政治活動家のチャーリー・カーク氏が暗殺されるという、またしてもアメリカで銃によるテロが発生した。
確かに銃の規制がしっかりと行われていたら、この事件は起きなかったかもしれない。
ただ、安倍元首相の銃撃に用いられたのは手製銃だったことを考えると、高性能の銃を用いずとも暗殺は可能であることが分かる。
けれども、トランプ大統領は銃で狙撃されたのが昨年の7月14日で、そのトランプ政権の立役者とされたチャーリー・カーク氏が先日9月10日暗殺された自体は銃社会を象徴している。
そこで、私は小熊英二『市民と武装-アメリカ合衆国における戦争と銃規制』慶應義塾大学出版会(2004)を読んでみた。
これは 一九九二年一〇月一七日、アメリカ合衆国ルイジアナ州の町バトンルージュで起きた日本人留学生が銃によって殺される事件をきっかけとして書かれたものだ。
この書を読んで再認識されたのは、「市民革命」の意味である。
王権を倒したフランス革命の手本となったアメリカ独立革命とは何だったのかと言うことが市民武装の視点から捉えられている。
それまでの王政による武力の貴族や騎士の独占は市民を一方的に支配できた一方で、傭兵を用いた戦争では大した殺戮を伴わないものだったという。
アメリカ独立戦争では市民が武装化することにより、戦争はルール無き殲滅戦となり、それまでの戦争のやり方のイギリス軍は容易く敗れたという。
これは幕末の第二次長州征伐で、多勢の幕府軍が少数の長州軍に簡単に敗れたのに似ている。
アメリカ市民は開拓を通して、野生動物との闘いや先住民との戦いで、ライフル銃を子どもの頃から使いこなしていた。
射程が長く正確なライフル銃では散兵戦を可能にして、隊列によって進撃する兵士を簡単に倒し、それまで禁じ手であった将校の狙撃を可能にしたという。
このあたり、未熟な兵士に突撃を繰り返させて玉砕した旧日本軍を思い出させるが、要するに王政の元で武装できてなかった市民は実戦であまり役に立たない。
傭兵も命がけで戦うと割に合わないので直ぐに逃亡するという。
市民革命は王政を廃止したり、王国から独立することを引き換えに市民自ら武装化することだった。
かつてバーバート・ノーマンが、市民革命を経ていない日本兵を奴隷兵士のように捉えたのはそういう背景があったからだった。
しかし、小熊氏のような歴史家は普通に市民という言葉を使うが、侵略された先住民からすれば侵略者に過ぎない。
その侵略者の後継者が独立した国家を築き、先住民から掠奪した領域の権利を正当化したのが市民なのだ。
これは、日本でも北海道で先住民のアイヌから土地を奪って生活している市民と変わりは無い。
ただ、北海道では当初は武装した屯田兵が重要だったが、アイヌは銃による武装化をしなかったし、北海道は独立しなかったので武装市民は誕生しなかった。
一方、明治維新の立役者となった島津藩は、関ヶ原の戦いに敗れて以降も臨戦態勢を維持しており、郷士は農耕をしながらの武装民であった。
人口の4分の1が武士であり、下人や隷属民を従えていたことは、身分制度を別にすればアメリカに類似していると考えられる。
アメリカでも市民は平等だったが、先住民や黒人に対しては厳しい差別を行っていたのだから、本当の民主主義とは言えなかった。
アメリカでは武装市民と島津領の郷士と比較するとどうだろうか?
因みに郷士制度は「百姓や町人や浦人【うらにん】(漁師)を、ビクともさせぬくらいに押さえつけて支配する。しかしいったん戦争でも始まれば、ただちにそのまま軍団を形成して、地頭の指揮の下で動き出すという仕組みである[原口虎雄1966:15-16]*1」
百姓、町人、浦人を先住民や黒人と見なせば、そう違いが無いように思える。
また、植民地化した奄美では現地の有力者を郷士にして多くの家人(身売者とその子ども)を支配したが、武装化がなされていたようだ。
郷士はアメリカの武装市民と類似していることが分かる。
また、戦前満州においては義勇隊のような武装集団もあったようだが、開拓団はソ連侵攻では関東軍に見捨てられ崩壊してしまった。
既に銃の武装だけでは正規軍の前には、かつてのアメリカのように開拓という名の侵略はなしえない時代になっていただけなのだ。
遙か昔に移動してきた弥生系の流れを汲む今の日本人には、縄文系先住民との戦いは忘れ去られた過去である。
あたかも自分たちの祖先であるかのように縄文人に関心を持つが、アイヌや琉球は別としてゲノム解析から我々の中にある遺伝子にはそれほど含まれていないことが分かっている。
また、古代の大和朝廷おいては蝦夷や熊襲との戦いという形で、地域独自に根付いた集団との争いの記録は残っている。
しかし、中国文明の影響のもとで武力を制する貴族が誕生して中央集権国家が誕生したが、やがて武力を背景とする武士(武装貴族*2)の誕生によって地方分権型国家になる。
戦国時代にはかなり武装化が一般に進んで、他国よりも人口比率の多い武士の力を背景に、秀吉の刀狩り(銃保持制限)を通して武装市民は生まれなかった。
秀吉以降は朝鮮侵略の失敗に懲りて、明治の欧米化するまで他国へ侵略することを諦めていたこともその背景にあるだろう。
それが日清戦争と日露戦争の勝利で味を占めて、徴兵制による市民の戦争参加がなされ中国に勢力を伸ばしたが、侵略の本家本元のアメリカには勝てなかった。
そして、アメリカのような武装市民に育たなかったばかりか、軍隊さえも戦争放棄させられた。
しかし、侵略された側にすれば、侵略者が更生したとも言えるのだ。
我々日本人は、武装市民国家アメリカをしっかりと理解しなくてはいけないと思う。
アメリカが特権貴族に対抗した武装市民の流れを汲むのなら、独裁的になった特権資産家やそれに結びついた活動家に対して従順であり続けられるのだろうか?
今回のテロに関してはそれを考えずにはいられない。
また、外国のいくつかの国では規制をしながらも、個人の防衛目的の銃の保持が認められていることも知っておくべきだろう。
ウィキペディアの「各国における銃規制」によれば、日本のように個人防衛目的の銃保持が認められてないのは近隣では中国、南北朝鮮、ベトナムだけだ。
興味あることに、これらの国は儒教と歴史的に関わりを持っている。
一方で、日本人が殺人を依頼するフィリピンは自由度が高いのだが、アメリカの植民地が長かったはことと関連があるかもしれない。
*1 原口虎雄 1966 『幕末の薩摩-悲劇の改革者、調所笑左衛門-』中央公論社
*2 S・アンジェイエフスキー 2004 『軍事組織と社会』新曜社
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