私は1985年に起きたこの事故のことを鮮明におぼえている。
当時は横浜の長津田に住んでいて、ずっとテレビでニュースを見ていた。
事故は8月12日だったが、私は13日の夕方にブルートレイン(寝台列車)に乗ってツレと山口に向かう予定だった。
ツレの仕事の都合で東京駅で乗る予定だったのに、事故の報道に夢中になってアパートを出ねばならない予定時間が過ぎてしまった。
ツレと電話で連絡を取り合ってから、一か八か一番駅の近い東急田園都市線の田奈駅まで走って行った。
田奈駅から長津田駅まで私鉄に乗り、長津田駅からJR横浜線に急いで乗りかえて横浜駅まで行った。
横浜駅でそのツレが既に乗っているブルートレインに何とか乗り込んで事なきを得たが、ジャンボ機の迷走よりはましにせよ、連れも私も寿命が縮まる思いだった。
事故と自分のハプニングが一緒になって、毎年8月12日はその時の記憶がよみがえってしまう。
今年は事故から40年目にあたり、テレビなどでは色々と特集していたので、ウィキペディア(Wikipedia)で調べてみた。
改めてこの事故が「死者520名という日本では史上最悪の航空事故で、単独機の事故としても世界史上最悪の航空事故となっている」であることに驚いた。
日本だけならともかく、世界史上でも最悪というのは知らなかった。
このところ、亡くなった人を追悼することや、遺族の高齢化で事故の風化を懸念することなどの番組が多い。
しかし、事故の原因が分かっていて、それを政府がきちっと対処しなかったことに対しての報道がなされていない。
世界史上最悪の航空機事故に対する企業と政府の対応の仕方を問題視した特集をもっとしてしかるべきだろう。
戦争の悲惨さが自然災害のように描かれるのとなんら変わりが無い。
戦争はいけない、飛行機事故はいけない、しかし、どちらもなくならない。
勝者側に立った戊辰戦争、日清戦争、日露戦争が否定されず、敗者側に立った太平洋戦争だけが否定されている。
それに似て、事故さえなかったら便利だが危うい飛行機が否定されることは無い。
戦争を多くの人が否定しているのは、太平洋戦争では被害にあった人が身近にいて、国民全体が責任を負わされて戦争そのものを否定させられたからだ。
飛行機自体が否定されないのは、事故で亡くなった人は身近にいなくて、しかも責任はなく、飛行機の構造やシステムを否定されなかったからだと思う。
実は、私の亡父は死ぬまで一度も飛行機に乗ったことが無い。
頑なに飛行機に乗ることを拒み続けたので、両親は海外旅行に一度も行けなかった。
「あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて信じられん」というのだ。
実際は鉄の塊では無いのだが、かつて100トンほどの木造船を運航し、造船所で鉄船に関わってきたことからそう感じたのだろう。
本人は言わなかったが、この日航機事故を意識していたのかもしれない。
その一方でその父の孫にあたる私の甥が民間機のパイロットになった。
就職した時は、父は既に他界していなかったのだが、生きていたら孫になんと言っていたのだろうかと思う。
そして、パイロットになった息子を誇らしく思う反面、事故の恐ろしさを知っている両親はこの事故に関してもそれなりの思いがあるだろう。
事故の報道に気をとられて危うく乗り逃しかけたブルートレインは既に廃止されてしまった。
安くて便利な夜行バスもさることながら、何よりも格安航空の影響も大きいと思う。
日航機事故の教訓が活かされてか、航空機事故は殆ど無くなってはいる。
しかし、安全神話はいつかは崩れる。
福島原発のように、予想された自然災害を軽視して起こった事故もある。
去年起きた羽田空港地上衝突事故はパイロットの勘違いによるものだった。
そして、最も忘れてはいけないことは、飛行機こそ戦争では無差別な爆撃を行い、原子爆弾を投下するのに使われたものだ。
そして、今でもミサイルやドローンと共に戦闘機として戦争の主力を担っている。
そのことを考えると、亡くなった父が飛行機を怖れたことを年寄りの戯言(たわごと)と嗤うことはできない。
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