ページビューの合計

2025年9月5日金曜日

蒜山も暑かった

 このところ毎年一度は夏に蒜山高原にドライブに行ってそばを食べてくる。

休日に少しでも涼しいところで過ごしたいからだ。

いつも行くのは「道の駅 風の家」だ。

かなり前に行きはじめたのだが、蕎麦屋が火事で焼けてしまって無かった頃は行っていなかった。

ためしに蒜山焼きそばも食べたが、蒜山そばには敵わなず遠くまで行く魅力を感じなかったからだ。

去年行ったときには雨模様で雷も鳴って寒ささえ感じた。

この日曜(8/31)も、期待を持って出かけたのだが・・・・・


蒜山高原に行くのにいつもルートを迷うのだが、一番手っ取り早いのは中国縦貫道に乗って、途中から米子道を通って蒜山ICで降りれば直ぐだ。

ガソリンが高い上に高速料金を支払うのは大きな負担なので、下道を通って行っている。

まず、朝の9時過ぎに家を出て上郡から千種川沿いに国道373で上月まで行き、上月から国道179で湯郷近くまで姫新線沿いに山間の道を走って行く。

滅多に1両編成の車両が線路上を走っているのに出くわすことは無くて、線路と木造駅舎を眺めながらいつも乗ってみたいと思いつつ実現できていない。

そして、美作の吉野川沿いにある道の駅の彩菜茶屋で、トイレ休憩がてら販売所を覗いたが欲しいと思う物は無かった。

前回に来たときに黒大豆の枝豆を買ってきて食べたが、自分の家で作るのに比べて甘みが少なく、食感も良くなかったので今回は買わなかった。

観光客相手なので、値段もそんなに安くは無い。


そこから津山に向かって進み、津山の中心街はなるべく避けて、国道181に入る。

いつもは、巨大ガンダム像がある道の駅の久米の里に寄るのだが、今回は素通りして勝山まで進んでいった。

古い街並みの残る勝山からは国道313で旭川沿いに景色を楽しみながら北上していった。

途中で小さな道の駅によって中にあるトイレに入ったのだが、誰もお客さんがいないので申し訳なくてアイスクリームを頼んだ。

すると、その日初めて動かしたらしく、アイスクリームが出てくるのに非常に手間取った。

ジャージー牛乳を使っていて美味しかったが500円という値段もして、後で風の家では400円で売ってあったので高いけど客の人数からすれば仕方ない。

家内とはアイスクリームを車中で運転しながら分け合って食べるのが習慣になっていて、鳥取へ行ったら道の駅の若桜で、必ず買って食べるのだが前回は売り切れていた。


国道313から途中で国道482に入って、稲や蕎麦が目立つ田園景色が続く中で風の家に到着した。

車に示されている温度計は33℃でちっとも涼しそうにない。

去年は天気が悪くても人が多く駐車場に入れるのも困ったが、今回は12時過ぎなのにすんなりと駐車場には入れて蕎麦屋の近くに停められた。

そして、店に入るのに去年はかなり並んでいたのだが、今年は非常に少ない。

順番待ちの記名は店の中と外の希望が書いてあったのでもちろん中にしたが、店の前の庇で陰になったところのベンチに腰掛けて待ち、しばらくすると名前を呼ばれた。

私はとろろ蕎麦の大盛りで、家内はおろし蕎麦を注文した。

蕎麦の麺は太めだが香りが良くて美味しい。

いつものようにとろろ芋をかけてしまわずに、少しずつ蕎麦に絡ませて食べた。

量的にはもう少し欲しかったが、そば湯を頼んで1杯半も飲むとしっかりお腹がいっぱいになった。

かつては猪名川や淡河に十割そばをよく食べに出かけていたが、味と香りでは遜色ないと思った。

店を出るときに、そこそこ店のテラスでも若い人は食べていて、本来ならこちらの方が自然な涼しさを感じられたのだろうと思った。


食事後は向かい側にある特産物や野菜を販売しているところに買い物に出かけた。

ここではテントが並べてあって、餅をついて売っていたり、やまめを焼いて売っていたりする。

また、テントには来客者が食事できるテーブルと椅子が用意されていて食べている家族も見かけるのだが、今回は暑そうに見えた。

とにかく、雰囲気は賑やかで夏祭り気分にさせてくれた。

特産物店では毎回欲しいと思いながら高くて手が出ないのが「がまの籠」だ。

私は竹を編んで作られた市場籠が大好きで、それを持って職場に出かけて授業でも使っていた。

それらは安い輸入品が買えるのだが、がまの籠は1万円以上の値段がするので手が出ない。

昔は山菜や作物を入れるのにちょうど良かったのだろうが、今はこんな高価工芸品には入れられない。

家の近所にもがまはけっこう生えているので、今度採ってきて籠作りに挑戦してみたいと思う。


農産物はトウモロコシが安くて美味しそうだったので買った。

他にも自分の畑では採れていない蕎麦の実、平飼い卵など色々買って、3000円ほど支払った。

できれば特産の肉や牛乳なども買えれば良いのだろうが、今のくらしには贅沢に思えて買わなかった。

農産物の販売所は規模も大きく品数も多いのが魅力でもあり、大勢の人が買い物をしていた。

農産物の直売所は家の近隣でも増えているが、規模が小さい上に品数も少なく人気のあるものは直ぐに売り切れてしまう。

そもそも、上郡などは米農家が多いので、特産品もモロヘイヤなど特殊だし他の農産物の出荷が少ない。

西播磨テクノポリスにも播磨自動車道が完全開通したのをきっかけにこういう道の駅を計画したように思うがどうなったのだろう。

やはり、西播磨は瀬戸内海の魚介類の方に魅力があって人気があり、それに農産物が便乗させた方が良いように思える。


帰りは鳥取道を使って帰ることにしたので、まずは日本海側に出ることにした。

来た道を引き返して、倉吉に向かう国道313に入って高い山間の道を進んだが、いつも通るときは涼しさを感じるのだが温度27℃ほどで窓を開けるほどでは無かった。

国道9が通る北条への道は新しいのが完成しつつあってスムーズに進めたのだが、街並みの見えた以前の道の方が風情があった。

いつもは海沿いの国道9を使って海景色を楽しむのだが、最近通ったばかりだし時間も無いので、途中から山陰道を使って鳥取道へと向かった。


トンネルの多い鳥取道を走って佐用の平福まで行き、そこから下道を通って帰ったが、走行距離は300kmを少し超えていた。

燃費は20kmほどで、15リットルのガソリンを消費したとして、だいたい2500円ほどの燃料代になる。

当然、電車やバスを使ったら二人で2500円で済むはずがなく、安上がりの日帰り旅行ではある。

この日行ってきた場所は、温泉が沢山有るところなので、1泊して温泉を楽しめた方が良いに決まっている。

今回も枕が変わったら眠られない家内とのいつもの強行日帰りドライブだったが、せめて蒜山で涼しさを感じたかった。

それでも、渓流沿い、高原、日本海と色々な景色を楽しめて、良い気分転換になった。









2025年9月3日水曜日

財布に優しくて美味しい豚足

 私は大学時代に豚足を大学の先生に紹介されて食べ始めてから、ずっと思い出したように一人で食べ続けている。

彼女と一緒に食べるものでもなく、結婚してからも家内は豚足は嫌いで食べてくれない。

焼き肉屋でも殆どおいてなくて、沖縄の居酒屋ではおいてあったので注文して一緒に行った仲間にも薦めたら、女性でもおいしいと食べてくれた。

沖縄の豚足料理はテビチと呼ばれて煮込む物らしいが、その時に出されたのは塩焼きにしてあっさりとしていた。

私は大学時代の名古屋では、既にボイルされた物を買って一緒についていた辛子酢味噌で食べていた。


地元の赤穂に戻ってきたときに、豚足は肉屋さんの中で一軒だけ売ってあったので買ってきたら、まだ毛が着いていてそれを焼かねばならなかった。

爪の間もあまり綺麗にしてくれて無くて、匂いも強かったのであまり買わなかった。

この頃はどこのスーパーの肉コーナーに置いてくれていて、半分に切って食べやすくしてくれているが値段が高い。

グラムあたりの値段は安く思えるのだが、骨が殆どで食べられる肉があまり無いので、割高に思える。

豚足は割高だから、姫路駅近くの韓国料理の食材店で豚の顔の部分を買って来て食べたりもした。

こういう豚足や豚の顔は子どもも気味悪がってほとんど食べてくれなかったので、一人で食べていた。

そしてついに加齢と共に、血液検査で中性脂肪値などの脂肪値が高くなってしまって、家内から食べるのを止められてしまった。



近年では、スーパーで見かけるとたまに買う程度がずっと続いていたのだが、よく行っている赤穂の業務スーパーでは必ず生の豚足と耳を置いてくれていて安かった。

赤穂の業務スーパーでは生の豚足が二本で380円程度で買うことができて、東南アジアから働きに来ている外国人らしき人もよく買っていっていた。

以前勤務していた定時制高校の男子生徒はここの食肉を裏方でさばいていたのだが、聞くと豚足はよく売れていると言っていた。

ただ、赤穂の業務スーパーには月に一度行けば良い方だったので、それほど頻繁に食べていたわけでは無い。

そして、龍野にも業務スーパーがあって、そこに冷凍した豚足が安く売っていたので買ってきて、シャトルシェフで人参や大根なども加えて豚足スープを作った。

美味しくてそれを毎日食べ続けていたら、不覚にも痛風になってしまった。

それ以来、豚足スープは作っていないし、豚足はなるべく食べないようにした。


それでも、たまに行く赤穂の業務スーパーでは、豚足より割安な豚の耳の方を買ってきて食べることを細々と続けていた。

そんな折に、豚足を食べる良い口実ができた。

いつも一緒に散歩している我が家の愚犬クロが、今年の夏の暑さにやられて弱ってしまったのだ。

私は豚足の骨は必ずクロに与えていたのだが、喜んで食べていた。

そこで、クロを元気づけるのだと家内に言って、業務スーパーに行き豚足を買ってきた。

前回豚足を買ったときにはシャトルシェフで茹でたのだが、今回は家内に勧められて蒸すことにした。

茹でた豚足は脂分も落ちて柔らかく、健康にも良さそうだったが味は蒸した豚足には叶わない。

豚足は手でつかむと油まみれになるので、ナイフとフォークを上手く使って手を汚さずに食べて、骨も全部バラしてかじりついて綺麗にした。

クロにその骨を上げると喜んで食べて元気にもなった。


私は肉が大好きであったのだが、学生時代は金が無くて100g10円の鳥の皮を普段は食べていて、いい加減飽きてきていた。

だから、たまに食べられる豚足は馳走だった。

今はさほど金に困っているわけでは無いのだが、牛肉や豚肉はそこそこ値が張るので買いづらい。

家内は肉が苦手で、特に脂身が嫌いなので高い肉を普段はあえて買おうとしない。

娘が家にいた頃は娘が肉が大好きだったので、娘のために焼き肉もそこそこしたのだが、今はいないので家内は煙くなると嫌がって滅多にしてくれない。

だから、赤穂の業務スーパーで売っている安くて美味しい豚足と豚の耳は自分で勝手に食べるご馳走であり続けている。

鶏も指肉も安くて美味しく食べられるそうなのだが、スーパーには売っていない。

人気の無い部位の肉は冷凍物が通販では売っているが、配送料がかかるのでそれほど安くは無い。

物価高のこのご時世、豚足のように普通のスーパーや食肉店でも安く手に入ればありがたい。




2025年9月1日月曜日

殺人と戦争ドラマを楽しむ大人たち

 このところ毎日テレビドラマの「相棒」の再放送を録画で見ている。

いつも家内と話をするのは、「相棒」では必ず殺人がある、殺人が起こらないのも有るけど滅多に無いということだ。

「相棒」は殺人事件を解決することや、殺人事件を通して社会問題を顕わにするところが面白い。

では、視聴率の高いこの番組を見ている人は、実際に起こる殺人を肯定しているのだろうか?

答えは「ノー」だろう。

フィクションとして現実では身近に無い殺人を観て楽しんでいるだけなのだ。

でも考えてみれば、自分が幼い頃には親が観ていた殺人の場面が出てくるドラマは嫌いだったし恐かった。

ということは大人になるにつれて、殺人の場面が出てくるドラマや映画が好きになったのだ。


これと同じように、いまだに憶えているのは「同期の桜」という戦争ドラマが子どもの頃にあった。

特攻隊の将校を描いたもので、親は毎回観ていたので自分も同じように見ていた。

ところが、大概はその内容が恐ろしく感じて、夢でうなされることが多かった。

一番憶えているのは、特攻隊の攻撃シーンでは無くて、原爆投下後に苦しむ人たちをリアルに描いたシーンだった。

このシーンは目にこびり付いて、しばらく眠れず夢でもうなされた。

幼い子どもにとって、リアルな戦争は観て楽しめるものではなかった。


ところが、小学校の6年生くらいに観た「決断」という戦争アニメが放送された。

そのアニメは戦争の悲惨さよりも、決断すべき時を逸すると敗れるというのが重要なテーマともなっていた。

だから、戦争の悲惨な部分を実感すること無く、戦争アニメを楽しむことができたのだ。

そういう戦争アニメは「0戦はやと」というのが既にあって、もっと幼い頃に楽しんで観ていた。


現代でも、大河ドラマの多くは戦争や乱である。

歴史的な事柄であれば、そこで実際に起こった悲惨な殺戮や餓死、強姦などを無視してドラマとして楽しめる。

NHKは戦争の悲惨さを語り継ぐための良い番組を作りながら、一方で戦記物のドラマを娯楽として作っている。

たぶん、リアルで悲惨な場面が登場する「映像の世紀」よりも、大河ドラマの方が一般に受けるのだろう。


こういう事を考えれば、私たちは殺人や戦争の残虐性への耐性は成長するに従って得られたことであることが分かる。

これは何も映画やテレビが登場してからの現象では無くて、古代なら神話や伝説の語りに始まり舞台での劇や人形劇でも表現されてきた。

大人は子どもに語り継ぐことによって、殺人や戦争のある現実に適応させて行かざるを得ないのかもしれない。

我々の人間社会は殺人や戦争なしには成り立ってはいない世界とも言える。

先祖を共通するチンパンジーも、敵対するチンパンジーを殺して食べたりすると言う。

ホモ・サピエンスは熊のように、魚肉も植物も食べる雑食性だったからネアンデルタール人のように絶滅せずに済んだとも言われている。

これは肉に頼った狼が絶滅し、熊が生き残った日本列島と同じことだ。

子熊が親から食料の調達や闘い方を学ぶように、狩猟や屠殺から解放された現代人もドラマによって殺しと戦争を楽しく学んでいるのかもしれない。





2025年8月31日日曜日

水泳で10年前の自分を取り戻す

 夏休みに入って水泳は自分の都合の良い時間でできなくなった。

どうしても1コースを独占的に使いたいので、一般利用者の少ない時間となる。

夏休み前は上郡においては午後2時半から4時であり、相生では午後1時から3時半であった。

それが夏休みに入ると、小中学生の午後からの利用が増えて上郡では午前11半から午後1時、相生では午前11時から12時半までということになっていた。

つまり、水泳した後で昼食を摂り、その後に昼寝をしないと何もできなくなってしまった。

暑い時間帯で水泳をして、その後夕食にするという週三日の水泳スケジュールができなくなってしまった。

それによって血糖値が下がって、糖尿病の治療にも役だって医者からも褒めてもらっていた。

そもそも、血糖値を落とすなら食後の運動の方が適しているのだが、その時間帯で泳ぐと混雑して思うように泳げずかえってストレスになってしまう。

だから、糖尿病対策としてよりも、快適に泳いで泳力や体力向上に努めた。


以前も書いたように、フロート以外にフィン(足ひれ)、競泳用シュノーケル、防水イヤホン、鼻栓が練習の必需品となっている。

ただ、防水イヤホンは必需品では無くて、有った方が楽しく泳げるという物だ。

なにせ、シュノーケルでプールの底しか見ていないので、音楽を聴いていることで気が紛れる。

フィンもしばらくして足首が痛くなったが、伸ばして蹴ることから曲げながら蹴ることで改善することができた。

鼻栓を付けてのバサロも、いまだに鼻が痛くなることもあるが、かなりできるようになってきた。

苦手な平泳ぎはフィンを使わないが、シュノーケルで足のけりや手のかきの練習に注意を集中してできて、幾分速くなった。


専門のバタフライだが、フィンのお陰で腕の負担が軽減できているので、かなり楽にゆったりとしかも速く泳げている。

以前は50mは、せいぜい一回しか泳げなかったが、二回続けて泳げるようになり、個人メドレーの練習も100mを200mにした。

これからは、バタフライも50mで練習を組みたていき、100mも泳げるようにしたいと思う。

そこまでできるようになって、10年前の自分に戻ることができるのだ。


そうは言っても一番元気だった頃は、フリーの50mは50秒で回せていたし、100mも2分サークルで10本はこなせていた。

何よりもダッシュが遅くなってしまっていて、50mフリーを30秒台でまだ泳げていない。

かつて選手だった経験者から観れば、自慢できるような練習内容やタイムでは無いのだろうが、去年まで医者に通い詰めだった自分としては上出来である。

そして、何よりも私が意識するのは、近くのコースで泳いでいるスクールのスイマー達で、特に選手コースは意識する。

小中学生程度ならフィンを付ければ選手と同じようなサークルタイムの練習できるのだ。

また、コーチや監視員に一目置かれるのも嬉しい。

去年までは老いぼれていく自分を悲観的に思っていたが、気持ちもずいぶん若返った。

それは、少しヘコんだお腹と、逞しくなった上腕筋、たるみが減って厚くなった胸筋が自信となっているのだ。

その若さを誇示するために、白髪の頭でありながらノースリーブのシャツで外出している。

今時、マッチョな身体は女性にはもてないので、むしろ男性の方の目を意識している。

それは変な意味では無くて、男性は体型で普段の身体使いを推測できるからだ。

ひ弱そうな手足だったり、締まりのない肥満は運動不足が想像できるし、食事管理もできていないように思える。

その点では、自信が少し出て若さも取り戻していると思える。

こういう取り組みは実は、毎日の農作業に生きているし、読書や執筆で座りぱなしになるのを防いで、持病の治療や他の病気の予防に役立ててもいる。

2025年8月29日金曜日

アナログ世界を蘇らせる手書き文字のOCR(光学文字認識)

 私はワープロなどが普及しだした1980年代後半から、ずっと手書きの論文や調査資料をキーボードで打ち込んでテキスト化していた。

その時から何とか手書き文字をOCRで簡単にテキスト化してくれないかとずっと思っていた。

同じ紙媒体でも活字文字に関しては「読んでココ」という優れたOCRがあって、本の一部をスキャンしてテキスト化して活用していた。

一番時間を費やしたのは村落調査でカードに記録したデーターで、スキャナーで画像化してjpegファイルとして保存もしていた。


このところAIがいろいろと活躍しているので、ひょっとしてOCRもと思って調べたら無料で簡単にできる方法があった。
Googleのドライブでドキュメント化すると簡単にテキスト化してくれた。

現在はスマホのメールなどで簡単にテキスト文字をやりとりしているが、私の若い頃は手紙やはがきしかなかった。

ビートルズのPlease Mister Postmanの世界が私にはかつてはあった。

彼女からの手紙が待ち遠しくて、郵便がいつもの配達時間になるとそわそわしていた。

手紙は彼女からだけでなく、父親や友達から来たり、お世話になった先生からも頂いたりした。

そういう物は捨てずに大切に保管してきた。

因みに見合いで知り合った家内とは一度も手紙のやりとりをしていない。

電話や直接会って話すことが簡単にできたからだ。

そしてインターネットが普及してから、メールに取って代わられてしまい、事務的なことや仕事以外では文書を郵送することはなくなった。

だから、プライベートな紙媒体での記録は殆ど残っていないのが残念に思う。


パソコンも当初はデスクトップ型の高価で大きいものしかなかったが、ノートパソコンが手に入るようになり、最近では携帯に便利なタブレット型も安く手に入る。

いつしか、本も画像のままやテキスト化して読むことが多くなった。

また、プライベートの日記やエッセイなどはパソコンで綴ることが殆どとなり、紙媒体での記録は殆どなくなった。

学生時代はノートにしっかりと書き続けていた。

その日記はスキャンしてjpegファイルやPDFで保存していて、ブログを書いたりするときに活用してきたが、テキスト化するのが非常に手間で殆ど見るだけだった。


こうして簡単に紙媒体の手書き資料がテキスト化できることになると、かつてのノートや手紙をスキャナーで画像化してテキスト化しようと思う。

紙媒体のものは保管した物を探し出して読むのが非常に手間で、いつでもパソコンやスマホで読める方が便利だからだ。

逆に、必要なことはノートやメモ帳に書いておいて、後でテキスト化することもできるだろう。

というのも、手書きの日記や手紙は文字の中に当時の自分や彼女の心が刻み込まれている。

手書きが不要な時代だからこそ、あえて手書きで書く価値が出てきたように思う。

そして、必要とあればOCRでテキスト化すれば良いのだ。


何でもデジタル化されてきた時代だが、AIがまたアナログの世界を復活させてくれるような気がする。

以前ブログでも書いたが、音声を文字化することも簡単にできるようになったし、こうして手書き文字もテキスト化できるようになった。

声や文字にしろアナログで残された物には、単に意図された意味以上の意図せぬ情報が含まれている。

そのアナログの声や文字もそのままデジタル化できるようにもなっているので、テキスト化された文字やデジタル化した写真と組み合わせて見たり聞いたりできる。

AIの進歩は生成AIでの無人化の側面だけでなく、アナログ世界の復活の面も評価すべきのように思えた。


2025年8月27日水曜日

空調服にアイスベストへの回帰

 空調服を使い始めてから6年以上経っている。

農作業に必要を感じて思い切って買った。

当時は、まだ学校もエアコンが完備されていなくて、授業をする時に空調服を着けたこともあったが、まもなく禁じられてしまった。

元来、空調服はチョークの粉を吸い込むので、黒板の授業では適してはいなかった。

私はかなり前からパワーポイントで、チョークを使わない授業をしていたので問題は無かったが、生徒からうるさいとクレームがあったようだ。

空調服の最大のネックは大きな音である。

そして、灼熱の屋外では熱風を身体に吹き付けて、汗まみれにならないと涼しくならないので、体臭が気になる仕事には不向きだ。


汗をあまりかかなくて済むように、吸水性の高い合成繊維(PVA)のベストに水を含ませて着てみたが、直ぐに乾いてしまって涼しさもさほど持たなかった。

他にも吸水性が長引く生地のベストを購入して使ってみたが、気休め程度でしか効果は無かった。

水冷服も検討したが、保冷剤を装着するアイスベストが一番良いと思って少々高かったが購入した。

このアイスベストはメッシュ素材で保冷剤を入れるポケットが背中に上下2カ所と両脇に二カ所付いていて、その大きさ用保冷剤もついていた。

保冷剤をジプロックのようなビニール袋に入れて、冷凍庫で凍らせて使った。

効果は非常にあったが炎天下では2時間が限界で、アイスボックスの中に交換用の凍らせた保冷剤を持っていって使ったりした。

効果はそれなりにあるにしろ、アイスベストと保冷剤の2セット買って、メンテナンスをこまめにやらねばすぐ汗臭くなる。

だから、朝の涼しいうちに農作業をやり始めてからは空調服だけで済まし、面倒なアイスベストは殆ど着ていなかった。


一方で、ペルチェベストが話題となり、ワークマンで買おうとしたが売り切れで買えなかった。

そこで似たようなペルチェベストを買ったのだが、洗うことが不可能なので、汗をあまりかかない室内だけしか使えなかった。

充電が空調服以上に面倒だったし、持続時間も大したことが無かったので、気が向いたときしか使わずにいた。

それが、今年になって冷却プレートを取り外して、洗えるペルチェベストが売り出された。

これだと保冷剤の管理が必要ないと思って、空調服と併用するために購入した。

ところが、ペルチェベストはエアコンと同じように、排熱するファンが必ず付いている。

そのファンからうまく熱が逃げないと、冷却プレートは逆に熱くなってしまう。

空調服はかなり吸引力の強い状態を保たねばならなかった。


今年の夏はあまりにも暑いので、農作業は早朝だけにして、夕方するのを辞めたのでアイスベストもペルチェベストも必要では無かった。

その代わりに涼しさを感じるシャツミストを買って、空調服の内側にスプレーすることにした。

これは効果てきめんで、早朝の農作業や散歩では十分役に立っていた。

ところが、朝食後の散歩では暑すぎて犬の方がまいってしまったので、散歩を朝食前にして、農作業を後にすることにした。

少々暑くてもシャツミストで、暑さを感じずにはいられていた。

ところが、作業後にシャワーを水で浴びて冷やしても、なかなか汗が収まらない。

シャツミストは体温を下げてはくれてなかったので、身体の芯に熱が籠もっていたのだ。


それで、シャツミストは補助的に使い、急遽ペルチェベストを着込んだ。

散歩では空調服が古くて風力が弱いので直ぐに暑くなり、空調風を脱いでペルチェベストを露出させた。

見た目にはコンプレッションのシャツにペルチェベストで格好が悪いが、涼しさの上では問題なかった。

しかし、朝食後の農作業では無理だと分かったので、保冷材を使うアイスベストをもう一度着てすることにした。

それによって、農作業後の汗も早く収まるようになり、疲れ方も改善された。

たぶん、水冷ベストを使っても同じ効果はあるだろうが、アイスベストの方が安上がりだし、充電器が必要で無いので軽い。

確かにメンテナンスは手間だが、この方法で気象破綻した日本の夏を乗り切るしか無い。

このように暑さ対策は費用はかかるが、室内でエアコンが必需品であるように、室外では空調服と保冷ベストが必需品になったのだと思う。

最近ではドライブや買い物にやって来た人でも空調服を着ている人を見かけるが、さすがに私は薄着で済ませてそこまでは使わない。

村では空調服を持っていながら、保冷ベストを使いこなせて無くて、涼しくないから使ってないという人がいるのが残念だ。

暑い部屋でエアコンを使わずに扇風機で済ませているのと変わらないのに・・・・・








2025年8月25日月曜日

戦争放棄の戦略

 核兵器を持った方が安上がりという人が国会議員になったが、日本が核兵器をもつことをアメリカが黙認すると思うのかと聞いてみたい。

アメリカは自分たちの戦争に協力する自分たちより弱い自衛隊を望んでいるが、敵対する可能性のある対等な自衛隊は望んでいないだろう。

高度なロケット技術を持っている日本に、アメリカが自由に使える核兵器を持つことを見逃してくれるはずが無いと思う。

アメリカにとって日本人が戦争は絶対反対と言ってくれてる方が、太平洋戦争で受けた恐怖から立ち直れない状態の維持で都合が良いと思う。

喧嘩でボコボコにして実力の差を見せつけてしまえば、その恐怖から二度と喧嘩を仕掛けないのと同じだ。

一方戦争放棄は、一時はアジア地域で軍事力によって植民地支配していた日本が、もう戦争して迷惑かけないから安心してねと言うメッセージでもある。

日本に軍事侵略された国はアメリカに従順な日本の方が安心だろう。


ただ、戦争放棄を憲法に記載した日本に衝撃が走った。

ロシアが核兵器を脅しに使ってウクライナ侵略を実際に行ったのだ。

これは場合によってアメリカが核兵器を脅しに使って日本を侵略するのと同じだろう。

核兵器を脅しに使って侵略してくる相手に、それなりの軍事力を持って対抗せねばならないことは当然だと思う。

しかし、もしアメリカの言うとおりに軍事予算を上げてもっと武力を高めても、核兵器が持てない以上はアメリカに利用されることしかないことも分かっている。

むしろ、一時期待された核兵器を無力化するためのレールガンなどの兵器の実用化を急ぐべきかもしれない。

そして何よりも、今までは戦争放棄で何とかアメリカの戦争に加わらずに済んだことを忘れてはいけない。

そもそも、中国の経済力を高めた背景には日本の援助があるわけだから、ある意味でアメリカを相対的に弱体化させた原因は日本にもある。

その日本が台湾有事でアメリカと一緒に戦争したら、援助は中国に利用されたことだけになる。

日本は台湾に対しても中国に対しても戦争回避をするように働きかけなければ、アメリカの思うつぼになってしまうことにもなる。

アメリカにとって北朝鮮の核開発問題にせよ台湾問題にせよ東アジアの危機は、存在価値を示す良い機会なのである。

アメリカに従属しながら戦争放棄を貫いて東アジアの平和を保つことに努める日本の存在意議はここにあると思う。


第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツは核兵器を保有していない。

その両国とも経済発展を遂げている。

軍事力よりも経済力を付けることに専念できたからだとよく言われている。

アン・ケース/アンガス・デイートン『絶望死のアメリカ―資本主義がめざすべきもの』

みすず書房(2021)を読めばアメリカの深刻な状態が理解できる。

本来なら謙虚に立て直しをアメリカは図るべきだろうが、過去の栄冠のプライドと突出した軍事力がいまのトランプ大統領の独裁に繋がっているのだろう。

戦争を続けなければ国家を維持できないのがアメリカなのだから、面従腹背の戦争放棄で今は日本人の経済格差で右傾化しているのを是正するべきだと思う。

我々日本は対外的な危機では無く、対内的な危機に直面していることを認識すべきだと思う。


そして、最も重要なことは、戦争による環境破壊の促進である。

これは石油や天然ガスの施設の破壊と言うだけで無く、マスメディアやネットでは環境破壊よりも戦争の関心が強くなる。

これだけ温暖化が進行して生活に影響しているというのに、戦争の方が重大なニュースとなっている。

戦争で原油やガスが値上がるのは、コストの高いシェールガスの多いアメリカにとっては好都合で、トランプは掘って掘って掘りまくれと言っているのだ。

そして、戦争がウクライナやガザで深刻になればなるほど、アメリカの存在価値が上がり勝手に関税もかけやすくなる。

アメリカは自ら戦争に加わらずに武器や燃料を通して国費をつぎ込んだり輸出して景気が良い。

戦争を利用して繁栄し、環境破壊を進めるアメリカと一線画せる方法は戦争放棄だろう。