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2026年1月9日金曜日

誇りと恥を見失った大国

 私は高市総理が横須賀に停泊しているの米軍の原子力空母の上で、トランプ大統領の横ではしゃぎながら手をふっているのを見て、日本人として恥に思えた。

かつて、白洲次郎はマッカーサーに対して、「日本は戦争に負けたけど奴隷になったわけでは無い」と言い放ったという。

一方で、当時のトルーマン大統領は日本人を猿として「虚実の自由」という檻の中で飼うのだと言ったという。

高市総理の台湾発言を含んだ振る舞いは白洲次郎の示した誇りも無く、トルーマンの目的通りになった「飼われた日本人」となっていることを証明した。

マスコミでも、アメリカに軍事力で守っている日本だから、アメリカに対して正論はいえないと平然と述べられている。

日本はマスコミでさえ猿に成り下がってしまったのかもしれない。


これは我々の世代の責任かもしれない。

上の世代が安保闘争や赤軍派事件を起こして、世間から信頼を失っていくに従って、政治への関心が薄れていってしまった。

それでも、中高一貫のだった私の私立の学校では、上級生は学生集会を開いて学生運動を行い、文化祭では東大に行った卒業生が戻ってきてシュプレヒコールを行った。

そういう姿を見ながらも政治への関心は薄く、一人だけ東大へ行って民青に入って海外にも渡って活動したが、その後は活動をやめて今は立派な弁護士になった同級生がいる。

我々の世代は石油ショックで就職するのが困難となって、京大や九大に進学したものでも高校教師になった時代だった。

よく言われているが、学生運動の活動家は企業戦士になってその後活躍していったのだった。

企業戦士のお陰で日本は経済大国になったが、バブル経済が弾けて第二の敗戦を迎えて現在も低迷している。

そして、「虚実の自由」の檻でアメリカの猿であることに疑問を感じなくなってしまった。


そのアメリカが第二次大戦後に築いてきた秩序を根本的に破壊しようとしている。

確かに、ロシアや中国の方がその先鞭となったかもしれないが、それと同等以上に露骨で浅ましい。

アメリカは誇りと恥を見失ってしまったのだろうか?

それとも、自国の経済が崩壊しかかって、隠していた真の姿が露呈しているのだろうか?

そもそも、戦争をし続けないと国家が維持できなくて、今までは正義の仮面をかぶって戦争していただけなのだ。

トランプ大統領はその仮面をかなぐり捨てて、隠していた欲望をむき出しにしているだけなのだと思う。


我々日本人は白洲次郎の言葉を思い出そう。

それはアメリカに従って戦争する奴隷兵士になってはならないということだ。

アシル・ンベンベは2016年の著書 "POLITIQUES DE L'INIMITIE"(訳本は2025年『ネクロポリティクス―死の政治学』人文書院)次のように述べている。

 その結果、戦争は民主主義においてだけでなく政治や文化においても目的であり必然であると定められる。戦争はいまや、治療薬でありながら毒物に、つまりわたしたちのファルマコンになった。かたや戦争は、わたしたちの時代のファルマコンとなったことで、その代価として恐ろしい情動を解き放ったのである。その情動はいよいよわたしたちの社会を圧迫して民主主義から退出させ、植民地支配のもとでまさにそうであったように、それを憎しみの社会へと変質させる[前掲書13-14]。


まさしく、彼の予言は現在的中して進行している。

平和憲法を掲げる日本人は現代も繰り広げられている植民地戦争に加担してはならない。

そして、平和を維持し続けていることを世界に示すのが使命だと思う。

老齢の俳優が日本の総理大臣に同情のコメントを発しているのだが、総理の言動は参戦だけで無く、企業の倒産を招いて路頭に迷う人も出る可能性があるほど重いものだ。

芸能人や評論家がコメントするのとは次元が違う。

同情するのは総理の言動を猿芝居だと笑うのと一緒だ。

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