このところ毎日テレビドラマの「相棒」の再放送を録画で見ている。
いつも家内と話をするのは、「相棒」では必ず殺人がある、殺人が起こらないのも有るけど滅多に無いということだ。
「相棒」は殺人事件を解決することや、殺人事件を通して社会問題を顕わにするところが面白い。
では、視聴率の高いこの番組を見ている人は、実際に起こる殺人を肯定しているのだろうか?
答えは「ノー」だろう。
フィクションとして現実では身近に無い殺人を観て楽しんでいるだけなのだ。
でも考えてみれば、自分が幼い頃には親が観ていた殺人の場面が出てくるドラマは嫌いだったし恐かった。
ということは大人になるにつれて、殺人の場面が出てくるドラマや映画が好きになったのだ。
これと同じように、いまだに憶えているのは「同期の桜」という戦争ドラマが子どもの頃にあった。
特攻隊の将校を描いたもので、親は毎回観ていたので自分も同じように見ていた。
ところが、大概はその内容が恐ろしく感じて、夢でうなされることが多かった。
一番憶えているのは、特攻隊の攻撃シーンでは無くて、原爆投下後に苦しむ人たちをリアルに描いたシーンだった。
このシーンは目にこびり付いて、しばらく眠れず夢でもうなされた。
幼い子どもにとって、リアルな戦争は観て楽しめるものではなかった。
ところが、小学校の6年生くらいに観た「決断」という戦争アニメが放送された。
そのアニメは戦争の悲惨さよりも、決断すべき時を逸すると敗れるというのが重要なテーマともなっていた。
だから、戦争の悲惨な部分を実感すること無く、戦争アニメを楽しむことができたのだ。
そういう戦争アニメは「0戦はやと」というのが既にあって、もっと幼い頃に楽しんで観ていた。
現代でも、大河ドラマの多くは戦争や乱である。
歴史的な事柄であれば、そこで実際に起こった悲惨な殺戮や餓死、強姦などを無視してドラマとして楽しめる。
NHKは戦争の悲惨さを語り継ぐための良い番組を作りながら、一方で戦記物のドラマを娯楽として作っている。
たぶん、リアルで悲惨な場面が登場する「映像の世紀」よりも、大河ドラマの方が一般に受けるのだろう。
こういう事を考えれば、私たちは殺人や戦争の残虐性への耐性は成長するに従って得られたことであることが分かる。
これは何も映画やテレビが登場してからの現象では無くて、古代なら神話や伝説の語りに始まり舞台での劇や人形劇でも表現されてきた。
大人は子どもに語り継ぐことによって、殺人や戦争のある現実に適応させて行かざるを得ないのかもしれない。
我々の人間社会は殺人や戦争なしには成り立ってはいない世界とも言える。
先祖を共通するチンパンジーも、敵対するチンパンジーを殺して食べたりすると言う。
ホモ・サピエンスは熊のように、魚肉も植物も食べる雑食性だったからネアンデルタール人のように絶滅せずに済んだとも言われている。
これは肉に頼った狼が絶滅し、熊が生き残った日本列島と同じことだ。
子熊が親から食料の調達や闘い方を学ぶように、狩猟や屠殺から解放された現代人もドラマによって殺しと戦争を楽しく学んでいるのかもしれない。
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