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2025年9月24日水曜日

矮性ソルガム(タカキビ)に託する希望

 去年までは2mほどまで高くなるソルガム(タカキビ、コーリャン)を栽培していた。

栽培し始めてまだ三年目だが、初年度は風で倒れたりしながらも、何とか収穫できてご飯に混ぜて食べきった。

二年目は途中で鳥に食べられたり、高温障害で実がならなくて、殆ど食べられなかった。

今年から矮性の種に換えて栽培して、やっと収穫しながら食べ始めた。

ソルガム一斉には熟さないので、順次採り入れて乾燥させながら食べていく。

矮性に変えたのは何よりも、背の高いソルガムは風に弱いので、しっかり土寄せなどをしたりする必要がある。

それに対して、矮性は風に強くて土寄せもせずに済んでいる。

一部は苗を作ってから移植したが、買った種も多くあったので適当に空いた畦付近に撒いておくとちゃんと生長してくれた。

本来は間引きする必要があるのだが、それも面倒だったので放って置いたが、問題なく大きくなった。

今年は異常に雨が少なくて水やりが欠かせなかったが、オクラやサツマイモなどに比べて大して水はやらなかったがしっかりと実ってくれた。


一番助かったのは、鳥除けが簡単だったことだ。

去年は鳥が多く寄ってきてついばむので、鳥除けの黒いテグスを張り巡らした。

畑の隅々に竹の竿を立てて、脚立に上って作業するのは大変な仕事になった。

そして、そのテグスは直ぐに切れて垂れ下がり、草刈り機の刃に絡みついて回らなくなってしまったこともあった。

鳥除けにはそれなりに効果はあったが、その弊害も大きかったので今年はやらなかった。

何よりもこの矮性ソルガムは穂の高さが1m50cm程なので、寒冷紗を上に覆うだけで穂を包み込むことができた。

支え木も立てずに、直接穂の茎にクリップで寒冷紗を固定するだけで済んでいる。


収穫も穂が低い位置なので簡単で、実もしっかり付いているものが多い。

やはり高温障害のせいか、全く身が入っていないものもあるが、以前の高い丈のソルガムより実の数は多いと思う。

むしろ、手間なのは脱穀で以前の物は手でしごいただけで簡単に実は落ちた。

しかし、たわわに実った穂から実は簡単に落ちない。

そして、籾すりのつもりで精米機にかけたら、粉になってしまうものも有った。

高い丈のソルガムではそういうことは無かった。


そこで足踏み脱穀機を使って脱穀したが、少し殻ごと固まりもできたので精米機で脱穀した。

まだ、収穫していないものが多く残っているのに、三リットルほどの収穫があった。

粉はニョッキに混ぜて食べたし、実も雑穀米に混ぜて普通に食べられた。

今後は粉にしてまさしくキビ団子を作ったりしても美味しく食べられそうだ。

何よりも芋類に比べて保存が楽で嵩張らない優れものだ。


原産国のアフリカでは色んな食べ方がなされているようだし、栄養価も高い。

あまり知られていないようだが、グレイン・ソルガムはアメリカなどで多く栽培されて家畜の飼料としてとか、製粉されて輸出、エタノールへの加工がなされているようだ。

日本では緑肥として利用が多いようだが、長野県を中心として食材としての利用が促進されている。

高温や乾燥、病気、虫害に強いソルガムこそ、これからは日本でもっと栽培して利用するべきだと思う。

稲と違って手作業で簡単にできて、農薬を全く使わなくても栽培できてるので、家庭菜園でも簡単にできる。

矮性のソルガムには今回は肥料も入れていないが、今後は有機肥料や有機石灰は今後施した方が良さそうだ。

矮性ソルガムは背が低いの他の作物の生長を阻害しないどころか、今年のような日照りが続くときには強い日差しから守ってくれたりする。

来年は日照りに弱い作物の間に植えてみようと思っている。

他にもエタノールとしてや茎や葉を乾燥させて燃料としてバイオエネルギーにもなる。

グルテンフリーだし、ポリフェノールや食物繊維が多いので健康にも優れた効果があるという。

こねると粘りが出てくるので、ひき肉に混ぜて使うこともなされているようだ。

かつては日本でも良く食されていたのが、米一辺倒になってしまって価値を失ってしまった。

しかし、温暖化が加速して破滅的な気候となっていく将来には欠かせない作物になると思われる。

私は夏場ではこの矮性ソルガムとサツマイモを食糧確保のための主力にしたいと思っている。


2025年9月22日月曜日

食っちゃ踊り、食っちゃ踊り

 食っちゃ寝、食っちゃ寝は昔の正月の過ごし方で、普段やると肥満の原因となる。

それがアフリカ狩猟採集民のサン(ブッシュマン)は食物が豊富なときは食っちゃ踊り、食っちゃ踊りを繰り返していたと文化人類学者の田中二郎氏は報告している。*1

氏の報告によると、サンはそれほど食物獲得に時間を費やさず、休息や余暇に時間をあてているという。

娯楽として大切なのはおしゃべりとダンスだが、ダンスは数少ない宗教的儀式にもなっていて重要なのだそうだ。

さすがに食糧が乏しい次期は踊ることはあまりなされないようだが、大きな獲物を手に入れるとそれが尽きるまで食べては踊りを繰り返す。

まるで、お腹をすかすために踊っているのかのようだ。


日本の盆踊りは新暦の8月(月遅れ)で行うのが普通になているが、あまりご馳走とは結びついていない。

ご馳走が出るのは秋祭りである。

米の収穫と関わっているようだが、私の育った赤穂ではつなし(コノシロ)寿司と甘酒を必ず作って飲んだり食べたりした。

獅子舞は別として、一般の人は踊りとは無関係だった。

食事と踊りが関係していたのは、奄美の与路島での祝賀会で最後に参加者が六調をおどることがあった。

沖縄でも結婚式の最後にカチャーシーを踊るのが有名だが、本土では宴会の終わりには肩を組んだりして唄うのが精一杯だろう。


実は、私は大学院を修了して養護学校(特別支援学校)教員になったとき、一番苦手だったのがダンスだった。

児童生徒はダンスが大好きなので、集会や体育の時間などで必ずダンスやリトミックを行う。

最初に覚えなくてはならなかったのが「アブラハムの子」のダンスだった。

最後にお尻を振るのだが、平気で振れるようになるには時間が必要だった。

職員はリズム研修として、定期的にダンスなどの練習をさせられるのだが、恥じらいながらしっかりやらないので、年下の女性教師から叱られたりした。

ただ、そういうダンスは苦手でも歌は得意だったので、踊る児童生徒に励まされながら楽しく唄うことができた。

それでも、10年以上特別支援学校に勤めたので、児童生徒と踊るのになんら恥じらいのは無い爺さんになった。


障害のあるなし、言葉の壁を越えて一緒に楽しめるのが踊り・ダンスだ。

最近は夏の夜は花火大会でお金を払った席で楽しむのが主流になってはいる。

その一方で東北の七夕に関する祭りや郡上八幡の徹夜踊り、四国の阿波踊り、よさこい踊りなど、伝統を引き継ぐ催しも健在だ。

私が学生の頃に良く通った奄美では旧暦八月の踊りが楽しくて一緒に踊った。

八月踊りは本来なら唄いながら踊らねばならないが、シマ口(方言)の唄は私には唄えなかった。

勤務していた高校の文化祭で一番人気があったのがクラスや仲間の創作ダンスだった。

私が歌うバンド演奏でB’zの曲をやったら、生徒は踊って盛り上がってもくれた。

一般の学校でも踊りはみんなを結びつける大切なものだった。

今の子どもに人気あるのはヒップホップなどのリズミカルなものだが、これはアフリカの狩猟採集民の踊りにも通じるものだと思う。

色んな人が色んな障害や壁、世代を乗り越えて、自分なりの好きな踊りを楽しめたらどんなに良いだろうかと思う。

大々的な七夕踊りや盆踊りなどでなくて良いから、以前の奄美のシマのように8月は毎晩のように庭先や道ばたで気楽に楽しめる踊り文化があちこちでできれば楽しいと思う。

博覧会や有名な神社仏閣、観光スポットがないところでも、手作りの踊りで日本内外からのお客さんを迎えられる村や町がいくつもあって良いと思う。



*1 田1990『ブッシュマン―生態人類学的研究 新装版』 思索社

2025年9月20日土曜日

様々なセイフティーネット

 セイフティーネットは救済策を網の目のように張ることをいうそうだが、私にはサーカスや建築現場などの安全ネットをイメージする。

実は私は両親のセイフティーネット=安全ネットに助けられた人間だからだ。

修士論文が上手く完成できなかった上に、伴侶との生活も破綻してしまい、できれば交通事故などで不意に死ねたら良いと思った時があった。

そんな私が救われたのは、母親にかけたコレクトコールだった。

後で母親に聞くと1ヶ月に4万円ほどにもなったという。

母親は自殺することを怖れて、お金には拘らなかったようだ。

そして、私は博士への進学に見切りを付けて、両親を頼って実家に戻った。


最近では、娘が離婚を機に子どもを連れて、実家に戻ってくるケースを良く耳にする。

万一、私の娘もそういうことになったら、絶対戻ってくることを拒むことは無いだろう。

そうなるまでの娘や息子は両親のことなど気にかけずに、自由に好きなことをやっているのが普通だ。

自分も実際そうだったのだから、若いときは親の事を気にかける余裕も無いのが当たり前かもしれない。

一方、親の方は便りが無いのは良い便りだと、子どもを思いながらも夫婦を中心とした生活を続ける。

ただ、最近は熟年離婚も増えてきているようで、子育てを手伝える母親は良いのだが、家事のできない父親は孤立したり、実家の年老いた母親と暮らしているようだ。


私は教師をしている時代にアメリカからのALT(外国語指導助手)と親しくなって、両親との関係を聞く機会が多かった。

たまたまかもしれないが、両親が離婚している場合が殆どで、父親との関係は希薄だった。

母親も新しい夫とそれなりの家庭を築いているので、親しくするかどうかは本人次第だった。

子どもは成長したら両親から完全に独立するのが当たり前で、失敗して頼っていく相手ではないように思えた。

日本でもそういう時代になってきているように思う。


親だけがセイフティーネットになるわけではない。

どん底の私を救ってくれたのは、確かに母親だったが、父親は冷淡に感じた。

親とてもみんなが子どもを手放しに許容できるわけではない。

実は遠くに居る母親以上に、私のことをそばで気遣ってくれた人が多くいた。

そのひとりは新たに始めたアルバイトの事務所に居た30代半ばの女性だった。

その方は離婚の経験があって一人で子育てをしている人だった。

私の身の上話を聞いてくれて、気遣って電話をくれたりもした。

離婚の辛さを経験している人の言葉は、誰よりも私の慰めとなった。

その職場には釣りに誘ってくれて、辛い休日の気を紛らせてくれた人もいた。

大学院の先輩も色々と気遣ってくれて、言葉をかけてくれた。

ある先輩はご自分の恋人との失恋話をしてくれて、結婚式もあげてなかった私たち夫婦は恋人同士と変わらないと言ってくれた。

夫婦関係を続けられなかったいう自信喪失した心に励ましとなった。

同じ奄美研究をしていた他の大学院の女性の先輩も食事に誘ってくれて慰めてくれた。

親のように金銭的には支援しては貰えないが、言葉をかけてくれたり一緒に過ごしてくれる人がいると本当に救われる。

コンクリートジャングルと言われる大都会だからこそ、支え合うことの大切さをみんな知っていたのだと思う。


今住んでいる村でも、最近夫婦でふたり暮らしていた人が、夫を亡くしてしまった。

その一人暮らしになった人の子どもやメイなども葬式直後はずいぶんと気遣っていた。

そして、そういう人がいなくなった後に、気遣ってくれていたのは同じ村の同世代の女性だった。

色んな人が何かと家に行っている姿を見かけた。

小さな村ならではの心遣いだった。

過疎化が進んで一人暮らしが増えている中で必要なのは、まさしく遠くの親戚より近くの他人だと思った。


これからの時代は、所属する団体や地縁血縁だけでなく、ネットを通した心の支え合いが可能だろう。

ただ、気をつけなければならないのはチャットGPTなどに相談して自殺してしまった例があるように、現実と非現実の区別ができなくなった時代に生きていることだ。

容易にアクセスできるネットに依存してしまう危険性もしっかり知っておくべきだろう。

ジェラルド・ブロネール 2023 『認知アポカリプス―文明崩壊の社会学』みすず書房ではそのことを詳細に述べてくれている。

そこではソーシャルネットワークへの依存はアルコール依存と変わらないことも述べられている。

未成年に対して規制をかけようというのもそういう理由からだろう。

特に経験の乏しい人に対するセイフティーネットワークは生身の人間があたるべきだと思う。










2025年9月18日木曜日

銃撃テロと武装市民

 政治活動家のチャーリー・カーク氏が暗殺されるという、またしてもアメリカで銃によるテロが発生した。

確かに銃の規制がしっかりと行われていたら、この事件は起きなかったかもしれない。

ただ、安倍元首相の銃撃に用いられたのは手製銃だったことを考えると、高性能の銃を用いずとも暗殺は可能であることが分かる。

けれども、トランプ大統領は銃で狙撃されたのが昨年の7月14日で、そのトランプ政権の立役者とされたチャーリー・カーク氏が先日9月10日暗殺された自体は銃社会を象徴している。

そこで、私は小熊英二『市民と武装-アメリカ合衆国における戦争と銃規制』慶應義塾大学出版会(2004)を読んでみた。

これは 一九九二年一〇月一七日、アメリカ合衆国ルイジアナ州の町バトンルージュで起きた日本人留学生が銃によって殺される事件をきっかけとして書かれたものだ。

この書を読んで再認識されたのは、「市民革命」の意味である。


王権を倒したフランス革命の手本となったアメリカ独立革命とは何だったのかと言うことが市民武装の視点から捉えられている。

それまでの王政による武力の貴族や騎士の独占は市民を一方的に支配できた一方で、傭兵を用いた戦争では大した殺戮を伴わないものだったという。

アメリカ独立戦争では市民が武装化することにより、戦争はルール無き殲滅戦となり、それまでの戦争のやり方のイギリス軍は容易く敗れたという。

これは幕末の第二次長州征伐で、多勢の幕府軍が少数の長州軍に簡単に敗れたのに似ている。

アメリカ市民は開拓を通して、野生動物との闘いや先住民との戦いで、ライフル銃を子どもの頃から使いこなしていた。

射程が長く正確なライフル銃では散兵戦を可能にして、隊列によって進撃する兵士を簡単に倒し、それまで禁じ手であった将校の狙撃を可能にしたという。

このあたり、未熟な兵士に突撃を繰り返させて玉砕した旧日本軍を思い出させるが、要するに王政の元で武装できてなかった市民は実戦であまり役に立たない。

傭兵も命がけで戦うと割に合わないので直ぐに逃亡するという。

市民革命は王政を廃止したり、王国から独立することを引き換えに市民自ら武装化することだった。

かつてバーバート・ノーマンが、市民革命を経ていない日本兵を奴隷兵士のように捉えたのはそういう背景があったからだった。


しかし、小熊氏のような歴史家は普通に市民という言葉を使うが、侵略された先住民からすれば侵略者に過ぎない。

その侵略者の後継者が独立した国家を築き、先住民から掠奪した領域の権利を正当化したのが市民なのだ。

これは、日本でも北海道で先住民のアイヌから土地を奪って生活している市民と変わりは無い。

ただ、北海道では当初は武装した屯田兵が重要だったが、アイヌは銃による武装化をしなかったし、北海道は独立しなかったので武装市民は誕生しなかった。

一方、明治維新の立役者となった島津藩は、関ヶ原の戦いに敗れて以降も臨戦態勢を維持しており、郷士は農耕をしながらの武装民であった。

人口の4分の1が武士であり、下人や隷属民を従えていたことは、身分制度を別にすればアメリカに類似していると考えられる。

アメリカでも市民は平等だったが、先住民や黒人に対しては厳しい差別を行っていたのだから、本当の民主主義とは言えなかった。

アメリカでは武装市民と島津領の郷士と比較するとどうだろうか?

因みに郷士制度は「百姓や町人や浦人【うらにん】(漁師)を、ビクともさせぬくらいに押さえつけて支配する。しかしいったん戦争でも始まれば、ただちにそのまま軍団を形成して、地頭の指揮の下で動き出すという仕組みである[原口虎雄1966:15-16]*1」

百姓、町人、浦人を先住民や黒人と見なせば、そう違いが無いように思える。

また、植民地化した奄美では現地の有力者を郷士にして多くの家人(身売者とその子ども)を支配したが、武装化がなされていたようだ。

郷士はアメリカの武装市民と類似していることが分かる。

また、戦前満州においては義勇隊のような武装集団もあったようだが、開拓団はソ連侵攻では関東軍に見捨てられ崩壊してしまった。

既に銃の武装だけでは正規軍の前には、かつてのアメリカのように開拓という名の侵略はなしえない時代になっていただけなのだ。


遙か昔に移動してきた弥生系の流れを汲む今の日本人には、縄文系先住民との戦いは忘れ去られた過去である。

あたかも自分たちの祖先であるかのように縄文人に関心を持つが、アイヌや琉球は別としてゲノム解析から我々の中にある遺伝子にはそれほど含まれていないことが分かっている。

また、古代の大和朝廷おいては蝦夷や熊襲との戦いという形で、地域独自に根付いた集団との争いの記録は残っている。

しかし、中国文明の影響のもとで武力を制する貴族が誕生して中央集権国家が誕生したが、やがて武力を背景とする武士(武装貴族*2)の誕生によって地方分権型国家になる。

戦国時代にはかなり武装化が一般に進んで、他国よりも人口比率の多い武士の力を背景に、秀吉の刀狩り(銃保持制限)を通して武装市民は生まれなかった。

秀吉以降は朝鮮侵略の失敗に懲りて、明治の欧米化するまで他国へ侵略することを諦めていたこともその背景にあるだろう。

それが日清戦争と日露戦争の勝利で味を占めて、徴兵制による市民の戦争参加がなされ中国に勢力を伸ばしたが、侵略の本家本元のアメリカには勝てなかった。

そして、アメリカのような武装市民に育たなかったばかりか、軍隊さえも戦争放棄させられた。

しかし、侵略された側にすれば、侵略者が更生したとも言えるのだ。

我々日本人は、武装市民国家アメリカをしっかりと理解しなくてはいけないと思う。

アメリカが特権貴族に対抗した武装市民の流れを汲むのなら、独裁的になった特権資産家やそれに結びついた活動家に対して従順であり続けられるのだろうか?

今回のテロに関してはそれを考えずにはいられない。

また、外国のいくつかの国では規制をしながらも、個人の防衛目的の銃の保持が認められていることも知っておくべきだろう。

ウィキペディアの「各国における銃規制」によれば、日本のように個人防衛目的の銃保持が認められてないのは近隣では中国、南北朝鮮、ベトナムだけだ。

興味あることに、これらの国は儒教と歴史的に関わりを持っている。

一方で、日本人が殺人を依頼するフィリピンは自由度が高いのだが、アメリカの植民地が長かったはことと関連があるかもしれない。


*1 原口虎雄 1966 『幕末の薩摩-悲劇の改革者、調所笑左衛門-』中央公論社

*2   S・アンジェイエフスキー 2004 『軍事組織と社会』新曜社


2025年9月16日火曜日

神居る千種・水くみ2025年9月

 昨日(9/15 敬老の日)にやっと千種川の源流となる宍粟郡千種町に家内と水くみに行くことができた。

春に汲んで置いた水はとっくに無くなっていた。

軽トラの荷台に10リットル20個と18リットル6個のポリタンクを積んで、行者霊水と言われる水くみ場でいつも水を汲んでいる。

前回は故障していて汲めなかったので、名水こうち広場で汲んできた。

それ以来、大切に水を使っていたが、7月までには無くなってしまった。

そこで、汲みに行こうとしたのだが、あまりにも暑くてできなかった。

というのも、荷台に積んである容器に給水器からホースを伸ばして入れるのは簡単だが、その容器を家の中の納戸に運び込むのが大変なのだ。

昼間は35℃を超える暑さの中で、夕方になってもその作業をすることは無理だと思った。

それで、9月半ばにしてやっと気温が普通の真夏並になったので汲みに行こうと思った。


予めドライブがてらに立ち寄って、給水装置が直っていたのを確認していて行ける機会を待っていた。

以前は家内と二人だけでできた水運びも、家内がリューマチになってからは、息子の手を借りないとできなくなっていた。

そこで、息子が夜勤から戻って来て家にいる日を選んだのだ。

千種町の当日の気温予報を調べたら、33℃ということで上郡と変わらない。

そこで、空調服を着込んでいくことにした。

例年は8月に汲みに行っても、千種は涼しいので空調服など必要なかった。

太陽に近いから暑いのだろうと、標高が562mある千種町のことを家内と冗談を言いながら出かけた。


上郡から久崎までは国道373で千種川に沿って進んでいくのだが、最近は雷雨が良くあるのに水かさは少なく、たくさんの白鷺が浅瀬で餌を探していた。

久崎からの吉永下徳久線は川幅が狭い分水量も多く感じる。

ここはひまわり畑の観光を力に入れていて、シーズンに休日に行くと渋滞に巻き込まれるが、もうすでにシーズンは終わっていた。

私は2年ほど前には千種高校に非常勤講師として勤めていたので、通い慣れた道ということもあって単調で眠気を誘われる道である。

今回も前を行くプリウスが制限速度をしっかり守るのは良いのだけれど、カーブのたびにブレーキを踏んでかなり減速させるので少々苛ついてしまった。

途中にある南光町の自然観察村キャンプ場には大勢の人がテントを張っており、川辺で水遊びをする人も見られた。

これは真夏の風景と変わらない。

そばにあるひまわりの館には、本当は帰りに立ち寄って力うどんを食べたかったのだが、現在は金土日しか開店しておらず、休日なのに閉まっていた。


道の駅ちくさは夏場は川で水遊びができるので、駐車場はほぼ満杯になっている。

前に居たプリウスもその混雑する駐車場に入っていった。

ドライブで通りかかると併設されている農産物の直売所に立ち寄って、いつも「門次郎さんの平飼い卵」を買うのだが、駐車することが無理そうだった。

千種高校のそばを通って行くときに、野球部が練習するのを見たが、部員が6名しかいなかった。

私が教えた生徒には女子選手も混じっていたが、もう3年生だろうから引退していない。


行者霊水の給水所に着いて降りると暑い。

高地の涼しさのかけらも無い。

そこの駐車場には後山に登る登山客の車が三台ほど停めてあり、一人はこれから登るところだった。

登山口の入り口には平成の大馬鹿門が曰わく付きで設置されている。

日差しの強い中を家内は給水器に100円を投入し、私が陽気にホースで水を入れていった。

途中で別のお客さんも来たが、給水器は一台しか無いので待たせてしまった。

給水が終わった後でその人の様子を見たら、ほんの少ししか容器を持ってきてなかったので、途中で入れさせても良かったと思った。

給水が終わるといつもそこの拝み所に賽銭を上げて二人で拝んでから後にした。

帰りは特別栽培米の「千種の舞」が売っていそうな店を探すのに、千種の街の道路を通ってみたが見つからなかった。

後ろから車が近づいてきたのでゆっくり探せなかったこともあるので、今度涼しくなったらゆっくり探そうと思う。


帰ってきてから、夕方になって息子が起きてきたので、頼んでポリ容器を運び入れた。

軽トラの荷台から玄関の取次まで運ぶのと、取次から納戸の棚に入れるのを手分けするが、息子は前者を選ぶ。

思いポリ容器を狭い納戸のスティール棚にしまうのは力と工夫がいるからだ。

以前はその仕事を家内がおこなっていた。

こんな力のいる作業をいつまでやれるかと思いながら続けている。


子ども達が幼い頃から、子どもの水の安全を思って始めた千種の水汲みも30年以上の年月が経つ。

当初はスキー場に併設してある給水所まで上がっていた。

千種は子ども達と水汲み以外にもキャンプや水遊びをした想い出の残る場所でもある。

南光町のひまわりの館で子ども達と力うどんをおいしく食べた。

こうして夫婦二人でわざわざこんな遠くまで水を汲みに行くのも、ここにくると水以上に豊かな自然の力を得られるように思うからだ。

縁があって一昨年は千種高校に勤めたことだし、これからも訪れ続けたい場所だ。

たたらで有名なのは知っていたが、気になってネットで調べたら古くは神が腰を下ろす「敷草村」と呼ばれていたそうだ。

そこの行者霊水を日々頂くことは、身体だけで無く心にも潤いを与えてくれるものだと思っている。











2025年9月15日月曜日

年金暮らしの野良人

 飼い犬、野良犬、山犬(狼)そして飼い猫、野良猫、山猫という言葉がある。

英語に直すと犬はpet dog,stray dog,wolf、猫はpet cat, stray cat,lynx(wild cat)

日本では山犬と狼は区別しようとする意図があるが、英語では無いようだ。

これは日本で豚と猪を区別するが、中国では区別しないのに似ている。

家畜化された犬猫が野生に戻って存在するのを許容するかどうかの違いのようにも思う。

日本は野生化した犬は野生そのものの狼とさほど区別はしていなかったようだ。


また、ペットの位置づけは食用とか使役の問題だろうが、日本では犬や猫は肉ないし皮を利用したり、狩猟やネズミ退治に使われていた。

江戸時代に生類憐れみの令が出されて、犬は特に食用を禁じたようだが戦前までは食べる人もいたようだ。

英語のpetは愛玩の意味が強いようで、日本のような利用をしないようだ。

そういえば、欧米では馬は愛玩動物の意味もあるのか、決して日本のように食べないようだ。

日本人は家畜は建前上は使役のみで、実際に裏では食用にもなっていた。

そういう意味で、本土の馬や牛は犬や猫と違って飼い馬、飼い牛、と言う表現はないけれど、馬を飼うとか牛を飼うと表現もする。

牛馬と犬猫の厳密な区別がなされていないように思う。

その点で行けば、英語では犬・猫・馬はhave,keepを使い、牛はraiseで区別しているのは食用とも関係しているのかもしれない。


一番大きな違いは野良犬と野良猫だ、英語のstrayには迷うとかはぐれるの意味があるが、日本語の野良にはそういう意味は無い。

野良は屋外を指すが迷う場所でもはぐれた場所でも無く、野生そのものの「山」よりも人の生活に近い場所を言う。

英語では本来人と共にあるべき犬・猫が迷ったりはぐれている意味があるが、日本語は人に飼われてはいないが、野生の動物のように自活はしていない状態を意味している。

そして、そういう人には飼われずに居住地域周辺に生きる犬・猫の存在を許容していたように思える。

野生でも家畜でも無くて人のそばで生きてきたのが野良犬・野良猫だった。


人の場合は今の日本では屋外で生活していると浮浪者と見なされる。

昔は木地師やマタギのような移動生活者もいたが、仮小屋とは別に家屋を持っているのがふつうだったようだ。

だけど、人類の歴史を考えると狩猟採集時代の移動生活が殆どだった。

そして、日本では定住生活になっても、常に村落の回りや自然界の山や海との関わりを保ち続けていた。

そこで、山仕事をしたり野良仕事をして暮らしてきたのだ。


近代化されて、都市部に暮らす人は信仰やリクレーション以外に、自然との関わりを無くしていった。

農林水産業に携わる人も、収入の対象としての自然という見方になってきた。

野良作業・仕事は賃金目的でする労働のことを指してはいない。

暮らしに必要な物を手に入れたり、村が山になってしまわないために行う作業・仕事を言う。

完全に機械化管理されたところでは野良作業・仕事とは言わないだろう。

野良作業・仕事の方が肉体的にきつくても気楽で面白いこともある。

そこから得られる物を金に換算したり、時間に追われることが無いからだ。

本来賃金目的でする仕事には無い魅力があるし、時間に追われない分、好きな研究や多くの趣味や健康管理に没頭できる。


私は今は完全退職して、畑での野良仕事を中心とした生活をしている。

作った農作物はたまに人にあげるが、殆どは家で食べる物だ。

出荷して金に換えても大した額にもならないし、いろいろ面倒なことも起こる。

そして、自分の都合に合わせて朝早くでも、夕方遅くでも自由にできる。

季節によって、村の回りの山菜なども採って食べたりもする。

村の溝掃除や道作りなどの野良仕事もちゃんと参加している。

以前は、それに出ないと出不足金を取られていた。

今は、出た分を村会費から引いて貰えるが、賃金は支払われない。

いわば家には住んでいるけれど野良人と言っても良いかもしれない。


これまでは、収入を得るために学校の教師として働いていた。

言い方は悪いが、県に飼われていたと言って良いだろう。

ペットのように可愛がられはしなかったが、雇用は守られて生活できる賃金をもらうことができていた。

その代わり、時間外の労働や、無理な仕事を命じられることも多く、心身の健康を害することもあった。

年金が完全支給されて、やっとそういう賃金目的の仕事から解放されたのであってはぐれたのではない。

雇われ続けたかった人にとっては、追い出されたとかはぐれたと感じるかもしれない。

私にとって野良作業・仕事は大切な生きがいであるのでそのように感じない。

できれば、山や海で狩猟・漁労もやってみたいが、それはこれからの課題だろう。

現代の日本の勤労者の殆どは賃労働とボランティアしか頭にないかもしれない。

野良作業・仕事は結果的に収入になったり奉仕であったりするかもしれないが、それを目的としていない。

本来は自分の意思で自由に居住近辺で野生と向き合うのが野良作業・仕事だと思う。

そういう作業・仕事を立派にこなせる野良人になることに努めたいと思っている。

その一方で、山人や海人に対しての憧れも抱き続けている。





2025年9月13日土曜日

ドーパミンから見た社会②~ポルノビデオと少子化問題

 江戸時代の春画を始め、男女の性描写は人々の心を捉え続けてきた。

絵画が写真となり、そしてビデオとなったのだが、それとは格段の違いとなったのがインターネットの配信だった。

今回も次の書籍を元に考えてみる。

『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018) 合同出版 (以降D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

この書では安易にネットでポルノビデオにアクセスできるようになって、ポルノ依存症が増加していることを指摘している。

衝動的なポルノ鑑賞が常習性薬物と厳密に同じだという確証はまだないが、共通する点はいくつかある。常習性薬物の場合と同じく、過剰なポルノ消費のサイクルに陥ってしまった人は、日ごとにその活動に長い時間を費やすようになる。ときには毎日数時間になることもある。アダルトサイトに集中したいがために、ほかの活動を避けるようになる。パートナーとの性的関係の頻度が減り、満足度も低くなる傾向がある。ある若い男性は、デートするのを完全にやめてしまった。現実の女性とデートするよりもポルノを見ているほうがいい、写真のなかの女性は何も要求しないし、絶対にノーと言わないから、というのが彼の言いぶんだ。D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):85]

ドーパミンによって常に新しく刺激のあるポルノビデオを求めるようになる。

この生殖と関連するドーパミン作用は薬物などの習慣の有無の問題で無く、生存そのものに関する重要なことだ。

それが薬物と同じような依存性を伴ってしまう。


この頃はポルノビデオだけで無く、以前はオナニーとかマスターベーションと言われていたのが、セルフプレジャーと言う表現で市民権を得てきている。

そして、それに関するグッズが多く販売されて、若者だけで無く高齢者も愛用されているようだ。

ポルノビデオは場合によって、男女間のセックスの役に立って、それが妊娠に繋がる可能性もある。

しかし、セックスができなかったり、面倒になった者にとっては、セルフプレジャーだけに利用するもので、妊娠とは結びつかない。

もう子育てが済んで望めない高齢者はともかく、若者の多くがそういうことになれば、ますます少子化が進んでしまう。

本来はドーパミンと関わるセックスが、妊娠出産によって子どもを育てる幸福感のオキシトシンに繋がるべきなのだ。


ただ、ネット上のポルノビデオだけに責任を負わせて規制を厳しくしても解決にはならないだろう。

これからは男女だけにかかわらず多様な性関係が認められるようになる。

その選択肢の中で、子育てを望むような環境作りが重要なのだと思う。

子育てを通して得られた幸福感(著者はヒア&ナウ(H&N)」と呼ぶ神経伝達物質による)が、子育て期間を過ぎても得られていたのが家族や親族だったと思う。

その家族・親族が行きすぎた資本主義社会の犠牲になって解体されて、幸福感を得る場所を失ってしまった。

だから、むうしろポルノ依存症は少子化の原因では無くて、代償とも言える。

つまり、政府や企業は子育てとその後の家族・親族を通して得られる幸福感を支援できる仕組みを作らねば少子化対策にはならない。

そもそも非正規雇用を多く生む政策を行い格差社会を助長して、結婚もできない男女を多く作った自民党・公明党の政権に根本的な原因もあるとも思える。

近年は男性の育児休暇や、時間外労働時間の規制を進めているが、外国人を含めて非正規雇用の人々を犠牲にしたやり方なら、根本的解決にはならないだろう。