ページビューの合計

2025年11月30日日曜日

幼かった娘の想い出と泳ぐ

 週に一度だけ、隣の市営プールに泳ぎに行っている。

ちょうどその時間帯では幼稚園児のスイミングスクールがあって、その様子を見ながら歩いたり泳いだりしているお父さんを見かける。

その若いお父さんは幼い娘を二人スクールに連れてきて、終わると連れて帰っているのだが、まだ娘達は自分で更衣できないので、お父さんが世話をしている。

私も小学校の低学年の頃の娘や息子をこのプールのスイミングスクールに土曜の午後に連れてきて、そのそばで泳いでいた。

その若いお父さんは娘二人のことが気になって、しょっちゅう娘の方に目をやって、時に手を振っている。

私の場合は自分の泳ぐ方に夢中になっていたのだが、子どもを指導してくれている若くて美しい女性コーチにも見とれてしまうことも多かった。


娘の方は後に地元のスイミングに移った後に選手にもなって、別のボランティアコーチが指導するスイミングチームに入って練習した。

その時は家から遠い温水プールで日曜日の午前に練習があったので、私もその横で水泳の練習をしていた。

たびたびあちらこちらで小さなレースがあったので、家内と一緒に娘を連れて行くことが多かった。

また、自分が顧問をしている水泳部の部員も参加する大会に娘も出たときには、部員と一緒に自家用車で引率することもあった。

残念ながら地元の上郡の中学校には水泳部も無く、娘は学校のクラブに入りたがって、陸上部に転向してしまったので、娘との水泳を通した関わりは終わってしまった。


今でも、自分が練習するときにスイミングスクールの小学生の子ども達が泳いでいると、目が行ってしまう。

特に娘似た子どもがいると、娘の幼い頃を思い出してしまう。

今はスイミングスクールでコースが塞がっていない午後二時半からの時間帯で泳ぐことが多い。

地元のプールは6コースしか無くて、スクールがあると泳ぐコースは1コースだけになってしまうからだ。

どうしても個人によって泳力が違うので、他のスイマーに気を遣ってしまうから、コースが空いている時間帯で自由に泳いでいたい。

午後3時からは1コースだけ園児のスクールがあって、そこで数人の練習しているのだが金曜日は一人もいない。

園児が練習しているのを時々眺めるのも楽しみではある。

ただ、この時間帯はお年寄りが多いので、冬場になって利用者が減ってしまい私ひとりで泳ぐこともある。

それでも防水イヤホーンで音楽を聞いて泳いでいるので、気が紛れて淋しさはあまり感じない。


4時なると選手以外の小学生のスクールが始まるので、一転して賑やかになる。

私は以前はそのスクールの生徒が来る前に泳ぎ終えて着替えて出てしまっていた。

この頃は、その賑やかな雰囲気を少しでも味わいたくて、15分ほどそばで泳いでいる。

長く泳いでいると1コースしか無いので他のスイマーが入ってくるので、早めに出なくてはいけない。

水泳は個人で練習することもできるが、やはり賑やかな雰囲気で泳いでいる方が楽しい。

かつてのマスターチームの仲間とは、レースに出なくなってから一緒に泳ぐことが無くなった。

そういう時に、自分の娘のそばで泳いでいた頃を思い出しながら、小学生の生徒のそばで泳ぐ楽しみを見いだすことができた。


2025年11月29日土曜日

消極対応という暴力

 以前紹介したアルバート・セント=ジェルジ著の『狂ったサル』國弘正雄訳 1985(1971)The Crazy Ape and what Next? サイマル出版の中の暴力に関する記述である。


暴力には、二種類の暴力があります。すなわち、能動的な暴力と受動的な暴力がそれです。能動的な暴力とは、窓や頭蓋骨を打ち砕く人びとの暴力を意味します。受動的な暴力とは、能動的な暴力以外のなにものにも屈しないと判断する人びとの暴力を意味します。こうした二種類の暴力は、密接に結びついています。能動的な暴力を誘発するのは、受動的な暴力にほかならないからです。[前掲書 57p~58p]


おそらく受動的というのはpassiveの訳だろうが、私は消極的と訳した方が分かりやすいと思う。

いくらデモをして訴えたり、署名活動や裁判を通してもその意見を聞かない権力者の行動。

それを訳者は受動的暴力と書いているのだが、受け身というより無視と捉えた方が分かりやすいと思う。

これはいじめにも言動を用いて相手を攻撃するやり方と、完全に無視をするやり方があるのと一緒だ。

ただ、ネグレクトは保護する義務がある者が、それを拒むことを言うので、ネグレクトとまでは言えないだろう。

統一教会の問題をあれだけ訴えても政策として取り上げないどころから、教会を宣伝して利用までしていた。

これもセント=ジェルジ博士に言わせれば立派な暴力なのだ。

結局その暴力が、能動的な暴力を招いてしまった。

つまり、統一教会への消極的な対応が、元首相への銃撃という暴力を誘発したと解釈できる。

もちろん、銃撃による暗殺という暴力は当然間違った行為なのは確かであり、法によって裁かれて当然だと思う。


この事件後に、旧統一教会に対して東京地検が解散命令を出して、今は東京高裁で審理が続けられている。

その旧統一教会の問題にきちっと対応せずに、逆に利用した側の「暴力」を問題にすべきだろうが、そこまでは踏み込むんでいない。

日本ではテロ行為や暴動など抗議活動はあまり行われない。

それは古来から権力者に対しては逃散という形で抵抗してきた歴史が続いているのかもしれない。

特に人口比では他国に勝る武官たる武士によって、力尽くで支配されていた土壌が残っているように思える。

教師不足の問題、少子化の問題、過労死・過労自殺の問題は、政府による「消極的対応という暴力」によって引き起こされたとも言える。

そんな日本にあって、銃撃テロを行った背景を根本的に考えねばならないと思う。






2025年11月28日金曜日

ほんの小さなパッキンの重大性

 二階のトイレとウォシュレットを自分で同じメーカーの新しい物と交換した。

一度自分で設置したから説明書も見なくでも、取り外した部品を見れば分かると髙を括っていた。

それが大きな間違いで、ウォシュレットへの接続部分から水漏れが留まらない。

大した量の水漏れではないので、防水テープを巻いたら止まるだろうと思って、ホームセンターで勧められた高いのを買って巻いた。

ところがやはり同じように少量の水漏れが続く。

もっと厳重に巻けば良いと思って、別のテープを巻いて結束バンドでも締め付けた。

それだけ厳重にしてもやっぱり水漏れは続く。


当面は水漏れには下に5リットルのポリ容器を置いて、注ぎ口に大きなロートを差して水を受けていた。

その5リットルの水の容器は一日でいっぱいになり、朝に用を足したときに貯水タンクに上から水を足していた。

その処置によって漏水で水道料金が跳ね上がることは無かったが、毎日続けなくてはいけないし、もし家を留守にしたら溢れてしまうことになる。

そこで、本格的な水漏れの対策道具を買って、時間が有るときに修理することにして置いた。


ある日、ポケットの中に小さなビニール袋に入ったパッキンが出てきた。

ウォシュレットを交換するときに、無造作にポケットに入れており、その時はいていたズボンをはくまで気がつかなかったのだ。

これで原因が判明したのだが、厳重に対策した結束バンドやテープを剥がすのをどうしたものかと思案していた。

そんな時に、部屋を片付けていたら、巻き爪を切る爪切りが出てきた。

これで結束バンドを切るのが簡単になった。


やっと一ヶ月後に、止水栓を止めて修理に取りかかったのだった。

結束バンドは簡単に切れたが、漏水対策のテープを剥がすのは至難の業だった。

ハサミで少しずつ切りながら、何とか力尽くで剥がすことができた。

ナットもかなりきつく閉めていたので、水道工事用のモンキーを回すのには骨が折れた。

そして、パッキンをはめて閉めると、見事水漏れは収まった。


ウォシュレット本体や、取り付け部品のと比べて、ちっぽけなパッキンを忘れたが故に、余分な出費と労力、時間を奪われてしまった。

そもそも、液体や気体を通す管を繋ぐにはパッキンが絶対必要だという基礎知識が無かったのだ。

初歩的な知識だが意外と知られていないらしく、弟に話したら同じような経験をしたらしきことを話していた。

世の中の多くの人は、ウォシュレットを自分で交換するような人はいないかもしれない。

綺麗なトイレなら業者に頼んだかもしれないが、二階のトイレはちゃんと掃除ができず、業者に見られるのも恥ずかしかったのだ。


まあ、この痛い経験によって、なんでも細部に気を配る必要があるということを学んだのは良かったとは思う。

実は少し前も、手回しの唐箕を組みたてていて、ちゃんとワッシャーを付けるのを忘れているのを組みたててから気がついた。

いまさら分解して付け直せなかったので、そのまま使って問題は現在のところ起こってはいない。

しかし、耐久性の問題や分解や修理の必要が出てきたときには困るかもしれない。

相棒の杉下右京のように「細かいことが気になる悪い癖」を持つことも大切なように思った。

そういえば日本の総理大臣も細かいことを気になされた方が良いように思える。



2025年11月26日水曜日

「狂ったサル」の自覚

 学生の頃から読もうと思いながら、ずっと読みそびれていた。

それが、アルバート・セント=ジェルジ著の『狂ったサル』國弘正雄訳 1985(1971)The Crazy Ape and what Next? サイマル出版であった。

このノーベル医学生理学賞受賞の生化学者アルバート・セント=ジェルジ博士に関しては訳者である國弘正雄がまえがきで詳しく述べてくれている。


セント=ジェルジ博士は研究活動だけに専念する科学者ではない。自分から政治に入っていったことはないが、政治の方が自分の人生に入りこんできたといわれる博士は、ファシズムに抗して地下抵抗運動に加わってヒットラーの秘密警察に追われ、解放後はソ連軍の残虐な行為をやめるようスターリンに直言して不興をこうむり、アメリカへの亡命にさいしては親ソ派とみられ、しばらくは入国を拒否されるなど、多事多難な生涯をおくってこられた。一たびはナチ滅亡後のハンガリーの大統領に推されたこともあった。

 しかも博士は一貫して平和主義の立場をとってこられた。第一次大戦時、イタリア戦線に従軍中、なんの恨みも怨念もない「敵兵」を殺戮することの没道義性と愚かしさに耐えきれずに、われとわが右腕を撃って処罰された。また負傷がなおってイタリア戦線に送られた時、イタリア人捕虜に危険な生体実験をせよという命令を拒否して、マラリアのはびこる北イタリアの沼地に追いやられるということもあった。[前掲書 3p]


セント=ジェルジ博士は単なる学者ではなくて、活動家でもあったことが分かる。

自ら戦争を体験してきた彼の言葉は半世紀経った現在にこそ、われわれの目を覚まさせる力を持っている。

彼はベトナム戦争を行っているアメリカを目の当たりにしながら軍隊に関して次のように述べている。


 なにをもって「軍隊」と呼ぶかの定義は、明確にはできません。軍隊とは、軍事産業と政府と組んだ一つの有機体です。また「産軍複合体」とは、それを支える国民の生き血を栄養とし、その労働の成果を生産的な活動から、非生産的な冒険へと転移させる、不即不離の結合体なのです。

 この肥大化は危険です。というのは、産軍複合体がある限度をこえると、文官政府の僕【しもべ】たることをやめ、その主人になってしまうからです。国の対外政策や資源の配分方法を指図し、国民所得の大きな部分を呑みこみ、さらにはより高次の努力をねじまげ、芸術、科学、人道的な組織を衰退させてしまいます[前掲書 32p]。


この巨大な産軍複合体と化したアメリカと平和憲法を超えた実践的な軍事同盟を結び、自ら産軍複合体の国家に戻ろうとしているのが高市総理の日本政府だろう。

やはり巨大な産軍複合体と化した中国を牽制した発言で、何とか親交を維持してきた関係をこじらせてしまったわけだ。

特に打撃を被ったのは観光や芸術・科学分野の交流であり、それが組織の衰退を招こうとしている。


博士は当時の米ソ対立の中で平和に関する鋭い洞察を述べている。


実はといえば、この二大超大国の軍隊こそ、こよなき同盟者なのです。ソ連の軍隊がなければ、アメリカの軍隊も不要ですし、アメリカの軍隊がなければ、ソ連の軍隊も不要です。しかもそうなれば、現在は国防総省に向けられている両国市民の汗の結晶は、もう流れてこなくなります。そこで、両国の巨大な軍隊は力をあわせ、お互いへの敵意と恐怖とがなくならないようにしむけ、平和の「勃発」を防いでいるのです[前掲書 34p~35p]。


これは現在の米中関係にも当てはまることだろう。

今アメリカが一番懼れているのは、日中・日朝関係が良くなってアジアに平和が訪れて、アメリカの軍隊を必要としないことだ。

しかし、既に中国自体がアメリカの脅威が無ければ軍隊を維持できない国家になってしまっているので、アメリカの懼れる平和の「勃発」は当面なさそうだ。

中国が懼れているのは、せっかくアメリカの縛りによって日本が巨大な産軍複合体に戻ることを阻止できていたのに、台湾問題を理由としてその縛りを無くそうとしていることだ。

高市総理は明らかに日本の産軍複合体を復活させようとしているのだから、中国と冷戦関係になるのは都合が良いから国会発言は怪我の功名というところだろう。

アメリカは日本の核兵器開発さえさせなければ、自民党の傀儡政権を温存させて日本を自由に操れると思っているだろう。

特に高市総理は原子力空母の上で浮かれて手を振りながらクルリしているくらいだから、チョロい者だと思われているのかもしれない。

日本はアジア太平洋戦争で戦争の愚かさを学んで、世界で初めて「狂ったサル」から正気になりかけたのだが、また完全に戻ろうとしている。

今、狂っているのは日本なのか?アメリカなのか?中国なのか?台湾なのか?ロシアなのか?ウクライナなのか?

セント=ジェルジ博士の言うとおり人類なのか?




2025年11月25日火曜日

部活動の民間移行と残業手当

 教師は基本給の4%を教職調整額としてもらって、残業代は出なかった。

これがいわゆる「定額働かせ放題」と言われ続けている原因で、今のサブスクブームを先取りしていた。

私がかつて教師の時に勤務時間外で最も多く費やしたのは、クラブ活動であった。

ただ、幸いなことに自分がやりたい水泳部の顧問をやらせて貰っていた時は、それほど負担には感じなかった。

そばで見ていて負担に見えたのは、やはり教師が経験したことの無いスポーツや音楽に関する顧問を任されているときだった。

特に野球部は正月以外は年中無休という感じだったので、経験者以外にはなり手が無いのだが、顧問の人数が必要で未経験者もならされていた。

特にいきなり臨時常勤講師が顧問をやらされて、本人も嫌がってサボるし、他の顧問もそれを怒っていたケースもあった。


実は水泳に関しては、スイミングスクールに依存している学校が多い。

温水プールなどないので、冬場に練習できないと全国レベルどころか県大会レベルの選手を育てることはできない。

だから冬場はスイミングに通っていない部員は温水プールに引率したりしていた。

兵庫県で学校だけで練習していたのは、当時は市川高校ぐらいだった。

最近はサッカーもプロサッカーチームの下部組織の所属選手が活躍している。

野球に関しては相変わらず学校に依存している場合が多いが、小学校中学校では学校以外の野球チームで育った人もいる。

私は以前に中国の北京に修学旅行で生徒の引率を行なって、地元の高校と交流を持って驚いたことがある。

中国ではスポーツ選手を育てるのは学校が担っていなかった。

だから、卓球などもその高校では遊び程度のレベルの生徒しかいなかった。


実は私は中学高校と私立であって、そこで中学部では剣道部に入っていたが、部活動には殆ど教師は顔を出さなかった。

当時は部活動どころか地方大会でも顧問は引率してきていなかった。

部活動は週に三日以内と規定があったが、早朝に来て勝手に個人で練習するクラブもあった。

それでも夏休みは校内合宿を顧問なしで行っていたりした。

よく練習に指導できてくれていたのは、商店街の店主だった。

サッカーは強かったので顧問も力を入れていたようだが、全国に出場していたテニス部も大して顧問は練習に関わっていなかったように思う。

陸上に関しても全国大会に出たり、県大会で入賞する選手がいたが、まともに指導できる顧問がいなくて、他の公立高校へ行って練習したりしたようだ。

野球に関してはマスコミに取り上げられるせいもあって、顧問はそこそこ練習でも指導していたように思う。


私が中学高校の時代は50年ほど前は、顧問がそれほど指導しなくても部活動は成り立っていたし全国大会にも出場できていた。

それが私が教師に採用される頃は、部活動の経験が無かったり、指導ができないと公立校の教師には採用されないという風に言われていた。

当時は学校が荒れており、部活動を通して生徒指導、生活指導をしていくことが一番効果的に思えたからだと思う。

実際に、高校の野球部の顧問は練習を毎日していないと、問題行動を起こすからしていると言っている人もいた。

公立高校では学校行事や生徒会活動では部活動を行っている部員が中心となって働いてくれていたので欠かせない人材だった。

生徒会自体も部活動と同じ雰囲気であったところもある。

そして、その部活動が教師の大きな重荷となっていた。

結局学校の放課後の時間を会議や事務以外にも部活動に時間をとられて、教材研究などを学校で時間外におこなったり、自宅に持って帰ってすることになるからだ。


サッカーにしても水泳にしても一流選手は校外で育てられることが多くなった。

それでも相変わらず学校に依存しているのが高校野球である。

野球部を維持するのは人材においても、生徒会予算に関しても非常に負担を強いられる。

しかし、新聞などのマスコミは地方大会レベルから選手の名前や様子を記事にしてくれる。

学校の良い宣伝になるし、選手の励みになって部員になる希望者も増える。

高校野球での最高の舞台の甲子園出場は学校に大きな名誉と人気をもたらせてくれる。

そしてそれがその高校の就職や進学に役に立ているということで、特に高校で部活動を盛んにしているのだろうと思う。

実際に大谷翔平選手や山も由伸選手は高校までは民間のクラブチームで育てられて、高校から学校で指導を受けている。


部活動が現在において学校において重要で有り、民間移行できないのであれば、その負担によって生じる時間外勤務に対して正当な残業代を支払うべきだろう。

あたかも朝早く来て時間外の仕事をすることを自慢げに語る教師もいるが、それはそれが無理な教師に対する当てつけ行為になってしまう。

ちゃんと時間外手当をもらっていれば、当てつけ行為には受け取られないだろう。

進学校ではスポーツ以外で進学実績が確立されているので、かつて顧問の負担はあまりなかったがそれが大変な事故にも繋がった。

文武両道とうたう進学校も多いと思うので、やはり進学校でも残業代の適用が必要だろう。

これからは「定額働かせ放題」の仕組みを手当率の引き上げのように改悪するのでは無く、民間移行にするか、きちっとした残業代を支払う仕組みにするべきだと思う。

このままではますます教師のなり手がいなくなる。




2025年11月23日日曜日

イナゴ美味し彼の道

 童謡「ふるさと」の「ウサギ追いしかの山」を、「ウサギ美味し」と勘違いするドラマのシーンがあったが、実際に昔はウサギは大切な食糧だった。

江戸時代は山にいるウサギを鳥と見立てて普通に食べていたようだが、野生のウサギを私は山で見かけた経験はない。

私の父は子どもの頃に飼っていたと言い、太平洋戦争の時には非常に重要な食糧になったようだ。

私もウサギを飼ったことはあるが、ペットとして飼っていたのであって、食用として飼ったのではなかった。

近年、鶏を飼いたくても鳥インフルエンザが恐くて飼えないので、ウサギを食用に買おうかとも思ったが、ペットショップのウサギは高価で食用にするにはもったいないと思った。

私の家の周りにはウサギはいないけれど、ヌートリアなら嫌というほどいる。

食用にもなるようで、近所のきれいな川で育ったのなら食べられそうだが、食べる気はしない。

うちの猟犬クロは挑むのだが、一度も捕らえたことはなく、逆襲さえ受けている。

ヌートリアは厚い毛皮で覆われている上、前歯は鋭くうかつに近づと噛まれて血をみてしまう。


そういう哺乳類は無理なのだが、昆虫のイナゴはクロにとって大切な食糧となっていた(うちのクロは立派な猟犬?)。

例年ならもっと秋口にはイナゴが大量に発生して、草に覆われた農道で跳ね回っているのをクロは必死で捕らえて食べていた。

また、寒くなってくるとイナゴはだんだん動けなくなって草の中に潜っていた。

それをクロは嗅ぎつけて何匹も見つけて食べていたので、害虫退治になると思ってやらせていた。

というのも、私が作っている畑の隣は補助金目当てで大豆を作っているので、草まみれになってイナゴが大量に発生していた。

そして、私の畑の作物を食い荒らしていたのだ。


ところが、今年は道にも畑にも殆ど見かけない。

畑にとってはありがたいのだが、クロにとっては大切な食糧を失ったことになる。

原因はこの夏の酷暑にあるのかもしれないが、ドローンやラジコンヘリによる農薬の空中散布も疑われる。

うちの畑の近くの田んぼもドローによる空中散布が行われていたし、とにかく農薬の空中散布が当たり前になってしまったのだ。

イナゴは農家にとっては害虫ではあるが、里の動物にとっては大切な食糧にもなっている。

地方によってはイナゴは人も食べているのだから、それがいなくなるとその食文化も失われるだろう。

ふるさとはウサギを失い、そしてイナゴまで失うことになりそうだ。


2025年11月21日金曜日

愛藍服

 今朝は寒かったので厚手のジージャンを着たら懐かしい匂いがしてきた。

それは藍の匂いで、私は剣道との関わりがそこそこ長かったので、稽古着、面手ぬぐいや防具の匂いと一緒なのだ。

懐かしいと言っても、剣道に楽しい想い出など無いのだが、考えてみれば剣道以外にもジーンズは古くから関わっていた。

だけど、ジーンズの匂いはあまり気にしたことが無く、ジージャンは袖を通すことによって匂いが身近になって気になりだしたのだ。


ジーンズは高校生時代から愛用しており、大学時代はジーンズ以外のズボンは高校時代の制服と教育実習に使った夏物スーツくらいだった。

だから、私の大学の卒業写真は夏物スーツは使えなかったので、ガウンの下はジーンズと革ジャンだった。

大学時代のジーンズは安売りのLeeを見つけて買って、サイズはかなりでかかったがそれを履き続けていた。

そのジーンズは20年ほど履き続けて色々と破れてきたのを家内に繕って貰ったが、ついに限界が来て捨てざるを得なかった。

今もジーンズは何本か持っているが、履く機会も減ったせいかどれも20年ほど経っても破れていない。

ただ、近年はアウトレットで1000円ほどの安いのを見つけて、作業着として使い続けている。

アウトレットのジーンズはワークマン等の作業着よりもよほど安い上に、耐久性とファッション性に優れているのだ。


ジージャンは着るのにずっと抵抗を感じていて、最近まで着ることは無かった。

何となく粋がった兄ちゃんというイメージを持っていたからだ。

この歳になると着る服を工夫するのも億劫になってきたので、ジージャンなら若く見えてごまかせると思って買って着ることにした。

それにジャケットもデニム生地の物を買って高校の非常勤講師での仕事着にした。

藍染めのデニムは着れば着るほど風合いも出るし、流向に左右されずに済む。

ジージャンの方はアウトレットでも高いのでなかなか見つけられなかったが、サイズの大きいのや背中にダサい文字が入っているのが安かったので散歩や作業用に買った。

他にもワークシャツやカッターも藍染めのデニムを愛用している。


デニムでは無いのだが、授業で使う白衣を藍色に染めたことがある。

白衣は普通は理科の教師が使う物だが、私は下に何を着てもごまかせるのと、チョークの粉で汚れるので夏場以外は白衣を着ていた。

ところが、白衣は襟元も汗で汚れてくる。

だんだんと汚れが取れなくなったので、家内に頼んで藍色に染めて貰った。

職人がやるようにきれいに染まらなくてまだら模様になってしまった。

ところが、それが良い模様になって皆から好評を得たのだ。


剣道から始まりジーンズ、ジージャン等々と藍とは長い付き合いだ。

匂いはどちらかというとあまり良くないのだが、それも自分を守ってくれていると思えるし、何よりもカビ対策でもあるように思う。

実際に毒蛇から守ってくれるかどうかは分からないが、薄っぺらい化繊の服を着るより信頼できるだろう。

剣道の稽古着も化繊に替わっていったが、色は藍色を踏襲しているようだ。

私は大学時代に高校時代に体育の授業のために買った白の柔道着の上を剣道で使ったら、カビがいってしまってみっともなくなってしまった経験もある。

女性の剣士が白を着ているのはこまめに洗っているから良いのだろう。

今の剣道部の男子は毎回稽古着を洗っているようだが、私らの頃は滅多に洗わなかった。

藍の匂いはその汗の臭いを誤魔化すのにも適していたのだと思う。

加齢臭も気になる歳になったので、私には藍が適しているように思える。