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2019年1月11日金曜日

フィールドワークという名の旅①豊根村

先日、日本一周をしてきたという「旅する先生」の講演を聞いた。
エネルギー溢れる講師の先生に、かつての自分を重ね合わせていた。
そこで、私もかつて学生時代に経験した「旅」について書いてみたくなった。
私は大学2年から、南山大学の文化人類学研究会・村落調査サークルに所属した。
大学に入って以来、軽音楽部、剣道部と渡り歩いて、かつて軽音楽部で一緒だった友達がいて面白そうだったので入ったのである。
この研究会には考古学のサークルと、村落調査のサークルがあって、村落調査の手書きの中間報告書はExcursion=小旅行という名であった。
村落調査といいながら旅行気分であったことをまさしく表していた。

私はその村落調査の手ほどきを、北設楽郡豊根村大沢で調査をしていた先輩から教わった。
豊根村は愛知県でも奥三河の山間にあり、長野県や静岡県と接し、県で一番人口の少ない村である。
南山大学のある名古屋から、まず電車で東海道線の豊橋まで行き、そこで飯田線に乗り換える。
この飯田線は、天竜川沿いにあって素晴らしい景色が展開されていて、私の最も好きな鉄道線である。
その飯田線の東栄という駅で降りて、そこからバスに乗って豊根村の大沢のバス停まで行った。
そして、そのバス停からも谷川沿いに登っていくと、大沢という小さな集落があった。

そこで私は大学二年(1980年)春休みと、夏休みの村落調査を経験した。
はじめに春休みに行った時には、まだ非常に寒くて、大沢に行く途中の滝が凍っていたのを思い出す。
村の集会所を借りて、そこで宿泊してみんなで自炊して過ごした。
たまに作ったひじきの煮物が、塩と砂糖を間違えて、辛くて食べられないほどになり、後々まで「ひじき」が失敗の代名詞になった。
夜に家々を回って聞き取りをしたり、昼は調査記録をまとめたり、山に登ってみたりした。
お風呂は、訪ねた家で入らせてもらうことが多かった。
風呂に入って、寒いながら星空の夜道を歩いて帰るのが心地よかった。
先輩の聞き取り方を学ぶことや、お年寄りと話をするのが新鮮で楽しかった。

本当は、春の調査が終わったら、新しい調査班を作って、別の村落で調査する予定だったが、うまく決まらなかった。
そこで、もう一度先輩と一緒に夏休みにも、豊根村に出かけることになった。
その時には、地元の青年や子供たちとも仲良くなった。
何よりも、どちらの調査を通しても、サークルの仲間との関係が勉強になった。
先輩との関わり、同級生との関わり、後輩との関わりが人間関係の大切さを知ることとなった。

当時、幾つかの大学には、村落調査をしているところがあったが、ゼミ単位であったり、体育会系的な組織のところもあった。
その点では、当時の南山大学サークルは学生主体で、しかも自由な雰囲気の調査で良かったと思う。
最初は殆どまともに聞き取りもできず、遊びに近かった。
サークル内での恋愛や別れ、友情やけんかがあった。
地元の人には、恩返しはできなかったが、過疎の村では若い大学生を歓迎してくれた。
そして、何よりも自分たちの研究への足がかりとなった。
この豊根村の村落調査では、殆ど先輩の調査報告に寄与できなかった。
しかし、ここで経験させてもらったおかげで、次の村落調査という名の旅の仲間作りと研究の下準備ができた。







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