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2018年1月10日水曜日

初泳ぎ2018

今日(1/8)久しぶりにプールに行った。
朝から結構雨が降っていて、クロの散歩はしなかったので、血糖値を下げる目的で出かけた。
このところ慣れない仕事に精神的に疲れて、夕方はプールに行けてなかった。
年末年始は休みなので、行けないのは当然なのだが、プールが開いても行けなかった。
プールでガンガン練習していた頃は、この年末年始の休みが却って苦痛だった。
泳ぎで体調や生活のリズムを維持していたからだ。
泳がないと精神的にも不安定になったのを覚えている。
水泳部の顧問の時は、1月4日にプールが開き次第練習を行っていた。

今日は雨だったので、普段は夕方に泳いでいる知人にあった。
彼は退職後、毎日泳ぎを続けているが、とうとう糖尿病になって薬を飲んでいるという。
6コースの内、3コースが成人用のコースに占められていた。
成人用といっても、来ている人はお年寄りの女性ばかりである。
残りの3コースの内の1コースのみで、3人が泳ぐことになった。
泳力は違うけれど、そこは適当に待ったり、途中でターンをして泳いだ。
普段は800mのアップの後でバタフライ、背泳、平泳ぎ、個人メドレーの練習を順にする。
今日はバタフライの練習は後に回して、平泳ぎから始めた。
すると、他の人がいなくなってやりはじめた最後のバタフライの50mは、タイムも遅く辛かった。
ここのところ水泳の練習不足が体にハッキリと表れていた。

NHKスペシャルの「NHKスペシャル!人体 ミクロの大冒険」は、非常に興味が持て参考になる。
今回の「骨」の特集も、非常に勉強になった。
骨が記憶力や、精力に影響しているとは全く知らなかった。
骨には衝撃が必要と言うことで、水泳に関しては問題があることが分かった。
水泳はせいぜいターンの時に壁を蹴る程度で、自分もジョギングで足が調子悪くなり始めた。
やはり水泳だけでは駄目だったようだ。
走れなくても、しっかり歩くことが必要だと分かった。
人類はやはり二足歩行で生きる力を獲得していることがよく分かった。
自動車での移動、長時間のデスクワークこそ病気や老化のリスクを高めているらしい。
ネトゲ廃人が問題になっているが、まさしく人類滅亡への先駆けなのだろう。

2018年1月7日日曜日

膵臓がんで逝った知人

星野仙一さんが膵臓がんで亡くなったニュースをネットで知った時、やっぱりと思った。
70歳というい若さで、まだ元気に活躍していると思っていた。
元千代の富士も膵臓がんで60歳で亡くなった。
膵臓がんは治療が進んだとはいえ、分かった時点でおしまいと言われてきた。
実は、私の知人もこの病気で亡くなった人が多い。
私自身も、一番気をつけなくてはいけない癌である。

私の知人の場合、この癌で亡くなる人でゆったりと生活していた人は居ないと言うことだ。
殆どの人は退職していないか、退職間近の人だったが、退職した人でも多忙な人だった。
50代後半で亡くなったある英語の教師は、優秀な教師として国から表彰されるほどの人物だった。
学校の中心人物として、国際交流を中心に活躍していた。
個人としての活動も、ボランティアやビデオ撮影など多彩だった。
ただ、そんな彼でも、精神的に追い詰められていたこともあったことを、本人から聞いたこともあった。
しかし、そんな弱さは絶対に表には表さなかった。
亡くなった時も朝まで元気で、見舞いに来た人と接していたという。
彼の葬儀には、多くの人が参列して、故人の若すぎる死を悼んだ。

教師にはもう一人、膵臓がんで亡くなった人がいたが、その人は60歳を過ぎても働き続けていた。
非常に周りのことに気を遣われる人で、よく私にも声をかけて頂いた。
普段から健康に気をつけているようで、たまにジョギングもしていた人だった。
ただ、亡くなった後で聞いた話によると、飲むととことん付き合ってしまうタイプだった。
体育の先生だったことで、飲みづきあいも多かったのかもしれない。
学校への思い入れも強かったので、家族の意向で記念品が学校に贈られた。

近所にも膵臓がんで亡くなった人が二人いるが、一人は仲の良かった人である。
この人は、息子さんと二人暮らしだったが、夜は一人飲み屋で飲んで家にはあまりいないいことが多かった。
海外旅行に行ったり、プレジャーボートを所有して釣りに普段からよく行っていた。
私も誘われて、何度か一緒に海に行って魚や貝を採ったことがある。
亡くなったのは、60歳の定年退職間近の時だった。
膵臓がんが分かった時点で、息子さんのために家を大幅に改築したりした。
結局その家は、亡くなった後に結婚した息子さん夫婦によって建て替えられた。

私の知っている膵臓がんで亡くなった人は全て男性だ。
人それぞれ生活の仕方は違うのだろが、暢気に暮らしていた人では無いと思う。
どちらかというと、他人には弱いところを見せないタイプだった。
今の時代に暢気に暮らしていける人がどれだけ居るのかと言われればそれまでだが。
自分を守ることを普段から心がける必要があると思っている。
だから、私は持病もあって糖質制限を公言している。
普段から職場で頂くお菓子は全て持ち帰って、決して一人では食べない。
昨日も職場で出された餅入りのラーメンも我慢して断った。
私はラーメンは大好きで、以前は飲食後によく食べていた。
しかし、今は「ラーメンはダーメン」が口癖だ。
ただ、糖質ゼロのビールや酒は口に合わずだめだ・・・





2018年1月5日金曜日

播州清水寺への参拝

今日(1/2)、朝には既に愚犬クロと散歩で近くの山に上がっていた。
落人伝説で有名な小野豆という山頂集落である。
本当は元旦に登って初日の出を拝むべきところだったが、クロは人混みは苦手なので二日目に行くことにした。
海が見える「平家塚ふれあい公園」まで家から歩いて行った。
海は朝日に照らされて、遠くで光っていた。
海にゆかりのある平氏も、同じ景色を見ていたのだろうと思う。
海にゆかりがあるのは私とても同じで、考えてみれば赤穂に戻らなくても上郡から海は見えていた。
ただし、天気が良くなければ見えない。


山から戻ってから家族3人で出かけることにした。
今年は我が家は義父が亡くなって四九日も経っておらず喪中であり、神社への初詣は控えている。
その代わり、お寺にお参りするのは良いだろうということで、お寺に行くことにした。
私自身は最初から播州清水寺に行きたいと思っていた。
ここは兵庫教育大に通っていた頃に知り、それ以来行きたいお寺だった。
行き先は言わずに、私が運転して出かけた。
途中の安富で渋滞に巻き込まれてしまった。
これは近くの安志加茂神社への参拝の渋滞であることがすぐ分かった。
その渋滞で播州清水寺への参拝の気持ちが揺らぎ、福崎のお寺にしようかと家内に相談した。
家内は時間がかかることを覚悟で、播州清水寺を選んだ。
一か八かの裏道で、途中から渋滞は抜けることができた。

社町までは通い慣れた道で私が運転し、社町のコンビニで休憩を取り運転を代わってもらった。
篠山に抜ける山道沿いに進み、お寺の入り口にたどり着いた。
なんと、入山料が一人500円かかる。
ゲートの前に駐車場もあったので、おいて上がろうかとも思ったが、車で上がって正解ということがすぐに分かった。
険しい山道お登りついた山頂にお寺はあり、そこから見える景色は周りを見渡せて抜群だった。

駐車場はほぼ満杯で、参拝客の多いのに驚いた。
おそらく大晦日や元旦は車の渋滞が坂まで続いていたのだろう。
2日で時間も午後だったので、渋滞をまのがれたらしい。
仁王門をくぐり、大講堂に向かうと列ができている。
参拝するためにこんなに長く並ぶのは初めての経験だった。
大講堂の舞台からは遠く明石海峡などを望むことができた。
山頂から海を望むのはこの日は二度目の経験である。
そこから石段を登って根本中堂を参拝した。
そこではミルクコーヒーが振る舞われていたが、あまり人気は無かった。
因みに参拝客相手の屋台がたくさん出ていて、中には鶏の唐揚げも売っていた。
寺の中で鶏肉を売るということに抵抗を感じると家内と話したが、これも時代の流れだろう。
そして、その裏に回るとこの清水寺の由緒となった「おかげの井戸」に行き、2年寿命が延びるというので自分の姿を映した。

帰りは再び私が運転して、東条湖を回って帰った。
そこは、子供が小学生の頃、子供会から来たところだが、一緒に来た息子は。覚えていなかった。
寒いのにも関わらず東条湖ランドには、たくさんの人が来園していた。
食事がまだなので、加西のイオンに寄って、食べようとしたが駐車場が満杯で駐められなかった。
結局自宅の近くのスーパーで、買い物をして夕食となった。
急ぎ足で、食事さえできなかった、参拝だったが一年の初めとなる良い機会になった。
播州清水寺は季節ごとに良い景色が、見られるようなのでまた来たいと思った。
因みに今朝登った小野豆も播州清水寺も平氏と関係があり、ともに海が見える。
後者は清盛で前者は経盛だが、落人のような私には因縁を感じた・・・







2018年1月3日水曜日

思い出作りの正月2018

以前高校に勤めていた時に、野球部の顧問が「クラブ活動は思い出作り」と言っていたのをよく思い出す。
休日も練習や試合で明け暮れて、家庭を犠牲にしている顧問の言葉に耳を疑った。
しかし、「甲子園が目標」「プロ野球選手になる」という言葉よりも、重みがあるものだった。
どんなに努力を積み重ねても、甲子園に出られたり、プロ野球選手になれるのは一握りだ。
選手自身も顧問も野球に全てを打ち込む意味を問われて、ほぼ不可能に近い意味を見いだすことはできない。
それなら、いっそ「思い出作り」と、開き直った方が納得いくだろう。

これは自分たちの生活に関しても言えることがある。
この正月に弟夫婦は10時間以上かけて、神奈川県の葉山から車で帰省した。
しかも、親の負担にならないようにホテルに宿泊した。
親兄弟を中心とした嫁孫とで過ごしたのは、3時間ほどだった。
うちのこの集まりは、多くが歌が好きなので、カラオケがメインになる。
今回もカラオケ屋を貸し切りにして、みんなでお好み焼きをつつきながらカラオケを行った。
この風景は、私たち兄弟の子供が小さい頃からの風景でもある。
大学院で学ぶ姪も嫌がらず来てくれて、歌ってくれた。
私の歌を聴いて、母親がうまくなったと前回同様褒めてくれた。
母親はカラオケや民謡を先生について練習している。

普段話せないことを、話せば良いのだろうが、実は兄弟はLINEの仲間であり、いつでも連絡が取れるのである。
だから、正月盆に改めて話をする必要も無い。
いつ倒れてしまうかも分からない一人暮らしの高齢の母親と、楽しい時間を過ごすために集まったのである。
いわば「思い出作り」のための正月であった。

仕事で明け暮れる日常の生活を思い出すことはあまりない。
しかし、楽しく過ごした盆や正月、祭りなどはよく覚えている。
葬式や法事以外に集まることができて、良い思い出になるのが盆や正月だ。
家に家業があったり、近くに住んで農作業を手伝い合っていた頃は、生活のための集まりだった。
今は、歌や旅行などの楽しみを一緒にするための集まりになっている。
それが、できるだけでも幸せなのかもしれない。
果たして、将来私の家族はそういう機会を持てるのだろうか?
子供は二人とも結婚して居らず、孫もいない。
それでも、集まることができれば、旅行くらいは行けるかもしれない。
人それぞれの、思い出作りの正月を迎えれば良いのだろう。





2017年12月29日金曜日

年末大掃除と来客

先日私が今勤めている施設で大掃除があった。
その施設には古い講堂や廟があるので、それの儀式的な大掃除である。
NHKの取材も毎年来るそうで、今年も女性が一人カメラを担いでやってきた。
私は臨時の身だし、見習い中なので映りたくは無かった。
拭き掃除をしていたら、知らぬ間に傍で映されていた。
それがしかっかりと、NHK岡山のローカルニュースで流された。
自分としては頭のてっぺんが薄いのがやたら気になった。
たくさん撮影されたのに、なぜ自分のが選ばれたのか?
きっと、古い建物だから、若い職員だけで無く年配の職員も映像に加えたかったのだろう。
なおこの施設では、正月4日の行事にたくさんの来客があるそうである。

今日は赤穂の母親の住む家の庭掃除をしてきた。
秋に庭木の手入れをしていて、きちっと始末していなかった。
自分の住む家は、まだできていなけれど、明日弟たちが帰省するので少しでもきれいにしておこうと思った。
自分たちの育った実家は、母親が一人で暮らしている。
母親は足が悪くなったので、週に一度ヘルパーさんが手伝いに来てくれている。
近くに住む末の弟も、よく母親の面倒を見てくれている。
帰省する2家族の弟たちは、去年から実家には泊まらずに近くのホテルに泊まっている。
なるべく、母親の負担にならないようにと言うことである。
今年も実家の近くにホテルに宿泊して、食事も外で一緒にすることになった。
しかも、今年は正月では無くて、ホテルのとりやすい30日に帰省して次の日に帰る。
神奈川から帰省する弟は、正月には殆ど戻ってこなかったが、去年くらいから母親が心配になったようだ。

家は昔は結婚式、葬式、盆正月など悔やみごと祝い事を行える場所だった。
今は、盆正月でさえ、私の家や実家のように人が集える場所でなくなってしまった。
以前のようにゆっくりと盆正月をゆっくりと過ごすことが無くなったからだろう。
末の弟は警備関係の仕事なので、年末も正月も出勤する。
遠くに居ても、近くに居てもじっくり一緒に過ごす機会は失われてしまった。
それでも何とか会おうとするのだから、盆正月はありがたい機会であり続けている。
たとえ人が集わない家でも大掃除するので、せめて歳の神様くらいは来てほしいと願うばかりである。








2017年12月27日水曜日

小田和正「クリスマスの約束2017」をみて

毎年小田和正の「クリスマスの約束」を楽しみにしている。
私は家内からテレビや映画の情報を得ることが多いが、これもその一つであった。
70歳にして若いミュージシャンとこれだけ上手くコラボできる力量に敬服する。
今回はかまやつひろしの追悼コーナーで、かまやつの曲のアクを上手く抜いて心地よい音楽を聴かせてくれた。
かまやつが小田に最初シカトされたという思い出ビデオを出すところなど、小田の若気をつかってかまやつの人柄を出していたのも良かった。

私も熊木杏里の曲は好きだったのだが、NHKの番組音楽に使われた「君の名前」など数曲しか知らなかった。
思春期の繊細さの表現は素晴らしいとおもいつつ、自分が歌える曲では無かった。
今回初めてテレビで人柄を見て、曲のイメージとは違い意外と明るいなと思った。

会場には4万通を超える延べ10万人の中から選ばれた3,000人の観客がいたそうだが、映し出された観客も、音楽の背景として上手く使っていた。
私はどちらかというと、斜に構える聴衆であり、きっと会場にいたら違和感を感じただろうと思う。
撮ったビデオを家内とみながら、「高音」のボーカルばっかりや!と下らぬ言いがかりをつけていた。
それは憧れの裏返しでもあった。

一番素晴らしかったのは、エンディング前の「ダニーボーイ」、エンディングのFlagだった。
彼なりのメッセージが込められているのがよく分かった。
北朝鮮を巡って、日本がおかしくなっているのを訴えたかったのだと思う。
かつての若者はその理想を忘れてしまったのかと言いたかったのだろう。
かつての若い世代や今の若い世代にもきっと彼らのメッセージは伝わったと思う。


2017年12月25日月曜日

クリスマスのお菓子の家

クリスマスでいつも思い出すのは、家内が子供のためにお菓子の家を買ってきたことである。
なかなか細かくて、作るのに非常に手間取った。
長い時間をかけて、作った割には食べるのは速かった。
記念の写真を撮るために作ったところもある。

お菓子の家を作るのに、いらだって家内に当たることもあったが、今となれば笑い話だ。
クリスマスをロマンティックに過ごした経験は殆ど無いが、子供と楽しく賑やかに過ごしたのは良い思い出である。

私の子供の頃も、父親が特別に鶏をつぶして、吉岡鍋で焼いたことがある。
古い小さな家の庭の片隅で鶏を飼っていた。
その鶏の卵はごちそうで、鶏の肉はかなりのごちそうだった。
だから、クリスマスはめったにないごちそうが食べられる日。
大きなクリスマスケーキも、一年に一度の楽しみだった。
このケーキを親子6等分に切るのが大変で、4人兄弟は良いところを狙っていた。
そして、じゃんけんで順番を決めて好きな部分をとった。
小さい弟は、飾り付けに目が行っていたように思う。
私は飾りのチョコレートが好きだった。
しかし、じゃんけんは弱かった。

昨日のクリスマスイブは夫婦と息子3人で、ドライブ帰りに買ったコンビニのフライドチキンとティラミスケーキを食べた。
ささやかなクリスマスイブだった。
我が家ではもうクリスマスは特別な日ではなくなって久しい。
夕方から降り出した雨も、夜更け過ぎには、雪どころか大雨となった。
それでも、一人きりでは無い、穏やかな幸せの夜となった。