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2025年12月31日水曜日

みんな働いて遊んで浦島太郎

 昔話の浦島太郎は竜宮城でしばらく楽しく過ごして戻ってみると、時が過ぎていて誰もわからなかった。

そして、帰る時に乙姫様からもらった玉手箱を開けると年寄りになってしまった。

これは人生を象徴している話で、若いころは仕事や娯楽で肉親や昔の仲間・友達を忘れて過ごしている。

しかし、定年を迎えたり体力の限界を感じて、我に戻った時には昔かかわった人は誰もいなくなっている。

そして、年老いて誰からも相手にされなくなった自分を見出す。

今の時代は50年も経てば現実的に育った町も別世界になっている所もある。

私が生まれ育った赤穂の尾崎地区などがその典型だ。

それに比べて、今住んでいる上郡の高田地区はその変化はもう少し緩やかだが昔のままではない。


肉親に関しても私の幼いころを知っている年上の人は今年になって亡くなってしまいいなくなった。

一人だけ叔父さんが存命だが、認知症を患っていてもう記憶は定かでない。

兄弟やいとこはみな年下になってしまったので、生まれてからのすべてを知っているわけではない。

ただ、そういう肉親も大学時代や教師時代の私のことはほとんど知らない。

家内には昔話として話す機会があるが、すべてを話せるわけではない。

そして、その場に立ち会っていて思い出を共有できて話せる相手は身近にはいない。

そもそも今の時代は昔のことを思い出話として語り継ぐ時代でもないようだ。

母は私に昔のことをよく話したので、弟が感心するくらいによく親戚のことなどをよく知っている。

でも、私も家内も子供には昔のことや親戚のことを話すことはほとんどない。


地域に根付いて地縁血縁の関係の中で暮らしていたの者は、そういう語り継ぎの情報が大切だった。

今は学校やマスメディアの情報に加えて生成AIが簡単に必要な情報を提供してくれる。

徳川家康の生い立ちは知っていても、自分の親の生い立ちは知らないのが普通なのだ。

ある意味で、現代人の脳はそういう教育やメディアに支配されているといっていいのかもしれない。

竜宮城で浦島太郎が時間を忘れていたように、現代人も時間や昔の仲間を忘れて働いて、働いて、働いて、そして遊んで現代文明を謳歌しているようだ。

そして、気が付いたらお爺さんやお婆さんになっている。

いつの間にか周りには自分のことを知っている人はいなくて、見ず知らずの介護士が世話をしてくれている。

浦島太郎の昔話の世界を現実に私たちは生きているようだ。



2025年12月30日火曜日

すべて中古になったパソコン

 ついに今まで使っていたエプソン製のノートパソコンが壊れた。

修理も考えたが、OSもWindows10だし、大切なデーターのほとんどは外付けのSDDに保存しているので、買い替えることにした。

これまでは勤めの仕事で使うことを念頭にノート型にしてきた。

しかし、完全退職した現在ではほとんど家で使っており、外で使う機会がほとんど無い。

そこでデスクトップのパソコンを中古で買うことにした。

中古は5年落ちがほとんどだが、OSがWindows11になっているし、職場で使われているだろう物はそんなむちゃな使い方はなされていないと思う。

実は、すでに2年前家内のために買ったノートPC(Let’s note)は中古だった。

そのノートPCを私が使うようになり、家内にはタブレットPC(surface)を中古で買った。

私の机にはこれまで2台のノートPCが置かれてきいて、エプソン製がメインだった。

中古はamazonの通販で購入して、手ごろな価格でトラブルもなかった。

今回のデスクトップは富士通で高性能だが4万円もしない。

これまで、新品で買っていた時には軽く10万円を超えていたことを考えると安上がりだ。


今回壊れたノートPCは7年ほどしか使えなかったが、それは勤めの仕事などで酷使してからだと思っている。

非常勤で勤めていた高校は授業でパソコンを用いる教員が少なくて、環境が整っていなかったので自分で用意していたからだ。

チョークの粉が舞い、室温も夏場などは高温になる環境の中で映像を見せたりした。

家でも何時間も使うことが多かったので、限界が来ていたのだろうと思う。

その前はLet’s noteだったが、もっと酷使した割によく持ちこたえた。

以前はエプソン製のデスクトップも使ったことがあったが、それは10年以上使い続けたと思う。

中古だからあと5年も持てば十分で、1年割の計算でいけば新品より絶対安くなると思う。


問題は初期設定で、今回はディスプレーをつなぐのにさえ手間取った。

レヴューでVGAが使えなくて困ったと書いてあったので、念のためにHDMIへの変換器を買っていた。

ところが、HDMIさえついていなくて、USBの変換器をつないでも画面には映らなかった。

そこで、富士通が採用しているディスプレー用のケーブル(DVI)を急遽ネットで注文した。

助かったのはディスプレーはVGAもDVIにも対応していてくれたことだ。

そして、いつもワープロソフトの一太郎をインストールするのには苦労する。

今回もどんなにトラブルマニュアルで試みても、ATOKが作動してくれていない。

また、いまだにOCR「読んで!!ココ」を使っているのだが、自分のアカウントでインストールしないと後で使えなくなる。


デスクトップにして良かったことは、今までノートパソコンは見づらいし操作しづらいので、大型のディスプレイ、キーボードを使って拡張して操作していた。

デスクトップ本体の上にディスプレイが置けるので、ただ置いておくだけだったノートパソコンのスペースが空いたのだ。

ただ、ディスプレイの位置が高くなった分、首の負担が多くはなったが、立位での操作を増やして対応している。

そして、DVDドライブも付属していたので、外付けのドライブを使っていたノートPCよりも簡単にアプリをインストールできた。

その他、USBポートや音声のジャックも使いやすくなってノートPCよりも使いやすくなっている。


これからは完全に年金を中心とした生活になっていくと思うので、節約できるところは工夫してやっていきたいと思っている。

パソコンに関しては30年以上の関りを持っているので、ちょっとしたトラブルも解決できるようになっているし、適当にごまかすこともできる。

中古のパソコンに関してはマニュアルもついていないことが多いので、経験が重要だ。

以前初めて買ったタブレットPCも、職場にあったタブレットを操作した経験が役に立っている。

その一方で、ワープロでは「一太郎」に、OCRでは「読んでココ」にこだわり続けている偏狭さも持ってもいる。

新しくて良いものは中古として活用し、古くても良いものは使い続けるスタンスでいきたいと思っている。





2025年12月28日日曜日

小学校マラソン大会の練習

 私は教員をしていたが、初任校が特別支援学校(当時は養護学校)であり、そこではからだ作りの一環として児童生徒と一緒に走るのが仕事としてあった。

それが高じて職員仲間と市民マラソンにも参加するようになった。

私自身は市民マラソンに出る目的だけでなく、ジョギングやランニングは健康のためであったり、ストレス解消として特別支援学校以外でも続けていた。

2校目の職業高校では剣道部の顧問をしていたので、トレーニングとして部員と走ったり、やはり職員仲間とも走った。

個人としての練習は早朝が中心にモモ(愛犬)と一緒に30分ほどだったが、土日は時間をたっぷりとかけて、ゆっくりと2時間以上ひとりで走ることもあった。

その経験を活かしたのが小学生の子どものマラソン大会の練習だった。


小学校の3学期にはマラソン大会があるので、そこで頑張らせたいと思い息子、娘とモモと一緒に朝早くから練習を始めた。

まだ、暗いうちに家を出て、1kmほど離れた小学校までゆっくりと走って行き、小学校の運動場で自分のペースで走らせた。

息子は運動が苦手でしっかりとは走られなかったが、運動が得意な娘は一生懸命に練習した。

夜が明けて運動場が明るくなって、寒いけど走り終わった後は爽快な気分でゆっくり家に戻った。

練習後の朝ご飯はみんなでおいしく食べることができた。


小学校の校内マラソン大会の日は平日だったので、私は仕事で見に行かれなかった。

そのかわり家内が応援に出かけてその様子を聞かせてもらった。

娘は最後でライバルの女子児童を抜いて、学年で男女合わせた中で、6位になったというい。

娘は担任にも早朝練習のことを言っていたらしく、その努力の結果だと褒められたそうだ。

私は娘に勉強を教えたことは殆どなくて、こういうランニングや水泳を一緒にやった経験だけある。

娘との良い思い出の一つとなった。


娘は小学校では水泳選手だったが、その後、中学校では水泳部がなかったので陸上部に入った。

長距離選手として頑張って、郡市区駅伝の上郡町の選手として出場したこともある。

ただ、足の故障に悩まされていて陸上は諦めて、高校ではテニス部に入っていた。

娘とは中学生頃からあまり話をしなくなって、なぜ陸上部に入ったかは聞いていない。

ただ、小学校のマラソン大会で頑張って良い順位になった成功体験があったように思う。

私自身は10年ほど前に鼠径ヘルニアで手術して以来、走ることは怖くてできていない。

また、体重が減って負担が少なくなれば再開したいと思っている。

子どもたちと一緒に練習したことを思い出しながら走りたいと思っている。



2025年12月26日金曜日

いつかのお正月

 私は幼い頃にはお正月はまさしく「もういくつ寝ると お正月」ということで、心待ちにしていた。

正月や盆には父親の親元の方に兄妹家族が集まり、賑やかにイトコたちともゲームやトランプをして楽しんだ。

高校生頃になると父の親元には行かなくなったが、家にイトコや近所の友達をよんで、麻雀などをして徹夜したり、夜中に初詣に行き、初日の出を見に行ったりした。

やがて、兄弟も結婚して家を離れたが、正月には必ず妻子を連れて親元に集まった。

ただ、遠くの関東に住む弟夫婦は帰っては来なかったが、電話をかけて話をした。

昼間はドライブに出かけたり、夕食では親元で飲んだり食べたりして、必ずカラオケに行った。

それも、子どもが大きくなったり、父も亡くなり母が高齢化して対応できなくなってできなくなってしまった。

それでも、母が家に暮らしている間は、兄弟家族は正月に楽しめる機会を設けた。


本来なら私の家が親の役割を果たすべきだったのだが、そういうことを念頭にした家の作りではなかったのでできなかった。

また、自分自身の婚出した娘には子どももいなくて、正月に帰ってくることもない。

息子も老人施設で夜勤要員として働いていて、盆正月は働いている方が多い。

だから、家内と二人だけの年越しと元旦を迎えることが普通になってしまっていた。

ただ、一緒に食事ができなくても、施設に暮らす母や自宅で一人暮らす義母に会いに行くことは続いていた。

やがて、母が2年前に亡くなり、義母も今年亡くなってしまった。

正月に挨拶に行くところが無くなってしまった。


こういう寂しいお正月になったので、正月には旅行でも行こうと家内には言っている。

しかし、いつも学童で働いている家内は正月休みが家を片付けられる良い機会なのだ。

だから、一度も正月休みに旅行に出かけたことがない。

一度だけ、兄弟でzoomを使って新年会をやったが、やはり雰囲気は出なかった。

今は昔のように集まれるのは法事だけになってしまって、それも今年が母の三回忌だったので次の七回忌までは機会がなくなる。

普通であれば私ら夫婦に子ども家族が集まってきて賑やかに過ごすべきだが、それも見込みは立っていない。

あの楽しいお正月はもうやってこないかもしれない。

若い人にとっては正月休みはまとまって休みが取れれるので旅行に出かけるのだろうが、私ら夫婦は気を紛らせるために旅行に出たいと思う。

気持ちだけは恋人同士に戻って、旅を楽しむのが良いように思える。


B’zの「いつかのメリークリスマス」をもじるなら。


いつまでも 集まっていられるような気がしていた
何もかもがきらめいた なつかしい日々を思い出してた
誰もいなくなることを はじめて辛いと思った
幸せだったことに 気がついたいつかのお正月


テレビでは帰省ラッシュや海外旅行に出かけた楽しそうな家族が映し出される。

それをこたつでみながら家内とふたりきりで過ごす正月になりそうだ。




2025年12月24日水曜日

バタフライ エフォート(Butterfly effort)

私は30歳前くらいから始めた趣味の水泳をいまだに続けていて、趣味が高じてマスターズのスイミング・チームで練習したり、水泳部の顧問をしたりした。 

水泳では当然クロール(自由形)がスピードとしては速いが、他の人と比較して速く泳げるのはバタフライ(以後バッタ)である。

マスターズの大会でも個人種目として参加してきたのはバタフライで、25m、50m、100mとどれも経験がある。

バッタは辛い泳ぎなので、地方大会では出場者も少なくて3位になることが多かったが、優勝した経験は無い。

また、100mは泳ぎ切るだけで3位になれたのだが、一人が途中で足をついてしまったからだ。

顧問として県大会に引率していたときには、部員のバタフライ選手が前半とばしすぎて、100m泳ぎ切る手前で溺れかけて助けられたこともあった。

選手でも無理をすると腕が上がらなくなり、深いプールでは溺れかけるのがバタフライである。


以前はバッタの練習は25m刻みで行っていた。

50m泳ぐ時には、折り返してからが非常に長く感じて、腕を上げるのも辛くなっていた。

だから、練習ではキックと片手バタフライが中心になっていた。

ところが、最近はフィンを練習に使い出して、バッタの泳ぎが楽になった。

これは水泳部の顧問の時に経験済みで、フィンを付けたら生徒と一緒のペースで泳ぐことができた。

特にバッタはキックがしっかりときくと、腕のかきが楽になる。

最近はフィンなしのダッシュ以外では、バッタの練習は50m刻みで行えるようになって、調子の良いときにはクロールと換わらないくらいのタイムで泳げた。


バッタは現役選手は別として、50mの刻みで練習している人はほとんど見かけない。

ましてや私のように200mの個人メドレーの練習をおこなっている人は滅多に見かけない。

50mのバッタが泳げないと200m個人メドレーが泳げないからだ。

だから、かつて水泳選手で、マスターズ水泳で活躍している72歳の人にも一目置いて貰えている。

そのマスターズ水泳選手にはクロールの速さは全く歯が立たなくて、25mダッシュを飛びこまずに15秒で泳いでいる。

これは女子高生選手でもなかなかできず、私は必死でノーブレスでがんばっても18秒はかかる。

その人でさえ50mのバッタをしているのを見たことが無い。


ところが、最近現役の高校生がフィンをつけてバッタの練習をしている機会を見ることが出来た。

驚いたことに、水中のドルフィンキック(バッタの両足そろえたキック)だけで25mの半分以上進んでいる。

腕でのストロークは数回ほどでターンになっているのだ。

これは目からうろこだった。

私はドルフィンキックはせいぜい5回ほどで水上に上がってしまう。

以前に教えて貰っていたコーチに私のドルフィンキックはおそいから、水上でストロークした方が良いと言われていたからでもある。

しかし、速く泳ぐ必要が無いときには、この方が腕には楽なのだ。


そこで、水中でのドルフィンキックを出だしを10回にして、折り返しは息が続かないので5回にしたら楽に泳げるようになった。

バッタのフィンを付けてのスイムの練習は50mを2本ほどだったのが4本できる方になり、今日(12/23)は100mを1本と50m2本行った。

フィンを付けているとはいえ100mのバッタを泳いだのは、10年ぶりくらいだ。

たぶんこの練習を続けていったら、フィンなしでも100mを泳げるようになるだろう。

速さばかり気にしていたのは、マスターズの大会に出ていた名残であったのだが、遅くても長く楽に泳ぐのは愉快なのだ。

腕のストロークにばかり気を遣っていたのを、キックを重視しただけで全く泳ぎが変わった。

これこそバタフライ エフォート、バッタでの努力型の工夫である。

練習は個人で行うものだが、他の人の練習もしっかり見ることが重要だと今回は思い知らされた。

昨日(12/23)は隣のコースで中学生の女子選手が練習していたので、それに刺激されて気持ち良い練習もできた。

水泳は世代を超えて練習できるのが素晴らしい。













2025年12月22日月曜日

黒豆の脱穀作業

 数週間前から近所の家の庭の陽だまりで、その知り合いのご主人がちぎってきた黒豆を指で剥いているのをよく見かけていた。

暖かい日には殆ど一日中椅子に腰掛けての作業をしていたが、奥さんもたまに手伝ったり、友だちや親戚の人がやってきてお喋りをしながらやっていた。

以前は大豆を多く作っていたので、村として大豆の脱穀の機械を持っていたが、不要となって処分してしまっていた。

だから、今は畑で大豆を作る人は手作業になってしまっている。

人によっては畑の側で蓙を敷いて、竹を割って作った道具で莢を外したりする人もいる。

どちらにしても江戸時代と変わらぬ景色だろう。


近所で作る大豆は殆どが黒大豆で、枝豆として食べ始めて実が熟すと、乾燥させて煮て食べたりすると言う。

私も同じように黒大豆を作っているが、枝豆として一番よく食べるが、熟した実は豆乳にしてからヨーグルトにする。

実も熟して葉っぱも枯れてきた黒大豆を根元から鉈で切り倒して、しばらくシートの上で乾燥させて置いた。

先週の火曜日(12/16)は天気も良かったので、足踏み脱穀機で枝から莢を外す作業をした。

ちゃんと乾燥しきっていたら、実もちゃんと外れるのだが、外れている実は多くない。

葉っぱや小枝の混じった莢を竹製の大きなザルに入れて、乾かすことにした。

残念なことに次の日は曇りのち雨で、余り乾かなかった。


その翌日(12/18)は天気が良いので、二階のベランダで乾かし、午後から手作業で脱穀をした。

ベランダからは近くの色づいた山々が見渡せて、その景色を眺めつつ、ネックホーンでスマホからの音楽を聴きながら作業をした。

音楽はamazon music のMy bestを流しているので、自分の若い頃に聴いてきた曲がかかると当時を思い出してしまう。

単純な作業にはこういうバックミュージックがもってこいだが、感傷的な気分にもなることは確かだ。

たぶん、当時の研究者になる夢がかなっていたら、こんな風に自然に囲まれて日向ぼっこをしながら豆剥きなどしてなかっただろう。

まあ、これはこれで良いかと同じ感慨を繰り返している。










2025年12月20日土曜日

原爆投下の戦争犯罪を誤魔化す学者

 以前紹介したアルバート・セント=ジェルジ著の『狂ったサル』國弘正雄訳 1985(1971)The Crazy Ape and what Next? サイマル出版で、広島で落とされた原爆について次のように述べている。


 近代科学が登場したのは、二十世紀になってからですが、それが現代における生活の血となり肉となったのは、半世紀近くを経た、つまり広島以後でしょう。

 広島以前に四十代に達した人びとは、原子力がどんなに恐ろしい力をもっているか、本当に理解することはできないのです。彼らは、数メガトン級の原子爆弾が炸裂すれば、生活自体が広範囲にわたって破壊されるということを頭のなかではわかっているのですが、原子力に関する知識が血のなかまでしみこんでいるとはいえません。[前掲書:62p]


要するに、近代科学において広島に原爆が落とされたことは科学にとっての進展には重大であった。

しかし、その当時の科学者は頭では原子爆弾を理解していたが、それを現実の物として理解することができていなかった。

そして、その責任を軍に押しつけます。


 原子爆弾の発明に貢献した科学者のほとんどは、最後までその使用に反対し、他の可能性をすべて洗ったのちに、万やむをえないときにのみ使用されるべきである、という立場を貫いていました。また、彼らは、実際に爆弾を投下する以前に、日本政府に対してその威力を示すべきである、と主張しつづけました。

 しかしながら、こうした科学者の主張もむなしく、軍事的見解が圧倒的に優勢をしめたまま、原爆はついに投下され、十万人の生命が、一瞬のうちに奪われてしまったのです。それ以来、核軍備競争の悪循環がはじまり、労働の貴重な汗とエネルギーがまったくむだに消費され、さ72pらにもっと悪いことに、全人類を絶滅の淵にまで追いやってしまったのです。[前掲書:71-72]


当時の科学者が時代遅れの頭脳によって原爆を開発し、その威力を知っていたのだが軍に利用されてしまった。

広島・長崎の惨劇におののいて、惚けてしまっていたと嘯いて責任を回避しているに過ぎない。

開発に協力した科学者はその後いくら核兵器開発に反対して、平和運動を行っても責任は逃れないはずだ。

本来なら原爆投下は戦争犯罪として裁くことができないにしろ、広く世界に認知されるべきだった。

認知されなかったからこそ、その後の水爆開発に発展して、ウクライナ戦争では核の脅しをしながら侵略戦争をロシアが行っている。

これらも科学者の協力なしにはできなかった話である。


唯一の被爆国日本は、原爆の残虐性を知っている。

だから、原爆投下を戦争犯罪というスタンスを少なくとも科学者や人文学者は貫くべきである。

また、政治家が核保有を主張することや、核持ち込みを認めることは、原爆投下の戦争犯罪を否定することである。

生物兵器や化学兵器よりも効果的で残虐性の高い核兵器使用を禁止しないのは、アメリカの戦争犯罪を認めることになるからだろう。

おそらくアメリカは国家が崩壊するまで認めることは無いだろう。

哀れなのはそのアメリカに従属する日本で有り、核開発を放置する学者である。

原爆で亡くなったり苦しんできた人に詫びねばならないのは、原爆投下という過ちを認知できない現代人であり続けると言うことだ。













2025年12月19日金曜日

ANALOG CONNECTIONで繋がる夢

 ラジオ関西の毎週金曜 18:00~20:30 放送しているANALOG CONNECTIONを私はradicoの聞き逃し配信でいつも聴いている。

日曜日の朝の犬との散歩に聴き始めて、その後に家内と一緒に行くドライブで車の中で聴いている。

家内は金曜日の夕方の職場からの帰宅時間に少し聴いているのだが、私とのドライブで一緒に聴いて、かかっている曲のことや、週のテーマを話題にしたりする。

残念なのは岡山県に入るとエリア外になってしまって聴けなくなってしまうことが多い。

有料のエリアフリーに加入しても良いと思いながら、他にも音楽関連のサブスク2件と契約していてこれ以上は増やせないように思っている。


流されているのは、60年代から80年代を彩った洋楽フォーク、ロック、ポップスを中心に全曲レコードで、私たちの青春時代の曲ばかりだ。

懐かしいのもあれば初めて聴く曲もあって、後でホームページで曲名を調べたりしてYoutubeで聴き直すこともある。

残念なのは夏場は野球中継で番組がないときが多くて、聴く数がぐんと減ってしまうことだ。

野球中継のないこの季節は毎週楽しみにして聴いている。

私は高校大学とラジオを良く聴いていた。

特に大学時代はテレビの無いときがあったので、下宿ではカセットラジオが情報源で有り娯楽でもあった。

その頃に良く流れていた曲は忘れてしまっていることが多いし、曲名も記憶していなかったので、Youtubeでも検索できなくて聴き直せない。

そしてかつて聴いていた曲がふいにかかると、その当時に戻った感覚になるのが嬉しい。

同世代だけで無く、親が聴いていて懐かしがって聴いているリスナーとか初めて聴いて感動するリスナーもいて世代を繋いでくれている。


また、この放送は中部エリアや関東エリアでも流されており、そのエリアからのメッセージでその地方のことが語られると懐かしく思う。

神戸の関西ラジオから発信される番組が時代と地域を繋いでくれている。

毎週出されるメッセージテーマも日常的な内容が多くて、昔有った物や出来事が語られたりする。

今まではラジオは良く聴いていてもリクエストやメッセージを送ることは殆ど無かった。

この番組に先日初めてリクエストとメッセージをホームページからフォームに書いて送信した。

もしリクエストがかかればラジオネームから私と分かる人に伝われば良いという夢も抱いている。

また、次週はクリスマスがテーマだったので、大学時代の名古屋での下宿の想い出をメッセージとしてもメールで送ったが、もし採用されたら分かる人がいるかもしれない。

恋人のいなかった頃に淋しく迎えたクリスマスイブの想い出を綴ったものだ。

この私のブログは今は海外で多く読まれていて、どういうわけかシンガポールと香港が多いのだが、翻訳機を片手に海外の人も聴いてくれると良い思う。

これからはブログだけで無く、この番組へのメッセージでも色んな人に繋がっていければと思っている。


追記

なんと、日曜の朝(12/21)に家内とドライブしながらradicoの聞き逃しを聴いていると、私のメッセージとリクエストがかかりました。感激!!!








2025年12月17日水曜日

戦争の本質としての非人間化

 ブライアン・ヘア/ヴァネッサ・ウッズ 藤原多伽夫訳 2022(2020) 『ヒトは〈家畜化〉して進化した―私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』 白揚社(SURVIVAL OF THE FRIENDLIEST)を読み返していることは以前に書いた。

この書の重要なテーマの一つが自己家畜化が招いた人に対する非人間化である。

これは友好的な自己集団とは深い繋がりを持つ反面、その集団に脅威をもたらす対抗相手に対しては非常に攻撃的になるが、その相手を自分と同じ人間とは見なさないということだ[前掲書:pp.162-166]。

そもそも自己家畜化は人間が必ず介在するように思われがちだが、チンパンジーの親戚のボノボは人間が介在せずに自己家畜化がなされてきた。

犬に関しても人間があえて家畜化したのではなくて、自ら人間にすり寄る形で自己家畜化を果たしたという。

犬に関しては、この書でも重要性が強調されているが、ネアンデルタールを絶滅させるくらいの力を得たのは犬という協力者がいたからというい学者もいる*1。

犬は狩猟に欠かせないものとなったが、番犬としても重要な役割を果たしてきた。

奇しくも古代では薩摩隼人が都を守るのに犬に見立てられたことはよく知られている。

その一方で、日本を含む東アジアでは農耕社会となり重要な食糧ともなったことも確かである。

それが、日本では江戸時代の「生類憐れみの令」によって、表向きの食糧ではなくなった。

現代の日本では食糧どころか、家族の一員として高い地位を得ている場合もある。

うちにいるクロは猟犬なので庭で飼っているが、少なくとも息子より地位は高いと思っているようだ。

そして、家族外の人が家に入ることを嫌い、場合によってずっと吠え続けてしまう。

家を守るのが自分の役割だと思っているのだろうと思う。

そのくせ、他の人に預けられてしまうと、そこでは温和しく愛想が良いのだ。


しかし、犬は現代のように家族の一員として人間扱いされ続けられてきたわけではない。

薩摩の歴史研究で有名な原口虎雄氏は西南戦争での薩摩武士を狡兎死して走狗烹らる」と表現した*2。

幕末で活躍した薩摩武士が用済みになったことの自虐的表現だが、古代では非人間化された犬扱いにされていたこととの対比で興味深い。

傭兵が戦闘を行う非人間としての犬に喩えられて、映画「戦争の犬たち」のタイトルにされたりもする。

また、日本では役に立たないとか悪い意味にするときに「犬」をつけるが、「犬死に」とはまさしく何の価値も無い死に方を言う。

戦前では中国人を低く見て公園に「犬と中国人入るべからず」と立て札が立てられたというのは有名である。

人類の発展に寄与したであろう犬は、一番親しい動物で有りながら、非人間の代表的な動物にさえされている。


そして、一番残酷な側面は同じ人間に対する非人間化である。

一番分かりやすいのは奴隷であろう。

日本では歴史学者などは簡単に奄美のヤンチュのことを債務奴隷という用語を用いているが、日本本土では遊郭に身売りしても奴隷という用語を避けてきた。

それはアメリカの近代奴隷などのように、非人間化されてはいなかったことからだと思う。

スレイボクラシー(奴隷主による支配)としての「白人共和制」がアメリカ南部には独立前の18Cに築かれていたがその時の黒人奴隷に対する扱いは次のようであったという。


 もっとも頻繁に行われた鞭打ちの他に、焼印、足枷、拘禁が至る所で行われた。鉄棒の束で拷問を加える奴隷主も多かった。白人を殴りつけた場合はもちろんのこと、夜間の外出や許可のない外出などでも奴隷は鞭打たれ、耳たぶを切り落とされた。この「共和国」においては逃亡奴隷を射ち殺し抹殺することは合法であり、謀反・放火・殺人の罪に問われた奴隷の右手と首を切り落として身体を四つ切りにし、郡内のもっとも人目の多い場所でさらしものにすることが常識であった。プランターが富を得て肥え太るためには、奴隷が人間【メン】であってはならなかった*3(下線は私による)。


奄美でヤンチュを経験した人には、家畜並に扱われたと言うこともあったが、それは誇張であり、村の祭りにも参加できたし、黒人奴隷のような扱いをなされることはなかった。

そういうことで、私は奄美のヤンチュを債務奴隷とは見做さない。


では、兵士に関してはどうだろうか?

徴兵制では有無を言わさず戦地に送り込まれて、人間的な扱いを受けない場合もある。

それを非人間化と見做さないのは名誉を与えられているからだろう。

ただし、捕虜となってしまえば奴隷または奴隷以下(強制収容所)にされることもあった。

奴隷研究で有名なオルランド・パターソンは、一貫して奴隷は名誉を失われた人間としている*4。

そして、戦争は自分の国家と同胞を愛し、敵国の人々を非人間化することによって、殺したり奴隷にしたりするものなのだ。

アジア太平洋戦争で日本が「鬼畜米英」と唱えたのが、まさしく敵国の非人間化といえるだろうう。

そして、敵国の兵士や市民を倒すことが名誉となる。

チャップリンの映画『殺人狂時代』で語られた一人殺せば殺人者で百万人殺せば英雄となる」とはこのことを表しているのだ。


冒頭で紹介したブライアン・ヘア/ヴァネッサ・ウッズの書の優れたところは、問題提起に終わらず解決方法を提案しているところである。


 第二次世界大戦後、集団間の争いを確実に減らせるのは接触だけだということが、研究によって明らかになった。争いを静めるための最善の方法は、集団間に脅威が存在するという感覚を小さくすることだ。両方の集団が歩み寄り、脅威に対する懸念を小さくすることができれば、見知らぬ者どうしでも互いに共感する見込みがあることに気づくだろう。こうした懸念を減らすことが、集団間の争いを減らすうえで鍵となる要素の一つだ。脅威を感じることが「心の理論」のネットワークを切断するのならば、脅威を感じない形で相手と接触することによって、切断されたネットワークが再び動き出すのではないか[前掲書 p.p.234-235]


これは現在の日中間の問題に大きく関わることである。

互いに接触を断ってしまえば、相手を非人間化して再び戦争が始まってしまう。

互いの政治家や官僚の接触が途絶えたとしても、国民同士はそれを絶やすべきではないのだ。

自己家畜化によって寛容さと残酷さを身につけてしまった人類は、国家への愛国心故に世界戦争を二度も起こしてしまったが、それからしっかり学んだはずだ。

それを、日中両国の国民は思い出すべきであろう。


*1 パット・シップマン 2015 河合信和訳 『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』原書房(THE INVADERS: How Humans and Their Dogs Drove Neanderthals to Extinction

*2 原口虎雄 1980『鹿児島県の歴史』 山川出版社:p235 故事の意味は、必要なときには重宝がられるが、用がなくなると捨て(食べ)られる)

*3 下山 晃 1995「第四章 奴隷の日常と奴隷主支配体制【プラントタラシー】」『近代世界と奴隷制―大西洋システムの中で』人文書院:263p

*4 オルランド・パターソン 奥田暁子訳 2001(1982)明石書店(SLAVERY AND SOCIAL DEATH; A Comparative Study

2025年12月16日火曜日

芋はニョッキに限る

 以前に「時は今、芋が下知る五月かな」でジャガイモのニョッキのことを書いた。

このところ、サツマイモを使ったニョッキを自分で作っている。

サツマイモはそのままふかしたり焼いたりして食べても十分美味しくて、家で作ったサツマイモの小さい物はふかして食べている。

ふかしたサツマイモは食事をするコタツの上にザルなどに入れて置いておき、場合によっては昼食として食べるし、おやつやおつまみとしても役立っている。

今年は多く採れたので、保存用や人にあげるために綺麗で大きいのは新聞紙に包んで段ボール箱に入れて保存している。

虫が食ったり、ハクビシンなどに囓られたものは見栄えが悪いので家で消費するのだが、早く食べないと風邪をひいてしまう。

そこで、甘酒にして飲んだり、ニョッキにして食べているのである。


私のニョッキの作り方はすごく簡単で、マッシュしたニョッキにもち麦のやコウリャンの全粒粉と小麦の中力粉・強力粉を加え、それにオリーブ油と塩を加えて練り上げる。

分量もいい加減で、水を加えずに練り上げて固まるように小麦粉を調節するだけだ。

練り上げたものを冷蔵庫や涼しいところで一晩寝かせて置いて粘りを出させる。

湯に通すときも練った固まりをスプーン2本でほじくって丸めて、大皿に並べておき湯が沸いたら大鍋に入れていく。

茹だったら浮いてくるのでそれをすくって水にさらしてザルに入れればお終いである。

そのちぎって丸める、茹でる、水にさらすの行程を手際よくやればそう時間はかからない。


茹で上がったニョッキは食べる分だけ冷蔵庫に入れて、食べ切れそうにない分は冷凍しておく。

冷蔵庫で保存したニョッキは昼に野菜シチューに入れたりして2週間ほどで食べきるようにしている。

たまに夕食に家内に本場風のケチャップを絡めたニョッキも作って貰ったりもする。

これも米離れ対策の一つで有るし、できの悪いサツマイモの大量消費でもある。

そして、サツマイモのニョッキはジャガイモと違って自然な甘みがあってそのままでも美味しいのだ。

また、ジャガイモは熱いうちでないとマッシュできないが、サツマイモは少々冷めていても柔らかいので簡単にマッシュできる。

皮も薄いのでそのまま入れても問題ないと思う。


こうしてジャガイモの収穫後の夏場とサツマイモ収穫後の冬場にニョッキができるので、一年を通しての食物となる。

麺類は自分で作るのは手間がかかり、道具もそれなりに必要だけれど、ニョッキにすればそう手間もかからないし道具もあまり必要ない。

何よりも家庭菜園でも芋は簡単に作ることができるし、買ってもそう高くないのが魅力だ。

高騰した米対策にはもってこいの料理だと思う。


2025年12月14日日曜日

腹ごなしと空中マウス

 私は完全退職後は冬場になると昔の古傷の十二指腸潰瘍が再発しはじめた。

一番の原因は運動量が落ちて、デスクワークの時間が増えたからだ。

文化人類学を中心とした研究に関しては、ライフワークとして引き続き行っている。

身体を動かすこととして、夏場は農作業を早朝や夕方にも行うが、冬場にはする仕事があまり無くなる。

勤めていた頃は食後にじっと長時間座りっぱなしということは無かった。

本来は食後は食休みとしてゆっくりしていた方が良いのだろうが、きちっと椅子に腰掛けて同じ姿勢をとり続けることはどうも胃腸に負担をかけるようだ。

夏場は食前や食後に散歩したり農作業をすることが多かった。

冬場は食前にはできなくて、食後しばらくして散歩に出かけている。

というのもあまり早く出かけると陽も照らず寒いからである。


その食後の散歩で腹ごなしをすることによって、痛みかけた十二指腸潰瘍を改善させている。

先日来、また痛み出したので、去年医者にかかって貰っていた薬を服用したり、消化に悪い食べ物を食べないように努めている。

雑穀米は糖尿病対策として食べ続けていたのだが、この季節はやはり胃腸への負担が大きいので玄米ご飯に切り替えた。

午後から水泳の練習に出かけるのだが、これも食後直ぐにではなく、しばらく時間をおいてから温水プールに出かけている。

水泳は歩くよりも胃腸への負担が少ないので、夕方の晩酌や夕食のために良い腹ごなしとなっている。


とにかく、同じ姿勢でじっとしているのが胃腸に悪いようなので、デスクワークの時は可動式の椅子を使ったりして、立ったり座ったりしている。

デスクワークはずっとパソコンで行っているので、立ったり座ったりする時に一番問題となるのはキーボードとマウスの高さである。

それらを置くための折りたたみできる可動式の台も買ってはみたけれど、狭い机の上では邪魔になる。

キーボードを打ち込むときは座るとして、単純な操作では立ったままマウスを操作する方が台を置かず済むと考えた。

そこで探したのは空中マウスで、マウスの上についているボールを親指でポインターを動かし、その下にあるクリックボタンを使って操作する。


この空中マウスに慣れるのは大変で、一番重要なのはボールを親指で固定させてクリックをすることなのだが、今までそういう動作をしたことが無かった。

親指を離すとポインターがずれてしまうので、違ったアイコンをクリックしてしまう。

ドラッグの操作も親指でボールを使って行うので最初は上手くできなかった。

そして何よりも、細かい操作を親指が上手く動かせていないということだ。

これから焦らずじっくり慣れるつもりだが、とりあえずは従来のマウスと一緒に使うことにした。

Bluetoothのマウスは同時に二つ使えるので、細かい操作は従来のマウスで、大まかな操作は立って空中マウスで行っている。

因みに、ずっと立ち続けることも腰に負担があって良くないので、立ったり座ったりしている方が身体には良いようだ。

将来は可動式の机を買いたいと思っているが、それまではこの方法で慣れていくしか無いだろう。

巧緻性の必要な空中マウスを使いこなすのも惚け防止にもなると思っている。







2025年12月12日金曜日

弱い犬ほど良く吠える

 私は子どもの頃から最近まで、実力も大して無いのに負けん気の塊で色んな失敗をしてきた。

一番の失敗は大学院時代に権威有る教授に身の程も知らず楯突いて自滅していったことだ。

他にも父親の意向に反発して、自分勝手やって大学受験に失敗し、親からの仕送りも乏しく貧乏学生として経済的に苦しんだ。

子どもの頃から喧嘩したりするたびに母親や祖母から「負けるが勝ち」と言い聞かされてきたのだが、その性格は根本的に改まらなかった。

家内からも今でもむき出しの負けん気を指摘されている。

この歳になっても、水泳の練習では年上のスイマーには負けん気をむき出しにして泳ぐこともある。

勉学でもスポーツでも負けん気が無ければ進歩はしないのだが、それが過ぎると自滅することが多いのだ。


また、弱そうに見える相手を舐めてかかって負けてしまうこともある。

小学生の頃に、体育でクラスの男子と勝ち抜き相撲をして全員に勝って二巡目で、身体の小さい弱そうな相手に敗れてしまった。

まさか、足を取りに来るとは思わなかったからだ。

私は小学生の頃から剣道をしていたが、本当に強い人は闘争心をむき出しにはしていなかった。

犬でもよく吠える犬は自分が恐いからよく吠えるのであって、小さな犬ほどよく吠える。


日本もバブル経済の頃に、Japan as No1とか言われ、いい気になってアメリカの大手企業などを買収していきしっぺ返しを食らった。

逆に中国は自国のオリンピックや万博の頃に、これが終わったら経済破綻して難民で溢れるのではないかと危惧されていたが、今はアメリカに猛追している。

その中国も調子に乗りすぎて、自国経済が危うくなっているようだ。

日本の歴代の総理が中国相手に曖昧な態度をとっていたのは弱いからでは無かった。

虚勢を張る相手に同じように虚勢を張れば互いに損をして第三国の漁夫の利を与えるだけだ。

アメリカから足枷をはめられている日本が対等に軍事力で勝てる相手ではない。

その足枷をはめているアメリカを信用しきっていること自体無謀なのだ。


強い相手と口喧嘩が始まってしまったら、「あんたが大将」と言って負けを認めて逃げるのが勝ちなのだ。

私は学生の頃は負けん気の強い女性にもむきになってしまうことがあったが、「○○さんにはかなわんわ~」とかわせるようになった。

そういう負けん気の強い女性は相手が男性だと退いてくれるので、自分が退くことを知らないのかもしれない。

また、失敗や失言をしても男性から大目に見て貰えるという甘えがある場合もある。

ことが国と国の問題になると、国交問題になり場合によって戦争に発展して重大なことになる。

アジア太平洋戦争では、退くに退けない戦争からとんでもない犠牲を払った。

中国はその反省が無いと言っているが、根本的な反省をさせずに恩に着せられてアメリカや中国に利用されただけなのだ。

かつて太平洋戦争において広島・長崎・東京で大虐殺を行っていながら戦争犯罪を認めないアメリカの原子力空母の上で手を振って魂まで売ってしまうこと自体が真の負け犬なのだ。

日清戦争に敗れて以来列強から食い物にされてきた中国が強かに復活したのであり、その中国にアメリカの威を借りて吠えてはいけないと思う。

中国自体も本当に自信が有れば吠える相手に唸り声を上げたりしない。

むしろ、相手にとって吠える犬の方が恐くない上、近所迷惑だと言って邪魔者として貶めるのに利用すれば良いのだ。

本当に賢い犬は唸ったり吠えたりしないものだ。





2025年12月11日木曜日

イトコの繋がり

 文化人類学では結婚に関してはイトコ婚のことが大きなテーマとなってきた。

イトコとの結婚を決まりとする社会もあったからだ。
私が調査研究していた奄美に関しても、決まりでは無いけれど好まれていた。

理由としては財産を親戚以外に渡したくないということだった。

親戚や知り合いの中にはイトコ同士で結婚した夫婦も何人かいる。

ただ、日本ではイトコ婚は禁止されている三親等より一つ関係の薄い四親等だけれど、遺伝的疾患のリスクが大きくなるということが懸念されて避ける傾向がある。


イトコ婚のメリットは義理の父母とも親戚関係があるので、一緒に暮らしても馴染みやすいし、夫婦の親同士の関係も良好にできるということがあるだろう。

そして、何よりも幼い頃から相手のことをよく知っていて、性格や好みが分かるので大きなすれ違いを防ぐことができるだろう。

デメリットは夫婦のトラブルが親戚関係に波及するので、夫婦の問題だけでは済まないということになる。

ただ、昔のように親戚同士の協力関係が重要だった時代には、デメリットよりメリットの方が大きかったように思う。

また、近年でも嫁姑関係ではイトコ婚でうまく行っている例を親戚で知っている。

現代では親と同居することもあまりなくなったので、そのイトコ婚のメリットも関係なくなっている。


私の子どもの頃は父の方では兄弟姉妹が5人もおり、そこでのイトコの総数は11人となっていた。

盆や正月では赤穂の鳥撫の本家に、遠くは名古屋からそして叔母の子どもまで集まって来たので、大変な賑わいとなった。

トランプなどのゲームをしたりして遊んだり、家族ぐるみで一緒に旅行に行くこともあった。

食事は大人と分けてさせられて、だんだんと大きくなった私は幼いイトコ達と一緒の扱いが不満に感じるようになってきて、中学生頃からは行かなくなった。

イトコも成長するにつれて顔を見せなくなり、自分や自分の兄弟、お互いの結婚式で会う機会は殆どなかった。

結局父方のイトコ関係者で結婚後も赤穂近辺に住んでいたのは、私を含めて5人だけになってしまったが、仕事も大きく違い普段は会うことはあまりなかった。

ただ、祖父母の葬式には全員集まったし、法事でも集まれる者は集まった。

また、私の父や名古屋の叔父の葬式まではコロナ以前だったので大きく行われて、殆どのイトコが子どもや伴侶と一緒に参列した。

それ以降も、父方の血のつながりのあるオジオバの葬式にはイトコもできうる限り参列していた。

葬式では長い時間を過ごすことになるので、話を色々とすることができたが、年老いた自分の親のことや子どもの様子を話すことが多かった。

滅多に会う機会が無くなったイトコだが、会うと昔に戻った気持ちになって、兄弟姉妹とは違った気安い雰囲気で心地良かった。


このイトコ関係の中心であった本家のイトコの姉さんは70歳という若さでその父母より先に三年前に亡くなってしまい、その後を追うように両親も亡くなってしまった。

先日も本家の伯母が亡くなって葬式があったのだが、集まることができたイトコは私を含めて3人だけだった。

そのうちの一人は夫の仕事の都合で現在は東京で夫婦で暮らしているのだが、葬式のためだけに戻って来てくれた。

そのイトコは父方の一人だけの叔母の娘だったので、イトコの中ではずっと苗字の違うイトコである。

私は叔母が独身の頃から可愛がって貰っていたので、おばさんと言わず名前の下には「ねーちゃん」を付けて呼んでいた。

その叔母も今年癌で亡くなってしまい、それ以来そのイトコと親しく話す機会が多くなった。

結局彼女には弟や子ども以外に血の繋がって話ができる親しい者はイトコだけになってしまっていた。


自分の子どもにもイトコはいるが、私の兄弟が4人いても全部合わせても6人しかいない。

これは家内の方に一人もいないということも大きいが、私の弟の一人には子どもがいないことと、一人は病気で亡くなったことにもよる。

子どもが幼い頃は実家に盆正月集まってカラオケに行ったり、子どもの歳の近い弟家族とは南紀白浜へ一緒に旅行に行ったりもした。

そういう子どものイトコもやはり親の葬式や法事でしか会う機会が無くなってしまった。

本来なら私の子どもの孫ができて、孫同士のイトコ関係ができはじめる頃なのだが、それができていないのが淋しい限りだ。


オジオバと甥姪の関係、イトコ同士の関係は親子関係、兄弟関係を補ったり、普通の友だちよりも長い付き合いで互いに理解できて安心できたりする。

少子化の問題は単に人口減による経済的な問題だけで無く、まさしく血の通った人の関係を失わせるものだ。

私は今、ブライアン・ヘア/ヴァネッサ・ウッズ 藤原多伽夫訳 2022(2020) 『ヒトは〈家畜化〉して進化した―私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』 白揚社(SURVIVAL OF THE FRIENDLIEST)を読み返している。

日本語タイトルを見ると残酷さの方が目につくが、著者が最も言いたかったのは友好的になって自己家畜化が進み発展していったことだ。

友好的で幅広いコミュニケーションがとれてこそ、ホモ・サピエンスは発展できたのであってそれが無かったら発展はできなかった。

現代はこういう親戚関係どころか家族関係も解体されてしまい、個人として社畜(会社員)や公畜(公務員)で安住してしまっている。

ナンシー・フレイザーはそれを「共食いの資本主義」と言ったが、社畜や公畜は社会的・経済的に喰いつ喰われつ生きていかねばならない現実から目を背け続けている。

家族愛や兄弟愛、親類愛が愛国、愛社にすり替えられて、共食いをしなくてはならなくなった。

そういう残酷な時代になってしまったということなのかな・・・・・・












2025年12月9日火曜日

JA栄えて農業滅ぶ

 農学者佐藤洋一郎氏の『米の日本史』中央公論新社(2020)は日本の米の歴史を概観でき、しかも現代の米に関する問題を考えるのに非常に参考になる。

佐藤氏は米余りの原因に食生活の変化を挙げているが、「粉食文化への回帰」[前掲書:250p]を指摘しているのは興味深い。

現代人は炊いたご飯を食べるのが普通になってきたので、粒のしっかりした飯が当たり前だと思っている。

しかし、穀類でこういう食べ方ができるのは米ぐらいで、多くは粥のようにペーストにしたり、粉にしてパンや麺にして食べるのが世界的には普通だろう。

日本でも縄文時代に多く食べていたドングリなどの堅果類はすりつぶして焼いて食べるのが普通だったようだ。

米もお粥以外にも、餅や煎餅、おかきなどとしてペーストと関連したものをよく食べる。

ただ、水稲が栽培され始めた弥生時代から現代も継承されている炊き干し法*1が好まれているので、それも守っていくのも大切なことだと思う。


今回、米価の暴騰への対策として、あえて米離れの食生活をしているのだが、米の代わりになっているのはパンではなくて、麺類である。

それは私が糖尿病で消化が良くて腹持ちの悪いパンを避けた方が良いといいうのが大きな原因だが、市販のうどんやラーメンは作るのも簡単だし美味しいからだ。

だから、午後から勤めに出る家内は昼食では作る時間が無いので麺類を出すことが多い。

関西では粉物(こなもん)文化として、麺類、パン以外にもお好み焼きやたこ焼きが加わって大変人気がある。

私も家内も蕎麦が大好きなので、日曜の昼はドライブがてら外食をするのが恒例なのだが、月に一度はそば屋に行くし、普段もやはり昼食にすることが多い。

また、夏場では播州名産のそーめんはよく食べるし、年中スパゲッティーもよく食べる。

また、粉物のみでなくご飯と組み合わせる食べ方もよくなされている。

関西では粉もんとご飯を一緒に食べる人も多いが、私は健康上それは現在はしないが、以前はラーメンやうどんの残り汁にご飯を入れていた。


また、穀類だけでなく芋類もマッシュしてニョッキのように小麦粉と混ぜてパスタとして食べることができる。

私は昼食に自分で作り置いている野菜シチューにニョッキを入れて食べることが多い。

粉物は小麦粉というイメージが強いが、芋類をジャガイモ以外でもニョッキとして粉物になる。

穀類は家庭菜園では作るのが難しいが、芋類は簡単で多く採れる。

また、芋は高い米よりも安く手に入ることができるし、栄養価も高いのでそれを家庭で工夫しながらやるようになっても良いと思う。

穀類に関しても大豆なら家庭菜園でも作るのは難しくなく、最近は大豆麺なども販売されているが、豆乳や粉豆腐として色々用途は考えられる。


農村が高齢少子化で用水路や農道の管理が担えなくなってきているし、私が住んでいる村でもできなくなるのはそう遠くないと思う。

そうなると、従来の水田農法から乾田農法への転換も考えねばならないだろう。

また、広い平野部では大規模な企業化を果たして、用水路や農道の管理まで行ない雇用も促進する方法も良いだろう。

しかし、中間山地のような所では大規模化は難しく、製造業が低迷していて就労もできなくて暮らせない。

もう、こういう所では特別栽培米などの付加価値を付けねば、従来の水田での稲作が無理なのである。

これからの中間山地では子育て家族や退職者の快適な生活を提供して、自給型農業を推奨するのも良いと思う。

大型機械を用いなくてもできる作物や、家畜を飼うことも良いだろう。

とにかく今は温暖化での食糧危機と食生活の変化で大きな転換点となっている。

「農学栄えて農業滅ぶ」ならぬ「JA栄えて農業滅ぶ」の時代を終わらせねばならない。


*1 石毛直通 2015『日本の食文化史―旧石器時代から現代まで』 岩波書店




2025年12月7日日曜日

アナログ回帰

 私の母が亡くなってから実家を片付けている過程で昔のレコードを持って帰ってきた。

また、家内も昨年より入院していて、今年亡くなったが、同じように家を片付ける過程で、実家に持っていたレコードも持って帰ってきていた。

レコードプレーヤーも捨てずに置いておいたのだが、針もついておらず付けてもまともに音が出なかった。

リサイクルショップで2000円で安売りしていたので、店員に音が鳴ることを確認して買ったのだが、やはり針がついていなくて返品しようとしたが、時機を逸してしまった。

リサイクルショップの若い店員はレコ―ドプレーヤーは針が重要だということが分かっていなかったようだ。

ただ、針の値段だけでも2000円を超えてしまうのだから、音の出るプレーヤーがそんな安いはずは無かったのだ。


それ以来、レコ―ドプレーヤーを買おうと思いながら、高いので後回しにしていた。

そして、割引率の高いブラックフライデーを機会に思いきって買うことにした。

ところが配送されてきたプレーヤーを組み立てる段階でミスをしてしまった。

ちゃんと説明書を見ないでいい加減に組みたてて操作していた。

安いプレーヤーなので昔通りのゴムバンドを使って回転させている。

そのゴムバンドの掛け方を間違っていたし、回転切り替えスイッチを電源のオンオフと思っていたのだ。

説明書を見て間違いに気づいてやっとまともにかかるようになった。


最初に聴いたアルバムはビートルズのサージェント・クラブ・バンドだった。

このアルバムは評価が高く、買ってからも何度も聴いていた。

やはり、傷んでいて、ノイズどころか音量もおかしくなったところがあった。

そして、私が買いたくても買えなかったアルバムを家内が実家から持って帰っていたのでそれを初めて聴くことができた。

私はバンド活動をしていたし、大学や大学院時代はレコーをを買う余裕も無かった。

自宅から大学に通い、そして地元で働いていた家内は、今から思うとかなり高額なのだが、レコードアルバムをそこそこ買っていた。

家内はもっとアルバムを持っていたらしいのだが、実家には何枚か失われてしまったそうだ。

結婚後実家を離れていて、親に処分されてしまったのかもしれないと言っていた。


私自身もちゃんと置いておく気は無かったのだが、捨てずに実家の棚に置いておいただけなのだ。

まさか古いアナログレコードが見直されて聴くようになるとは思わなかった。

それならもっと早く、リサイクルショップに売ってあったアルバムを買っておけばよかったと思った。

ネットではかなり高額で販売されているので、欲しくても手が出そうにない。

このごろはレコードショップでも中古のアルバムを置いてあるので、安いのを探してみようとは思っている。


カセットやCDなども多く残っているのだが、あまり聴き直そうとは思えない。

たいていはレンタルレコード屋から借りた物をダビングした物だからかもしれない。

それに対してアナログレコードは、買いたくても買えなかった気持ちがあるし、CMのタモリでは無いけれど、手入れをすることで愛おしく思えるのだ。

普段散歩しているときや泳いでいるとき、農作業をしている時に聴き流すのと違って、ちゃんとしたスピーカーやヘッドホンで音を楽しむのも格別なことだ。

これから、冬場になって農作業も減っていくので、音楽活動に力を入れる季節となった。

一人カラオケ、弾き語りだけで無く、レコード鑑賞の楽しみも増えた。

アナログで育った者はやはりアナログに戻って行くようだ。

ただし、線を繋ぐのは面倒なので、Bluetoothを使っている。

まだ、本格的とは言えない・・・・・・








2025年12月5日金曜日

風邪と伴に泳ぐ

 家内がインフルエンザに罹って1週間以上経つ。

当然私も感染していておかしくはなにのだが、予防注射もしていなかったにも関わらず、インフルエンザの症状は出ていない。

その代わりにクシャミや鼻水がよく出るし、軽い腹痛も続いている。

少々、風邪の症状があっても、熱さえ無ければプールに行って泳いでいる。

ただ、以前にスイミングのコーチをパートでしているときに、熱が出ても仕事する必要があって、その時にはプールに入っていて寒気がした。

鼻水やクシャミに関してもプールの塩素にやられていることもあるのだが、このところは背泳するときは鼻栓をしているので、塩素のせいでは無いと思う。


水泳は泳いだ後で、しっかりと温かいシャワーで身体を温めることができる。

今は歩いた後の汗の方に気をつけている。

シャワーを浴びること自体時間がかかって身体は冷えるので汗に濡れた衣服だけ着替えている。

その下着や衣服を換えるときも寒い洗面所で寒い思いをしなければならない。

暑い頃は散歩の後で汗をかいたまま農作業をしていたが、今は寒くてできない。

農作業のために着替えねばならないので、毎日していた農作業も週に二日くらいにして、普段は必要な大根やカブ、ネギを適時採ってくる程度である。

だから、一番今の身体を整えているのは水泳なのだ。


このところ、プールの歩行コースにやって来ていたお年寄りもずいぶん減ったし、スクールの生徒も練習時間ギリギリか遅れてやって来ている。

上郡の温水プールは室温が低いので、プールサイドで待っている生徒が震えているのを見かけていた。

水温も低いが、濡れた身体を水上に出すと寒いので、水中に沈めている方が暖かい。

だから、歩く人にとっては寒さとの闘いになっていたのだ。

こういうときはひたすら泳ぎ続けるのに限る。

しかし、こんな寒いプールで泳いだら却って健康を害する可能性があるので、費用はかさむが冬場は相生の温水プールを中心に練習することも考えようと思っている。

実は高校の水泳部の顧問をしているときは、初夏では水温が16℃でも自ら泳いでいて、その時は水上の方が暖かかった。

プールから上がって寒さを感じるよりも、暖かさを感じる方がましかもしれない。


私が少々の風邪をひいても発熱して寝込むことも無く。

インフルエンザの予防注射を打たなくても、発症しないのは水泳をしているお陰だと思っている。

持病の糖尿病対策の水泳の練習は、風邪やインフルエンザへの対策ともなっている。

ただ、現役の教師の頃は12月中旬頃まで半袖で過ごしていたが、最近はそれは無理で早くから発熱素材の長袖下着を着けている。

ちゃんとズボン下も発熱素材を着て、部屋ではなるべく暖房をつけずに、薄着で過ごすようにしている。

学校で半袖で過ごせたのは、生徒の身体がストーブの役割を果たしてくれていたからだと思う。

水中よりも水上で寒さ対策をしている今日この頃である。



2025年12月3日水曜日

無常なる瀬戸内海の牡蠣

 以前に貝毒によって、近くの海の貝は食べられなくなった。

今度は牡蠣が高水温と高塩分の原因とみられる影響で、大量死してしまった。

私の子どもの頃は赤穂では牡蠣の養殖は殆ど無く、海苔の養殖の方が盛んだった。

坂越で牡蠣の養殖が発展していって、全国でも知られるくらいになっていた。

それは千種川から流れ込む栄養分が、牡蠣の発育に良いからだという。

ただ、河口付近の唐船では泥が溜まって海水浴ができなくなってもいた。

実は私の小学生の頃は、その泥など平気で泳いでいたのだが、現代では観光客を呼ぶにはふさわしくないらしい。


牡蠣は自然と共存しているように思えるのだが、実は牡蠣棚の下は死の海になっている。

私はひところ赤穂付近の海に潜って、貝や魚などを採ることもあった。

その時に牡蠣棚の下には、海藻も無く魚も泳いでいなかった。

牡蠣は牡蠣棚だけで無く、付近にも繁殖するので、牡蠣が多く浜辺の石について歩くのに危険だった。

また、釣りをしていた時に、餌が無くなったら岩についている牡蠣を割って釣り餌にしたりした。

私は子どもの頃からやたら牡蠣を食べさせられていて、子どもにはあまり美味しい物ではなかった。

今ではすごく美味しいのだが、中でも酢がきはどうしても食べたいという思いはあるが、家では作って貰うことは難しい。

以前に勤めていた職場には、牡蠣が大好物であり、特に生牡蠣が好きだそうで何度食あたりしても止められないという人がいた。

ノロウィルスのこともあって、私はそこまで食べたいとは思わないが、店で出されている時は必ず食べる。


赤穂ではふるさと納税の返礼品の多くを牡蠣が占めていたそうだが、今年は中止になったそうだ。

赤穂の特産品にもなった牡蠣が駄目になってしまったのも寂しい気はする。

私は水泳部の顧問をしていたときに、真夏はどうしても水温が上がりすぎるので、練習後は大きなブルーシートで水面を覆って置いた。

普通は温水プールで夜間に保温のためにそういうことをするのだが、その逆を行っていた。

これからは牡蠣棚の上を遮光カーテンで覆わなくてはならないかもしれない。

実際、畑でも最近は遮光シートで作物を灼熱から守ってやってもいる。

採る漁業から育てる漁業への転換と言われているのだが、気象破綻の時代にあってはそう簡単な物ではないらしい。

とにかく、我々は大量絶滅の時代に生きていることを自覚すべきなのだろう。





2025年12月1日月曜日

夢を嗅ぐ犬

 毎朝欠かさず観ている「羽鳥真一のモーニングショー」の出だしの動物動画のコーナーで犬が夢を見ているシーンがあった。

実は我が家のクロも同じように寝言(鳴き声、唸り)をするのを見かけたり聞いたりする。

人は夢を見るというが実際は、夢には音があるし、匂いや味も感じるし、触感もある。

夢は決して視覚だけのものではないが、人は視覚を重視するので見ることを前面に出す。

ところが、犬は視覚よりも嗅覚を重視している。

それは散歩しているときによく感じることだ。

だから、犬は夢を嗅いでいると言っても良いのかもしれない。


それは全盲の人も夢を体験していることと比べても想像がつく。

感覚器に障害を持つ人は、それなりの夢を体感することになるようだ。

逆に健常者と言われている人も、他の動物が得意とする感覚を持っていない場合もあるだろう。

鳥や魚には特別に磁気を感じ取ることができるらしいし、人間の限界を超えた領域の感覚を得ている場合も多いのだから。

また、亡くなった母は認知症が進み、夢と現実の区別がつかなくなってしまった。

困ったことに、昼間見たテレビドラマを自分の息子に投影してしまって、不倫騒動を起こしかけてしまった。

最初は本当のことと真に受けてトラブルになることも有り、自分の携帯で警察に電話して騒動を起こしたので、携帯電話は私が預かっていた。


私が研究しているシャーマニズムなどは、無意識的であったり、意図的だったりするが、夢と現実の混濁が起こっているように思えた。

霊的なものを感じたり、神や仏の姿を見たりするのは、自分の作り上げたイメージを頭の中で作り上げて、夢と現実が混濁した状態を作っているとも考えられる。

また、奄美で海の彼方からの神様を迎えるときに、吹いてきた風を神様と見立てたりしているので、風や雨などの自然現象をイメージと重ねることもなされるようだ。

白昼夢というのは、何となくボーとしているように思えるが、現実世界とイメージがうまくく重なっていないときに起こっても不思議では無い。

思い込みが激しかったり、感情が高ぶっているときには、普通の人が捉える現実世界と違った個人の現実を体験してしまうかもしれない。

そして、散歩している犬と私は違った現実を体験している可能性も高い。

また、学校教育やマスメディアで固定されてしまったイメージしか描けなくなっているのが、私たち現代人なのだろうと思う。