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2026年3月21日土曜日

恥知らずの高市外交

 日本の文化を「恥の文化」と評したのはアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトだった。

日本人は人にどう見られているかを、非常に気にするところがあった。

今は下火になったが「日本人論」「日本論」がよく書かれていた。

欧米を中心とした外国人からどう見られているのかを、非常に気にするところもあった。

これは村社会や町社会の中で強い地縁関係がそうしたのだろうと思われる。

また歴史的背景として江戸時代は犯罪に対する刑罰が家全体や5人組の連帯責任となったので犯罪抑制にも繋がったことは確かだった。

そして、何よりも武士は自ら切腹して辱めを受けることを潔しとしない誇り高い階級だった。

しかし、そういう地縁関係も薄れてしまい、誇りも失われ、老齢者や女性に対する詐欺や窃盗、強盗が増えてきているようにも思われる。

その一方で、強い者に対する迎合、従順さは以前よりも強くなったと思う。

私は長年教師をしていたので、管理職に対する職員の対応を見てきたが、従順さがました背景に組合の弱体化は確かに大きい。

しかし、それよりも教員の誇りを傷つける免許更新制などの政策によって、中央管理体制強化とその採用人事で教員は従順さが増したと思う。

それが、結局学校のブラック化と教員離れにつながったように思う。


今回の高市総理の日米首脳会談に際しての発言

「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルド。私は諸外国に働きかけ、しっかり応援したい」

を聞いて、世界から軽蔑されているアメリカ大統領に日本の総理大臣が媚びていることに恥を感じた。

いくら相手が世界一の軍事大国のトップだからと言って、国際法からも間違っていると思われるイラン攻撃をした人間に言う言葉ではあるまい

中国に対しては強い態度で臨みながら、一方でアメリカ大統領には対しては媚びるなんて日本人として恥としか思えない。

我々国民がこういう総理大臣を選んで作り上げたのであって、われわれ日本人自身も恥と思うべきなのかもしれない。

たぶん、海外ではこういう総理大臣のいる日本を恥知らずで哀れに思うだろう。

原爆の戦争犯罪を黙認して、アメリカの核で守ってもらっていると勘違いしている日本人。

こういう状況でもオールドメディアは総理大臣や自民党にへつらう報道をするのだろうか?

とくにNHK????

これでは若い世代に希望を与えられないし、誇りを失わせても仕方有るまい。

もう、高市総理を見ていると日本には「恥の文化」は失われたと言って良いのかもしれない。

2026年3月17日火曜日

新しい仲間、ハーモニカ

 ずっと以前に買ってたまに吹いていたクロマチック・ハーモニカを壊してしまった

このハーモニカはかつて全校生徒の前でアカペラを歌ったときの間奏で用いた思い出深い物だった

出ない音があるので、分解して触ったら多くの音が出なくなってしまった

他の楽器もやってみたがすぐには上達できず、しばらくすると、やはりハーモニカが欲しくなった

普段は一人カラオケやギター伴奏で歌っているのだが、夜中は声を出すのがはばかられる

気分的に小さな音で曲を奏でたいときもある

本当ならアコースティックやエレキギターがうまく弾ければ良いのだが、指が短い上に不器用なもので何年やってもあまり上達しなかった

ハーモニカは小学生の頃から吹いていたこともあって、ギターよりはましに旋律演奏できる

そこで、ハーモニカを買うことにして、ネットで色々調べてみた


ハーモニカは1000円以下の物から何十万円もする物まである

人前で演奏するなら5000円以上くらいの物が必要なようだ

半音が出せるクロマチック・ハーモニカは思ったよりも高くて、手が出そうに無い

普通のハーモニカでもベント奏法という半音下げることができることを知って、それを練習しようとも思った

どうせ、当面は練習したり一人楽しむくらいにしか使わないと思い、900円ほどの10穴ハーモニカのCとAの二つとホルダーもネットで買った

中国製で安っぽい物だが音色はそれなりに悪くない、ただベントはなかなか上達していない

吹きたかった虎舞竜のロードは原曲がGで、YoutubeではDでのレッスンがおおくて残念ながら挑戦できていない

それでも、簡単に吹ける曲をいろいろとYoutubeを見ながら練習するのも楽しいものだ


そして、何よりも新しい楽しみは野外で吹けることだ

小さいのでポケットに入れて持ち運び、どこでも吹くことができる

先日も赤穂御崎の梅を見に行って、人がいないところで吹いてみた

今まではスマホからの音楽を聴きながら、海などの景色をながめたりしていたのだが、ハーモニカを吹いていると自然の中で我を忘れさせてくれる

ただ、まだ下手なので人が近くに来て聴かれるのは恥ずかしいので、人気の無いところで吹いた

これならホルダーにつけて、車を運転しながら練習する手もあると思った


最近は夜に気張らし練習することもある

特にベントの練習を欠かさないようにしている

これだけ息を吐いたり吸ったりすると、けっこう肺活量が必要で、鍛えられる

高齢の人が吹き矢を使って健康管理しているのをテレビで見たが、ハーモニカなどは手軽でどこでも練習できて健康に良さそうだ

夢は弾き語りでハーモニカを吹いて、ステージにも立つことだ

その時にはギターもハーモニカも良いのを調達しようと思っている

今までネットでのカラオケやフォークギター伴奏で一人歌ってきたが、ハーモニカという仲間が加わることでまた賑やかになった

上達すれば、家外での仲間も増やして良いこうと思う

2026年3月13日金曜日

代理出産とアリサ・リュウ(劉美賢)

 今回の冬のオリンピックのフィギアスケート女子の金メダリストアリサ・リュウは、母は匿名の卵子提供者で、代理母を通して生まれたという*1。

しかも、弁護士である父親はシングルファザーだという*2

日本では代理出産は実質禁止されているので、日本人は海外でしか行えない。

だから、アメリカではしっかりと代理母によって生まれた子どもが父親だけの手で育てられて成

長し、オリンピック選手として国を代表し、世界の頂点にまで上り詰めていることに驚いたと思う

実は代理出産に興味を持ったのは、ウクライナのことを調べている過程であった。


ウィキペディアの代理母出産」によれば

ウクライナでは外国人と代理出産の契約を結ぶことが許可されているため、国際的な代理出産の拠点となっている

2014年のウクライナ紛争以後には避難してきた若い女性が金を得るために業者と契約する事例が、紛争以前より増加した

というように、我々日本人の抱くイメージとは違う貧困による商業の側面を持ち、金メダリストを生む代理出産を単に喜んでだけはいられない

このこともあって、私は代理出産について次の文献を読んでみた

デポラ・L・スパー 椎野淳訳 2006『ベビー・ビジネス―生命を売買する新市場の実態』ランダムハウス講談社

これは20年も前の書籍で、商業的代理出産の規模は小さかった時代の物だが、当時と状況は根本的には変わってないと思われる。

「第3章 子宮を貸す女性たち代理出産市場の出現」でD,スパー氏は代理出産の起源を聖書からの引用で、主人が主に使用人を
使ったり、可能なら第二夫人や愛人を利用したことが述べられている[前掲書:111]。

これは奄美で行われた主人がヤンチュ(下人)に子どもを産ませたりしてそれをヒザとよんだことと通じる。

育てるのは主人の正妻なのか、使用人なのか、乳母なのかという違いが出てくるし、正統な後継者として認められるかどうかも違ってくるだろう。

とにかく医療が発達するまでは妊娠出産は妊婦への負担や命の危険を伴うので、強要されるかそれなりの見返りが無いとできるものではなかった。

ともかく、複婚、奉公、奴隷、愛人・妾を利用して子どもは正妻以外に誕生してきたのだ。

これらは、欧米文化を中心とした近代化で否定されることになった。

また、売春は商業として発展し続けてきたが、代理出産の商業的な発展は無かった。


それが、人工授精(AIH)によって「受胎は性行為と切り離され、代理母に会うことすらなしに、自分の子どもを妊娠して
もらうことが可能になった」[前掲書:113]



このことに関して、色々と問題が指摘されているが、今回のアリサ・リュウのことから考えてみようと思う。

これからは、独身であったり、同性婚であった場合でも、お金さえ有れば自分が望む子どもを手に入れることができるようになった。

競馬の世界では優秀な種馬の精子が高額で売買されていることがよく知られているが、同じことが人にも行われると言うことだ。

近年は胚移植の技術も進んでいるので、望む胚を購入して代理出産してもらったら、簡単に望ましい子どもを手に入れることができる。

これは優性思想に関わる重要な問題となる。

今回、代理出産の女性が金メダルを取って、その価値が高まったらそれに倣う人も多く出てくる可能性がある。

特にスポーツ選手は遺伝的な資質に大きく左右され、それが高額を収入と結びつく。

かといって、人工授精で生まれた選手の出場を認めないことも問題だろう。

人類が自己家畜化(self  domestication)したがゆえの歴史的な宿命なのかもしれない。

ウクライナの代理出産ことを含めて行きすぎた資本主義と経済格差がこういう問題を大きくしているように思う。












*1 アリサ・リュウ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

*2【フィギュア】アリサ・リュウの父が娘を16歳で引退に追い込んだ理由を告白「乗り越えられると思っていた」

2026年3月11日水曜日

太陽光発電へのくいの残る散歩道

 私が犬と毎日歩いている山裾の散歩道の傍には、太陽光発電パネルを設置するための杭が刺さったままの空き地が多く残っている。

昨年に、放置されていた山の裾野の廃屋を取り壊し草木を伐採し、きれいに整地してそこに杭を打ち込んでいた。

もともと、家の周りには畑を作っていたようだが、特に廃屋になると放置されて草木が生い茂る荒れ山になっていた。

要する里山の畑だったものを、太陽光発電として利用していこうとしたのである。

こういう里山だけで無く、急斜面にも太陽光パネルは設置され、見た目も悪く雨が降ると危険だとは思っていた。

ただ、元は宅地や畑の場所などは崩れる心配は少なくて、見た目だけの問題で済んでいたし、イノシシなどの出没の危険性も減ることになった。

ある意味では、これからはこういう風に、荒れ地を活用できる方が良いのかなと思っていたのだ。


ところが、1年経っても工事が進まない。

地元の人に聞いたら工事を行っていた業者が別の業者に売ったということだった。

どうも、政府の補助金の改正が原因らしい。

これからイラン情勢によって電力が不足する事態も考えられるのに、逆の方向に向かおうとしている。

今日(3/11)も羽鳥慎一のモーニングショーで再生エネルギーの電力のバックアップの問題を懸案事項としていた。

この問題は急速に低下している蓄電池のコストによって、解決できる方向に向かっているという*1[飯田2026:136]

こういう中間産地の村は太陽光発電を安全に設置できるところがいっぱいあるのだから、太陽光パネルと蓄電池をちゃんと設置すれば電気自給できるはずだ。


民間業者はどうしても利益を上げるための資金繰りが大変だろうから、自治体が水道事業と同じ感覚になって電力供給に取り組むべき時代になってきている。

羽鳥慎一のモーニングショーで玉川氏も指摘していたが、地震大国の日本は揺れや津波だけで無く、断層隆起の問題を抱えていて原子力発電は危険極まりない。

そして、災害で孤立した町や村には電気がすぐに必要だ。

戦争と災害に備えられない日本はまさしく平和ぼけと言うべきなのだろう。

くしくも、今日は東北大災害があった日だ。

ドイツが原発廃止を決めたのも福島原発事故からの教訓だという。

とうの日本人がこの事故を過小評価すること自体が、愚かであるし恥である。


*1 飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026]



2026年3月9日月曜日

トランプ大統領と高市総理が促すエネルギー革命

 ホルムズ海峡をタンカーが通れない上に、イスラエルがイランの石油施設を攻撃して炎上したことによって原油価格が高騰している。

中国はイランに頼んで通してもらっているそうだ。

かつて日本も、イランの石油施設国有化の折りに、イギリスがホルムズ海峡の航行妨害したときに、強行突破してイランの原油を買うことを行なった。

イランはその恩を感じて、日本とは友好関係を続けており、元安倍首相もアメリカとの仲介役を担ったという。

それを、高市総理は踏みにじって、アメリカとイスラエルの奇襲攻撃を非難せずに、イランだけを一方的に非難してしまった。

中立を守れないような自衛隊の高市最高指揮官のいる日本に、中国と同じく特別に通してもらえることはできないだろう。


日本は電力に関してはLNGが多く使われていて、それはオーストラリアなどから手に入るから電力は問題ないという。

問題なのは自動車や重機などの燃料である。

石油備蓄が254日分有っても、戦争が長引けば石油ショック以来の高騰を招いてしまう。

それに対応するために、EV(電気自動車)への補助金を高くして、EVの促進を図るべきだろう。

現在でも、ハイブリッド車でさえ低燃費のガソリン車よりもコストが高くついて、二の足を踏んでいる。

ガソリンがかつてのように300円になれば、ハイブリッドでコスト的には問題なくなるが、何よりも以前から取り上げているエネルギー革命を促進すべきだろう。

ホルムズ海峡に自衛隊の掃海艇を派遣して、トランプの戦争に加わるよりも平和的は解決方法と思う。


これまで、石油産出国は石油の需要が減らないような価格を設定してきた。

安すぎてもアメリカのシェールオイルが採算が合わないので、それに見合う価格を維持してきたようだ。

現在、テレビでも現実的なエネルギー問題の対応として、石油や原子力への対応を見直そうとしているが、それは将来に禍根を残すことになると思う。

国民は新しい希望ある未来が描けるのなら、当面の出費は我慢できると思う。

それを後押しするために、EVや水素エネルギー等をもっと普及させるための政策を行って欲しいと思う。

トランプ大統領や高市総理の引き起こした日本の石油危機を、逆手にとってエネルギー革命を促進するのが最善策だと思う。

それができれば両者は、エネルギー革命への功労者として却って評価されるだろう。

そして、中東に石油をめぐる戦争が無くなり、心ならずも平和に貢献した指導者として歴史に刻まれるだろう。


2026年3月7日土曜日

携帯式ミサイルシステムとイラン本土決戦

 アメリカとイスラエルは今度のイラクへの奇襲攻撃で制空権を握りつつあるという。

それは弾道ミサイルやドローンへの対応であって、携帯式防空ミサイルシステムへの対応がどうなっているか気になった。

そこで調べたらイラン、ロシアと秘密取引 携帯式ミサイル調達―英紙報道」という今年2月26日付けの記事があった。

それによれば、

イランは2027~29年に携帯式対空ミサイルシステム500基、ミサイル2500発を購入する。少数は早期に引き渡される可能性があるとしている。

ということで、来年の予定だった。

そこで考えられるのは、それが整う前にアメリカとイスラエルが攻撃した可能性があるということだ。

ドローンばかり話題になっているが、ウクライナ戦争でも携帯式対空ミサイルシステムや戦車に用いるジャベリン(携帯式多目的ミサイル)は非常に役に立っている。


もし、イランがある程度現在で携帯式対空ミサイルを保有していたり、ロシアが今後秘密裏に輸送できれば戦争は泥沼になるだろう。

おそらくそうならないように今回の攻撃が始まったのだろうと思うが、万一、イラン独自で地対空・地対地の携帯式ミサイルを開発していたら、話は違ってくるだろう。

また、直接ロシアから輸入しなくても、製造ライセンスと製造方法を手に入れれば済むのだ。

イランの工業開発力に関して、エマニュエル・トッド*1は次のように述べている。


私は『西洋の敗北』で、ウクライナ戦争でのロシアの勝因と米国の敗因をエンジニアの数に求めましたが、イランは膨大な数のエンジニアを輩出しています。米国で博士号を取る留学生でエンジニア分野を選ぶ割合がイラン人は突出して高い(六六%、中国三五%、インド三九%)。

 昨晩会ったイラン大使も、エンジニアの育成は、歴代の政権によって計画・実行されてきたものだと強調していました。実際、イランでは革命後に大学が飛躍的に発展しています[E,トッド2025:206]


確かに実戦経験の豊富なアメリカとイスラエルは奇襲攻撃では大成功を納めただろうが、空爆だけで無条件降伏したのは原爆を落とされた日本だけだ。

核兵器を用いずにトランプの要求する無条件降伏などあり得ないだろう。

ホルムズ海峡の安全を確保できなければ、世界中が大混乱するだろうし、確保できてもイランが無条件降伏するとは限らない。

そうすると、地上戦をやらざるを得ず、時間がかかっているうちに、海上ドローンや携帯式ミサイルを開発製造していき、泥沼になっていくだろう。

そもそも、ハメネイ師が遺言で徹底抗戦を指示している。

太平洋戦争のときの日本のように天皇の聖断で軍部を抑えることができない状態だ。


日本が薩長土肥によって天皇を担ぎ上げて、クーデターないし維新革命を起こしたのとイラン革命は似ているようにも思える。

その点では、トッドは次のように述べている。


米国を始めとする西洋が、今日のイランを見誤っているのは、一九七九年の「イラン革命」の意味をいまだに理解できていないことに一番の原因があります。

 とくに米国にとっては、この時起きた米国大使館人質事件がトラウマとなり、冷静な理解を妨げていますが、革命によって誕生した国家の正式名称は「イラン・イスラム共和国」。これは「民主化革命」だったのです。その民主的、平等主義的な性格から、イラン革命は、フランス革命やロシア革命のイトコと言っていい[E,トッド2025:203]。


日本の場合はプロイセンに習って、帝政を敷いたので共和制では無いのだが、それは建前上で、実権は薩長を中心とした藩閥が軍部を握っていた。

日本でも戦前では男子普通選挙が行われていたが、治安維持法によって反政府への取り締まりは行われていた。

特に特別高等警察による拷問による弾圧はよく知られており、これまでのイランの政治犯への弾圧と大きく変わりは無い。

また、中国の天安門事件や香港への弾圧を考えれば、イランが特別に民衆を弾圧をしているとはいえない。

イランでは国軍に独立して革命防衛隊が対外的な戦闘の主力となっているようだが、これも戦前の日本の関東軍を彷彿とさせるし、海軍と陸軍の対立とも似ている。

おそらく、日本も原爆の投下が無ければ、陸軍を中心とした本土決戦が行われて、ベトナム戦争のようになっていたかもしれない。

これから行われようとしているイランでの本土決戦を避けて停戦すべきだと思うが、阻止できなければ日本が戦前に行おうとした本土決戦の実現となるかもしれない。


*1 エマニュエル・トッド 2025『西洋の敗北と日本の選択』文藝春秋[E,トッド2025]



2026年3月4日水曜日

エマニュエル・トッドの核兵器保有論への異論

 トッドはいろんなところで、日本に核兵器保有を勧めている。

私は絶対アメリカが許さないと思っているが、日本人は単に広島・長崎の桎梏に囚われず現実を直視する必要もあると思う。

私は戦争の原因であるエネルギーや食料問題さえ克服できれば、核兵器保有は必要ないと思っているが、今の世界では現実的には不可能である。

だから、トッド*1の訴えることにしっかりと向き合って考えねばならないと思う。

まず、「核の傘は無意味」というのは、「使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えない」ということだ[E,トッド2025:31]

ということは、日本に持ち込んでいる核兵器は日本を守るためのものではなく、日本を含む核兵器を持っていない国に脅威を与えるためのものである。

それを日本国民は勘違いしているのであるが、アメリカ本土では禁止されている戦闘機の居住地の上空飛行を沖縄では平然とやっていることと同じである。


次のトッドの言葉は重要である。


核兵器に関して一つの歴史的教訓があります。「核戦争のリスクは〝不均衡〟から生まれる」です。一九四五年の状況がまさにそうで、世界で米国だけが核を保有していたために、広島と長崎でこれを使用できたのです[E,トッド2025:191]


今回、イランを攻撃できても、北朝鮮を攻撃できないことからも分かるように、核兵器を保有している国は攻撃できない。

それは、北朝鮮がアメリカを核攻撃できるかどうかではなく、アメリカの従属国の日本や韓国への核攻撃を招いてしまうからだ。

そして、核の不均衡が生じている東アジアと中東だけが地域的に緊張が高まっており、むしろインドとパキスタンは核を持つことによって大きな戦争になっていない[前掲書:192]

逆に言えば、緊張を高めるには不均衡を作り出しておけば良いのだ。

中東ではイスラエルだけに、東アジアでは北朝鮮に核の保有を認めておけば、緊張は高められ、アメリカの存在価値が高まり基軸通貨のドルは揺るぎない。

だから、横暴なアメリカに頼らなくて済むように日本は核を持つべきだと言うことになる。


しかし、重要なことはアメリカが広島・長崎に原爆投下できたのは、まず真珠湾の奇襲攻撃でアメリカに大きなダメージを与えたこと。

つぎに、日本の侵略行為によって中国や東南アジアに大きな被害をもたらしたことだ。

現在でもウクライナはロシアに核兵器を使わせないように攻撃を慎重に行っている。

イランもアメリカやイスラエルに核兵器を使わせない方法で今後戦っていくだろう。

核兵器を保有する国にその使用が許されるような口実を与えなければ良いのだ。

核兵器保有国に深刻なダメージを与えない限り、使用されることはないということだ。

だから、朝鮮戦争でもベトナム戦争でもアメリカは核兵器は使うことができなかった。

ということは、平和憲法を守り、相手に核攻撃されないだけの平和外交を行っておれば、アメリカの核兵器を持ち込ませる必要ない。

高市総理のように台湾有事にはアメリカと一緒に戦うと宣言するのは自殺行為だ。

ただ、ロシアのように核兵器で脅してきて、通常兵器で戦ってくるケースもあるから、それに対抗できるだけの自衛隊は必要だろう。

トッドはユダヤ人の血を引いているので、不条理な力にはそれに対抗する力が必要と思って当然だとは思う。

しかし、東アジアには儒教という道徳が無意識に根付いており、護身用に銃を所有することが許されていない地域だ。

トッドが宗教ゼロの「戦争のための戦争」となるニヒリズムは支配的では無いと思う。

日本人は誇りと勇気を持って、平和憲法を守り、核兵器は持つべきでは無い。


*1 エマニュエル・トッド 2025『西洋の敗北と日本の選択』文藝春秋[E,トッド2025]

2026年3月2日月曜日

イラン奇襲攻撃とトッドの予言

 とうとうアメリカのトランプとイスラエルのメタニヤフがイランを奇襲攻撃した。

奇襲攻撃自体は多くは成功する、その典型的な例が日本の真珠湾攻撃だ。

これは実はエマニュエル・トッドの受け売りだ*1。

このところ、このブログ「播磨のしっぽ」のアメリカからのアクセスが非常に多いのが気になっていた。

それまでは香港とかシンガポールが多かったのだが、そちらは減ってあまりなかったアメリカが増えた。

理由を考えたが、高市総理関連の政治問題もさることながらエマニュエル・トッドをよく引用しているからだと思う。

エマニュエル・トッドは特に著書「西洋の敗北」は世界の多くで翻訳されているが、英語での翻訳は無いそうである。

だから、それをよく引用するブログに関心がいったのだろうと思う。


トッドはソ連の崩壊を予言したことで有名になったが、今回のイラン攻撃に際しても予言している。


リビアの政権はカダフィの死によって崩壊し、イラクの政権もサダム・フセインの軍事的敗北によって崩壊しました。しかし、いずれもアラブ諸国の特徴として、「脆弱な政治システム」しか有していなかったのです。ベルシア系でシーア派のイランは、これとは根本的に異なる社会です。仮にハメネイ師が暗殺されても、イランの国家体制が崩壊することなどあり得ないのです[E,トッド2025:199]。


この論考「7  危険なのはイランより米国とイスラエルだ」の初出は2025年の「イランの核武装は何の問題もない」であって、現在の実際のイラン奇襲攻撃の前だ。

仮定されたハメネイ師は現実に爆殺されてしまったが、トランプの思惑通りに事が運ぶのかどうかが疑問視されている。

また、トッドは以前のイランへの攻撃に関して次のように述べている。


米国とイスラエルには、合理的な戦争の目的などなかった。戦争への嗜好、暴力の追求、つまりニヒリズムに突き動かされた暴発的な行動で、戦争自体が戦争の目的だったのです。ウクライナ戦争でロシアに敗北して傷ついた米国が、ロシアより弱い国を攻撃することで、精神の均衡を保とうとしている。そんな風にしか見えません[E,トッド2025:196-197]。


トランプもメタニヤフも自分の保身と満足のために、戦争利用しているだけで、核保有問題は本質では無いという解釈ができるだろう。

そのせいで、ガザで多くの市民が殺され、今回もイランで多くの市民が犠牲になることが予想される。

トッドは人類学者らしく、イランの家族や親族の問題からイランの政治組織を分析しているし、イラン革命の本質は「民主化革命」だと喝破している。

日本の近代化(欧米化)を天皇を中心に成し遂げたことを考えると、イランの近代化もそれに似ているのである。

それを考えれば、日本は天皇を利用されてうまくいったのだから、イランもハメネイ師を利用した方が良かったように思える。

日本は原爆で息の根を止められたが、さすがにイランには使えないのでこういうテロ攻撃になったのであろう。

奇襲攻撃をした日本が崩壊したようにアメリカやイスラエルが崩壊するのか?


どうもテレビニュースの解説では、イランの方は日本が終戦時に国体保持をアメリカに求めたと同じような条件で、アメリカに停戦を求めているようだ。

日本は天皇を残して軍隊は解体されたが、イランではそれができそうになく、イスラエルは同意しないだろうという。

日本の原爆が無ければ本土決戦がなされた可能性もあったのだから、イランに核兵器が使えない以上イランの本土決戦もありうる話のようだ。

トランプは核兵器使用に匹敵するような攻撃を匂わせているが、地上軍を送り込まずにはたしてイラン革命防衛隊を解体できるのか疑問である。


*1 エマニュエル・トッド 2025『西洋の敗北と日本の選択』文藝春秋[E,トッド2025]

2026年2月27日金曜日

木版画家突々和夫作品展ポスターに導かれて

 先日、赤穂御崎の海が見晴らせる展望公園で、ふと目にしたのが、突々先生の作品展のポスターだった。

雨が降っていたから、たまたま休憩所に寄ったのだが、そこの柱に貼ってあった。

偶然とは言え、何かに導かれたようで気持ちが高揚した。

この「突々」という珍しい名前は、私が育った尾崎にあった名前でよく憶えていた。

尾崎は塩田の関係で方々から浜子が集まってきた影響もあって、珍しい名前がいっぱいあった。

ただ私の石原という苗字は、子どもの頃は西の方にしか無くて、尾崎ではすぐによそ者だと分かってしまっていた。

私が小学生の頃に絵を習っていた突々先生に関係していることは分かった。

ただ、そのお父さんも日本画家だったのでその人かもと思って、赤穂図書館に寄ってパンフレットを見て確かめてご本人と分かった。


私はそのパンフレットをもらって、すぐに家内に見せて自分がこの人から絵を教わっていたことを話した。

家内は私が絵付けしたマグカップを見て、訳の分からない妙な絵と笑っていた。

確かに絵付けするときは何も考えずに思いつくままに描いたのだが、自分としては作為のある絵よりそちらの方が好きだったのだ。

突々先生に習っていたと言うことで、これで私の訳の分からない絵も見直してもらうことになった。

絵を習っていた当時は、先生は高校の美術の先生だった。

日曜日の朝に近所の小学生などに絵を教えてくれていた。

絵を習いに行って楽しかったのは、絵を描くことだけで無く、家の中でおもちゃのボーリングなどのゲームをよくして遊ばせてくれた。

また、天気の良い日などには外に出て、近くの山などでスケッチをしたのだが、そこでも身体を使ったゲームなどで遊ばせてくれた。


絵に関しては色々と教わっていたはずなのだが、私は自分の思うようにしか描けない雑な性格だったので教えられたように丁寧には描けなかった。

先生に褒められた経験もあまりなくて、上達させようとする先生の意に添え無かったように思う。

また、日本画家のお父さんがたまに指導されると、居残りさせられて厳しく手ほどきを受けたのでそちらの方が恐かった。

私は絵の具で汚れた水をこぼすことが多かったので、よく奥さんなどにも叱られていた。

集まってきている小学生は、どちらかというと裕福な家の子どもだったので、私のような貧しい家の子はいなかった。

私の母親が無理して習わせたのは、幼稚園の頃から選ばれて市民文化祭に絵を展示してもらっていたので期待したのかもしれない。

幼稚園からオルガン教室で習っていたが、練習するのが嫌で上達せずに辞めてしまっていた。

この絵の教室も、剣道をやったりソフトボールをする方が忙しくなって辞めてしまった。


小学校でも絵はたまに市民文化祭に出してはもらっていた。

高学年で担任の宗藤先生も絵が得意な人で、私を放課後残して絵を指導してくれたりしたが、先生の気に入るようなできばえにはならなかった。

とにかく、乱雑な性格で、きちっと筆を洗った水を取り替えなかったので、汚れた感じの絵に仕上がってしまうことが多かった。

その性格は姫路の私立中学校でも改まらずに、美術の先生には全く相手にされなかった。

たまに、紙粘土で自分像を造ると気持ちが入って良い作品ができたと思ったが、東京藝大から教育実習に来ていた先輩には「柄に似合わず」と言われてしまった。

同級生からもどちらかというと田舎の荒くれ者的な目で見られていて、繊細な作品は不似合い思われていた。

それでも、絵を描くこと自体は好きで、スケッチブックに憧れの女性の似顔絵を描いて楽しんでいた。


大学に入るとかぐや姫の「神田川」の曲に習って、恋人をモデルにしてボールペンで絵を描いて下宿の壁に貼っていた。

それを絵の得意な友達が見て褒めてくれたときには、複雑な気持ちではあったが嬉しかった。

ただ、研究の方に力が入っていき、年賀状のプリントゴッコくらいしか描く機会が無くなってしまっていた。

教師になってからは、たまに黒板に絵を描く程度でどちらかというと、特別支援学校では生徒の絵を教える立場になった。
その中には山下清画伯のような描き方で、美術の先生も感心するような生徒がいて、「○○画伯」と呼んでいた。
もし、私が突々先生のちゃんとした弟子になっていれば、彼のこともきちっと指導できたかもしれないと今は思っている。

残念ながら先生は既に亡くなっておられるが、私は小学生に戻ったような気持ちになってこれから絵を描いてみても良いかなと思っている。

生成AIなどを使って簡単に絵ができる時代だからこそ、アナログの素朴な絵の方が面白いかもしれない。

突々先生が木版画に拘ったことも分かるような気がする。

少しでも指導を受けた者として、これから自分なりの絵を描いてみようと思った。





2026年2月23日月曜日

Ei(知性化電力)革命における核問題

 前回紹介した飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026] は重要な核問題を扱っている。

「第8章 原子力に固執する「病」と「沼」―病理的政策への診断と処方箋」

の締めくくりとして、次のように述べている。


本章で分析したように、日本の原子力政策を支える「偽りの真実」は、単なる個別の政策ミスではない。それは、個人の認知バイアス(ベーコン)、閉鎖的な社会構造(原子力ムラ)、集団の病理的行動(グループシンク)が、イデオロギーを燃料として強固に結びついた、自己永続的な病理的文化の産物である。このシステムは、客観的現実に対応するのではなく、自らの内部論理に従って完璧に機能している。福島第一原発事故を巡る数々のフィクションは、このシステムの構造が生み出した必然の産物である。この「病」の構造を直視しない限り、日本は原子力という「沼」から抜け出すことはできないだろう[飯田2026:160pー161p]


広島・長崎での原子爆弾による大虐殺や福島原発事故における未曾有の災害を経験しながらなぜ原子力を維持することに固執するのかを説明してくれている。

ここでこれから主力となるAIに必要なコンピューターでの膨大な電力を原子力発電なしで賄うことが肝心となるがそれに関して次のように述べる。


AI革命を牽引するビジョナリーたちの視線は、地上の古い核技術ではなく、空にある「究極の核融合炉」、すなわち太陽に向いている。イーロン・マスクは「太陽系の質量の99・8%は太陽であり、それは巨大な核融合炉だ。なぜわざわざ地上に小さな核融合炉151pを作ろうとするのか」と語り、物理学的にも経済的にも太陽エネルギー利用が圧倒的に合理的だとするロジックを展開(中略)・さらに彼の構想は、地上での発電にとどまらない。自身が率いるスペースXの次世代ロケット「スターシップ」を活用し、数年以内に100GW(原発100基分相当)を超える規模の「太陽光AIデータセンター衛星」を軌道上に打ち上げる計画さえ視野に入れている。これは、宇宙空間で発電した電気をマイクロ波で地上に送るかつての「宇宙太陽光発電(SSPS)」構想とは一線を画す。発電した電気はそのまま宇宙空間でのAI演算に使い、地上にはその計算結果である「データ」だけを送るのだ。グーグルもまた、太陽光で駆動するデータセンター衛星を軌道上に配備する構想を持っており、24時間365日発電可能な宇宙で知性を生み出し、地上へは情報だけを降ろすという未来を見据えている。これこそが、送電網の制約を受けない究極の解決策だというわけだ[飯田2026:150pー151p]


つまり、宇宙空間ならずっと「究極の核融合炉」の太陽を活用でき、そこでAIデーターセンターを運用すれば地上に核施設は必要ないと言うことだ。

ただ、気をつけねばならないのは宇宙太陽光発電(SSPS)は軍事目的でも使えることだろう。

それでも、化石燃料の支配を巡る戦争や紛争を防ぐことができるし、原子力発電所は必要でなくなる。


これから問題となるのは原子力にしろ核融合にしろ、軍事目的以外では必要でなくなる「死の科学技術」となるということだ。

火薬は花火にもなるし、ダイナマイトは建築現場でも活用できる。

核技術は鉄腕アトムやドラえもんを実現できない限り、平和利用などできそうにない。

逆に言えば夢のアニメロボットが核技術の脅威を隠蔽していたのだ。

ロシアのウクライナ侵攻で核兵器は戦争抑止にはならないことが明確となった。

戦争の原因である化石燃料問題が解決できれば、あとは食糧と水問題での戦争を回避することが重要となるだろう。

発展途上国の燃料に関しては、過放牧や過伐採での砂漠化が問題となっており、ポータブルの太陽光発電蓄電池を援助できれば改善できる。

また、再生可能エネルギーを用いた海水の淡水化で水問題も改善できるだろう。


戦争自体がなくなれば、核兵器そのものも必要が無くなる。

核兵器所有による巨大な軍事力を背景に基軸通貨のドルによって世界を牛耳っていたアメリカにとっては不都合なことになるだろう。

日本がアメリカに追随するのは、アメリカの力によって既得権益を得ていた勢力が日本を支配していたからだろう。

その勢力も原子力は必要でないものだとすると、今までの政策の誤りを認めざるを得なくなる。

そして、何よりも原子力の平和利用という隠蔽ができなくなり、広島・長崎の原爆使用は毒ガス兵器使用と同じ意味となってしまう。

これはアメリカ政府も日本政府も避けたいことだろう。

これが日本政府が原子力を維持することに固執する真意のような気がする。





2026年2月21日土曜日

Ei(知性化電力)革命による国民解放

 飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026]を通読した。

現在世界で起こりつつある「文明史的エネルギー大転換」*1について、分かり易く書いてくれているのがこの書籍である。

是非、手に取って読んで日本の置かれている危機的な状況を知ってほしいと思う。

ネットで著者を調べたら、どこかで見たことがあると思ったが、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」でよく見ていた顔だったのだ。

プロフィールを読むと、私と同じ年齢であり親しみを感じたが、その経歴の華々しさの反面、現実に国民の心を掴むことができるのかと不安にも思った。

確かに日本のこれからの危うさや、それへの対処法はしっかりと書いてくれている。

しかし、今回の高市総理の奇襲選挙の大勝利からも分かるように、国民は深く考える余裕や、その環境に置かれていない。

私はこの本を読むのに1日多くの時間を割いてしっかりとノートしながら、1週間はかかった。

例えば、以前高校教師をしていた頃の私は、それだけの時間をかけることができなかったと思う。

書籍を通してしっかりと内容を理解して、市民運動にまで発展していくのはなかなか困難なように感じた。


読んでみてまず思い浮かんだのは、私が研究を続けている奄美諸島の与路島のことだ。

なぜかというと、ここでは私が村落調査していた1980年代は、島に小さな火力発電所があった。

しょっちゅう停電を起こしていたが、シマの若者は集まって飲んでいる時に停電すると懐中電気を持ち出して、蛍光灯を照らして楽しんでいた。

それはディスコのチークタイムをイメージさせるつもりだった。

しかし、停電はシマの人にとっては遅れている暮らしとして恥ずかしいことでもあった。

2008年に訪れたときには既に九州電力からの海底電気ケーブルが引かれていて、もうそういう停電は無かった。

それと同時にそこで働いていた雇用も失われて、そこで働いていた懇意の知人も訪れたときには単身赴任でシマにはいなかった。

シマの人にとって本当に少ない島での雇用を失ってしまったのだった。

発電所と地域の雇用は密接な関係にあって、私の故郷の赤穂市も火力発電所を誘致したが、現在は稼働していないところが似ている。

太陽光など再生エネルギーの発電施設を地域独自で担うことになれば、雇用も生まれる可能性も出てくると期待できる。


とにかく、国鉄、郵便局などの民営化の時以上に深刻なのはこの雇用問題だけでなくアメリカの核エネルギー政策と連なる原子力発電所問題だろう。

福島原発事故を含む原子力発電所の問題は、単に補償問題に留まらずアメリカへの従属関係の根幹に触れるもので単なる廃止だけでは済まされない。

国に政策を変更させるよりも、国民自らが原子力発電を必要としない暮らしをまずしなければならないと思う。

われわれ一般市民が現実として実際にできることは、自ら身を削った生活スタイルの変更だろう。

与路島に関して言えば、私は昔ながらの生活を研究しているので、電気や水道、ガスの無かった頃のことも古老から聞いて知っている。

与路島では煮炊きに使う薪は調査当時でも風呂を沸かすのに使う人も多かったし、村の水道はあっても自分で山の水源から水道管を家まで通している人もいた。

大勝川という集落の大切な川の上流のウブツいわれて、かつては立ち入り禁止の聖域が守られていて、水資源の確保として大切なことを理解していた。

しかし、2008年に訪ねていったときには貯水ダムが建設されていた。

1980年代頃は既に家電製品は行き渡っていたが、せっかく持っている冷蔵庫に電気を通していないご老人もいた。

テレビも受信できていたがが、シマ育ちのご老人には標準語がよく理解できない人もいて、つけているだけの場合もあった。

当時は、村のインフラだけに浸り切った生活ではなくそれが魅力でもあった。

そして、今でも自然豊かな場所だからこそ、これからは再生可能エネルギーを用いて、シマ独自の発展が期待できるはずだ。

猛暑も厳冬もない亜熱帯の海洋性気候は生活するのに適しているので、再生可能エネルギーを十分活用できれば豊かに暮らせるだろう。

かつて、明治維新での島津藩の財源を築いた黒糖に匹敵する特産品を産出して欲しいと思っている。

食品だけで無くバイオエタノールやグリーン水素などの移出も可能ではないかと思う。


本来は日本本土でも当時の奄美に似たような生活が普通だったのだ。

問題なのは開発が進んで当たり前に公共のインフラに浸りきっていることに疑問を感じていないことだ。

電力不足の危機を煽られたら、火力も原子力も否定できなくなる。

インフラに依存する国民につけ込んで、既得権益を持っている人たちが横暴に政策を進めていてもそれに対する疑問さえわかない。

電力を自給自足に近い形まで太陽光と蓄電池を組み合わせて生活できるようになっていることをまず自覚せねばならないだろう。


かつて人類はホモ・エレクトスの時代から火を用いて生きてきたと考えられている。

ホモ・サピエンスは有効に火を用いて居住域を広げていったが、燃料となる薪や動植物油も自分で手に入れていた。

文明が生じて町で暮らす人は近隣から持ち込まれる薪炭などの燃料で暮らしていたのであり、近代のように化石燃料はほとんど使われていなかった。

化石燃料だけでなく核燃料まで使い始めて、環境破壊や戦争で自ら自身を滅亡させかけている。

太平洋戦争に日本が突入していった大きな原因も石油だった。

そして広島・長崎市民の大虐殺に用いられたのが原子爆弾だった。

現在の中東や東欧で戦争や紛争が絶えない原因に、化石燃料が絡んでいる。

原子力発電所の事故は世界を震撼させたし、ウクライナ戦争においては破壊される危険性は核爆弾と同じ意味を持つことを思い知った。

今こそ人類が歩んできた原点に立ち返る時である。

それまでは太陽エネルギーなどの再生可能エネルギーは間接的にしか手に入れられなかったが、科学技術のお陰で直接電気エネルギーに変えることができる。

これは単に損得だけの問題では無く、自分たちの子や孫への責任問題だ。


飯田氏は再生可能エネルギーによる住民の運動に期待して次のように訴えている。


コミュニティパワーは、単なるエネルギー供給の手段ではない。それは、トップダウンの補助金事業が露呈した脆弱性を乗り越え、持続可能な経済と社会を再構築するための「内発的発展」のエンジンそのものである。人口減少や高齢化といった深刻な課題に直面する日本の地方にとって、これまで一方的に外部へ流出していたエネルギー費用という「コスト」を、地域に遍在する再生可能エネルギーという「資産」に転換することは、未来を切り拓くための最大の戦略となりうる[飯田2026:232]


われわれ農村地域に住む者にとって、食糧問題とエネルギー問題は自らの手で解決し、迫り来る危機的状況を回避すべき課題だ。

行政をすぐにでも動かすにこしたことはないが、自分たちができることから始めるしかない。

それは、救いようのない既得権益を守る政策を行う権力者から、国民自ら解放する運動ともなるように思える。

我々のように資金力が乏しい者でも、損得を度外視して取り組む必要も感じている。

飯田氏が日本の切り札という営農型太陽光発電をフレキシブルに活用できないかを考えてみようと思っている。

すでに草刈り機、チェーンソーなどの工具は充電式に換えてあるので、その電源として活用したりできるだろう。

電気自動車も考えてはいるが、知り合いにトラブルをよく聞かされているので、現在はハイブリッド車がせいぜいかなとは思っている。

重要なのは理想だけではなく、暮らしに無理がない改善から地道に行っていくことだと思う。



*1 エネルギーの基軸が「化石燃料から情報へ」と移り、資源の源泉も、地理と輸送の制約に縛られた「地図」の秩序から、世界中に遍在する太陽エネルギーを基調とするシン・オール電化の豊かさへと反転する。さらにエネルギーの生産と消費のあり方も、トップダウンの供給中心からコミュニティパワーの「協働」へ、受け身の消費であった需要は一人ひとりの「選択と参加」へと役割を変える[飯田2026:13-14]。





2026年2月17日火曜日

抗議活動としての一日一膳

 私は昨年の5月頃から原則一日一膳を続けている。

つまり、家族でも私だけは玄米や白米のご飯は三食のうちに一食だけにしているのだ。

それは高い米への対策と抗議を込めている。

このところ、米に代わる重要な食糧はサツマイモである。

これは昨年の秋に収穫したものを、新聞紙に包んだあと段ボールに入れて保存していたものである。

シャトルシェフを使って、生ピーナッツやムカゴ、銀杏などと一緒に自分で蒸している。

甘みを出すには焼いた方が良いのだが、普段食事として食べるのはあまり甘くない方が良い。

奄美では主食として食べるのはあまり甘くないのを茹でて食べていたようだ。

食事をするこたつの上の天板にふかしたサツマイモを置いておいて、小腹がすいたときや、晩酌の時に食べたりしている。

それでも水泳などをした後の夕食は物足りないので、ラーメンやおにぎりを家内に頼んでしまうので完璧とは行かない。


ネットでも米に代えて安いサツマイモを食べているという書き込みもあったが、ぜひそれが多くの人に広がって欲しいと思う。

サツマイモとジャガイモを代用すれば一年中で米の消費を減らすことができるだろう。

この二つの作物は肥料があまり要らない上に、家庭でも簡単に作ることができる。

最近は庭がなくても陽の当たるところがあれば、ビニール袋などに入れて栽培する方法も周知されている。

政府とJAが結託して米価を下げないことへの抗議であり、米作りの大規模化への後押しだと思っている。

大規模農家は小規模の農家から水田を借りてその代わり小作料をしっかり払う。

小規模農家は小作料を用水路や農道管理費だと思って、村作業を行えば良いと思う。

そうすれば農村も生き残れて、安価で輸出できる米も生産できるだろう。


高市内閣はしばらく続きそうなので、その間ずっと米価は高止まりだろう。

いくら消費税をなくしても円安と米高で生活は苦しいままになる。

この一日一膳の活動は死ぬまで続いてしまうかもしれないが、それが却って健康維持にもなるだろうとも思う。

芋と野菜をなるべく自分で作って、山野河海から自然の恵みを頂き、足らない物はスーパーや直売所などで安く買うのがいいだろう。

それが本来の田舎での暮らし方のような気がする。

2026年2月15日日曜日

糖尿病やリュウマチの健康不安

 私は教員として管理職を望めないと思った理由は健康問題である。

教師で現役時代に3回の入院をしており、その1回では糖尿病で医者から「あんた 死ぬで」と言われたこともあった。

全てが仕事によるものとは言わないが、仕事におけるストレスが全てに絡んでいたことは確かだろう。

退職してからも前立腺の調子が悪かったり、大学院生以来の十二指腸潰瘍を再発させたが、研究に打ち込むあまりの結果だった。

そちらは通院による対処で治まり入院するほどにはならなかった。

今、一番心がけているもは健康管理であり、やりたいことよりもそちらを優先して

研究もほどほどにしている。

だから、朝の散歩と夕方の水泳やジョギングを平日は欠かさないようにしている。


今はかなり改善されたと思うが、私が現役の頃は一般教師や管理職が現役で亡くなるケースが多かった。

また、教師以外でも知り合いに60歳前後で亡くなる人が多かったが、その多くは膵臓がんだった。

私は糖尿病なので膵臓がんのリスクが高いのを知っているから、いつも食事などにも気を遣っている。

しかし、精神的に追い詰められると、自分の健康を考えることができなくなる。

責任ある地位に就くということは、自分のことよりも任された職務を優先するということだ。

当時の学校では管理職、特に教頭が亡くなったり、長期病気療養だったりしていたが、よく知っている人は県立と私立の校長を務めて退職後すぐに亡くなった。

そのほか私の小学校の恩師で特別支援学校の校長を務めた人も、退職後数年で亡くなってしまい、奥さんが悲しんでいたのを思い出す。

人によっては命を賭しても、責任ある仕事を全うしたいと思うかもしれないが、私には仕事以外にやりたいこともあってそんな気にはなれなかった。


読売テレビ高岡達之特別解説委員が14日、日本テレビ系「サタデーLIVEニュース ジグザグ」(土曜前11・55)に生出演して高市総理の健康について述べたようだ。

現在は良い薬があるとはいえ、リュウマチの怖さは身近なところでよく知っている。

ネットで調べれば、私が煩っている糖尿病もリューマチも一般の人よりも平均余命が10年近く短いようだ。

普通の学校の管理職を躊躇うことに比べれば、総理大臣になる覚悟ははるかに強靱な精神力か、医学への過信としか思えない。

これだけ衆議院選挙で大勝して、国民から白紙の委任状をもらったに等しい高市総理は自分の健康を第一に考えることはできないだろう。

戦術的にNHK日曜討論を欠席したとしても、高岡解説委員が言ってたというように、政治家の健康不安は大きな懸念材料だ。

トランプ大統領の手のあざでさえ、大きなニュースになるくらいなのに、手が腫れ上がってテレビに出られないことは本来は重大関心事と考えて良いのだろう。

もし、途中で病に倒れることとなって、職務を全うできない状態になったら、今回の大勝利が大きな災いとなってしまうかもしれない。

「人間万事が塞翁が馬」として、不測の事態に備えていく必要があるのだろう。

そして、高市総理には「働いて 働いて 働いて」は撤回して、あえて「健康第一」を標榜してもらいたい。


2026年2月13日金曜日

大衆の心を掴む努力

 私はこのblogger以外にもブログをnoteに投稿している。

そちらの方はプロフィールにはプライバシーに関わることは伏せて、ペンネームで投稿している。

実は、日本でのアクセス数はそちらの方が多い。

こちらのbloggerの方は、月間総数が多くても海外のアクセス数がけっこう多いので、そうなるのだ。

noteの方は、収入は全く期待できないが、「スキ」という反応が返ってくるので励みになる。

内容はどの世代の人にも分かり易くして、引用する場合にも出典は無理にしてつけていない。

bloggerの方は実名で書いているので、出所はきちっとしているつもりだ。

その分、硬い文章になってしまって親しみが持てないのかもしれない。

若い人は意外と農業や健康食品に関心も持っていて、その話題へのアクセスが多い。

若者だけで無く意外と年配の人も読んでいるようで、歴史や政治に関わることも気楽に読めるように心がけている。


今回の高市総理の大勝利は、そういう一般大衆の気持ちもしっかり掴んだ成果だろう。

書籍をしっかり読んだり、難しい新聞雑誌を購読したり、テレビの報道番組や特集をしっかり見ないのは、若者だけで無く一般に広まっているようだ。

いわゆるオールドメディアとかマスゴミといわれる報道媒体からSNSへの転換であり、今頃になって中道の幹部が敗戦の弁を語っているのが不思議なくらいだ。

東京都知事選、兵庫県知事選で思い知らされていたはずなのに、切り替えができなかったことが大敗北の原因だろう。

ただし、SNSで勝利を収めたトランプ大統領が世界を混乱に陥れているように、いずれ高市総理も日本を混乱に陥れる可能性がある。

すでに食糧問題やエネルギー問題、自動車産業問題などでは、日本の政官財の失敗が専門家の間で書籍などできちっと著されている。

企業献金での資金力でSNSを効果的に使った自民党は、既成の企業を改革する力などないので、ガラパゴス化した業界は世界から取り残されることが述べられている。

哀しいかな大衆には伝わっていかないし、目先のことしか考えられない政策をあえて自民党がしているのだ。

政局に明け暮れる国会議員はちゃんと研究もできないので、大企業と企んだ官僚の言いなりにならざるを得ない。

私もかつては研究者を志したのでしっかりとした論文を書きたいという気持ちがあるが、今必要とされるのは、一般大衆の心を掴むメッセージだと思う。

有識者の主戦場は学会・研究機関だったり、専門会議かもしれないが、「学術栄えて民が滅ぶ」状態になったら江戸時代の御用学者と同様になるだろう。

国民を踏み台にした官僚主体の政策を止める力を持てるのは有識者だけだと思う。

今こそ、有識者の存在価値が試されているときなのだ。



2026年2月11日水曜日

身近に感じ続ける戦争

 私の幼い頃は、アニメの戦争ものもあって、零戦や戦艦大和に憧れることもあったが、その一方で悲惨さが描かれていた漫画やドラマも多かった。

漫画で一番憶えていて忘れられないのは、飢えた兵士が自分の尻の肉を切って仲間と一緒に食べる場面だった。

「同期の桜」という特攻隊員を描いたテレビドラマでも、見た後しばらく眠られない残酷なシーンも多くあった。

また、沖縄戦を描いた「慟哭」は、昼間のドラマだったが、悲惨な場面がけっこう出てきて、胸を痛めることが多かった。

教師時代でも高校生に見せ続けていたのは「黒い雨」や「プライベートライアン」だった。

ところが、その頃の生徒が喜んでみていた映画は、「永遠の0」だった。

当時の生徒にも特攻隊員に憧れる生徒もいたことは確かだった。


そういう画像や漫画、映像よりももっと戦争を感じさせたのは、手や足を失った傷痍軍人が、赤穂では義士祭に必ず門の傍に立って軍歌「戦友」を演奏していたことだ。

3人ほど元兵士らしき人が白い着物を上にまとい、軍帽を頭に被っていた。

一人がアコーデオンを奏で、足を失った人は前に箱を置いて四つん這いになり、物乞いをしていた。

この人たちには国からの補償があっただろうが、身体が不自由で仕事がまともにできなかったかもしれない。

当時は、まだ街には物乞いをする人もいたし、「乞食と政治家は3日やると辞められない」という言葉もあった。

ただ、今好意的に考えれば、お金が欲しいのでは無くて、反戦運動だったようにも思える。

いくらお金で補償されても、失った身体と心は戻ってこない。

失った戦友は戻ってこないと言うことを、あえて惨めな格好で訴えていたようにも思える。

そこには兵士の勇ましさや格好良さなど全く無くて、戦争という現実を突きつけられていた。


今後、もし台湾有事で自衛隊を派遣するなら、いろんな可能性を国民に問いかけて欲しい。

万が一、中国が核を使用したときに、アメリカから核を供与してもらって反撃するのか?

本当にアメリカは核を供与してくれるのか?

通常兵器で日本国内を攻撃されたときに、どういう風に対応するのか?

軍法会議なしで本当に参戦するのか?

そういう、具体的な問題をきちっと説明してから、派遣に踏み切って欲しいと思う。

私は断固派遣には反対だが、国民は衆議院選挙で高市総理に全面委任したので可能性が高くなったのだから、前もって考えねばならないだろう。

今回の選挙結果は国民に重い課題を突きつけたと思える。


2026年2月10日火曜日

親米日王・高市総理

 トランプ大統領の応援とSNSを用いた選挙戦術で、衆議院選挙に大勝利した高市総理は現代版の卑弥呼と言うべきだろう。

卑弥呼は鬼道をもって衆を惑わしたというが、かつての占いや呪術は現代のマスメディア映像やSNSというべきかもしれない。

しっかりとした統計による結果が出ないと真偽は分からないが、高齢の女性の票が非常に多かったという。

自分たちの世代ではあり得なかった夢を果たした女性を、応援しなくてどうするということらしい。

テレビの報道での街頭インタビューでは、年齢にかかわらず高い総理に対して期待を寄せるシーンが多かったので、女性からの支持は大きかったと思われる。

逆に言えば、中道はそういう女性の心を掴むのに失敗したのであり、女性には女性の対抗馬として女性を党首にして戦うべきだったのだ。

よく言われる、女性の敵は女性であり、今回も一番批判的にネット上でものを言っているのは田中真紀子さんである。

中国では「雌鶏が時を告げると国が滅ぶ」といわれ、他の国でも女性が男性に先んじると家が滅んだりするということわざは多いらしい。

しかし、日本では卑弥呼のように平和をもたらすもたらす例もある。

親魏倭王の称号もらい、魏の王をバックにつけて力を誇示できたからだ。

高市総理もトランプ大統領の推薦を受け、アメリカをバックに力を誇示できる。

しばらくは、自民党の安定多数の時代が続くだろう。


これによって憲法改正の動きが加速され、中国に軍事的にも対抗できる国家を築くことができるかもしれない。

人類学者のエマニュエル・トッドは日本の核武装をずっと強く薦めている。

理由はつぎの通りである。


 いま日本でも一部で「核シェアリング」が議論されていると聞いていますが、ナンセンスです。「核の傘」という概念も無意味です。使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えない。ドイツのケースと同様に、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ない。核は「持たないか」「自前で持つか」以外に選択肢はないのです。*1


アメリカが日本の核武装を簡単に容認するとは思えないので、トランプ大統領にすがってせめて戦術核の開発くらいは認めてもらえるかもしれない。

悲しいことにウクライナ戦争を見れば、核の脅しは攻めるだけでなく、自国への攻撃を防ぐこともできる。

台湾有事に参戦すれば、中国からの核の脅しを受ける可能性があるのに、アメリカは核で守る力を現実には有していないのだ。

私はアメリカが原爆投下を戦争犯罪と認めない限り、日本も核武装することもやむ得ないと思っている。

理想は、核攻撃を戦争犯罪として禁止すべきなのだが、アメリカが絶対認めないだろう。

だから、トッドがいうように、国民を守るためには持っておくしかないのかもしれない。

それができるのはトランプお気に入りの高市総理だけなのかもしれない。


私は中国ともロシアとも関係を良くして、平和に共存すべきだと思っている。

しかし、高市総理がトランプ大統領配下に入った以上無理だろう。

ただ、今後中間選挙で共和党が敗れればどう情勢が変わるか分からない。

卑弥呼が死んだ後は、倭国が再び大乱となったように、高市総理が退任した後は日本は現在よりも酷い状態になってしまうかもしれない。

とにかく、今回の選挙は日本の女性の底力を世界に示したものであり、大敗した中道はそれを思い知ったと思う。

女性議員を軽んじた当然の成り行きだったのだろう。


*1 エマニュエル・トッド 2025 『西洋の敗北と日本の選択』 文藝春秋 p31




2026年2月9日月曜日

和製トランプの誕生と母校OB衆議院議員

 失われた30年の世代は現在30代後半から50代前半だという。

非正規雇用で結婚もできずに、辛い思いをした人の多い世代である。

一方でZ世代と言われる現代の若者はDIGITAL世代で、マスメディアに対しては一定の距離を持っていた。

この両方の世代が強い日本を求めたのが今回自民党が大勝した一因だろう。

製造業では中国やアジアの発展途上国に負かされていき、先端技術ではアメリカに後れをとっている。

エネルギー問題で躓き、その頼みとしていたロシアとの関係もアメリカによって断ち切られてしまった。

最近は物価高、米の高騰と閉塞感が漂う日本経済の中で強い日本を標榜する高市総理に託してみようという気持ちは分からなくも無い。

中間層が崩壊して二極化して、白人貧困層の熱烈な支持を得たトランプ大統領とほぼ同じであり、高市総理は和製トランプと言うべきなのだろう。

ただ、トランプ大統領も今年行われる中間選挙でどうなるか分からない。

仮に、中間選挙で共和党が大敗北を喫したら、大きく情勢は変わるだろう。

その時に、トランプ大統領を頼りにしていた高市総理はどうするのだろうか?


今回の兵庫県の小選挙区で私の出身高校淳心学院のOBが二人自民党から小選挙区立候補して当選した。

一人は、8区の青山繁晴氏、もう一人は12区の山口壯氏だ。

母校は一学年144名ほどの小規模高校で、通ってくる地域も広いので組織票の母体としてはあまり役に立たないので、個人の政治的手腕での勝利だと思う。

私は公務員であった関係から、いっさい政治活動とは無縁だった。

二人の動向は、山口さんは同じ選挙区なので身近に知っていたし、青山さんはテレビによく出ていたので知っていた。

今回の選挙で小選挙区兵庫県12人に二人も入っていることに考えさせられた。


淳心学院は中高一貫の学校なので、私が中学1年生の頃に山口さんは高校3年生だったと思う。

青山さんはそれよりも2歳上なので、重なることは無かった。

山口さんは相生出身だったので、同じ電車で通ったこともあったろうが、関わりは全くなかった。

ところが、当時は高校の上級生が新入生のオリエンテーションを行っていて、仁豊野の教会で合宿させられていた。

その時に生徒会を中心とした高校の上級生とふれあったりしたのだ。

当時はまだ学園紛争が続いていた時代で、普段の学生集会や淳心祭ではベトナム反戦運動の活動も行われていた。

母校に対しても受験を中心とした指導に不審を抱く先輩もいたようだった。

一番ショックだったのは、卒業式で校長の手から片手で卒業証を受け取るなり壇上で破り捨てた卒業生がいたことだ。

聞けば、他の卒業生も教室に戻ってから同じことをして、窓からばら撒いたとも聞いた。

卒業証を壇上で破り捨てた先輩は、その後在校生が全員いる朝礼で制服を焼き捨てたりもした。

ただ、その後自分の行為の過ちに気づき、学校に謝りに来たとも聞いた。

そういう世代に山口さんはいたと思う。


母校は大学進学に力を入れていたことは確かだが、生徒の主体性に任せた自由な校風であった。

政治に関しては政治経済を担当する衣笠先生が、当時の政治を授業で取り上げて批判していたが、ぼやくことが多かったので「ボヤッキー」と呼ばれていた。

学生運動が下火になっても、政治に関して関心を持ち続ける生徒が多かったのもそういう先生がいたからかもしれない。

ただ、私の世代は山口さんのように官僚を経験しながら政治に転じた同級生はいない。

東大から官僚になった者は何人かいるが、一人は警察庁に入ったりしていた。

私たちの世代は、どちらかというと医学部への進学者が多かった。

日本を政治で背負う理想より、高い収入を伴い、社会貢献もできる医学に魅力を感じていたのだろうと思う。

そういう意味で言えば、学生運動が行われていた世代の生き残りが国会議員になったのであって、もうそういう人材は母校から出てこないかもしれない。







2026年2月5日木曜日

大根活用2026年冬

 今年はなんとか大根も干し大根にしたり、土中保存できるくらいにたくさんできた。

ここ数年ダイコンハムシにやられてしまって、まともにできなかったのだ。

今年は冷凍庫も購入したので、干し大根も久しぶりに作ってみた。

干し大根は作るのは良いが、冷凍庫に保存しないと黴びてしまうからだ。

ネットで調べて一度刻んだ大根を塩で水抜きした後で、冷凍した後解凍して水分をとる方法をやってみたが、結局、天日干しや野菜乾燥機を使うことになった。

野菜乾燥機は便利なのだが、部屋でやると匂いが強烈なので、廊下に出してしっかりと乾燥させた。


干し大根はそれなりにおいしいのだが、新鮮なままで保存するには土中保存するのが一番良い。

以前にもなんどか行ってきたが、掘り起こす際に大根を傷つけてしまったり、放置しすぎて腐らせてしまうこともあった。

今回は欲張らずに、30本くらいにとどめて、畑に穴を掘って埋めていった。

以前と違うのは、埋めた上にちゃんと分厚く枯れ草を置き、念のために大きな段ボールも置いたことだ。

そのことで断熱効果も期待できるし、埋めた場所も明確に分かる。


この季節になると、成長し切れていない小さな大根が痛み始める。

そういうダイコンは愚犬クロのおやつになる。

どういうわけかクロは大根が大好きで、大根を家に持って入ろうと前を通ると欲しがる。

ただ、葉は食べ残してしまってゴミになるのが残念だ。

今年は虫や小動物に食われて傷ついたサツマイモを、ストーブの上の土鍋で焼いていた。

いい加減に焼いていたので焼きすぎて固くなったり焦げている。

そういうのも、クロにやると喜んで食べている。

因みに奄美ではサツマイモは豚の餌だったので、クロはまさしくクロ豚だ。


そろそろ、菜花も蕾をつけだしたし、ほうれん草も伸びてきた。

それまで野菜不足を補ってきたのが大根で、必ず納豆には大根おろしを入れてもらっていた。

土中保存したので、今年は長く食べられそうだ。

畑に残っている大根も、トウが立つ前に抜いて冷凍保存しようとも思っている。



2026年2月3日火曜日

JA・農水省・自民党が引き起こす大飢饉

 1845年から1849年にかけてのアイルランドの大飢饉は総死者数100万人で人口の20%以上を喪失したと言われている。

教科書的にはジャガイモが疫病で不作となったのが原因としか知られていないが、なぜジャガイモにそこまで頼ったかの原因こそ重要だ。

それは農地が細分化されてしまっていたので、零細農家がジャガイモに頼らざる得なかったからだ。

その原因は不在地主を優遇した政策にあったのであり、根本的な飢饉の原因は英国政府にある。


なぜ米の値段は一向に下がらないのか…元農水官僚が告発する「農政の闇とJAの107兆円マネー」(FRIDAY DIGITAL )

を読むと、日本はアイルランドと似た構造にあると思う。
戦後の農地改革で小作農に農地が行き渡ったのは良いが、現代ではその規模では生活が困難で兼業せざるを得ない。
JAはその兼業農家の金を、自民党は票を、農水省は天下り先を求めて、国民を食糧危機の危険に晒したままでいるという。
私はかつて「JA栄えて農業滅ぶ」と、水田地帯での居住者の立場から問題提起したが、本当は全国民の命に関わる深刻な事柄であったのだ。
高市首相が参戦すると言った台湾有事でシーレーンが封鎖されたら、現在の備蓄では日本人は一年も持たない。
今回の選挙でそれが現実となる危険性を帯びてきたので、元官僚が告発したのだろうと思う。
日本の零細地主を利用した政策で、全国民を飢饉の危険に晒していることに対して、国民は気づいて怒るべきだろう。

高市首相のスローガンは「日本列島を強く豊かに」である。
まともに食糧自給できないままでいる日本の米施策を続けようとしている政治家のスローガンとは思えない。
選挙という多くの戦に国は疲弊し、狂った外交で本当の戦になり、そして大飢饉で国民が死んで行きかねない。
そういう危機に我々は立たされているようだ。

2026年2月2日月曜日

教育滅びて国滅ぶ

 このところ日本の大学の最高峰の東大教授の不祥事が大きくマスコミを賑わしている。

高額の接待もさることながら、性風俗施設での接待が関心を煽っている。

学者が聖人君子で無ければならないとは言わないけれど、表に出てはまずいことはあくまでプライベートで行うべきだったはずだ。

上が上なら下も下で、このところ小中学校の教師の猥褻行為が大きく報じられてもいる。

高校に関しても、私は勤務していた学校で、男子生徒に対する男性教師の猥褻行為で懲戒免職になった例を身近に見ている。


我々が教師に成り立ての頃は、組合活動も活発で「教職は聖職では無い」と労働者としての権利を獲得しようと認められていない活動をする教師もいた。

私が務めていたとある高校の労組の長は、選挙中に選挙カーに乗って応援したことを自慢していた。

教職員は待遇面での権利を獲得して行った一方で、人事面での作為で組合組織は弱体していき、管理体制が厳しくなって行った。

大学の教員並みに認められていた自宅研修が認められなくなり、高校社会科は地理歴史と公民に分けて弱体化が図られた。

私学でも予備校と変わらない受験指導中心の学校が伸びていき、自由で自ら学んでいこうという学校は受験結果を出せずに人気が落ちていった。

そのきっかけは我々から経験した大学共通一次試験だったと思う。

共通一次やその後のセンター試験は、自分で考える力よりも出題者の意図をくみ取るテクニックが重要だった。

あの頃から、私学にしても偏差値でランクづけられた大学への受験テクニック勉強が中心となった。


一番問題となるのは、大学に入ってからも自ら学ぼうという姿勢が生まれないことだと思う。

大学の教員をしている大学ゼミの同級生から、今の学生は本を買って読むことは無いと聞かされた。

手短にネットで調べられるし、近年では生成AIでレポートの簡単に作成できるからだ。

私も高校までは大して社会問題や政治に関わる本を読むことは無かったけど、大学に入ってから大学の先輩や先生から刺激を受けて読み始めた。

テレビや新聞も下宿には無かったので、社会問題や時事が掲載されている雑誌を買って読んだり、本は大学図書館で借りたり本屋などで買った。

学生時代は金が無かったので、当時はしっかりした古本屋が大学近くにもあって専門書などはそこで安く手に入れた。

そして何よりも、大学の同じ学科の先生とは飲む機会が非常に多くて、飲んだ折りに知識を得たり徹底的に議論で打ちのめされていた。

何よりも、自らしっかりと学び考える姿勢を身につけさせられた。

それは、型どおりの講義やゼミでは得られない貴重な経験だった。

その大学の先生が学生とではなくて、企業の社員と飲んだりソープランドに行くことに熱心だったとしたらどうだろか?


その同級生の大学の先生から、今中国からの優秀な留学生が大学院に多く来るようになったと聞かされた。

アメリカのトランプ大統領の影響で、アメリカの名門大学に行くような学生が日本に来るようになったという。

アメリカの先端企業はアジアの留学生からの優秀な人材で発展してきたのだから、これからはその分野での凋落も考えられるだろう。

そして、それは今後の日本は留学してきた中国人が支えてくれるのかもしれない。

受験勉強の競争を煽るだけで、心身ともの成長を支援せず自殺に追い込んだりし、大学生になってからも就職活動に役立つことしか学ばない学生を作るだけの日本。

ブラックとなった職業に魅力が無くなり優秀な人材を確保できない小・中・高校。

人材を育てることよりも、欲望に走る教員が幅をきかせる大学。

そんな日本に未来はあるのだろうか?





2026年1月30日金曜日

食糧・外交問題を無視した同情選挙

あれほどまで米問題が騒がれたのに、今行われている衆議院選挙の演説では米問題がテーマになっていない。

食品の消費税を無くしても、肝心の食品が値上がってしまえば安くはならないのに・・・

うちは近所の米農家から玄米30kgを去年は9000円で分けてもらっていたのだが、今年は13000円に値上がりとなった。

先日備蓄米を5kgを2000円ほどで買ったので、近所の玄米は白米の備蓄米よりも高額になったということだ。

その農家へは村作業の用水路の溝掃除や、道作りなどで協力しても、その値段でしか売ってもらえないのだ。

米の暴落が云々されているが、高市政権となればJAを守るだろうからそれは無いだろう。

米が高止まりの状態で米離れが進み、来年度から米農家への減反が奨励されるだろう。

そうなると却って将来の食糧問題への対策は遅れてしまうだろう。


アメリカの食料生産は大分前から、いずれ輸出できなくなるだろうと言われてきている。

一番大きな問題は地下水の枯渇だが、人口も増え続けているのでそんなに長く輸出は続けられないだろうと言われている。

むしろ、ロシアの方が温暖化の影響で食料生産を増やしているようだ。

アメリカが食料で当てにならなくなったら、ロシアに頼るしかないだろう。

世界情勢がめまぐるしく変化しているのに、日本は旧来の権益を守ることに終始している。

前政権では新しい米生産のビジョンを示したのに、高市政権では元に戻してしまった。

企業献金問題からも分かるし、統一協会問題からも分かるように、自民党はそういう組織からの支援で成り立っているので、思い切った改革ができないのだ。


今回の選挙は高市総理の泣き落としで、自民が単独で過半数をとると予測されている。

この政権のままではおそらく中国との関係は改善できず、暴走するアメリカへの従属を強化していくだろう。

エマニュエル・トッドはアメリカの白人の学力が崩壊することと関連して次のように述べている。

  一方で日本、韓国、中国、ベトナムからの(アメリカへの)移民の子どもたちは、一世代から二世代の間、こうした学力崩壊から守られてきた。それは権威主義的な家族構造によるだけでなく、教育を神聖視する儒教の伝統に負うところか大きいが、この伝統はそれ自体が「家族継承」に根づいている。イギリスやフランスでも同様の現象か見られる。


我々東アジアの教育の底流には儒教があり、教師の地位は高く維持されてきた。

アメリカに親密な関係を築いた安倍元総理が教師の誇りを踏みにじる教員免許更新制などから学校のブラック化を招いて崩壊に瀕している。

高校生などの自殺が増えているのも、今まで学校に依存していた家庭や生徒に応えるだけの余力を教師が失ってしまったからかもしれない。

そして、もっと深刻なのは受験テクニックだけ得意で歴史や政治に興味が無かった生徒たちが有権者となり、簡単に政治家の煽動に乗せられてしまうことだ。

アメリカの白人と似た学力の崩壊ともいえるかもしれない。


この同情選挙で高市氏が率いる自民党が大勝することになるかもしれない。

そのことで、安易に軍事力にものを言わせて利益をむさぼるアメリカに追随することで、日本はアメリカ以上に崩壊していくだろう。

すでにヨーロッパは親中外交に舵を切っているというのに、アメリカの犠牲になるつもりなのだろうか?

今の日本はかつて鄧小平が目指した「韜光養晦」を日本なりに見習うべき状況にあると思う。

平和的な国際環境を確保して、実質経済を立て直し、心豊かな暮らしを再建するときなのだと思う。

身を滅ぼしかねないホストやホステスに貢ぐ男女のように、今の有権者は高市総理の甘い魅力?に狂ってしまったのかもしれない・・・・・


*1 エマニュエル・トッド 大野 舞訳 2024 『西洋の敗北―日本と世界に何が起きるのか』 文藝春秋 312-313



2026年1月28日水曜日

コウノトリの巣作りに春の予感

 先日来、コウノトリが昨年子育てをした巣作り用の鉄塔に、つがいで停まるのを見かけるようになった。

寒い間は一緒にいたり、離れていたりして餌を探しているのを見かけていた。

時にはしばらく見かけなくて、少し離れた餌場に出かけているようだった。

上郡の高田地区の貯水池は多くが水を落としていて、餌が探しやすくなっている。

そこでは他の鳥に混じって餌をついばんでいるのをよく見かけていた。

千種川でも上郡より下流の有年のあたりには、広い中州があるので、そこでも見かけることがあった。

ところが、上流では鷺はよく見かけるのに、コウノトリを見かけることはまず無い。

コウノトリは鷺が捕ることができる、すばしこい小魚が捕れないのだろうと思う。

その代わり、大きなネズミや地中で冬眠中の蛇や蛙なども捕って食べることができるのだ。


このところ、カラスの大群を見かけるようになったのだが、意外と大量に残された柿には群がっていない。

残された柿を毎日食べているのは、群れを作るワタリガラスではなくて、地元に居着いたカラスだ。

例年ならほとんど食べ尽くされていてもおかしくないのに、黒く熟してぶら下がっている。

その見捨てられた熟し柿を、毎朝散歩の折りに愚犬クロに与えているのだが、場所によっては木の下に多く落ちていて、木の枝から捕ってやる必要が無い。

今年はカラスだけでなく、落ちた柿を食べる狢なども飽きてしまっているのかもしれない。

私は堆肥を作るのに干し草を積んでいるのだが、その上に捨てておいた卵の殻が食べられていて糞もしてあった。

狢たちも栄養のバランスをとっているのだろう。


この冬は例年よりも温度が下がり、上郡では-8℃を経験した。

ところが、どういうわけかクロはかなめの木の下に、毛布を敷いてそこで眠っている。

風の強いときは、自分の小屋に毛布を引きずり込んで眠るのだが、寒い朝にはかなめの下で眠っているのを朝に新聞を取りに出る時に見かけている。

プラスティックでできている犬小屋の中よりも、木の下の方が心地よいのだろうと思う。

そう言えば弟はスウェーデンの木造建築方法を取り入れた暖かい家を建てて住んでいた。

生きている木には凍結を防ぐ自らの力だけで無く、周りにも温もりを与えてくれる力があるのかもしれない。


寒い中でも、こうしてコウノトリが巣作りを始めたり、小鳥たちが元気に飛び回っているのを見ると春を感じる。

また、毎年自然に生えてくれる菜花も花を咲かせてくれるようになった。

体感的にはまだまだ寒いし、テレビニュースなどでは、連日雪情報やアメリカの大寒波が報じられている。

そんな映像を見ているより、氷点下で少々寒くてもぬくい格好で散歩すれば心が温まる。

例年は2月の初めの日曜日に畦焼きを村の人が集まって行うのだが、今年は消防署などからの通達で中止になってしまった。

春を招く畦焼きはあたりを一度真っ黒にして、それも肥料になって新しい芽を育む。

それができない今年はどんな春を迎えるのか、少々不安ではある。



2026年1月25日日曜日

今も支え続けてくれる黒椅子

 今私が座っている椅子は、1984年にリサイクルショップで買った黒椅子だ。

脚はスチールで座面と背もたれが一体化した簡単なつくりの物で、価格は忘れたが安かった。
なぜ買った年を憶えているかというと、大学院修士の二年目で新宿区の西落合に引っ越しして部屋が一つ増えたので、机と椅子を買ったからだ。
引っ越した理由は今まで二年ものあいだ、遠く離れて暮らしていた恋人と一緒に住むためだった。
そのアパートは二間になったけど、その一つの部屋は机と椅子をおけばいっぱいになった。
そして便所はあったけど風呂は付いていなかったので、近くの銭湯に行かねばならなかった。
二人は入籍したが甘い新婚生活にはほど遠く、当時流行っていた歌でたとえると、「花嫁」で一緒になって「神田川」の暮らしを始めたようなものだった。
ただ、翌年は働いていた妻のことを考えて、横浜の長津田で見つけた安い家賃の風呂付きアパートに引っ越した。

この椅子はずっと自分の研究には欠かせないものとなった。
特に修士論文を書いていたときには何日間も徹夜になって、一日中この椅子に座ったまま過ごした。
しかし、1年長く3年在籍して書いた論文は完成には不十分で、もう一年するように教官から慰留されたが、博士への進学を自ら断念した。
そして、駆け落ちまでして一緒になって私を支えてくれた伴侶も去って行った。
恋人時代を含めて6年間のふたりの愛は終わりとなってしまった。
それでも、私は教師になってもう一度一緒にやり直せないかと、生まれ故郷に帰ることにした。
その時に辛い想い出となる机を含めて家財道具は全て処分した。
だけど、研究において私を支え続け、私の身体に一番馴染んでいたこの残された黒椅子だけは捨てられなかった。

実家に戻って初めて教員採用試験を受ける勉強も受験日まで期間が短かったのでこの椅子に座って必死に取り組んだ。
当時は公務員人気が高く、教員になるのもかなり難しかった。
また、受験後に臨時で勤めた中学校や高校の授業のための教材研究も行っていた。
何とか補欠合格して4月には採用が決定されて、連絡を取ったが去って行った伴侶は戻ってくることは無かった。
私を立ち直らせようとする母に勧められるまま見合いをして再婚した。
その時に職場の友人からお祝いに何が良いかと問われて机と答えると、立派な木製の机と椅子を贈ってくれた。
この黒椅子は実家に残したまま、新しい机と椅子を伴って借家での本当の新婚生活が始まった。

しばらくは新しい机と椅子で教師の仕事の準備ややり残した研究を続けていた。
だけど、新しい椅子は身体にも合わないし、高さを調節するネジが緩んで効かなくなった。
しばらく座布団を重ねたりして我慢したが、実家に置いてある黒椅子を使うことにした。
その時は単に必要に迫られて使い始めただけで、そんなに愛着があったわけでは無かった。

家も新築して引っ越ししたのだが、やはり黒椅子も一緒だった。
新しく買ったテーブルの椅子も使ってはみたけど、やはり黒椅子にはかなわなかった。
勤めている学校の職員室などの机には座り心地の良い椅子もあったのだが、家でも買って使おうとは思わなかった。
身体に合った黒椅子があるのに、高いお金を払って買う必要が無かったからだ。
そして、研究したことも本にまとめて出版することもできた。

退職して年金も入り始めたので、金銭的な余裕も出来た。
研究する時間が多く取れ始めたので、立位でのパソコン操作をするために新しい可動式の椅子も買った。
しかし、結局落ち着いて仕事ができるのは黒椅子で今も使っている。
そろそろ耐久性も限界だと思うので新しい椅子をネットで探してはいる。
40年以上も重い私の身体を支え続けてきたので、休ませてやるべきかなとも思う。
ただ、結婚式で職場の友人からお祝いにもらった机同様、苦楽をともにしてきたこの黒椅子を死ぬまで捨てるつもりは無い。
私の身体の一部となって、切り離されなくなっているからだ。

2026年1月23日金曜日

暖か温水プールの幸せ

 この数日、強烈な寒波のせいで、上郡は最低気温がー6℃くらいになっている。

毎朝の愚犬クロとの散歩はこのところ氷点下の中で行われていて、防寒の服装で寒さは防げるのだが、露出している顔が寒風で痛い。

立派な毛皮に覆われているクロは寒さなど平気で、庭で寝ているときも下に毛布を敷いて、小屋の外で寝ていたりしている。

猛暑の夏は散歩では元気がなかったが、今は元気に走り出すことさえある。

私は寒さの中の散歩は苦行のようなもので、楽しむような余裕などない。


昨日(1/21)は地元上郡のプールは寒いことが分かっていたので、隣の相生のプールに行った。

上郡のプールは年券を買って安く泳いでいるのだが、こちらは10回5000円の回数券で負担は多いが室温も水温も高いのでこうい日にはうってつけなのだ。

本当は水泳の練習としては熱すぎるのだが、寒さに震えながら泳ぐよりはずいぶんましなのだ。

午後のすいている2時過ぎにプールに入ると、ずいぶん賑やかである。

地元相生のミッション系私立幼稚園の園児たちが楽しんでいる。

その横のプールサイドでは外国人のシスターが白い修道服を着て立っている。

暖かいプールの中で元気いっぱいに遊んでいるのだ。


私もプールに入るなり、「暖か~」と叫んでしまった。

というのも、いつも一緒に練習するマスターズ選手がいたからだ。

彼は自分はパドル練習は終わったからと言って、フィン、パドルが使用可能な練習コースの標識を一般コースのと交換してくれた。

外が寒かったので、本当に温泉に入った心地になったまま泳ぎ始めた。

高い温度で練習するのは最初は身体には負担を感じてしんどいのだが、そのうち温度にも慣れて楽になってきた。

さすがに高齢のご老人の数はいつもよりずいぶん少ない。

たぶん、プールに入るまでと出てからの寒さを考えて控えているのだと思う。


大勢の園児たちも泳ぐのが終わって、プールサイドでプールフロアーといわれる水深を浅くするためのベンチを横にして目隠しにして着替えている。

更衣室で着替えさせるには男女を別にしなければならないので、引率の先生だけでは手が足らないのだろうと思う。

そのうちに男の子が真っ裸で出てきたが、どうもトイレに行きたかったようだ。

その賑やかな園児たちが去って行くと、代わりにスクールの生徒たちが入ってきた。

練習コース・一般コース・歩行コースもそれぞれ一人使用している程度だったが、そのうちに私一人になってしまった。

それも午後3時を越えると、中学生らしき男子も入ってきて賑やかに楽しんでいる。

中年の本格的な練習をしそうな人も入ってきたので、私は練習を終えて上がりコースをその人に譲った。


学校では冬場は耐寒マラソンというのが一般的だ。

私も中学・高校の時には風に雪が舞う中を上半身裸で毎日中間体操と称して、運動場を走らされていたのを思い出す。

それはそれで風邪に負けない身体作りとしては悪くはないと思う。

ただ、自由に遊びたい園児や、走らされるのが嫌いな児童生徒には冬場でも温水プールで楽しみながら身体を動かせてやって欲しいと思う。

私は知的障害の特別支援学校をトータル7年間務めたが、走るのを嫌がる肥満傾向の児童生徒を無理矢理走らせることにやましさも感じていた。

本当は楽しく身体をいっぱい動かせるのが良いのに決まっている。

私立の幼稚園ではそれもあって冬場でも温水プールにこさせているんだと自分なりに解釈した。

その一方、私の自宅近辺では冬場のこういう寒い日は家にこもって、ひたすらテレビを見ている人が少なからずいる。

そういう人は春になるとまるまると太って姿を見せるようになる。

そういう人には温水プールを温泉と思って、泳げない人でも歩いたら健康に良いし、幸せを感じると思うのだが・・・・・・


2026年1月21日水曜日

台湾有事問題を隠した選挙

 高市総理が解散を公表して以来、選挙争点は消費税問題に終始している。

マスコミもその話題を中心に報道している。

それ以外では、総理の解散権乱用問題である。

しかし、大きな問題となっている台湾有事問題に関しては、与野党両党とも言及していない、マスコミも取り上げてこなかった。

与党にとっては外交において大変重要な課題であるが、はっきり明言してしまうと中国からの新たなる制裁を招く可能性を危惧するのだろう。

野党としては、高市総理いじめになるので、可愛そう選挙にしてしまってますます高市総理に有利になると見ていると思う。

しかし、立憲民主党と公明党の新党結成は、戦争への危機感から成立したように思うのだが、中国よりと見られることにも警戒しているようにも思える。

肝心のマスコミも、似たような思惑で台湾有事問題を取り上げてこなかったが、やっと弁護士の八代英輝氏が20日、TBS系「ひるおび」で、

「高市さんになって劇的に変わったのは日中関係だと思う。日中関係について、高市さんの対応であったり、スタンスを支持するのかどうかというのは、この選挙の一つの裏テーマとしては大きいと思う」と訴えた。八代英輝氏 解散総選挙の裏テーマに言及「高市さんになって劇的に変わったのは…」

という発言がなされた。


彼の指摘はまさしくその通りで、世界情勢を見ていると、トランプ大統領の世界秩序を崩壊させる言動に、大きく変化しようとしている。

中国やロシアはその動きを冷ややかに見ているのだろうと思う。

トランプが中国とロシアと同じように独裁的な軍事国家になろうとしているのを、中国・ロシアは脅威と感じる一方で、西側陣営の分裂のチャンスと思っているだろう。

このような世界情勢で、台湾有事問題はまさしくアメリカと親密に動くか、距離を保つかの重大な岐路に立たされているはずだ。

この選挙に隠された日本の存亡に関わる非常に重大な問題なのだ。


このところの選挙は兵庫県知事選挙といい、前橋市長選挙といい、善悪や倫理に基づくものではなく、同情という感情が選挙の勝敗を分けている。

おそらく、この流れで行くと高市総理への感情移入から大勝する可能性がある。

高市総理も、議院内閣制の根幹に関わるのに、総理大臣の間接選挙という主張を行なっているのだ。

歴史的に見ても感情は時代を動かしてきている。

今行われているウクライナ戦争が続いているのも、両国民の感情に寄るところが大きいだろう。

国政選挙においても、以前に大平首相が選挙中に亡くなって同情票が集まって自民党は大勝した。

われわれ国民は感情に流されずに、今後の日本の運命を変えることになるかもしれない今回の衆議院選挙に立ち向かわねばならないと思う。

可愛そう選挙ではなく、世界の中で日本がどう進んでいくかを、国民が判断する重大な選挙なのだと思う。

高市総理は軍事的に普通の国になると言っているが、いままで普通と思われていた国民国家が消滅しているのが欧米なのだ。*1


*1 エマニュエル・トッド 大野 舞訳 2024 『西洋の敗北―日本と世界に何が起きるのか』 文藝春秋 p34



2026年1月18日日曜日

鶏糞から米糠への転換

 私はまだ完全ではないが、自然農法を行なっている。

自然農法は草マルチが基本で、畑をできる限り耕さないのだが、畝はしっかりと高くしている。

自然農法を始めてそれほどの年数が経っていないので、安い鶏糞をどうしても使わざるを得なかった。

ところが、今まで簡単に作ることができていた大根が何年も続いてうまくできなくなった。

それはダイコンハムシが芽を食い荒らして全滅したりしていたからだ。

完全に不織布で覆うといくらかは成長したが、その完全に覆うのが難しくて、害虫が少しでも入り込んでしまうとそれでおしまいになる。

そんな折りに近所の人から種をまく前には肥料をやらずに、芽が出てきてから液肥をやると被害が無いと聞いた。

それを聞いて、鶏糞をすき込んだり撒いたりすることはやめようと思った。


鶏糞は非常に安くて化学肥料のように使えて良いのだが、以前に老齢の農家の人から虫がわくとは聞いていた。

まさしくこのことだろうということが分かったのだ。

草や葉と一緒に混ぜ込んでしっかりと発酵させた堆肥にすれば違ってくるのだろうが、それをやってこなかった。

自然農法は肥料は使わないのだが、刈草と同時に米糠は多く用いられる。

以前もEMぼかしという有機肥料を自分で作っていたときには、米糠はよく使っていた。

その時は大量に購入したりしたのだが、このところ無人精米所で糠を持って帰らせてくれるところ(以後、糠取所)が増えたので、それを利用することにした。

ところが、これが簡単では無かった。


まず、けっこう米糠を利用している人が多くて、町内の糠取所では取りに行ってもあまり残っていなかった。

たまたま、鳥取の道の駅で30kgの米袋に入れた米糠が500円で売ってあったので、それを購入したのだが、常時置いているわけでは無く、結局買えたのは二袋だけだった。

また、隣の赤穂の糠取所を偶然見つけて、そこに多く残ってあるのを知ったので、平日にベランダボックスと小型手箕を持って行っていくらか確保できた。

土曜は毎週赤穂に行くので、普通車にベランダボックスを積んで立ち寄ったがいつも残っていなくて、平日でも通院などの機会に立ち寄ってもほとんど残っていなかったりした。

おそらく赤穂にも平日でも持って帰る競争相手がいるので、必ずしも残っていないことが分かった。

そこで、辛抱強く糠取所に立ち寄ることにして、町内の糠取所もプールに行くついでに寄ろうとした。

ところが、町内の糠取所では精米している人がいつもいて、車を横付けしたところを糠をとるのは憚られてなかなか機会が得られなかった。


こうなったら、日曜の家内とのドライブついでに糠を取りに行こうと、車に空振りした土曜からのベランダボックスを積んだままにしておいた。

しかし、前に見つけておいた国道沿いの糠取所には狭い駐車場に、精米する人の車が停まっていて立ち寄ることさえできなかった。

そこでダメ元で、地元まで帰ってきたときに、いつも空振りしている糠取所に寄ってみた。

すると、日曜日の夕方のせいなのか、精米する人も居なくて、糠取所にはあふれるほど糠が残っていた。

赤穂の糠取所でも経験したことの無い量の糠を手に入れて、そのベランダボックスを持つことさえ大変だった。

町内の競争相手は土日には取りに来ていなかったのかもしれない。

赤穂は週末の家庭菜園する人が多く、上郡町内では平日にしっかりと農作業をして土日は休んでいるのかもしれない。

とにかく、これからは空振りをおそれずこまめに立ち寄ることにした。


鶏糞はいつでもホームセンターで安く売っていて、手軽で便利なのに対して、米糠は無料ではあるが簡単には手に入らない。

通販でも売ってはいるが、とても手の出る価格では無い。

これからいつでも米糠の回収を心がけて行くしかないのだが問題点もある。

それは、米糠を取るときにどうしても米糠を被ってしまうことがあるので、それなりの服装を考えていないと後悔することだ。

私の場合はプールに行くときはスポーツウェアで、ドライブではジーンズが多いのでそんなに困ることは無いが、カジュアル服の家内には手伝ってもらえない。

ともかく、百姓を志すからには、根気よく気長に、そして気取らずに日々を送っていかねばならないと、糠取り作業から改めて思い知った。


2026年1月15日木曜日

自衛隊に入ろう

 実は近所には自衛隊に勤めている奥さんがいて、先月も北海道に訓練のために3週間家を留守にしておられた。

その間、旦那さんと二人の小学生の子どもが家に残されていたのだが、奥さんの実家は少し遠くにあって、以前のように手伝いに来ておられなかった。

近所の年配の人はその旦那さんが「よく我慢しているな」と言うが、私は「奥さんの給料が良いからだろう」と返事している。

我々より上の世代は大黒柱としての男の役割を自負していたが、今の若い世代にはそういう感覚はもうないだと思う。

普段も自衛隊の奥さんは、旦那さんよりも早く家を出るし、土日のどちらかは勤務に就いている。

旦那さんが子どもの学校や習い事の面倒を主に見ているのだ。

しかし、そういう例は先輩教師にもいて、奥さんがやり手の教師だったので、同じ教師の旦那が子どもの面倒や家事を行っていた。

もっと古くは、パーマネント屋経営している奥さんの旦那が、子どもがいながら全く働いていなかったのも見ている。

いまでも、町内の散髪屋さんで旦那さんは一切作業をせずに、喋るだけの人もいる。

いわゆる髪結いの亭主は今も健在なのだ。

自衛隊の奥さんの旦那さんは、仕事勤めをしているだけ立派なのだ。


私はもし台湾有事になって日本が参戦したら、この奥さんも夫と子どもを残して戦地に行かねばならないのかと思う。

子どもは小学校の文集に自分の将来の夢は自衛隊と書いてあった。

2009年の自衛隊イラク派遣以降は自衛隊は現実の戦争とは無縁だった。

その時も非戦闘地域に限られていたのだが、台湾の有事ではそうはいかないだろう。

男女平等になっているのだから、伴侶や子どもがある理由で女性だけ戦地への派遣を逃れることはできないようにも思う。

もし、戦死したら小学生の子どもたちは、母親を失うことになる。

高市総理はそういうことも含めて、台湾有事には参戦するつもりでいるのだろうか?


高田渡は反戦歌のつもりで「自衛隊に入ろう」を作ったのに、防衛庁(防衛省)から自衛隊のPRソングとして依頼を受けたそうだ。*1

   自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
   自衛隊に入ればこの世は天国
   男の中の男はみんな
   自衛隊に入って花と散る

   

この曲は今の日本では反戦歌では無く、愛国の歌として歌われるかもしれない。

そして男の中の男だけでは無く、男女ともに花と散る覚悟で自衛隊に入るのだろう。

先日来、久米宏の追悼特集が放送されているが、私が一番感動したのは、彼が自分たちの世代はなんとか戦争をしないで済んだことを語っていたことだ。

クイズ番組や歌番組でどちらかというと娯楽のイメージもあったのだが、彼の底に貫いていたのは反戦だった。

彼が後の世代に託した反戦の思いは、奇しくも彼が亡くなる前に高市総理によって踏みにじられた。


   いつまでもつづけよう  

   どんなに海が汚れても

   永遠(とわ)に栄えあれこのきずな

   日米安全保障条約

高田渡のこの歌詞は若者たちの心を哀しいくらいしっかりと捉えてくれるだろう。


*1  Wikipedia 「自衛隊に入ろう」自衛隊に入ろう - Wikipedia