では普通の民家にも宿泊して頑張ってくれた。

また、大学院でも1年下に鳥取出身の後輩がいて、彼女は飲み会で必ず貝殻節の話題になるので、地元で歌と踊りをおぼえてきて披露してくれた。

自分の研究とはあまり関係なさそうだったので興味が無かったのだが、青谷神寺地遺跡で弥生人の多量の人骨が発掘されて以来興味を持った。

そして、大林太良氏や森浩一氏の倭人研究と非常に関係があり、それは海人として奄美とも通じるものがあると思った。

要するに鳥取など山陰の古代遺跡には、潟湖で暮らしていた海人の生活ぶりが残されているというのだ。

青谷神寺地遺跡は大乱の殺戮の証拠として、イメージとしてはあまり良くないのだが、かつては栄えていた山陰を示す一つの証となっている。


鳥取は寂れたイメージしか無い。

大したレジャー施設も産業もなく、かつては「スタバは無いけど、砂場はある」と揶揄されたほどだった。

石破茂の地元の八頭などはかつては国道29号線で姫路への重要な幹線道路沿いだったようだが、鳥取道にその座を奪われて、山道の好きなドライバーでしか通らない。

八頭は、柿の産地で道沿いに柿畑が広がっている。

私は熟し柿以外は食べないし、家族は柿は好きではないので、道の駅にも寄ることは無い。

それよりも、その奥にある若桜の道の駅には必ず寄って、おいしいアイスもなかを買って車中で家内と半分ずつ食べている。

ガソリンが高くなったので、最近は通らなくなったが、鳥取の浦安海岸から浜坂や香住を抜けて豊岡にいく海岸道路の絶景をかつては楽しんだ。


今は、オーバーツーリズムと縁が無いところだが、山陰自動車道が全船繋がったら混雑してくると思う。

今の鳥取道も連休などでは交通量も多くなって渋滞もするし、トンネルや単車線の影響で重大事故も多発している。

そうなると、旧来の国道をゆっくり走るのも良いのかもしれないが、通行料金がいらないなら山口まで遠出したいと思っている。

今でも、鳥取道は片道だけ使っているのは、下道だけの日帰りには限界があるからだ。

石破さんに頑張ってもらって、山陰自動車道で西日本の山陰地方をほどほどに賑やかにして欲しいとも思う。

かつては倭人や北前船などが活躍して賑わった西日本の山陰の復活を願うばかりだ。

しかし、人望のない石破さん、割り箸政権とも言われているそうで、山陰自動車道が全通するまで持ちそうもないような気もするが、君子は豹変してくれるはずだ・・・・・





2024年9月30日月曜日

うちのクロは立派な猟犬?

 このところ、田中二郎氏の『ブッシュマン―生態人類学的研究 新装版』 (1990 思索社)を読んでいるのだが、その中でイヌに関する次のような記述があった。

 犬はセントラル・ブッシュマンによって飼われる唯一の家畜で、狩猟の道具として有効に使われる。ゲムスボック等の大型カモジカや、ジャッカル、キツネは、犬の助けを借りて槍で狩られる。プッシュマンに飼われる犬は、狩りの際には酷使されるにもかかわらず、狩猟に成功したときに内臓や肉片を与えられる場合を除き、ふだんは餌を与えられないので、やせ細り、しばしば飢死することがある。自ら昆虫や小動物を狩って飢えをしのいでいるのであろう。プッシュマンによって犬が飼われるようになったのはそれほど最近のことではないようであるが、その起源については不明である。


つまり、我々が思うような家畜やペットではなくて、一緒についてくる狩りの仲間だったのだが、感覚としては昔は普通にいた近所の野良犬とそう変わりが無い。

基本は日々食べるものは自分で都合をつけて、人間が狩りの時に手伝っておこぼれをもらう。

イヌは自分で狩りをするより、人の狩りの方が確率は高いし大きな獲物の肉にも多量にあずかれたから、狩りの仲間になったのだろう。

前から書いてきたように、うちの愚犬クロは捨て犬が野良犬になって保護された元猟犬だ。

だから、もらってきた当初から、逃げ遅れた小鳥も丸呑みしたり、蛙、イナゴ、熟し柿が大好物で、大根も食べる。

困ったことは、拾い食いは当然のこと、他の犬の糞を食べたし、脱走して戻ってきた時の最初の糞は、腐葉土を食べたような真っ黒い色をしていた。

野良犬時代に身につけていた、生存能力が残っているのだ。

最大の欠点は大きな音が苦手で逃げ出してしまうが、獲物になる動物には突発的に向かっていく。

おそらく、銃の音が怖くて逃げるので捨てられたか逃げ出したようだが、銃を使わぬサン(ブッシュマン)の猟犬としては問題なかったはずだ。

八年以上経った今でも、ペットフードを十分与えているというのに、以前ほどでは無いにしろその癖は抜けきっていない。


江戸時代の日本では犬は紐でくくって飼うことが禁止されて、放し飼いにされていたようだ。

「犬の糞」という侮蔑の言葉が残っているように、人間の大便も犬の食料になっていたようだし、捨て子が食われたり、風葬されたり行き倒れた人が食われた話はよく聞かれた。

サン(ブッシュマン)は肉食獣に食われないように、遺体は地下深く埋めるようだから、人の死肉が犬を呼び寄せたのではなさそうだ。

縄文人よりも弥生人の方が、犬を食べた形跡があるのも、定住化によって犬が遺棄物処理兼、食料になったのかもしれない。

日本の古代では烏や犬が野ざらしされた死体の一部が都に住む貴族の邸内にもたらせるのを一番忌避したし、中世では犬が庶民の大切な食料であったことは有名である。

狩猟採集をしていた縄文人の方が犬を大切にしていたこととは対照的だ。

一方生類憐れみの令は、鷹狩りを行う時に犬も利用した武士の勝手な保護策だったようにも思える。


現代は、ペットとして高額な犬が販売されて、大切に飼われている一方で、不要になった犬が遺棄されたりして問題になった。

私が子どもの頃までは放し飼いがよくされてたし、野良犬も村や街で生きる権利を与えられていたが、今は処分される運命になる。

うちのクロはほぼ成犬状態で保健所で処分される前に、保護団体に助けられたのだが、現代は犬の間での格差は惨いものがある。

自分の力で生きられない犬が餓死する社会と、不要になった犬を処分する社会のどちらが犬にとって幸せなのか?

これは、今の人間にとっても言えることなのかもしれない。

飢餓や病気との闘いで苦しみながら、犬とも協力し合って自力で生きていた狩猟採集民。

現代人は不要になったらといって処分されることは無いだろうが、自分たちの脅威となる害獣害虫、そして人間自身を処刑したり戦争で殺してしまう文明人。

ただ、今の私たちは狩猟採集民のように自力で食料を調達して生きていける力を殆ど失っている。

学校は近代の社会生活を保障してくれるけれど、自然に生きる力を奪ってしまうシステムだ。

もう、うちのクロ同様に、野良にはもどれない。






2024年9月27日金曜日

金食うミスト

 恐ろしい水道料金が請求された。

先月も1万円を超えていたが、今月は14,000円と過去最高である。

これは下水をしていない料金なので、都会の人の水道料金とは意味が違う。

確かに、東京の水道料金はベラボーに高かったのを憶えているが、こういう田舎では考えられない額である。

それも、酷暑が続いたのでミストを使い続けねばならなかったからだ。

因みに、去年は1ヶ月だけ1万円を超えただけ済んでいた。

以前は、平気で裏の畑に水道水を使ったが、さすがに今年は小型のエンジンポンプを購入した。

これも馬鹿にならない出費だが、これだけ雨が降らないと水を作物に大量にやらねばならないので仕方ない。


今は、裏の畑だけでなく、庭にも撒かないと、木や草花も弱ってしまっている。

既に、庭の茗荷が半分ほど枯れてしまっている。

唯一元気なのは、ミストのそばにあるベランダのモリンガやガジュマルなどと、ベランダ下のミストがかかっているモリンガやハイビスカスなどだ。

そういう意味ではミストは役に立っているのだが、その代償は非常に高くついている。

そこで、用水路の水をミストに使う計画を立てて、早速、電動式ポンプも予約した。

いったん、50Lほどのタンクに貯めておいて、電動ポンプでミストに水を送るつもりだ。

問題なのはミストは小さなゴミでも、穴詰まりを起こすのでそれなりに濾過が必要だ。

とりあえずは、エンジンポンプでタンクに貯める時に、ホースの先に靴下をかぶせてゴミを除去した。

また、長い間タンクに貯めておくと、用水は藻が発生するのであまり大きいタンクで手間を省くことはできないだろう。


日本列島では大雨で大変になっているところもあれば、私たちの地方のように渇水で困っているところもある。

これからの破綻気象の時代を生き抜くためには、それへの対策をきちっとしておかねばならない時代になったと思う。

エンジンポンプなどは洪水で家に水が入ってきた時に、排水するのに使えるだろう。

電動ポンプは風呂の水を活用する時に使えそうだ。

登呂遺跡は1000年以上に1度の大洪水で埋まってしまったというが、今回の能登の水害も1000年に一度の確率だそうだ。

この破綻気象では毎年1000年に一度が繰り返されてくるかもしれないので、今の時代はかつて1000年に一度であった大災害の時代が日常化すると考えた方が良いだろう。


エアコンを使うと建物の中だけは涼しい反面、発電によってますます地球温暖化を加速させてしまう。

原子力を使えば別の意味での環境を破壊してしまう。

できるだけ、庭に草木を植えたり、ミストなどを使って電機消費を少しでも抑える必要があるだろう。

できれば、ミストへの補助金とか夏場だけ水道料金を下げてくれれば、電動ポンプも必要で無くなる。

山間部では山林という貯水機能があって、その川からの水を水田だけでなく、それをうまく生活に活用できるようにすれば、エアコンもそれほど必要で無くなると思う。

この危機的な破綻気象への一つの対策だと思うのだが・・・・



2024年9月24日火曜日

海から山への魚食文化へ

 以前、上郡の地元育ちの人と話していた時に、昔は鯉とか、鮒、鯰を食べることのほうが多かったと聞かされて驚いた。

その人は、私より6歳年上だったので、生きておられれば71歳である。

私は赤穂の海辺育ちなので、食べる魚介類は殆ど海産物で、何度か鮒の濃く煮付けたのも食べさせられたが、臭くて余り食べなかった。

鮭はすごく塩辛い塩鮭は食べたが、鮎やモクズガニなどの川の魚介類は食べることは無かった。

そもそも、幼少期には冷蔵庫など無くて、毎日来る行商の魚屋さんで買ったのがその日のおかずだった。

安いので、シャコやイシガニ、ダイチョウ、カレイなどは鍋いっぱいにゆでて、嫌というほど食べた。

また、穴子は夏には毎日のように七輪で焼かれて、骨までカリカリに焼いて食べさせられたのでうんざりしていた。

一方で、マグロや鰹などの遠洋で捕れる魚は小さい頃には食べたことは無かったが、鯨だけはよく食べさせられ、そんなに好きではなかった。


今のように新鮮でおいしい海の魚介類が普段から食べられるようになったのは、冷蔵技術が確立されてからである。

家庭にも冷蔵庫が普及して、スーパーでも普通に買えるようになった。

それまでは、海から遠いところでは、新鮮な魚介類は淡水魚で、海のものは乾物、缶詰、塩漬けや発酵させたものだったようだ。

ということは、日本人が海産物をよく食べるようになったのは、一家に一台冷蔵庫が普及した1970年代以降だと思う。

そして、以前は女性は魚がさばけて当たり前だったのが、それができなかったり面倒に思う人が多いようで、要するにパック詰めの魚食文化でしかない。

日本人全体の海産物の魚食文化は、できあがって50年ほどしか経っていないのである。

半世紀も経てば伝統文化といえるのかもしれないが、その伝統食文化は魚介類の乱獲の上で成り立っている。

そして、漁獲高が激減して日本の伝統食文化が失われるとニュースでは嘆かれているのだ。


私が子どもの頃は、近くの千種川で蜆がよくとれたが、あまり人気がなくて採っていなかったのが、健康ブームで乱獲されて今は採取禁止になっている。

海岸に行けばアサリなどは普通にとれて、よく友達や父親ととりにでかけた。

遊びの一環で釣っていたハゼやテンコチも、夕食のおかずに重宝された。

天然のウナギやカレイなどもヤスで突いて捕っていた。

今はそれらの殆どが、海岸や河口では簡単にはとれなくなっている。

趣味・娯楽としての釣りや貝掘りの乱獲で、資源が枯渇してしまったようだ。


森林で捕っていた動物から家畜に換えていったように、この創られた伝統食文化は養殖をして維持しなければならない時代になったということだ。

TVニュースでは、海水温のデーター分析で漁獲量を上げることを特集していたが、ますます乱獲されて漁獲量は減ってしまうだろう。

また先日、人新生の時代を明確にするものとして、地質に含まれる核実験に使われたプロトニウムが上げられていた。

おそらく、原発廃棄物やマイクロプラスティックも、海底に積もるだけでは無く、魚介類を通して我々人体に蓄積されていくだろう。

このところ、PFASが問題になっているが、隣の岡山県では山間地でも深刻になっている。

人新生における安全な食文化は、海に頼るのでは無くて、浄化された地下水を利用した養殖にあるのかもしれない。

すでに実験プロジェクトは始まっていて、養殖で出る糞や汚水は肥料に使われているようだ。

これからの安全な食文化を、自然が守られた山間地に求めていく時代が来ているように思える。


ところが、昨日千種町に水くみに行ったら、いつもの水くみ場の給水器が閉じられていて、少し値段が高いが別のところで汲んできた。

閉じられていた給水器に書かれていた説明によれば、水が涸渇してしまったという。

これは推測でしかないが、南海地震予測パニックで大量に水をくんだ影響かもしれない。

リニアモーターカーの建設で地下水の涸渇が問題になっているが、大切な山間地の地下水の保全も真剣に考えるべきだろう。

産業廃棄物を山間地に処分するなどもってのほかだ!