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2019年2月3日日曜日

飲みテラス

今日(2/2)の朝の散歩で、揚げヒバリが鳴くのを聞いた。
体感的には、まだ寒い冬なのだが、ヒバリは春の訪れを感じているらしい。
私も、今日は散髪に行くつもりだった。
家内から、散髪するように言われていたのだが、寒いし面倒なので、耳の所の気になる髪だけ切って放っておいた。
しかし、この頃、口の悪い生徒がやたら頭の禿具合を、あげつらうので、髪が伸びたから薄いのが目立つのだとは思っていた。
生徒には私のように、白髪で毛が薄いと実年齢よりも老けて見えるようだ。
若く見られたいというわけでは無いのだが、老けてみられるのも癪だから髪を切ることにした。

やはり、今日は土曜と言うことと、暖かくなったと言うことで、いつも行く安い散髪屋さんは満員だった。
待たされるのも、そう苛立たず、倒された椅子でまどろんでいられた。
支払いの時に、店員は最初シルバー割引を適応しようとしたが、確認されて違うと答えた。
見た目では、完全に60歳以上に見えているということである。
昼になり、暖かい日差しの中、休日の一つの楽しみとしての「昼ビール」をテラスでおこなった。
二階のテラスには、椅子が置いてあって、そこで外の風景を楽しみながら、第三のビールを味わった。
春と秋の掛け替えのない飲みテラスの至福の時間。
そこには、美味しいつまみも何もいらない。
飲み鉄をしなくても、風景はすばらしい。
そして飲みテラスは、思い出の旅へと誘ってくれる・・・

2019年2月2日土曜日

子供とのマラソン練習

買い物をしていて、その近所の小学校のマラソン大会のポスターを目にした。
子供が小学生の頃、朝早く起きて、一緒に走る練習をしたのを思い出した。
うちの娘も息子も体が小さく、運動もそれほど得意な方では無かった。
水泳の練習は二人ともスイミングクラブで練習していて、そこそこ泳げていた。
しかし、走る方はだめだった。
そこで、小学校のマラソン大会のために、朝早く起きて練習することにしたのである。
まだ、薄暗い中を、1kmほどある小学校までアップをしながら行き、運動場で練習した。
当時は、トラという白色の雑種の犬も飼っていて、一緒に駆けた。

娘は練習の甲斐あって、学年で6位になった。
息子は半分くらいの成績だったが、運動の苦手なことを考えれば上出来だった。
娘は朝の練習ことを日記に書いて、それが学級通信にも取り上げてもらっていた。
娘はこのことと関係するかどうか分からないが、中学校に入ると陸上部に入った。
本当は、水泳は選手コースで練習していたので、水泳部があれば良かったのだが、なかったので陸上部を選んだようだ。
そして、たまたま速い選手が調子が悪くて、一度だけ兵庫県の郡市区駅伝の上郡のメンバーにも選んでもらった。
その頃は、加西で駅伝が行われていたので、夫婦で車に乗って応援に行った。
雪のちらつく中で、娘を待ったのだが、年頃の娘は私の構えたカメラに横を向いてしまった。
それで、手ぶれも加わって、良い写真は撮れなかった。
その後、娘は足の調子も悪くなったこともあって、高校ではテニス部に入った。

考えてみれば、私も父と朝に小学校の運動場で走る練習をしたことがある。
それは運動会前で、徒競走で一等賞になるためであった。
小学校の頃は、身長が高くて、一緒に走る組順の同級生も結構速かった。
クラスや地域のリレーの代表選手にはなっていたが、徒競走で一番になったことは一度も無い。
父に関しては、走る練習よりも、ソフトボールの練習をよくしたことを思いだす。
当時は、それほど子供の駅伝大会など無くて、長距離はあまり体育でも練習させられなかった。
近所では、時々親子でジョギングをする風景を見かける。
小学校くらいまでだったら、子供と一緒の速さで走れるのが良いのだと思う。
私は、愚犬クロとジョギングしたこともあるが、今はしっかり歩くことに努めている。
本当は孫も一緒にというところだが・・・




2019年1月30日水曜日

春を忘るな

空ばかり眺めて、散歩しているうちに、梅の花がこんなに咲いているとは気がつかなかった。
その梅は、いつも春一番に咲く、お寺の前にある紅梅である。
近所の庭の梅もちらほら咲いているのを眺めてはいたし、うちの庭の蝋梅も咲き始めていた。
でも、この紅梅の賑やかさには勝てない。
奇しくもこの紅梅の写真を撮った日(1/26)の後で、雪が降り積もった。
翌日、梅の花は雪にも耐えて美しく咲いていた。

梅が咲いてくれると、春がそこまで来ていると、気持ちが少し楽になる。
そういう意味で旧暦の正月は、春の兆し共に、気持ちを込めて祝えたのだろう。
新暦の正月は、春どころか、これから寒さがもっと厳しくなると、気持ちを引き締めねばならない。
そういう意味では、旧暦の正月こそ、季節とともに暮らす生活に適していたのだと改めて思う。

そういえば、昨日の金曜日は高校の卒業生にとって、最後の授業というのも多かった。
若い担任の先生は、「これで最後の授業だ」と言って職員室を出て行った。
この季節は別れと旅立ちの季節でもある。
それは私にとっても同じである。
早期退職して3度目の春、今年こそ自分の思いは叶えられるのだろうかと思う。
その一方で、まだまだ暮らしに不自由せねばならないのかとも不安にも思う。
ただ、叶うか叶わないか分からないけれど、希望が持てるメールが知人からも届いた。
今までそんなメールさえ無かったので、届くことだけで嬉しい。
一歩踏み出す勇気が不思議に湧いて、梅が咲いているのにも気がついた。
自分の人生にとって長い冬が終わり、再び春がやって来るのではないかという期待・・・
この紅い梅が咲いているのに気がついたように、私にも春が来ているんだと気がつければ良いのに・・・




2019年1月28日月曜日

天使の雪だるま

夜半過ぎから降り出した雪が降り積もり、朝、目を覚ますと文字通り銀世界になった。
去年はずいぶん寒い日が続いたが、一度も銀世界にはならなかった。
だから、雪が積もるのは一昨年以来ということになる。
雪国ではあたりまえの景色なのだろうが、雪が降るとまるで別世界である。
私は北海道に修学旅行の引率で行ってから、雪に閉ざされた生活は我慢できないと思っている。
しかし、年に一度や二度の雪景色は、それとは全く違って、村を美しく飾ってくれるものだと思える。
ただ、この雪は、お昼にはも日陰以外は殆どとけてしまい、銀世界である時間はそんなに長くはない。
一時であれ、美しく見せてくれるのだから、まるで天使が綺麗にお掃除してくれたように思える。
夕方になり、雲の間に見える空を見上げて、普段とは全く違う青さを感じてそう確信した。
きっと、空のチリまで雪とともに、掃除してくれたにちがいない。

雪が降った日だけ、村に子供の声が戻ってくる。
昔は、私も子供と家近くで雪遊びをした。
今は、愚犬と雪遊びはできないので、散歩するしかないのだが、あちこちで子供の声が聞こえる。
子供たちはお爺さんやお父さんと、はしゃいでいる。
その愚犬クロでさえ、雪に体をこすりつけてはしゃいでいる。
子供たちは雪だるまを作ったり、田んぼの土手で滑ったりしているが、スノーボードを持ち出している子供もいる。
知り合いの息子さんには、子供が4人もいたのだと、初めて気がついた。
雪が降ったのが土曜から日曜にかけてで、ちょうど休みだったので良かった。
わざわざスキー場に行かなくても、家族で楽しめている。
普段、散歩で会わない年配の方にも何人か出会った。
見知らぬ人に、「美しい景色やね」と話しかけられ、私は「普段よりも綺麗ですね」と、さりげなく答えた。

雪が降ると必ず家内と話すのは、子供たちと一緒に作った雪だるまのことだ。
今回も、庭にいつまでも残っていた雪だるまの話をした。
うちの庭は、お向かいの家の陰になって、雪だるまがいつまでも残っていた。
それを見つけた、お向かいの子供に結局は壊されてしまったのだが、懐かしい思い出である。
子供が成長して、雪だるまを庭に作ることもなくなった。
かわりに近所の子供が、空き地で雪だるまを作っている。
雪だるまこそ、雪を降らしてくれた天使を表した姿なのかもしれない・・・

2019年1月26日土曜日

天使の落書き

今日(1/25)は朝の冷え込みは格別で、散歩の出だしは手も凍えた。
でも、今までには無かったのだが、飛行機雲が空いっぱいに描かれている。
そして、歩いている真上でも、描かれている最中なのである。
やっぱり、上郡上空は飛行機の通り道だと言うことが、これではっきりした。
これは天候が悪化する兆候でもあるというが、確かにあすから強い寒気で、雪が降るかも知れないという。
私の父は元々船乗りで、常に空の雲を見ながら、天候を予想していた。
「入り雲だから、雨」とか、庭で眺めては教えてくれたが、当時の私には理解できなかった。

私はこのところ、空ばかり眺めながら、散歩をしている。
冬場は草木には、面白みがない。
そして、今日新たな発見があった。
今まで音はしても見えなかった飛行機が、飛行機雲によって分かったのだ。
中には、空高すぎて絶対に見えないだろうというのも分かった。
そして、高度の高い飛行機は、南から北に向かっていたのもあった。
西行きのルートばかりでは無かったのだ。

子供は小さい頃、雲の隙間から光の筋が伸びているのをみて、「天使のかいだん」と言っていたと、それを見るたびに家内は話す。
それなら、空に描かれた飛行機雲はさしずめ「天使のらくがき」だと思った。
この「らくがき」はいつも描かれるのではない。
今日のような気象条件がそろった時に描かれるようだ。
ある意味で、気まぐれなのである。
そして、こうして空をしっかり眺めていないと、気にもとめないだろう。
「天使のらくがき」を眺めて楽しめるのは、限られた人だけである。
そして、何よりも描いている飛行機に乗っている人には見られない。
この「らくがき」は、しばらくして消えしまう。
家に帰る頃には、殆ど消えて、新しいのも少なくなった。
今日は、天使とお話ができた気分であった。

2019年1月24日木曜日

合唱「涙そうそう」から

ラジオから、合唱で「涙そうそう」が流れてきた。
普段、夏川りみやビギンが歌うのを聴いても、思い出すことはあまりない。
しかし、合唱は悲しい記憶を甦らせてしまう。
それは、娘が小学6年生の時に、仲良くしていた友達が病気で亡くなったことである。
しばらくの闘病生活の後、あっけ亡くなくなってしまった。
その女子児童のために、小学校の卒業式で卒業生みんなで先生に頼んで歌ったのは「涙そうそう」だった。
私は運動会以外は、小学校にあまり行かなかった。
参加したご両親は遺影を抱きながら、じっと聴いておられた。
そして、その姿を見、歌を聴きながら涙がとめどなく流れ、写真に残すどころではなくなってしまった。
幼くして子供が亡くなることが、どんなに哀しいことかを知った。
そして、何よりも同じ子をもつ親として、子を亡くした親の気持ちが痛いほど伝わってきた。

ただ、子育てが終わり、娘も自立して生活している今は、娘に対しての思いは違ってきた。
過去の楽しかった思い出と、今の娘を結びつけてしまうのは、親の勝手な思い入れだと思うようになった。
自分もそうだったように、子供は成長して、別の人格を身につけていく。
親を頼り、一緒に過ごした子供とはもう違うのである。
過去の「子供」はもうそこにいない。
身体としては死んではいないけれど、人格は生まれ変わっているのである。
子供を亡くした親は、過去の体と心だけを思い出にして生きていかねばならない。
このことは、過去の子供の思い出に浸ってしまったとしたら、私たちのような子供が成長した親も同じである。
そう言いながら、時々子供の昔のビデオを私は観ているので、過去にすがって生きている部分もある。
そういう時には、自分が親から離れて自立していった時の気持ちを、あえて思い出そうと思っている。
子供を子供として失うのが早いかどうかはあるけれど、親も新しい人格を築かなくてはならないのかなと思っている。


2019年1月22日火曜日

教え子の書道展in岡山

かつて赤穂高校で担任したことのあるKさんから、大学の卒業書道展の案内があり、1月20日に家内と岡山まで出かけた。
因みに、Kさんの進学した大学は、家内の母校でもあった。
Kさんは私が担任していたクラスで副委員長もしっかりつとめてくれて、私にとってはありがたい存在だった。
高校時代は女子バレーボール部の主将もつとめて、体育会系の生徒と思っていたのだが、書道も幼い頃からやっていると改めて知った。
今まで書道というのはなじみが無いどころか、苦手なので避けてきていた。
私は小学生の頃に近所で一度習ったのだが、すぐにやめてしまった。
小さい頃から悪筆で、ワープロができてどんなに助かったか分からない。
ただ、ワープロができる前などは、筆ペンで日記などをつけていた。
筆の魅力は分かるのだが、人に見せられるまで、稽古しようとは思わなかった。

彼女の作品はどれも力作ですばらしく、こういう事ができる生徒だったのだと今更知った。
教育現場でもその力を発揮してほしかったと思った。
彼女は高校時代から教師になることが夢だった。
岡山の私立大学に通って、教師を目指していた。
今回会って話を聞いて、断念したのが教育実習によるものだと知った。
指導の難しい中学校で、困難な生徒指導の現実を突きつけられたようだ。
私は幸か不幸か、教育実習ではそういう洗礼を受けていなかった。
しかし、私は採用されてから思い知らされたのだが、知っていたら私もなっていなかったかも知れない。
私は教育現場の困難さをよく知っていたので、娘にも教師になることを勧めてはいなかった。
だから、かつての教え子が教師になることを諦めても、それで良いと思う。
特に彼女のように優しくてナイーブな気持ちを持っている人には、厳しい現場に思える。
彼女には今度勤めることになった市役所で、自分の力を存分に発揮してほしいと願っている。

その書道展の会場を出て、うどん屋で昼食を済ましてドライブがてら帰ることにした。
北回りで帰ろうと思い、岡山空港方面に進んだのだが、県道81号線に入り旭川の中流付近の県道461号矢原国ヶ原線に迷い込んでしまった。
川沿いに下るのだから行き止まりは無いと思って、進んでいったのが大きな間違いだった。
途中も道は狭くなり、対向車が来たら待避所避けなければならない道となった。
一番大変だったのは、ぽつんと離れた集落が川沿いにあって、その道が川沿いよりも狭かった。
脱輪する恐れもある道を、窓を開けて家内に左側も確認してもらいながら通らねばならなかった。
後ろにも車が同じように来ていたのだが、その車は私のFitよりも大きく通れたかどうか分からない、
どういうわけか、岡山方面の山沿いに来る時はこういう経験が多い。
まったく肝を冷やしたドライブとなってしまった。
ただ、通った集落は民俗学を専門にする私とって、村落調査してみたい所に思えた。

気楽に済ませるはずの書道展へのドライブが、スリリングなドライブになってしまった。
それでも、久しぶりに教え子に会えて嬉しかった。
卒業した生徒の情報も多く聞けた。
完全に退職していしまったら、卒業生と出会う機会も無くなってしまうのだなと思うと寂しくも思った。