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2019年1月2日水曜日

己亥生まれ

自分は今年還暦を迎えたが、イノシシ年生まれとは意識しながら、己亥(つちのとい)生まれとは意識していなかった。
私は、このところ年賀状には西暦も元号でもなく、干支を用いていた。
だから、還暦も含めて、己亥を初めて意識した。
同じイノシシ年でも、己(=土の弟)というのは、何となく泥臭いイメージがする。
農作業の好きな自分には、ちょうど似つかわしい干支なのかも知れない。

干支でも亥は、一番最後となるが、我々は大学入試で共通一次試験前の最後の世代であった。
私は1期校、2期校を受験した最後の世代であり、浪人したので共通一次も最初の世代ともなった。
私は国公立の大学受験には失敗して、私学の南山大学に入った。
当時は、叔父などから二浪してもう一度チャレンジするよう勧められたが、もう浪人はしたくなかった。
不本意の大学ではあったが、この60年間の人生の中で一番楽しい時間が過ごせた。
以前は高校に戻って、受験をやり直したいと思ったりしたが、もし戻れるなら大学時代に戻りたい。
しかし、楽しく過ごした分、次の東京都立大学の大学院では苦しい思いをせねばならなかった。

結局、高校教員になったのは、研究職に就くことに挫折したからに他ならなかった。
ただ、今となってはアカデミズムの世界で、自分は自分らしく生きていられたのか疑問に思ったりもしている。
教員になれたから、生まれた地元で自然に親しみながら暮らしていけた。
今は、故郷赤穂ではなくて、隣の上郡で暮らしているが、宮総代まで務めている。
因みに宮総代は、神社行事では自治会長と並ぶ役職である。
元日から神社の行事に参加しながら、地元に根付いた自分を感じていた。
私は奄美のノロ(女性司祭)の研究もしているが、さしずめ私はノロの下のイガミという神役かなと思ったりもする。
お祓いの札を配り、お金を徴収する役目は家内に任せているが、それも奄美与路島でお米を集めていたのと同じだなと思ったりもしている。
これで私が神憑れば、完璧になるような気がする。

学生運動の世代は、加藤登紀子のように「時には昔の話を」と懐かしみながら歌える世代かも知れない。
我々の世代は、その世代の荒れ狂った学生運動の反動をもろに浴びた世代でもあった。
受験戦争、学歴社会を生き、「24時間働けますか」と鼓舞された。
気がつけば、同世代や下の世代の多くは、仕事人間になっていた。
仕事をとったら何も残らないと、旧帝大を出て、一流企業に入った弟などは言っている。
健康に不安を抱えているのは同じだが、深刻さが大きく違う。

今度、高校の同窓会があるが、是非出席したいと思っている。
卒業後40年を記念してと言うことである。
もう何年も会っていない同級生が殆どである。
男子校だったので、女性がいないので楽しみも少ないが、その分気楽でもある。
出席するのは、医者や、弁護士、会社役員が多いのだが、幹事を務めるのは教師である。
果たして、みんながどんな人物になっているか楽しみだ。








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