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2025年9月24日水曜日

矮性ソルガム(タカキビ)に託する希望

 去年までは2mほどまで高くなるソルガム(タカキビ、コーリャン)を栽培していた。

栽培し始めてまだ三年目だが、初年度は風で倒れたりしながらも、何とか収穫できてご飯に混ぜて食べきった。

二年目は途中で鳥に食べられたり、高温障害で実がならなくて、殆ど食べられなかった。

今年から矮性の種に換えて栽培して、やっと収穫しながら食べ始めた。

ソルガム一斉には熟さないので、順次採り入れて乾燥させながら食べていく。

矮性に変えたのは何よりも、背の高いソルガムは風に弱いので、しっかり土寄せなどをしたりする必要がある。

それに対して、矮性は風に強くて土寄せもせずに済んでいる。

一部は苗を作ってから移植したが、買った種も多くあったので適当に空いた畦付近に撒いておくとちゃんと生長してくれた。

本来は間引きする必要があるのだが、それも面倒だったので放って置いたが、問題なく大きくなった。

今年は異常に雨が少なくて水やりが欠かせなかったが、オクラやサツマイモなどに比べて大して水はやらなかったがしっかりと実ってくれた。


一番助かったのは、鳥除けが簡単だったことだ。

去年は鳥が多く寄ってきてついばむので、鳥除けの黒いテグスを張り巡らした。

畑の隅々に竹の竿を立てて、脚立に上って作業するのは大変な仕事になった。

そして、そのテグスは直ぐに切れて垂れ下がり、草刈り機の刃に絡みついて回らなくなってしまったこともあった。

鳥除けにはそれなりに効果はあったが、その弊害も大きかったので今年はやらなかった。

何よりもこの矮性ソルガムは穂の高さが1m50cm程なので、寒冷紗を上に覆うだけで穂を包み込むことができた。

支え木も立てずに、直接穂の茎にクリップで寒冷紗を固定するだけで済んでいる。


収穫も穂が低い位置なので簡単で、実もしっかり付いているものが多い。

やはり高温障害のせいか、全く身が入っていないものもあるが、以前の高い丈のソルガムより実の数は多いと思う。

むしろ、手間なのは脱穀で以前の物は手でしごいただけで簡単に実は落ちた。

しかし、たわわに実った穂から実は簡単に落ちない。

そして、籾すりのつもりで精米機にかけたら、粉になってしまうものも有った。

高い丈のソルガムではそういうことは無かった。


そこで足踏み脱穀機を使って脱穀したが、少し殻ごと固まりもできたので精米機で脱穀した。

まだ、収穫していないものが多く残っているのに、三リットルほどの収穫があった。

粉はニョッキに混ぜて食べたし、実も雑穀米に混ぜて普通に食べられた。

今後は粉にしてまさしくキビ団子を作ったりしても美味しく食べられそうだ。

何よりも芋類に比べて保存が楽で嵩張らない優れものだ。


原産国のアフリカでは色んな食べ方がなされているようだし、栄養価も高い。

あまり知られていないようだが、グレイン・ソルガムはアメリカなどで多く栽培されて家畜の飼料としてとか、製粉されて輸出、エタノールへの加工がなされているようだ。

日本では緑肥として利用が多いようだが、長野県を中心として食材としての利用が促進されている。

高温や乾燥、病気、虫害に強いソルガムこそ、これからは日本でもっと栽培して利用するべきだと思う。

稲と違って手作業で簡単にできて、農薬を全く使わなくても栽培できてるので、家庭菜園でも簡単にできる。

矮性のソルガムには今回は肥料も入れていないが、今後は有機肥料や有機石灰は今後施した方が良さそうだ。

矮性ソルガムは背が低いの他の作物の生長を阻害しないどころか、今年のような日照りが続くときには強い日差しから守ってくれたりする。

来年は日照りに弱い作物の間に植えてみようと思っている。

他にもエタノールとしてや茎や葉を乾燥させて燃料としてバイオエネルギーにもなる。

グルテンフリーだし、ポリフェノールや食物繊維が多いので健康にも優れた効果があるという。

こねると粘りが出てくるので、ひき肉に混ぜて使うこともなされているようだ。

かつては日本でも良く食されていたのが、米一辺倒になってしまって価値を失ってしまった。

しかし、温暖化が加速して破滅的な気候となっていく将来には欠かせない作物になると思われる。

私は夏場ではこの矮性ソルガムとサツマイモを食糧確保のための主力にしたいと思っている。


2025年9月22日月曜日

食っちゃ踊り、食っちゃ踊り

 食っちゃ寝、食っちゃ寝は昔の正月の過ごし方で、普段やると肥満の原因となる。

それがアフリカ狩猟採集民のサン(ブッシュマン)は食物が豊富なときは食っちゃ踊り、食っちゃ踊りを繰り返していたと文化人類学者の田中二郎氏は報告している。*1

氏の報告によると、サンはそれほど食物獲得に時間を費やさず、休息や余暇に時間をあてているという。

娯楽として大切なのはおしゃべりとダンスだが、ダンスは数少ない宗教的儀式にもなっていて重要なのだそうだ。

さすがに食糧が乏しい次期は踊ることはあまりなされないようだが、大きな獲物を手に入れるとそれが尽きるまで食べては踊りを繰り返す。

まるで、お腹をすかすために踊っているのかのようだ。


日本の盆踊りは新暦の8月(月遅れ)で行うのが普通になているが、あまりご馳走とは結びついていない。

ご馳走が出るのは秋祭りである。

米の収穫と関わっているようだが、私の育った赤穂ではつなし(コノシロ)寿司と甘酒を必ず作って飲んだり食べたりした。

獅子舞は別として、一般の人は踊りとは無関係だった。

食事と踊りが関係していたのは、奄美の与路島での祝賀会で最後に参加者が六調をおどることがあった。

沖縄でも結婚式の最後にカチャーシーを踊るのが有名だが、本土では宴会の終わりには肩を組んだりして唄うのが精一杯だろう。


実は、私は大学院を修了して養護学校(特別支援学校)教員になったとき、一番苦手だったのがダンスだった。

児童生徒はダンスが大好きなので、集会や体育の時間などで必ずダンスやリトミックを行う。

最初に覚えなくてはならなかったのが「アブラハムの子」のダンスだった。

最後にお尻を振るのだが、平気で振れるようになるには時間が必要だった。

職員はリズム研修として、定期的にダンスなどの練習をさせられるのだが、恥じらいながらしっかりやらないので、年下の女性教師から叱られたりした。

ただ、そういうダンスは苦手でも歌は得意だったので、踊る児童生徒に励まされながら楽しく唄うことができた。

それでも、10年以上特別支援学校に勤めたので、児童生徒と踊るのになんら恥じらいのは無い爺さんになった。


障害のあるなし、言葉の壁を越えて一緒に楽しめるのが踊り・ダンスだ。

最近は夏の夜は花火大会でお金を払った席で楽しむのが主流になってはいる。

その一方で東北の七夕に関する祭りや郡上八幡の徹夜踊り、四国の阿波踊り、よさこい踊りなど、伝統を引き継ぐ催しも健在だ。

私が学生の頃に良く通った奄美では旧暦八月の踊りが楽しくて一緒に踊った。

八月踊りは本来なら唄いながら踊らねばならないが、シマ口(方言)の唄は私には唄えなかった。

勤務していた高校の文化祭で一番人気があったのがクラスや仲間の創作ダンスだった。

私が歌うバンド演奏でB’zの曲をやったら、生徒は踊って盛り上がってもくれた。

一般の学校でも踊りはみんなを結びつける大切なものだった。

今の子どもに人気あるのはヒップホップなどのリズミカルなものだが、これはアフリカの狩猟採集民の踊りにも通じるものだと思う。

色んな人が色んな障害や壁、世代を乗り越えて、自分なりの好きな踊りを楽しめたらどんなに良いだろうかと思う。

大々的な七夕踊りや盆踊りなどでなくて良いから、以前の奄美のシマのように8月は毎晩のように庭先や道ばたで気楽に楽しめる踊り文化があちこちでできれば楽しいと思う。

博覧会や有名な神社仏閣、観光スポットがないところでも、手作りの踊りで日本内外からのお客さんを迎えられる村や町がいくつもあって良いと思う。



*1 田1990『ブッシュマン―生態人類学的研究 新装版』 思索社

2025年9月20日土曜日

様々なセイフティーネット

 セイフティーネットは救済策を網の目のように張ることをいうそうだが、私にはサーカスや建築現場などの安全ネットをイメージする。

実は私は両親のセイフティーネット=安全ネットに助けられた人間だからだ。

修士論文が上手く完成できなかった上に、伴侶との生活も破綻してしまい、できれば交通事故などで不意に死ねたら良いと思った時があった。

そんな私が救われたのは、母親にかけたコレクトコールだった。

後で母親に聞くと1ヶ月に4万円ほどにもなったという。

母親は自殺することを怖れて、お金には拘らなかったようだ。

そして、私は博士への進学に見切りを付けて、両親を頼って実家に戻った。


最近では、娘が離婚を機に子どもを連れて、実家に戻ってくるケースを良く耳にする。

万一、私の娘もそういうことになったら、絶対戻ってくることを拒むことは無いだろう。

そうなるまでの娘や息子は両親のことなど気にかけずに、自由に好きなことをやっているのが普通だ。

自分も実際そうだったのだから、若いときは親の事を気にかける余裕も無いのが当たり前かもしれない。

一方、親の方は便りが無いのは良い便りだと、子どもを思いながらも夫婦を中心とした生活を続ける。

ただ、最近は熟年離婚も増えてきているようで、子育てを手伝える母親は良いのだが、家事のできない父親は孤立したり、実家の年老いた母親と暮らしているようだ。


私は教師をしている時代にアメリカからのALT(外国語指導助手)と親しくなって、両親との関係を聞く機会が多かった。

たまたまかもしれないが、両親が離婚している場合が殆どで、父親との関係は希薄だった。

母親も新しい夫とそれなりの家庭を築いているので、親しくするかどうかは本人次第だった。

子どもは成長したら両親から完全に独立するのが当たり前で、失敗して頼っていく相手ではないように思えた。

日本でもそういう時代になってきているように思う。


親だけがセイフティーネットになるわけではない。

どん底の私を救ってくれたのは、確かに母親だったが、父親は冷淡に感じた。

親とてもみんなが子どもを手放しに許容できるわけではない。

実は遠くに居る母親以上に、私のことをそばで気遣ってくれた人が多くいた。

そのひとりは新たに始めたアルバイトの事務所に居た30代半ばの女性だった。

その方は離婚の経験があって一人で子育てをしている人だった。

私の身の上話を聞いてくれて、気遣って電話をくれたりもした。

離婚の辛さを経験している人の言葉は、誰よりも私の慰めとなった。

その職場には釣りに誘ってくれて、辛い休日の気を紛らせてくれた人もいた。

大学院の先輩も色々と気遣ってくれて、言葉をかけてくれた。

ある先輩はご自分の恋人との失恋話をしてくれて、結婚式もあげてなかった私たち夫婦は恋人同士と変わらないと言ってくれた。

夫婦関係を続けられなかったいう自信喪失した心に励ましとなった。

同じ奄美研究をしていた他の大学院の女性の先輩も食事に誘ってくれて慰めてくれた。

親のように金銭的には支援しては貰えないが、言葉をかけてくれたり一緒に過ごしてくれる人がいると本当に救われる。

コンクリートジャングルと言われる大都会だからこそ、支え合うことの大切さをみんな知っていたのだと思う。


今住んでいる村でも、最近夫婦でふたり暮らしていた人が、夫を亡くしてしまった。

その一人暮らしになった人の子どもやメイなども葬式直後はずいぶんと気遣っていた。

そして、そういう人がいなくなった後に、気遣ってくれていたのは同じ村の同世代の女性だった。

色んな人が何かと家に行っている姿を見かけた。

小さな村ならではの心遣いだった。

過疎化が進んで一人暮らしが増えている中で必要なのは、まさしく遠くの親戚より近くの他人だと思った。


これからの時代は、所属する団体や地縁血縁だけでなく、ネットを通した心の支え合いが可能だろう。

ただ、気をつけなければならないのはチャットGPTなどに相談して自殺してしまった例があるように、現実と非現実の区別ができなくなった時代に生きていることだ。

容易にアクセスできるネットに依存してしまう危険性もしっかり知っておくべきだろう。

ジェラルド・ブロネール 2023 『認知アポカリプス―文明崩壊の社会学』みすず書房ではそのことを詳細に述べてくれている。

そこではソーシャルネットワークへの依存はアルコール依存と変わらないことも述べられている。

未成年に対して規制をかけようというのもそういう理由からだろう。

特に経験の乏しい人に対するセイフティーネットワークは生身の人間があたるべきだと思う。










2025年9月18日木曜日

銃撃テロと武装市民

 政治活動家のチャーリー・カーク氏が暗殺されるという、またしてもアメリカで銃によるテロが発生した。

確かに銃の規制がしっかりと行われていたら、この事件は起きなかったかもしれない。

ただ、安倍元首相の銃撃に用いられたのは手製銃だったことを考えると、高性能の銃を用いずとも暗殺は可能であることが分かる。

けれども、トランプ大統領は銃で狙撃されたのが昨年の7月14日で、そのトランプ政権の立役者とされたチャーリー・カーク氏が先日9月10日暗殺された自体は銃社会を象徴している。

そこで、私は小熊英二『市民と武装-アメリカ合衆国における戦争と銃規制』慶應義塾大学出版会(2004)を読んでみた。

これは 一九九二年一〇月一七日、アメリカ合衆国ルイジアナ州の町バトンルージュで起きた日本人留学生が銃によって殺される事件をきっかけとして書かれたものだ。

この書を読んで再認識されたのは、「市民革命」の意味である。


王権を倒したフランス革命の手本となったアメリカ独立革命とは何だったのかと言うことが市民武装の視点から捉えられている。

それまでの王政による武力の貴族や騎士の独占は市民を一方的に支配できた一方で、傭兵を用いた戦争では大した殺戮を伴わないものだったという。

アメリカ独立戦争では市民が武装化することにより、戦争はルール無き殲滅戦となり、それまでの戦争のやり方のイギリス軍は容易く敗れたという。

これは幕末の第二次長州征伐で、多勢の幕府軍が少数の長州軍に簡単に敗れたのに似ている。

アメリカ市民は開拓を通して、野生動物との闘いや先住民との戦いで、ライフル銃を子どもの頃から使いこなしていた。

射程が長く正確なライフル銃では散兵戦を可能にして、隊列によって進撃する兵士を簡単に倒し、それまで禁じ手であった将校の狙撃を可能にしたという。

このあたり、未熟な兵士に突撃を繰り返させて玉砕した旧日本軍を思い出させるが、要するに王政の元で武装できてなかった市民は実戦であまり役に立たない。

傭兵も命がけで戦うと割に合わないので直ぐに逃亡するという。

市民革命は王政を廃止したり、王国から独立することを引き換えに市民自ら武装化することだった。

かつてバーバート・ノーマンが、市民革命を経ていない日本兵を奴隷兵士のように捉えたのはそういう背景があったからだった。


しかし、小熊氏のような歴史家は普通に市民という言葉を使うが、侵略された先住民からすれば侵略者に過ぎない。

その侵略者の後継者が独立した国家を築き、先住民から掠奪した領域の権利を正当化したのが市民なのだ。

これは、日本でも北海道で先住民のアイヌから土地を奪って生活している市民と変わりは無い。

ただ、北海道では当初は武装した屯田兵が重要だったが、アイヌは銃による武装化をしなかったし、北海道は独立しなかったので武装市民は誕生しなかった。

一方、明治維新の立役者となった島津藩は、関ヶ原の戦いに敗れて以降も臨戦態勢を維持しており、郷士は農耕をしながらの武装民であった。

人口の4分の1が武士であり、下人や隷属民を従えていたことは、身分制度を別にすればアメリカに類似していると考えられる。

アメリカでも市民は平等だったが、先住民や黒人に対しては厳しい差別を行っていたのだから、本当の民主主義とは言えなかった。

アメリカでは武装市民と島津領の郷士と比較するとどうだろうか?

因みに郷士制度は「百姓や町人や浦人【うらにん】(漁師)を、ビクともさせぬくらいに押さえつけて支配する。しかしいったん戦争でも始まれば、ただちにそのまま軍団を形成して、地頭の指揮の下で動き出すという仕組みである[原口虎雄1966:15-16]*1」

百姓、町人、浦人を先住民や黒人と見なせば、そう違いが無いように思える。

また、植民地化した奄美では現地の有力者を郷士にして多くの家人(身売者とその子ども)を支配したが、武装化がなされていたようだ。

郷士はアメリカの武装市民と類似していることが分かる。

また、戦前満州においては義勇隊のような武装集団もあったようだが、開拓団はソ連侵攻では関東軍に見捨てられ崩壊してしまった。

既に銃の武装だけでは正規軍の前には、かつてのアメリカのように開拓という名の侵略はなしえない時代になっていただけなのだ。


遙か昔に移動してきた弥生系の流れを汲む今の日本人には、縄文系先住民との戦いは忘れ去られた過去である。

あたかも自分たちの祖先であるかのように縄文人に関心を持つが、アイヌや琉球は別としてゲノム解析から我々の中にある遺伝子にはそれほど含まれていないことが分かっている。

また、古代の大和朝廷おいては蝦夷や熊襲との戦いという形で、地域独自に根付いた集団との争いの記録は残っている。

しかし、中国文明の影響のもとで武力を制する貴族が誕生して中央集権国家が誕生したが、やがて武力を背景とする武士(武装貴族*2)の誕生によって地方分権型国家になる。

戦国時代にはかなり武装化が一般に進んで、他国よりも人口比率の多い武士の力を背景に、秀吉の刀狩り(銃保持制限)を通して武装市民は生まれなかった。

秀吉以降は朝鮮侵略の失敗に懲りて、明治の欧米化するまで他国へ侵略することを諦めていたこともその背景にあるだろう。

それが日清戦争と日露戦争の勝利で味を占めて、徴兵制による市民の戦争参加がなされ中国に勢力を伸ばしたが、侵略の本家本元のアメリカには勝てなかった。

そして、アメリカのような武装市民に育たなかったばかりか、軍隊さえも戦争放棄させられた。

しかし、侵略された側にすれば、侵略者が更生したとも言えるのだ。

我々日本人は、武装市民国家アメリカをしっかりと理解しなくてはいけないと思う。

アメリカが特権貴族に対抗した武装市民の流れを汲むのなら、独裁的になった特権資産家やそれに結びついた活動家に対して従順であり続けられるのだろうか?

今回のテロに関してはそれを考えずにはいられない。

また、外国のいくつかの国では規制をしながらも、個人の防衛目的の銃の保持が認められていることも知っておくべきだろう。

ウィキペディアの「各国における銃規制」によれば、日本のように個人防衛目的の銃保持が認められてないのは近隣では中国、南北朝鮮、ベトナムだけだ。

興味あることに、これらの国は儒教と歴史的に関わりを持っている。

一方で、日本人が殺人を依頼するフィリピンは自由度が高いのだが、アメリカの植民地が長かったはことと関連があるかもしれない。


*1 原口虎雄 1966 『幕末の薩摩-悲劇の改革者、調所笑左衛門-』中央公論社

*2   S・アンジェイエフスキー 2004 『軍事組織と社会』新曜社


2025年9月16日火曜日

神居る千種・水くみ2025年9月

 昨日(9/15 敬老の日)にやっと千種川の源流となる宍粟郡千種町に家内と水くみに行くことができた。

春に汲んで置いた水はとっくに無くなっていた。

軽トラの荷台に10リットル20個と18リットル6個のポリタンクを積んで、行者霊水と言われる水くみ場でいつも水を汲んでいる。

前回は故障していて汲めなかったので、名水こうち広場で汲んできた。

それ以来、大切に水を使っていたが、7月までには無くなってしまった。

そこで、汲みに行こうとしたのだが、あまりにも暑くてできなかった。

というのも、荷台に積んである容器に給水器からホースを伸ばして入れるのは簡単だが、その容器を家の中の納戸に運び込むのが大変なのだ。

昼間は35℃を超える暑さの中で、夕方になってもその作業をすることは無理だと思った。

それで、9月半ばにしてやっと気温が普通の真夏並になったので汲みに行こうと思った。


予めドライブがてらに立ち寄って、給水装置が直っていたのを確認していて行ける機会を待っていた。

以前は家内と二人だけでできた水運びも、家内がリューマチになってからは、息子の手を借りないとできなくなっていた。

そこで、息子が夜勤から戻って来て家にいる日を選んだのだ。

千種町の当日の気温予報を調べたら、33℃ということで上郡と変わらない。

そこで、空調服を着込んでいくことにした。

例年は8月に汲みに行っても、千種は涼しいので空調服など必要なかった。

太陽に近いから暑いのだろうと、標高が562mある千種町のことを家内と冗談を言いながら出かけた。


上郡から久崎までは国道373で千種川に沿って進んでいくのだが、最近は雷雨が良くあるのに水かさは少なく、たくさんの白鷺が浅瀬で餌を探していた。

久崎からの吉永下徳久線は川幅が狭い分水量も多く感じる。

ここはひまわり畑の観光を力に入れていて、シーズンに休日に行くと渋滞に巻き込まれるが、もうすでにシーズンは終わっていた。

私は2年ほど前には千種高校に非常勤講師として勤めていたので、通い慣れた道ということもあって単調で眠気を誘われる道である。

今回も前を行くプリウスが制限速度をしっかり守るのは良いのだけれど、カーブのたびにブレーキを踏んでかなり減速させるので少々苛ついてしまった。

途中にある南光町の自然観察村キャンプ場には大勢の人がテントを張っており、川辺で水遊びをする人も見られた。

これは真夏の風景と変わらない。

そばにあるひまわりの館には、本当は帰りに立ち寄って力うどんを食べたかったのだが、現在は金土日しか開店しておらず、休日なのに閉まっていた。


道の駅ちくさは夏場は川で水遊びができるので、駐車場はほぼ満杯になっている。

前に居たプリウスもその混雑する駐車場に入っていった。

ドライブで通りかかると併設されている農産物の直売所に立ち寄って、いつも「門次郎さんの平飼い卵」を買うのだが、駐車することが無理そうだった。

千種高校のそばを通って行くときに、野球部が練習するのを見たが、部員が6名しかいなかった。

私が教えた生徒には女子選手も混じっていたが、もう3年生だろうから引退していない。


行者霊水の給水所に着いて降りると暑い。

高地の涼しさのかけらも無い。

そこの駐車場には後山に登る登山客の車が三台ほど停めてあり、一人はこれから登るところだった。

登山口の入り口には平成の大馬鹿門が曰わく付きで設置されている。

日差しの強い中を家内は給水器に100円を投入し、私が陽気にホースで水を入れていった。

途中で別のお客さんも来たが、給水器は一台しか無いので待たせてしまった。

給水が終わった後でその人の様子を見たら、ほんの少ししか容器を持ってきてなかったので、途中で入れさせても良かったと思った。

給水が終わるといつもそこの拝み所に賽銭を上げて二人で拝んでから後にした。

帰りは特別栽培米の「千種の舞」が売っていそうな店を探すのに、千種の街の道路を通ってみたが見つからなかった。

後ろから車が近づいてきたのでゆっくり探せなかったこともあるので、今度涼しくなったらゆっくり探そうと思う。


帰ってきてから、夕方になって息子が起きてきたので、頼んでポリ容器を運び入れた。

軽トラの荷台から玄関の取次まで運ぶのと、取次から納戸の棚に入れるのを手分けするが、息子は前者を選ぶ。

思いポリ容器を狭い納戸のスティール棚にしまうのは力と工夫がいるからだ。

以前はその仕事を家内がおこなっていた。

こんな力のいる作業をいつまでやれるかと思いながら続けている。


子ども達が幼い頃から、子どもの水の安全を思って始めた千種の水汲みも30年以上の年月が経つ。

当初はスキー場に併設してある給水所まで上がっていた。

千種は子ども達と水汲み以外にもキャンプや水遊びをした想い出の残る場所でもある。

南光町のひまわりの館で子ども達と力うどんをおいしく食べた。

こうして夫婦二人でわざわざこんな遠くまで水を汲みに行くのも、ここにくると水以上に豊かな自然の力を得られるように思うからだ。

縁があって一昨年は千種高校に勤めたことだし、これからも訪れ続けたい場所だ。

たたらで有名なのは知っていたが、気になってネットで調べたら古くは神が腰を下ろす「敷草村」と呼ばれていたそうだ。

そこの行者霊水を日々頂くことは、身体だけで無く心にも潤いを与えてくれるものだと思っている。











2025年9月15日月曜日

年金暮らしの野良人

 飼い犬、野良犬、山犬(狼)そして飼い猫、野良猫、山猫という言葉がある。

英語に直すと犬はpet dog,stray dog,wolf、猫はpet cat, stray cat,lynx(wild cat)

日本では山犬と狼は区別しようとする意図があるが、英語では無いようだ。

これは日本で豚と猪を区別するが、中国では区別しないのに似ている。

家畜化された犬猫が野生に戻って存在するのを許容するかどうかの違いのようにも思う。

日本は野生化した犬は野生そのものの狼とさほど区別はしていなかったようだ。


また、ペットの位置づけは食用とか使役の問題だろうが、日本では犬や猫は肉ないし皮を利用したり、狩猟やネズミ退治に使われていた。

江戸時代に生類憐れみの令が出されて、犬は特に食用を禁じたようだが戦前までは食べる人もいたようだ。

英語のpetは愛玩の意味が強いようで、日本のような利用をしないようだ。

そういえば、欧米では馬は愛玩動物の意味もあるのか、決して日本のように食べないようだ。

日本人は家畜は建前上は使役のみで、実際に裏では食用にもなっていた。

そういう意味で、本土の馬や牛は犬や猫と違って飼い馬、飼い牛、と言う表現はないけれど、馬を飼うとか牛を飼うと表現もする。

牛馬と犬猫の厳密な区別がなされていないように思う。

その点で行けば、英語では犬・猫・馬はhave,keepを使い、牛はraiseで区別しているのは食用とも関係しているのかもしれない。


一番大きな違いは野良犬と野良猫だ、英語のstrayには迷うとかはぐれるの意味があるが、日本語の野良にはそういう意味は無い。

野良は屋外を指すが迷う場所でもはぐれた場所でも無く、野生そのものの「山」よりも人の生活に近い場所を言う。

英語では本来人と共にあるべき犬・猫が迷ったりはぐれている意味があるが、日本語は人に飼われてはいないが、野生の動物のように自活はしていない状態を意味している。

そして、そういう人には飼われずに居住地域周辺に生きる犬・猫の存在を許容していたように思える。

野生でも家畜でも無くて人のそばで生きてきたのが野良犬・野良猫だった。


人の場合は今の日本では屋外で生活していると浮浪者と見なされる。

昔は木地師やマタギのような移動生活者もいたが、仮小屋とは別に家屋を持っているのがふつうだったようだ。

だけど、人類の歴史を考えると狩猟採集時代の移動生活が殆どだった。

そして、日本では定住生活になっても、常に村落の回りや自然界の山や海との関わりを保ち続けていた。

そこで、山仕事をしたり野良仕事をして暮らしてきたのだ。


近代化されて、都市部に暮らす人は信仰やリクレーション以外に、自然との関わりを無くしていった。

農林水産業に携わる人も、収入の対象としての自然という見方になってきた。

野良作業・仕事は賃金目的でする労働のことを指してはいない。

暮らしに必要な物を手に入れたり、村が山になってしまわないために行う作業・仕事を言う。

完全に機械化管理されたところでは野良作業・仕事とは言わないだろう。

野良作業・仕事の方が肉体的にきつくても気楽で面白いこともある。

そこから得られる物を金に換算したり、時間に追われることが無いからだ。

本来賃金目的でする仕事には無い魅力があるし、時間に追われない分、好きな研究や多くの趣味や健康管理に没頭できる。


私は今は完全退職して、畑での野良仕事を中心とした生活をしている。

作った農作物はたまに人にあげるが、殆どは家で食べる物だ。

出荷して金に換えても大した額にもならないし、いろいろ面倒なことも起こる。

そして、自分の都合に合わせて朝早くでも、夕方遅くでも自由にできる。

季節によって、村の回りの山菜なども採って食べたりもする。

村の溝掃除や道作りなどの野良仕事もちゃんと参加している。

以前は、それに出ないと出不足金を取られていた。

今は、出た分を村会費から引いて貰えるが、賃金は支払われない。

いわば家には住んでいるけれど野良人と言っても良いかもしれない。


これまでは、収入を得るために学校の教師として働いていた。

言い方は悪いが、県に飼われていたと言って良いだろう。

ペットのように可愛がられはしなかったが、雇用は守られて生活できる賃金をもらうことができていた。

その代わり、時間外の労働や、無理な仕事を命じられることも多く、心身の健康を害することもあった。

年金が完全支給されて、やっとそういう賃金目的の仕事から解放されたのであってはぐれたのではない。

雇われ続けたかった人にとっては、追い出されたとかはぐれたと感じるかもしれない。

私にとって野良作業・仕事は大切な生きがいであるのでそのように感じない。

できれば、山や海で狩猟・漁労もやってみたいが、それはこれからの課題だろう。

現代の日本の勤労者の殆どは賃労働とボランティアしか頭にないかもしれない。

野良作業・仕事は結果的に収入になったり奉仕であったりするかもしれないが、それを目的としていない。

本来は自分の意思で自由に居住近辺で野生と向き合うのが野良作業・仕事だと思う。

そういう作業・仕事を立派にこなせる野良人になることに努めたいと思っている。

その一方で、山人や海人に対しての憧れも抱き続けている。





2025年9月13日土曜日

ドーパミンから見た社会②~ポルノビデオと少子化問題

 江戸時代の春画を始め、男女の性描写は人々の心を捉え続けてきた。

絵画が写真となり、そしてビデオとなったのだが、それとは格段の違いとなったのがインターネットの配信だった。

今回も次の書籍を元に考えてみる。

『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018) 合同出版 (以降D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

この書では安易にネットでポルノビデオにアクセスできるようになって、ポルノ依存症が増加していることを指摘している。

衝動的なポルノ鑑賞が常習性薬物と厳密に同じだという確証はまだないが、共通する点はいくつかある。常習性薬物の場合と同じく、過剰なポルノ消費のサイクルに陥ってしまった人は、日ごとにその活動に長い時間を費やすようになる。ときには毎日数時間になることもある。アダルトサイトに集中したいがために、ほかの活動を避けるようになる。パートナーとの性的関係の頻度が減り、満足度も低くなる傾向がある。ある若い男性は、デートするのを完全にやめてしまった。現実の女性とデートするよりもポルノを見ているほうがいい、写真のなかの女性は何も要求しないし、絶対にノーと言わないから、というのが彼の言いぶんだ。D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):85]

ドーパミンによって常に新しく刺激のあるポルノビデオを求めるようになる。

この生殖と関連するドーパミン作用は薬物などの習慣の有無の問題で無く、生存そのものに関する重要なことだ。

それが薬物と同じような依存性を伴ってしまう。


この頃はポルノビデオだけで無く、以前はオナニーとかマスターベーションと言われていたのが、セルフプレジャーと言う表現で市民権を得てきている。

そして、それに関するグッズが多く販売されて、若者だけで無く高齢者も愛用されているようだ。

ポルノビデオは場合によって、男女間のセックスの役に立って、それが妊娠に繋がる可能性もある。

しかし、セックスができなかったり、面倒になった者にとっては、セルフプレジャーだけに利用するもので、妊娠とは結びつかない。

もう子育てが済んで望めない高齢者はともかく、若者の多くがそういうことになれば、ますます少子化が進んでしまう。

本来はドーパミンと関わるセックスが、妊娠出産によって子どもを育てる幸福感のオキシトシンに繋がるべきなのだ。


ただ、ネット上のポルノビデオだけに責任を負わせて規制を厳しくしても解決にはならないだろう。

これからは男女だけにかかわらず多様な性関係が認められるようになる。

その選択肢の中で、子育てを望むような環境作りが重要なのだと思う。

子育てを通して得られた幸福感(著者はヒア&ナウ(H&N)」と呼ぶ神経伝達物質による)が、子育て期間を過ぎても得られていたのが家族や親族だったと思う。

その家族・親族が行きすぎた資本主義社会の犠牲になって解体されて、幸福感を得る場所を失ってしまった。

だから、むうしろポルノ依存症は少子化の原因では無くて、代償とも言える。

つまり、政府や企業は子育てとその後の家族・親族を通して得られる幸福感を支援できる仕組みを作らねば少子化対策にはならない。

そもそも非正規雇用を多く生む政策を行い格差社会を助長して、結婚もできない男女を多く作った自民党・公明党の政権に根本的な原因もあるとも思える。

近年は男性の育児休暇や、時間外労働時間の規制を進めているが、外国人を含めて非正規雇用の人々を犠牲にしたやり方なら、根本的解決にはならないだろう。



2025年9月11日木曜日

ゴルフより読書

 石破首相はゴルフよりも読書が好きだというが、地元でゴルフをしていて嫌みを言われたので、挨拶回りの方を優先したらしい。

それでも読書家であることは確かなようで、それが漫画好きの麻生元首相と馬が合わないのも分かるような気がする。

また、ゴルフは高校時代のクラブでの競技スポーツとしての経験だろうから、社交ゴルフには違和感があったのかもしれない。

それよりも、いわゆる昔で言う「オタク系」に思われる首相の趣味は、誰にでも受け入れられることは確かだろう。


私は中学高校と電車通学だったので、勉強は嫌いだったが本はよく読んだがオタクではなく、いわゆるロックバンドの不良だった。

しかし、そのわりには純文学の方を中心に読んでいて柄にも無く夢見る少年だった。

大学へ入ってからは1年目は軽音楽部や剣道部だったときは殆ど本を読んでいなかった。

ところが、文化人類学研究会に入ってから村落調査をするのに必要に迫られて、専門書を読むようになった。

でも、読書よりフィールドワークの方が好きだった。

そんな私が研究者になろうとしたのだから、かなり無理があったのは確かで、特に英語の論文がまともに読めなかったが致命的だった。


文化人類学はフィールドワークが重要だったので、そんな私にも研究者への望みもあったのだが、やはり文献をこなす研究者の資質に欠けていた。

だから、理論よりも実践が重要な教師になったのが正解だったようにも思える。

臨床教育学という分野もあるが、大学の教育学の研究者は研究対象の学校の実践経験に乏しい。

現場の教師の実戦経験を聞いたり観察したりだけで、理論を組みたてていくので非常に無理があると思う。

教育学者と政治家、官僚を中心に作られた学校指導要録や免許更新制度などに、どれだけ現場の教師が振り回されて大変な思いをしたか実感として知っている。


政治家は理論家ではなくて実践家の部類になるのだと思う。

選挙はある意味で闘いで、自分を選んでくれる人としっかり向き合わねばならないだろうし、外交ならその相手とも公私にわたって関係を築かねばならないだろう。

それは教育現場で生徒としっかりと向き合ったり、進学先や就職先との関係を築くことと似たところがある。

もし、現場の教師が教育理論を振り回して、生徒から人気はそこそこあっても、職場の仲間との関係が上手く築けなかったら優秀な教師とは言えない。

ただ、教育現場でも派閥や管理職との関係よりも生徒のための指導に徹する孤軍奮闘教師はそれなりに存在価値はあると思う。


今の自民党は人気を失って定員割れを起こした大学や高校に似ている。

そして、そこの学長や校長が人気などとは関係なく、学校自体が人気を失っているケースなのだ。

私は石破首相の広島でのスピーチには感動さえ覚えた。

歴代の首相とは違って、気持ちをそれまでの読書から得られた知識で活かすことができたのではないかと思う。

気の毒に思うのは、こういう理想家の人を支える献身的な部下はいても、辣腕の部下を欠いていたことだろう。

単に調整の旨い人や格好だけで中身の無い人に頼っていては、強い実行力の乏しい理想家の弱点をさらしてしまうだけだ。

首相が人気が無いわけでは無いのに、自民党の人気が減ったのは自民党が頼ってきたアメリカがトランプ大統領のせいで信頼が失われたのと歩調を合わせているとも思う。

大手企業を重視した政策がトランプの関税政策対応などで国民を犠牲にしているように感じさせた。


私はゴルフを始めようとゴルフセットやゴルフシューズまで買ったのに、打ちっぱなしに行った程度で、一度もラウンドを回ったことは無い。

何度も、職場の教師から誘われたり勧められたりしたが、結局はしなかった。

授業でゴルフ場の自然破壊を力説しながら、自ら加担するわけには行かなかった。

また、土日はクラブ活動や、家族と一緒に過ごすのに時間を費やしたかったからでもある。

最近は熊が近隣で出たというので、しまっておいたゴルフクラブを杖代わりに持って朝の散歩に役立てることはできた。

読書は相変わらず多くの時間を費やしているが、前立腺が炎症を起こしてから立ったり座ったりの工夫が必要となってしまった。

だから、読書はほどほどにして、散歩、農作業、水泳で健康を維持している。

石破首相の容貌や体型を見ていると、読書やオタク趣味も良いけれど健康のためにゴルフをした方が良いようにも思う。

私の叔父はゴルフをする機会を失ってから、糖尿病を悪化させて亡くなってしまった。

首相を辞めたら、鳥取にももっと滞在して、あのすばらしい自然と向き合って欲しい。




2025年9月10日水曜日

突然のスコールのような雷

 地理を学んでいる者は常識なのだが、台風は移動性熱帯低気圧と言われながら、赤道の北と南の5度以内では自転の関係で発生しない。

その代わりにスコールが良く発生すると教えられるが、元来はスコールは熱帯に限らず突風のことを指したらしいのを、日本では驟雨のような突然の雨を一般にさしている。

以前に修学旅行で生徒と一緒にグアム島に行ったのだが、そこでスコールに遭遇したことがある。

向こうの方から雲がやってくるのが見えて、突然降り出したかと思うと直ぐに止んでしまった。

北緯13度にあるので、熱帯海洋性気候でこのあたりは4から5年に一度は台風はやってきて被害が出るそうだが、日本のように毎年は来ないそうだ。

琉球列島や九州などが台風の通り道となって、毎年台風がやってくるのが普通なのだ。

ところが、今年は台風が例年のようにやって来ていないが、熱帯並の海水温が高くて、日本近海でも発生するらしい。

ということは、グアム島のようになることかもしれない。


日本は海に囲まれて海洋性気候になって良いはずなのだが、大陸の東岸に位置するのでその影響が強い。

しかも、南からのモンスーン(季節風)の影響も強く受けるので、温暖湿潤気候になっている。

地理では冬に大陸から、夏に海からの影響を受けることを教えて、大陸西岸の地域との違いを教える。

しかし、このように温暖化の影響で日本の周りの海が熱帯並になってしまったら、従来通りの気候の捉え方ができなくなる。

日本は夏は熱帯性大陸東岸気候と呼ぶべきかもしれない。

太平洋高気圧とチベット高気圧の影響によって高温で、雨は少ないが局地的には豪雨となる。


昨日(9/9)の午後の4時頃に上郡ではすさまじい雷雨となった。

ちょうど、私はプールで水泳をしていたのだが、雨の音が大きくて流れている音楽が全く聞こえなかった。

家のことが心配で帰ろうと思うのだが、傘を持たずに来ているので車まで行くのにずぶ濡れになるから泳いで時間を潰した。

小止みになって家に戻って開けてでていた部屋の窓を確かめたら、息子が閉めてくれていたので布団が濡れずに済んだ。

昼頃にはちょっとした雨があったので、洗濯物は室内に取り込んでいたのも幸いした。

奄美では弁当を忘れても傘を忘れるなと言うがそれは単なる譬えで、昔の小学生は道ばたの大きなクワズイモの葉を傘にしたという。

東南アジアでは雨の後で直ぐ晴れるので濡れること自体あまり気にしないが、奄美でも農作業では少々の雨は気にしなかったのだと思う。

こちらでは今まで、晴れ続きだったので、これからは雨への心構えが必要となった。

幸いなことに、試しにサツマイモの蔓を昨日の朝に植えてみたので、水やりは助かった。

今朝(9/10)散歩をしていて、道の草や田んぼの稲が倒れているところをいくつも見た。

近所の高田川は大して増水していなかったので、短期間に雷雨と突風が酷かったのだと分かった。


地理はケッペンの気候区分を覚えるのが生徒にとって苦痛なのだが、その気候区分も温暖化の影響で実際とずれてきたのではないかと思う。

今年のような年の雨温図(気温と降水量のグラフ)で、その観測位置や気候帯を推測するのは無理だろう。

破綻してしまった気候を地理の教科書で理解するのは難しくなったと思う。

おそらく今後は台風シーズンが初夏や初冬に広がったり、真夏が乾燥帯のような気候になるかもしれない。

服装も夏場の外出時は晴雨兼用傘と空調服が当たり前になっていくかもしれない。

子どもの頃の穏やかな夏が恋しく思う今日この頃である。



2025年9月9日火曜日

平和教育と戦争肯定

 我々日本人は現代では戦争を肯定する言論は普通どこでもなされることは無い。

学校においても平和教育が基本で、教師が戦争を肯定したり賛美したりすると、非難されるだろう。

学校では戦争は悲惨なもので絶対するべきでは無いと教え込まれる。

しかし、一方で教科書での日本史や世界史の戦争の記述では、戦争によって時代が変わったり、近代化がなされたり、経済復興したことが記述されている。

そして、負けた側の日本の立場で戦争否定が絶対化しているように見られるが、勝った側のアメリカが戦争を肯定していることに触れようとしない。

今回のトランプ大統領が国防省(Department of Defence)を戦争省(Department of War)に改めようとしていることが、如実にそれを物語っている。

アメリカではかつて戦争省と呼ばれていた時代があって、その時代がまさしくアメリカが偉大で有ったのでそれに倣いたいと言うことらしい。


日本はアジア・太平洋戦争で自国に多くの人命や富を失ったし、他国にも多くの損害を与えてその倍賞に負われた。

一方、アメリカはその戦争を含む第二次世界大戦に勝ったおかげで、世界のトップの超大国にのし上がることができたのを誇りに思っているようだ。

日本人も戊辰戦争、日清戦争、日露戦争によって近代化や経済発展、領土拡大されたことを歴史的に否定することは無いのと同じである。

そのアメリカもベトナム戦争の長期化で自国で反戦運動が起こったのだが、それでその後の戦争を止めたわけでも無い。

アメリカは戦争を通して世界での覇権を握ったのであり、ロシアや中国、北朝鮮もそれに対抗するための軍備拡大を行ってきた。

GDPでの世界ランキングでは中国は2位だがロシアに関しては11位、北朝鮮では137位である。

世界に大きな影響を与えているウクライナ戦争は、経済だけが世界を動かしているわけは無いことがよく示されている。


トランプ大統領は関税という経済政策によって世界を操作しようとしているが、それを成り立たせるのは軍事力だと言うことをよく分かっている。

だから省の名前も変更しようとしているのだが、その一番のパートナーにしてもらおうとする日本はその相手をしっかりと知るべきだ。

学校での平和教育は戦争否定だけで無く、戦争を肯定する国の実体もしっかりと教えるべきだ。

日本国の平和憲法は理想としてはそうあるべきだと思うが、学校やマスメディアなどでは単に理想で済まされない現実をきちっと発信せねばならない時代になったと思う。


私は「戦争放棄の戦略」でも書いたように、戦争を否定するのが日本にとっては重要なことだと思っている。

しかし、戦争を肯定する国の本質をきちっと理解し、日本国民に知らせておくべきだと思う。

特に学校教育では人権教育と同じように、被害者の立場でしか解説がなされないことが多い。

マスメディアも戦争反対のキャンペーンでは、悲惨な面を報道するのが主である。

確かに、それは重要なことだけど、加害者のことも、戦争で恩恵を受けることもきちっと踏まえて、学習や報道がなされるべきだと思う。

また、イデオロギーや宗教の問題として戦争が論じられてきたが、人類の生来の認知機能に基づく行動からの論じ方も必要だろう。

トランプ大統領の出現が、悲惨さだけで戦争を理解させる時代からの転換を実感させた。




2025年9月8日月曜日

貧乏性にした責任

 家内が底が外れたサンダルを修理したと自慢している。

私はそんなにうちは貧乏では無いから、新しいのを買うように言うのだが買おうとしない。

それはお金の節約という意味もあるが、足が非常に小さくて(22.5cm)気に入ったものを探すのが大変なのだ。

やっと安くて自分の気に入った履き物は修理してでも使い続けたいらしい。

本来なら、大きな街に行って時間を使い探せば良いのだろうが、私に気兼ねしているのかそれもしない。

他にも、特に衣服などは安売りの物しか買わずに、安く買えたのを大阪のおばちゃんのように自慢している。

専業主婦から臨時の職員になった関係で、今でも給料が安いので無駄遣いと思われるのも嫌なようだ。


私自身が一人だけとか知り合いと出かけていったりしたら良いのだが、退職してから家に籠もって研究が中心となり出かける機会を失ってしまった。

そういえば、家内から聞いたのだが、研究職だった夫が大学を退職するのを機会に、知り合いの奥さんの方が薬剤師としてしっかりと外で働くようになった例がある。

薬剤師の資格を持っていて働いていて、結婚後に出産を機会に辞めたのだと言うが、それなら子どもが家から離れた時点で復帰しても良さそうだ。

つまり、夫が家に籠もって研究するので、一緒にいる時間を減らそうとしたと言うことだ。


家内自身も60歳を超えても外で働いているが、半日程度の仕事である。

知り合いの奥さんのように気兼ねなく、出かけるのが躊躇われるらしい。

私は教師をしていた関係で、高給取りの女性教師を多く知っているが、その人たちは夫に遠慮無く一人や友達と泊まりがけで出かけたりしていた。

もし、私も職場結婚して正規採用の女性教師と結婚していたら、それと同じような生活になっていただろう。

そういう知人の夫婦ともども教師が、退職後には夫婦が別々の楽しみを見つけて暮らしているのも知っている。

ただ、住んでいる村では専業主婦が多くて、奥さんが自由に外出しているケースはあまりない。

家内の母親も専業主婦だったので、それと似たようなものだった。


私自身は、現役の教師の頃は仕事だけでなく、職場の人との付き合いや、ひとりでも泊まり歩くことは多かった。

特に、自分の研究で鹿児島や奄美には一人で旅行に出かけることも多かった。

それをしなくなったのは、自費出版した上に早期退職でお金の余裕が無くなってからだ。

その耐乏生活は家内にも及んで、貧乏性にもしてしまったようだ。

年金が満額支給されるまでの8年間に及ぶ耐乏生活が、家内の貧乏性を生んだのであれば私の責任だ。

私自身は年金が満額支給されるまで退職金を切り崩せば良いと気楽に考えていたのだが、家内は今後の家の修理や老後の問題で切実に思っていたようだ。

私は子どもの頃から金に不自由しながら育ってきているので、金の無いのがそれほど苦ではなかった。

それに対し、金に不自由なく育ってきた家内は危機的に思って倹約していたようだ。

家内から「金が無いのは首が無いのと同じだ」と親から聞かされて育ったということを聞いていた。

でも、自分の母親が多くの貯金をもちながら、それを有効に使わずに入院して1年も経たないうちに亡くなったので考えもようやく変わってきた。

貯金も殆ど残さずに亡くなった私の母とよく比較するのだが、必要な物や心身の健康にお金を使うことは決して無駄遣いで無いと私は言い続けている。。


世の中には現役時代では高給取りで多くの出費をしていた人が、退職後の年金暮らしでもそういう生活が止められず破綻したケースもあるようだ。

田舎暮らしで、子どもにも教育費が多くかかって、余裕のある生活ができなかった私たち夫婦には贅沢な暮らし方そのものの経験が無くてわからない。

私自身が物質的に裕福な暮らしよりも、自由でマイペースな生活を重んじているのが、家内の行動にも影響を与えてしまったようだ。

田舎では夫が非常にわがままな老夫婦を見かけることがたまにあるが、それほど露骨でないにせよ私がプレッシャーになっていることにはかわりない。

老後が長くなる以上はよくよく考えて、家内が負担を感じないようにせねばならないと思っている。

夫婦も不即不離をモットーにせねばならないと言うことかもしれない。


2025年9月6日土曜日

ドーパミンから見た社会①~芸能スキャンダルの背景~

 以前から神経伝達物質のドーパミンのことが気になっていた。

そこで入門書と思って

『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018) 合同出版 

(以降D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

を図書館から借りて読んでいる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、ドーパミンをきちっと医学的に概説してくれているが、前記の入門書を読むと理解しやすい。

この書は、ジョージワシントン大学の精神医学・行動科学部教授のダニエル・Z・リーハーマンとライター、スピーチライター、脚本家のマイケル・E・ロングの共著である。

つまり医学的な内容を、分かりやすいように物語として事例を挙げているのだ。


その中で、女あさりを唯一の楽しみとする優秀なソフトウェアーの営業マンであるアンドリューの例がある。

これは、まさしく芸能界を揺るがしているスキャンダルの理解にもってこいの内容だった。

そもそもドーパミン自体が快楽物質だと誤解しがちだがその本質を知る必要がある。

第1章 愛●恋愛から友愛へと 第2章 依存症●「欲求ドーパミン」の駆動力D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]から重要に思えることを上げると次のようになる。

①ドーパミンは脳が身体外空間を処理するときには、あるひとつの化学物質が、ほかのすべての化学物質を凌駕する支配力を行使する期待と可能性を司る化学物質

②ドーパミンの本質は、期待物質。いま手にしているものを楽しむためには、未来志向のドーパミンから現在志向の化学物質に脳を移行させる必要がある。

③現在志向の神経伝達物質は、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィン(モルヒネの脳内バージョン)、そしてエンドカンナビノイド(マリファナの脳内バージョン。「内因性カンナビノイド」とも)と呼ばれる一群の化学物質だ。(著者はヒア&ナウ(H&N)」と呼ぶ)

④ドーパミンが強迫的な切望を司る物質であるのに対し、長期的な絆ともっとも関係の深い化学物質は、オキシトシンとバソプレシンだ。オキシトシンは女性で、バソプレシンは男性でより活性が高い。

⑤ドーパミン停止がオーガズムをもたらす


⑤が最もスキャンダルと関連しているので詳しく引用する。

セックスはいわば早送りの愛だ。セックスは欲望からはじまる。これはテストステロンの引き起こすドーパミン作動性の現象だ。それに続く興奮も、未来志向のドーパミン的体験だ。身体的な接触がはじまると、脳の支配権はH&Nへ移り、おもにエンドルフィンの放出をつうじて感覚的な体験の喜びがもたらされる。行為の極致、すなわちオーガズムは、ほぼ完全に「いまここ」での体験だ。この瞬間、エンドルフィンをはじめとするH&N神経伝達物質が連携し、ドーパミンをシャットダウンするD・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):40-41]


要するに女性をとっかえひっかえ引っかけて喜びを得ている人は、ドーパミンに支配されており行く着くところはセックスよりもナンパそのものになるという。

それは、ドーパミンは快感そのものを与える物質では無いことが原因となっている。

つまり、ドーパミンに支配されてなければ一人の女性から得られる快感でも満足できると言うことだ。

この書では、ミックジャガーのSatisfactionの歌はまさしく、満足いかない彼が4000人くらいの女性とつきあった事を表現する歌だったことが書いてある。

元ビートルズのポールマッカートニーも女あさりで有名だが、ミュージシャンのモチベーションはドーパミンによって維持されているのかもしれない。

そうすると、芸能人が同じような行動をとるのも不思議では無いのだが、本人の魅力で女あさりをしたのと、権力や権威を背景に不同意の女あさりをしたのでは意味が違う。

芸能人で無くても音楽や絵画などの芸術家や文学者などが女あさり的な行動をするのは良く聞かれる話である。

また、政治的権力や経済力を背景とした女あさりを「英雄色好む」と表現したいりもして、1万円札になった渋沢栄一もその一人だろう。

大国のトップもそういう噂は絶えないので、英雄はドーパミンに支配されているとも言えるかもしれない。


この書はまだ全部読み切っていないので、もっと人間の本質に迫る内容が期待できると思っている。

私は文化人類学の研究の途上で、人類の認知機能の問題に強く関心を持っている。

これは他の地球上の植物や動物と連なる重要な問題だと思うからだ。

そういう進化論的な問題だけで無く、社会問題の理解にも役立つように思えたので、今回紹介しようと思った。

今回は触れられなかったが、薬物依存の問題もこれを読むと良く理解できる。

これは芸能界だけで無く経済界の問題にもなってきたようにも思うのだが・・・・・




2025年9月5日金曜日

蒜山も暑かった

 このところ毎年一度は夏に蒜山高原にドライブに行ってそばを食べてくる。

休日に少しでも涼しいところで過ごしたいからだ。

いつも行くのは「道の駅 風の家」だ。

かなり前に行きはじめたのだが、蕎麦屋が火事で焼けてしまって無かった頃は行っていなかった。

ためしに蒜山焼きそばも食べたが、蒜山そばには敵わなず遠くまで行く魅力を感じなかったからだ。

去年行ったときには雨模様で雷も鳴って寒ささえ感じた。

この日曜(8/31)も、期待を持って出かけたのだが・・・・・


蒜山高原に行くのにいつもルートを迷うのだが、一番手っ取り早いのは中国縦貫道に乗って、途中から米子道を通って蒜山ICで降りれば直ぐだ。

ガソリンが高い上に高速料金を支払うのは大きな負担なので、下道を通って行っている。

まず、朝の9時過ぎに家を出て上郡から千種川沿いに国道373で上月まで行き、上月から国道179で湯郷近くまで姫新線沿いに山間の道を走って行く。

滅多に1両編成の車両が線路上を走っているのに出くわすことは無くて、線路と木造駅舎を眺めながらいつも乗ってみたいと思いつつ実現できていない。

そして、美作の吉野川沿いにある道の駅の彩菜茶屋で、トイレ休憩がてら販売所を覗いたが欲しいと思う物は無かった。

前回に来たときに黒大豆の枝豆を買ってきて食べたが、自分の家で作るのに比べて甘みが少なく、食感も良くなかったので今回は買わなかった。

観光客相手なので、値段もそんなに安くは無い。


そこから津山に向かって進み、津山の中心街はなるべく避けて、国道181に入る。

いつもは、巨大ガンダム像がある道の駅の久米の里に寄るのだが、今回は素通りして勝山まで進んでいった。

古い街並みの残る勝山からは国道313で旭川沿いに景色を楽しみながら北上していった。

途中で小さな道の駅によって中にあるトイレに入ったのだが、誰もお客さんがいないので申し訳なくてアイスクリームを頼んだ。

すると、その日初めて動かしたらしく、アイスクリームが出てくるのに非常に手間取った。

ジャージー牛乳を使っていて美味しかったが500円という値段もして、後で風の家では400円で売ってあったので高いけど客の人数からすれば仕方ない。

家内とはアイスクリームを車中で運転しながら分け合って食べるのが習慣になっていて、鳥取へ行ったら道の駅の若桜で、必ず買って食べるのだが前回は売り切れていた。


国道313から途中で国道482に入って、稲や蕎麦が目立つ田園景色が続く中で風の家に到着した。

車に示されている温度計は33℃でちっとも涼しそうにない。

去年は天気が悪くても人が多く駐車場に入れるのも困ったが、今回は12時過ぎなのにすんなりと駐車場には入れて蕎麦屋の近くに停められた。

そして、店に入るのに去年はかなり並んでいたのだが、今年は非常に少ない。

順番待ちの記名は店の中と外の希望が書いてあったのでもちろん中にしたが、店の前の庇で陰になったところのベンチに腰掛けて待ち、しばらくすると名前を呼ばれた。

私はとろろ蕎麦の大盛りで、家内はおろし蕎麦を注文した。

蕎麦の麺は太めだが香りが良くて美味しい。

いつものようにとろろ芋をかけてしまわずに、少しずつ蕎麦に絡ませて食べた。

量的にはもう少し欲しかったが、そば湯を頼んで1杯半も飲むとしっかりお腹がいっぱいになった。

かつては猪名川や淡河に十割そばをよく食べに出かけていたが、味と香りでは遜色ないと思った。

店を出るときに、そこそこ店のテラスでも若い人は食べていて、本来ならこちらの方が自然な涼しさを感じられたのだろうと思った。


食事後は向かい側にある特産物や野菜を販売しているところに買い物に出かけた。

ここではテントが並べてあって、餅をついて売っていたり、やまめを焼いて売っていたりする。

また、テントには来客者が食事できるテーブルと椅子が用意されていて食べている家族も見かけるのだが、今回は暑そうに見えた。

とにかく、雰囲気は賑やかで夏祭り気分にさせてくれた。

特産物店では毎回欲しいと思いながら高くて手が出ないのが「がまの籠」だ。

私は竹を編んで作られた市場籠が大好きで、それを持って職場に出かけて授業でも使っていた。

それらは安い輸入品が買えるのだが、がまの籠は1万円以上の値段がするので手が出ない。

昔は山菜や作物を入れるのにちょうど良かったのだろうが、今はこんな高価工芸品には入れられない。

家の近所にもがまはけっこう生えているので、今度採ってきて籠作りに挑戦してみたいと思う。


農産物はトウモロコシが安くて美味しそうだったので買った。

他にも自分の畑では採れていない蕎麦の実、平飼い卵など色々買って、3000円ほど支払った。

できれば特産の肉や牛乳なども買えれば良いのだろうが、今のくらしには贅沢に思えて買わなかった。

農産物の販売所は規模も大きく品数も多いのが魅力でもあり、大勢の人が買い物をしていた。

農産物の直売所は家の近隣でも増えているが、規模が小さい上に品数も少なく人気のあるものは直ぐに売り切れてしまう。

そもそも、上郡などは米農家が多いので、特産品もモロヘイヤなど特殊だし他の農産物の出荷が少ない。

西播磨テクノポリスにも播磨自動車道が完全開通したのをきっかけにこういう道の駅を計画したように思うがどうなったのだろう。

やはり、西播磨は瀬戸内海の魚介類の方に魅力があって人気があり、それに農産物が便乗させた方が良いように思える。


帰りは鳥取道を使って帰ることにしたので、まずは日本海側に出ることにした。

来た道を引き返して、倉吉に向かう国道313に入って高い山間の道を進んだが、いつも通るときは涼しさを感じるのだが温度27℃ほどで窓を開けるほどでは無かった。

国道9が通る北条への道は新しいのが完成しつつあってスムーズに進めたのだが、街並みの見えた以前の道の方が風情があった。

いつもは海沿いの国道9を使って海景色を楽しむのだが、最近通ったばかりだし時間も無いので、途中から山陰道を使って鳥取道へと向かった。


トンネルの多い鳥取道を走って佐用の平福まで行き、そこから下道を通って帰ったが、走行距離は300kmを少し超えていた。

燃費は20kmほどで、15リットルのガソリンを消費したとして、だいたい2500円ほどの燃料代になる。

当然、電車やバスを使ったら二人で2500円で済むはずがなく、安上がりの日帰り旅行ではある。

この日行ってきた場所は、温泉が沢山有るところなので、1泊して温泉を楽しめた方が良いに決まっている。

今回も枕が変わったら眠られない家内とのいつもの強行日帰りドライブだったが、せめて蒜山で涼しさを感じたかった。

それでも、渓流沿い、高原、日本海と色々な景色を楽しめて、良い気分転換になった。









2025年9月3日水曜日

財布に優しくて美味しい豚足

 私は大学時代に豚足を大学の先生に紹介されて食べ始めてから、ずっと思い出したように一人で食べ続けている。

彼女と一緒に食べるものでもなく、結婚してからも家内は豚足は嫌いで食べてくれない。

焼き肉屋でも殆どおいてなくて、沖縄の居酒屋ではおいてあったので注文して一緒に行った仲間にも薦めたら、女性でもおいしいと食べてくれた。

沖縄の豚足料理はテビチと呼ばれて煮込む物らしいが、その時に出されたのは塩焼きにしてあっさりとしていた。

私は大学時代の名古屋では、既にボイルされた物を買って一緒についていた辛子酢味噌で食べていた。


地元の赤穂に戻ってきたときに、豚足は肉屋さんの中で一軒だけ売ってあったので買ってきたら、まだ毛が着いていてそれを焼かねばならなかった。

爪の間もあまり綺麗にしてくれて無くて、匂いも強かったのであまり買わなかった。

この頃はどこのスーパーの肉コーナーに置いてくれていて、半分に切って食べやすくしてくれているが値段が高い。

グラムあたりの値段は安く思えるのだが、骨が殆どで食べられる肉があまり無いので、割高に思える。

豚足は割高だから、姫路駅近くの韓国料理の食材店で豚の顔の部分を買って来て食べたりもした。

こういう豚足や豚の顔は子どもも気味悪がってほとんど食べてくれなかったので、一人で食べていた。

そしてついに加齢と共に、血液検査で中性脂肪値などの脂肪値が高くなってしまって、家内から食べるのを止められてしまった。



近年では、スーパーで見かけるとたまに買う程度がずっと続いていたのだが、よく行っている赤穂の業務スーパーでは必ず生の豚足と耳を置いてくれていて安かった。

赤穂の業務スーパーでは生の豚足が二本で380円程度で買うことができて、東南アジアから働きに来ている外国人らしき人もよく買っていっていた。

以前勤務していた定時制高校の男子生徒はここの食肉を裏方でさばいていたのだが、聞くと豚足はよく売れていると言っていた。

ただ、赤穂の業務スーパーには月に一度行けば良い方だったので、それほど頻繁に食べていたわけでは無い。

そして、龍野にも業務スーパーがあって、そこに冷凍した豚足が安く売っていたので買ってきて、シャトルシェフで人参や大根なども加えて豚足スープを作った。

美味しくてそれを毎日食べ続けていたら、不覚にも痛風になってしまった。

それ以来、豚足スープは作っていないし、豚足はなるべく食べないようにした。


それでも、たまに行く赤穂の業務スーパーでは、豚足より割安な豚の耳の方を買ってきて食べることを細々と続けていた。

そんな折に、豚足を食べる良い口実ができた。

いつも一緒に散歩している我が家の愚犬クロが、今年の夏の暑さにやられて弱ってしまったのだ。

私は豚足の骨は必ずクロに与えていたのだが、喜んで食べていた。

そこで、クロを元気づけるのだと家内に言って、業務スーパーに行き豚足を買ってきた。

前回豚足を買ったときにはシャトルシェフで茹でたのだが、今回は家内に勧められて蒸すことにした。

茹でた豚足は脂分も落ちて柔らかく、健康にも良さそうだったが味は蒸した豚足には叶わない。

豚足は手でつかむと油まみれになるので、ナイフとフォークを上手く使って手を汚さずに食べて、骨も全部バラしてかじりついて綺麗にした。

クロにその骨を上げると喜んで食べて元気にもなった。


私は肉が大好きであったのだが、学生時代は金が無くて100g10円の鳥の皮を普段は食べていて、いい加減飽きてきていた。

だから、たまに食べられる豚足は馳走だった。

今はさほど金に困っているわけでは無いのだが、牛肉や豚肉はそこそこ値が張るので買いづらい。

家内は肉が苦手で、特に脂身が嫌いなので高い肉を普段はあえて買おうとしない。

娘が家にいた頃は娘が肉が大好きだったので、娘のために焼き肉もそこそこしたのだが、今はいないので家内は煙くなると嫌がって滅多にしてくれない。

だから、赤穂の業務スーパーで売っている安くて美味しい豚足と豚の耳は自分で勝手に食べるご馳走であり続けている。

鶏も指肉も安くて美味しく食べられるそうなのだが、スーパーには売っていない。

人気の無い部位の肉は冷凍物が通販では売っているが、配送料がかかるのでそれほど安くは無い。

物価高のこのご時世、豚足のように普通のスーパーや食肉店でも安く手に入ればありがたい。




2025年9月1日月曜日

殺人と戦争ドラマを楽しむ大人たち

 このところ毎日テレビドラマの「相棒」の再放送を録画で見ている。

いつも家内と話をするのは、「相棒」では必ず殺人がある、殺人が起こらないのも有るけど滅多に無いということだ。

「相棒」は殺人事件を解決することや、殺人事件を通して社会問題を顕わにするところが面白い。

では、視聴率の高いこの番組を見ている人は、実際に起こる殺人を肯定しているのだろうか?

答えは「ノー」だろう。

フィクションとして現実では身近に無い殺人を観て楽しんでいるだけなのだ。

でも考えてみれば、自分が幼い頃には親が観ていた殺人の場面が出てくるドラマは嫌いだったし恐かった。

ということは大人になるにつれて、殺人の場面が出てくるドラマや映画が好きになったのだ。


これと同じように、いまだに憶えているのは「同期の桜」という戦争ドラマが子どもの頃にあった。

特攻隊の将校を描いたもので、親は毎回観ていたので自分も同じように見ていた。

ところが、大概はその内容が恐ろしく感じて、夢でうなされることが多かった。

一番憶えているのは、特攻隊の攻撃シーンでは無くて、原爆投下後に苦しむ人たちをリアルに描いたシーンだった。

このシーンは目にこびり付いて、しばらく眠れず夢でもうなされた。

幼い子どもにとって、リアルな戦争は観て楽しめるものではなかった。


ところが、小学校の6年生くらいに観た「決断」という戦争アニメが放送された。

そのアニメは戦争の悲惨さよりも、決断すべき時を逸すると敗れるというのが重要なテーマともなっていた。

だから、戦争の悲惨な部分を実感すること無く、戦争アニメを楽しむことができたのだ。

そういう戦争アニメは「0戦はやと」というのが既にあって、もっと幼い頃に楽しんで観ていた。


現代でも、大河ドラマの多くは戦争や乱である。

歴史的な事柄であれば、そこで実際に起こった悲惨な殺戮や餓死、強姦などを無視してドラマとして楽しめる。

NHKは戦争の悲惨さを語り継ぐための良い番組を作りながら、一方で戦記物のドラマを娯楽として作っている。

たぶん、リアルで悲惨な場面が登場する「映像の世紀」よりも、大河ドラマの方が一般に受けるのだろう。


こういう事を考えれば、私たちは殺人や戦争の残虐性への耐性は成長するに従って得られたことであることが分かる。

これは何も映画やテレビが登場してからの現象では無くて、古代なら神話や伝説の語りに始まり舞台での劇や人形劇でも表現されてきた。

大人は子どもに語り継ぐことによって、殺人や戦争のある現実に適応させて行かざるを得ないのかもしれない。

我々の人間社会は殺人や戦争なしには成り立ってはいない世界とも言える。

先祖を共通するチンパンジーも、敵対するチンパンジーを殺して食べたりすると言う。

ホモ・サピエンスは熊のように、魚肉も植物も食べる雑食性だったからネアンデルタール人のように絶滅せずに済んだとも言われている。

これは肉に頼った狼が絶滅し、熊が生き残った日本列島と同じことだ。

子熊が親から食料の調達や闘い方を学ぶように、狩猟や屠殺から解放された現代人もドラマによって殺しと戦争を楽しく学んでいるのかもしれない。