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2025年9月20日土曜日

様々なセイフティーネット

 セイフティーネットは救済策を網の目のように張ることをいうそうだが、私にはサーカスや建築現場などの安全ネットをイメージする。

実は私は両親のセイフティーネット=安全ネットに助けられた人間だからだ。

修士論文が上手く完成できなかった上に、伴侶との生活も破綻してしまい、できれば交通事故などで不意に死ねたら良いと思った時があった。

そんな私が救われたのは、母親にかけたコレクトコールだった。

後で母親に聞くと1ヶ月に4万円ほどにもなったという。

母親は自殺することを怖れて、お金には拘らなかったようだ。

そして、私は博士への進学に見切りを付けて、両親を頼って実家に戻った。


最近では、娘が離婚を機に子どもを連れて、実家に戻ってくるケースを良く耳にする。

万一、私の娘もそういうことになったら、絶対戻ってくることを拒むことは無いだろう。

そうなるまでの娘や息子は両親のことなど気にかけずに、自由に好きなことをやっているのが普通だ。

自分も実際そうだったのだから、若いときは親の事を気にかける余裕も無いのが当たり前かもしれない。

一方、親の方は便りが無いのは良い便りだと、子どもを思いながらも夫婦を中心とした生活を続ける。

ただ、最近は熟年離婚も増えてきているようで、子育てを手伝える母親は良いのだが、家事のできない父親は孤立したり、実家の年老いた母親と暮らしているようだ。


私は教師をしている時代にアメリカからのALT(外国語指導助手)と親しくなって、両親との関係を聞く機会が多かった。

たまたまかもしれないが、両親が離婚している場合が殆どで、父親との関係は希薄だった。

母親も新しい夫とそれなりの家庭を築いているので、親しくするかどうかは本人次第だった。

子どもは成長したら両親から完全に独立するのが当たり前で、失敗して頼っていく相手ではないように思えた。

日本でもそういう時代になってきているように思う。


親だけがセイフティーネットになるわけではない。

どん底の私を救ってくれたのは、確かに母親だったが、父親は冷淡に感じた。

親とてもみんなが子どもを手放しに許容できるわけではない。

実は遠くに居る母親以上に、私のことをそばで気遣ってくれた人が多くいた。

そのひとりは新たに始めたアルバイトの事務所に居た30代半ばの女性だった。

その方は離婚の経験があって一人で子育てをしている人だった。

私の身の上話を聞いてくれて、気遣って電話をくれたりもした。

離婚の辛さを経験している人の言葉は、誰よりも私の慰めとなった。

その職場には釣りに誘ってくれて、辛い休日の気を紛らせてくれた人もいた。

大学院の先輩も色々と気遣ってくれて、言葉をかけてくれた。

ある先輩はご自分の恋人との失恋話をしてくれて、結婚式もあげてなかった私たち夫婦は恋人同士と変わらないと言ってくれた。

夫婦関係を続けられなかったいう自信喪失した心に励ましとなった。

同じ奄美研究をしていた他の大学院の女性の先輩も食事に誘ってくれて慰めてくれた。

親のように金銭的には支援しては貰えないが、言葉をかけてくれたり一緒に過ごしてくれる人がいると本当に救われる。

コンクリートジャングルと言われる大都会だからこそ、支え合うことの大切さをみんな知っていたのだと思う。


今住んでいる村でも、最近夫婦でふたり暮らしていた人が、夫を亡くしてしまった。

その一人暮らしになった人の子どもやメイなども葬式直後はずいぶんと気遣っていた。

そして、そういう人がいなくなった後に、気遣ってくれていたのは同じ村の同世代の女性だった。

色んな人が何かと家に行っている姿を見かけた。

小さな村ならではの心遣いだった。

過疎化が進んで一人暮らしが増えている中で必要なのは、まさしく遠くの親戚より近くの他人だと思った。


これからの時代は、所属する団体や地縁血縁だけでなく、ネットを通した心の支え合いが可能だろう。

ただ、気をつけなければならないのはチャットGPTなどに相談して自殺してしまった例があるように、現実と非現実の区別ができなくなった時代に生きていることだ。

容易にアクセスできるネットに依存してしまう危険性もしっかり知っておくべきだろう。

ジェラルド・ブロネール 2023 『認知アポカリプス―文明崩壊の社会学』みすず書房ではそのことを詳細に述べてくれている。

そこではソーシャルネットワークへの依存はアルコール依存と変わらないことも述べられている。

未成年に対して規制をかけようというのもそういう理由からだろう。

特に経験の乏しい人に対するセイフティーネットワークは生身の人間があたるべきだと思う。










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