私たち夫婦とペットとしての犬との関わりは子育てよりも長い。
今飼っている犬は夫婦として3代目であるが、私は子どもの頃から犬好きで実家で飼い続けていたが、家内は子どもの頃に一度だけ飼った経験があるだけだった。
結婚してすぐには子どもができなくて、その代わりに犬を飼って育てることにした。
そのころはまだペットブームにはなっておらず、3万円でシェルティーを獣医さんに斡旋して貰ってわけてもらった。
そのシェルティーは雌で、モモという名前にしたが、小さい頃は家の中で飼っていた。
結婚してしばらくは妻も仕事を続けており、妻の帰りが遅いときはモモを相手に時間を過ごした。
夫婦の会話はモモによって保つことができた。
最初に夫婦で住んでいたのは赤穂市の大津というところで周りは山に囲まれていた集落だったが、山陽自動車道の赤穂ICがあり、近くに高架の道路が通っていた。
やがて、子どもの出産で実家に戻った妻の代わりに、家に残された私の相手をしてくれたのがモモだった。
モモも大きくなるにつれて、散歩の際にヒモを外したりすると逃げ出してしまうことがあって、ダンプにひかれそうになり急停止させて運転手に謝ったこともある。
それでもなんとか躾けてヒモを外してもちゃんと私にしっかりとついてくるようになった。
モモは大きくなってからは、子どものことも考えて庭の犬小屋で飼っていた。
やがて、子どもも少しずつ大きくなって、モモとも遊ぶようになり、モモの小屋に入り込むこともあった。
借りた家は平屋だったので夏が暑くて、午後の暑い日は庭に茣蓙を敷いて、モモを交えて子どもと涼んだりした。
娘も誕生して、娘はモモをおもちゃのように耳や尻尾などを引っ張ったりしてもて遊んでいた。
ただ、妻が言うには、私が見てないところでは反撃もしていたという。
私は散歩だけでなくジョギングの時もモモと一緒だった。
畑で農作業をするときも連れて行ったが、ちゃんと踏んではいけないところを教えると、それをずっと忘れずに守った。
モモは雷が極端に恐くて一度パニックになって逃げ出してしまった。
しばらくして戻ってきたときには首輪が無かったので、誰かに捕まった後で逃げ出したのだろうと思った。
やがて、上郡に家を新築して移り住んだのだが、隣にも雑種の犬が飼われてあって、夜に放し飼いをするので咬まれて怪我したことがあった。
30年以上前のことではあるが、当時の村では猟犬の紀州犬でさえ、夜に放し飼いをする人もいた。
一番可哀想だったのはダニが多くて、それに咬まれたことが原因で腎臓を悪くして亡くなってしまった。
モモが亡くなるときはほとんど泣いたことの無い家内も泣いていた。
最近家内の母が亡くなったのだが、世話を長くしていたせいもあったのか、涙は見せなかったのとは対照的だ。
私は庭の隅に埋めてやった。
人にとっては環境の良い田舎であったのだが、モモにとっては厳しい環境であったので寿命を縮めてしまった。
家族で泊まりがけで出かけるときには、私か家内の親の家に預けたのだが、餌を食べずに困らせていた。
普段から食にはうるさくて安いドッグフードは食べないので、缶詰のドッグフードや肉を買ってきて料理して与えたりした。
怪我をしたり皮膚の病気になったりして手もかかったが、家族のみんなから愛される素敵な犬だった。
何よりも子どもがいなかった頃の私たち夫婦の間を取り持ってくれたことを感謝せねばならない。
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