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2026年5月28日木曜日

たこ(Callus)を失う現代人

 今、私はアコギ(フォークギター)の練習をしていて、指先が痛いのを我慢している。

しばらくアコギを弾いていなかったので、指先のたこは消えてしまっていた。

たこが無い状態で弦を押さえると痛いのを我慢し続けなくてはならない。

たこができるまでの辛抱なのだが、それまでは風呂に入って指先がしみたりする。

できれば、指先だけで無く、人差し指の関節あたりもできたら、バレーコードの音が綺麗にならせる。

とにかく、私は左指にはしっかりとたこを作らねば、ちゃんとしたアコギの演奏が出来ない。


以前は、剣道で手のひらにたこを作っていた。

最近は学校の授業では、わざと小手をはめて竹刀を振らせて、痛くないようにしているようだ。

竹刀の素振りは必ず皮で覆われた柄(つか)を絞るようにして振りを止める。

一番重要なのは、左手の薬指と小指の根元で、そこにたこがあると上手い剣士と言うことになる。

初心者は左手だけで無く右手などの人差し指の根元に出来るが、私も習い始めの頃はたこになる前に剥けてしまって痛かった。

また、板間で裸足のすり足をするために足の裏にもたこができた方が楽になった。

剣道も上達するにはたこが必要だったのだ。

ただ、これは油拭きの体育館で練習したせいもあって、剣道専用の板間の道場ではそんなに酷いことにはならなかったはずだった。

因みに、小学生の頃は運動場で裸足で剣道の練習やランニング、相撲、徒競走をしていたので、運動場のように石ころが落ちていないところでは平気だった。


ところで、沖縄奄美では戦後しばらくまで裸足で街でも歩くことが普通だったようで、当然地方では舗装されていない道を裸足で歩いていたようだ。

農作業や山仕事でも裸足だった人もいて、与路島で以前聞いたところによれば、そういう人はしっかりと足の裏にたこに覆われていたそうだ。

だから、重い荷物を持って歩くと、そのたこに覆われた足の裏が割れてしまったそうだ。

因みに、40年ほど前でも農作業をする時に裸足でして、自宅との行き帰りも裸足の人も見かけた。

とにかく、本土でもかつては裸足での生活は普通だったように思える。

さすがに旅など遠くに出かける時や磯辺などは、草鞋や草履が必要となったのだろう。

その当時の与路島でも磯辺で魚を捕る時には半分サイズの草履をオッショー(お爺さん)は履いていた。

現代人は裸足で直接地面に触れることはないので、剣道などをする人以外は足の裏にたこは無いだろう。


こういう肉体労働やスポーツ以外でたこができるのはギターなどの楽器を使う以外に、ペンだこがあった。

私は筆圧が高くて、鉛筆やペンシル、ボールペンを強く握っていたために、大きなペンだこが右手の中指に出来て、今もその名残がある。

ところが、最近は滅多にそういう筆記用具を使うこと無く、ひたすらキーボードをたたいている。

キーボードを叩くのも、こういう文章を書く時だけで、普段はマウス程度で済んでいる。

このごろは中学校や高校でもタブレットを使うようになったし、試験もマークシートが増えてきた。

また、文字入力も音声によって簡単にできるようになっている。

もう、ペンだことは無縁だと思う。


そして、何よりもギターもエアロバンドギターが出現して、固い弦を抑えなくてもはめ込まれたシリコンに触れるだけでよいデジタルギターが出現している。

私はその楽器を使ったらピアノの音も出せるので、是非欲しいと思っている。

このギターはまだチョーキングが出来ないので、それが出来るようになれば、アコギやエレキギターよりも魅力が出てくるだろう。

それでも、私はアコギの深い音色の方に魅力を感じている。

長年連れ添ったアコギは安物だったが、そのギターなりの音色を持ち続けてくれている。

だから、たこをしっかりと拵えて頑張って引き続けようと思っている。

たこを失う現代人になることへのささやかな抵抗でもある。



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