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2026年10月23日金曜日

記憶を旅するパイプタバコ

 私は大学に入ってから煙草=シガレットを覚えて、結婚して子どもができて禁煙を始めて、三〇歳半ばで全く吸わなくなった。

大学時代は貧しかったので、SHINSEI(しんせい)という両切りの安い煙草を普段は吸っていた。

学生時代は今のように毎晩晩酌する金銭的余裕がなかったし、タバコも無くても平気だったが、有る時には一日に数本吸う程度で一箱を大事に吸っていた。

安いSHINSEIはシケモク(吸い殻)を吸うのは当たり前で、何回も分けて吸ったりして、指がやけどをするくらいまで吸い尽くした。

少し金がある時はHi-lite(ハイライト)、まとまった金がある時はHOPE(ホープ)や缶ピ(Peaceの缶入り)を買ってSHINSEI以上に大切にして吸い尽くした。

ただ、私の吸い方はどちらかというと煙の香りを楽しむ方で、肺にいっぱい吸い込むやり方では無かった。

大学院に入ってからは東京での孤独な日々が続き、安いコーンパイプやキセルを使って、タバコを楽しむことが娯楽の無い研究生活を支えてくれていた。

また、奄美に村落調査に行っていた時には、タバコは現地の友人にせがまれることが多く、その代わりに普通には聞けない情報を色々と頂いた。

ところが、アパートに籠もって修士論文を書き始めてから、タバコの吸い方が大きく変わってきた。

原稿を書き続けるために煙草を吸い続けるようになり、書く苦しみや疲れを忘れるために煙を絶やさなくなった。

結果的に論文は上手くまとまることが出来ず、十二指腸潰瘍が悪化したのでそれを改善するために喫煙を控えてジョギングを始めた。

しかし、論文作成の失敗で精神的に追い込まれ、生活は破綻してしまい、トランキナイザーが必要になるくらいに精神を病んでしまった。


私は立ち直るために研究をすることを諦めて、地元に戻って教師になることにして、採用試験の勉強に取り組んだ。

筆記試験まではアルバイトをしなかったので、飲酒や喫煙は控えめだったが、それが終わってからアルバイトを始めると飲酒喫煙は増えていった。

特に、パイプタバコが楽しみとなり、神戸に出かけた時には必ずたばこ屋によって欲しいパイプタバコを買ってきた。

教員採用試験に受かって、採用されたのが知的障害の特別支援学校(当時は精神薄弱者の養護学校と言った)に勤めることになった。

この学校での勤務は児童生徒が学校にいる限り、職員室に戻れなかったし、放課後も研修や会議が多かったので、タバコを吸う暇などなかった。

タバコは職場の仲間と飲む時に吸う程度になっていた。

そして、結婚してから子どもが出来たことをきっかけとして、禁煙に取り組むことになった。

私はニコチンへの依存性はそれほど無かったので、普段はそれほどタバコが欲しいとは思わなかったが、飲む席ではどうしても欲しくなりもらいタバコをした。

それでも、子どもが大きくなった頃には、一切タバコは吸わなくなっていた。

それからは、タバコは欲しいと思わなかったし、むしろ水泳をするのには妨げになるので、全く縁が切れて、むしろ煙草の臭いが嫌いにさえなっていた。

高校教師になってからのタバコは、生徒が喫煙行為で特別指導を受けるので、生徒指導部では取り締まる側、担任としては特別指導に携わる側として苦労が絶えなかった。

一番嫌な思いをしたのは、野球部の生徒の喫煙を見つけて報告したら、生徒指導部長にもみ消されてしまったことだった。


ところが、そういうタバコとの無縁の生活が徐々に変わっていく。

定年前に早期退職して、研究成果を出版しようと、長時間文献にあたったり下書きを書いていると、気分転換が欲しくなった。

最初は、タブレットやガム、飴などで行っていたが、タバコのような物が欲しくなって、電子タバコ(VAPE)を吸うようになった。

ニコチンなしのタバコ風味を吸ったりして少しは気分転換できたが、香りとしては全く別物に感じて、そう長続きしなかった。

やはり研究だけしていると体調を崩してしまったので、農作業に力を入れ、水泳やギターなどをやり始めると、そういう気分転換のものは必要で無くなった。

ただ、飲酒の方は毎晩晩酌し続けているし、現役の頃は休日には朝から飲むこともあったが、歳を重ねるうちに量は減って行った。


しかし、そんな私に大きな落とし穴が待っていた。

それが、   デイヴイッド・T・コートライト 小川昭子訳 2003 『ドラッグは世界をいかに変えたか-依存性物質の社会史』 春秋社 FORCES OF HABIT: Drugs and the Making of the Modern World(2001)[デイヴイッド・T・コートライト2003(2001)]だった。

これは以前読んでいたのを先日読み返したのだが、自分がシガレットとパイプタバコを同じように捉えていたことの誤りに気がつかされた。

「シガレットは、機械時代のシンボルである。そこでは最終的に歯車や車輪やレバーの役目を人間の神経が果たすようになる」[前掲書:156]という論評を紹介している。

時間をかけてゆっくりと香りを楽しむパイプタバコや葉巻に革命を起こして、ニコチンの力で人を働かせる道具にしたのはシガレットであった。

このニコチンに関して、ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロングは次のように述べている*1。


ニコチンのおもなはたらきは、ニコチンそのものに対する渇望感を和らげることにある。まさに完壁な円環だ。煙草を吸う唯一のポイントは、ニコチン依存症になり、その結果生じる渇望に伴う不快感を和らげる快感を体験することにある。たとえるなら、荷を下ろしたときの爽快感を味わいたいがために、一日じゆう岩を持ち歩くようなものだ[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):77]。


シガレットはドラッグとしてのその快感を利用されて、企業は大儲けし、日本政府は専売公社で国民の多くを蝕み続けていたのだ。

欧米人が驚くほど日本人の多くがシガレットを吸い、かつては肺がんが癌の中で一番の死亡者を出すまでになっていた。

シガレットは日本人にとって、仕事人間を作り出すドラッグであり、そして多くの喫煙者を肺がんで死に至らす麻薬だった。


それに対して、パイプもニコチンは含むが、シガレットのように肺に多量のニコチンを送り込むための物では無い。

しかし、かつての私はそのニコチンそのものよりも、香りに魅せられたタバコの依存症であったことは確かだった。

タバコはドラッグ=薬物と捉えられるが、エリック・R・カンデルは次のように述べている*2


薬物依存症は長期記憶の一種である。脳は、特定の環境的な刺激と快楽を結びつけるよう条件づけられており、そういった刺激に遭遇すると薬物を使用したいという衝動が引き起こされる。快楽の記憶は、依存症患者が薬物の摂取をやめた後も長期間、続く[エリック・R・カンデル2024(2018):274]。


今、私はパイプタバコをシガレットとは違うことを言い訳として、パイプタバコをまた手にしてしまいその悦びを味わっている。

実は、昔のパイプはブリキ缶箱に入れて棚の隅に置いていたのだ。

AMPHORAを龍野のたばこ屋まで行って買ってきて、火をつけて吸い始めると昔のように少しの煙で長い時間吹かすことが出来た。

そして、若かりし日々の記憶は具体的な出来事では無くて、気分として甦ってきた。

そのかつて経験していたタバコの香りに包まれることは、過去の自分の感情を取り戻すことでもあった。

タバコの香りの記憶は恋人や友だち、妻との感情としての記憶に結びついて残されていた。

悦び、悲しみなど喜怒哀楽を全部含んだ心としての記憶に旅をさせてくれるのがタバコの香りだった。

薬物依存症は現代では脳障害と捉えられている[前掲書:276]というが、私は酒とタバコの軽い脳障害のおかげで、こんな時代でも生きていられているとも思っている。

本当は酒も煙草も必要なかった頃のような暮らしを取り戻せたら、どんなにか幸せだろうとは思っているが・・・・・・


*1 ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』 インターシフト  THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity  and Will Determine the Fate of the Iluman Race(2018) [D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)] 


*2 エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり薬 2024『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館 THE DISORDERED MIND  ( 2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]








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