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2025年11月29日土曜日

消極対応という暴力

 以前紹介したアルバート・セント=ジェルジ著の『狂ったサル』國弘正雄訳 1985(1971)The Crazy Ape and what Next? サイマル出版の中の暴力に関する記述である。


暴力には、二種類の暴力があります。すなわち、能動的な暴力と受動的な暴力がそれです。能動的な暴力とは、窓や頭蓋骨を打ち砕く人びとの暴力を意味します。受動的な暴力とは、能動的な暴力以外のなにものにも屈しないと判断する人びとの暴力を意味します。こうした二種類の暴力は、密接に結びついています。能動的な暴力を誘発するのは、受動的な暴力にほかならないからです。[前掲書 57p~58p]


おそらく受動的というのはpassiveの訳だろうが、私は消極的と訳した方が分かりやすいと思う。

いくらデモをして訴えたり、署名活動や裁判を通してもその意見を聞かない権力者の行動。

それを訳者は受動的暴力と書いているのだが、受け身というより無視と捉えた方が分かりやすいと思う。

これはいじめにも言動を用いて相手を攻撃するやり方と、完全に無視をするやり方があるのと一緒だ。

ただ、ネグレクトは保護する義務がある者が、それを拒むことを言うので、ネグレクトとまでは言えないだろう。

統一教会の問題をあれだけ訴えても政策として取り上げないどころから、教会を宣伝して利用までしていた。

これもセント=ジェルジ博士に言わせれば立派な暴力なのだ。

結局その暴力が、能動的な暴力を招いてしまった。

つまり、統一教会への消極的な対応が、元首相への銃撃という暴力を誘発したと解釈できる。

もちろん、銃撃による暗殺という暴力は当然間違った行為なのは確かであり、法によって裁かれて当然だと思う。


この事件後に、旧統一教会に対して東京地検が解散命令を出して、今は東京高裁で審理が続けられている。

その旧統一教会の問題にきちっと対応せずに、逆に利用した側の「暴力」を問題にすべきだろうが、そこまでは踏み込むんでいない。

日本ではテロ行為や暴動など抗議活動はあまり行われない。

それは古来から権力者に対しては逃散という形で抵抗してきた歴史が続いているのかもしれない。

特に人口比では他国に勝る武官たる武士によって、力尽くで支配されていた土壌が残っているように思える。

教師不足の問題、少子化の問題、過労死・過労自殺の問題は、政府による「消極的対応という暴力」によって引き起こされたとも言える。

そんな日本にあって、銃撃テロを行った背景を根本的に考えねばならないと思う。






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