かつて赤穂高校で担任したことのあるKさんから、大学の卒業書道展の案内があり、1月20日に家内と岡山まで出かけた。
因みに、Kさんの進学した大学は、家内の母校でもあった。
Kさんは私が担任していたクラスで副委員長もしっかりつとめてくれて、私にとってはありがたい存在だった。
高校時代は女子バレーボール部の主将もつとめて、体育会系の生徒と思っていたのだが、書道も幼い頃からやっていると改めて知った。
今まで書道というのはなじみが無いどころか、苦手なので避けてきていた。
私は小学生の頃に近所で一度習ったのだが、すぐにやめてしまった。
小さい頃から悪筆で、ワープロができてどんなに助かったか分からない。
ただ、ワープロができる前などは、筆ペンで日記などをつけていた。
筆の魅力は分かるのだが、人に見せられるまで、稽古しようとは思わなかった。
彼女の作品はどれも力作ですばらしく、こういう事ができる生徒だったのだと今更知った。
教育現場でもその力を発揮してほしかったと思った。
彼女は高校時代から教師になることが夢だった。
岡山の私立大学に通って、教師を目指していた。
今回会って話を聞いて、断念したのが教育実習によるものだと知った。
指導の難しい中学校で、困難な生徒指導の現実を突きつけられたようだ。
私は幸か不幸か、教育実習ではそういう洗礼を受けていなかった。
しかし、私は採用されてから思い知らされたのだが、知っていたら私もなっていなかったかも知れない。
私は教育現場の困難さをよく知っていたので、娘にも教師になることを勧めてはいなかった。
だから、かつての教え子が教師になることを諦めても、それで良いと思う。
特に彼女のように優しくてナイーブな気持ちを持っている人には、厳しい現場に思える。
彼女には今度勤めることになった市役所で、自分の力を存分に発揮してほしいと願っている。
その書道展の会場を出て、うどん屋で昼食を済ましてドライブがてら帰ることにした。
北回りで帰ろうと思い、岡山空港方面に進んだのだが、県道81号線に入り旭川の中流付近の県道461号矢原国ヶ原線に迷い込んでしまった。
川沿いに下るのだから行き止まりは無いと思って、進んでいったのが大きな間違いだった。
途中も道は狭くなり、対向車が来たら待避所避けなければならない道となった。
一番大変だったのは、ぽつんと離れた集落が川沿いにあって、その道が川沿いよりも狭かった。
脱輪する恐れもある道を、窓を開けて家内に左側も確認してもらいながら通らねばならなかった。
後ろにも車が同じように来ていたのだが、その車は私のFitよりも大きく通れたかどうか分からない、
どういうわけか、岡山方面の山沿いに来る時はこういう経験が多い。
まったく肝を冷やしたドライブとなってしまった。
ただ、通った集落は民俗学を専門にする私とって、村落調査してみたい所に思えた。
気楽に済ませるはずの書道展へのドライブが、スリリングなドライブになってしまった。
それでも、久しぶりに教え子に会えて嬉しかった。
卒業した生徒の情報も多く聞けた。
完全に退職していしまったら、卒業生と出会う機会も無くなってしまうのだなと思うと寂しくも思った。
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