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2025年8月25日月曜日

サツマイモを三食の一食に

 沖縄や奄美では戦後しばらく主食はサツマイモだった。

2008年に奄美の与路島で民宿に泊まったときも、そこのご主人はサツマイモを米飯代わりに食べたりしていた。

主食だった当時の奄美では冬の寒い時を除いて、収穫しては植え付けて食べ続けていた。

霜が降りない年は、冬場でも畑に埋めたままにして掘り起こして食べるのが普通だったようだ。


本土では秋には掘り上げて、きちっと温度を保って保存しないといけない。

秋には寒くなるので掘り上げて蔓を埋めても芋はできない。

しかし、このところの暑さは沖縄や奄美にも勝っている。

今年は雨が少ないので生長が悪かったが、しっかりと水をやって蔓をしっかりと伸ばすことに努めた。

天気予報では暑さがずいぶんと長引くようだ。

まさしく、本土の秋は無くなって沖縄、奄美の夏の気候に近いと思った。

そこで、サツマイモを掘りながら植え付けてみることを思い立った。


今回、試しに1本掘り上げてみると、握りこぶし二つ分ほどの芋が二つ採れた。

その掘って芋を取り除いた根をその上の蔓も幾分か一緒に埋め戻して置いた。

他の場所に蔓を差しても良いかなとも思ったが、秋物や冬物も作らねばならないので、同じ場所で試すことにした。

因みに、サツマイモはできたら毎年同じ場所で作る方が良いとされている。

その後も、毎日一株ずつスコップで芋を掘り起こしては、株と根を埋め戻して水をやっている。

どの株もそこそこ芋は大きくなっており、店で売られているのに引けはとらない。


これでまた、芋ができるかどうか分からないが、今までのように一気に掘ってしまわずに、少しずつ掘って埋め戻す方法を寒くなるまで続けようと思う。

本土の気候は夏場が長く亜熱帯と同じになったので、それなりに対処する一環の取り組みであるが、稲でもひこばえから収穫しようとする取り組みと一緒だ。

現在の私の食事は朝食だけ雑穀米を食べて、昼食は自家製の野菜や豆を中心としたスープと茹でたジャガイモ、夕食はもち麦全粒粉入りのパンをメインにしている。

要するに米離れを心がけているのである。

ジャガイモも収穫した春ジャガが食べ終わりかけていて、秋ジャガまで持つか分からないので、サツマイモはそのつなぎでも使えそうだ。

本土はなんと言っても冬はまた極端に寒くなるので、寒さに強いジャガイモは欠かせない。


以前にも書いたが(サツマイモへの思い入れ)、私の父はサツマイモを主食のようにして、大切に育てて保管して食べていた。

私はサツマイモをジャガイモ同様に三食のうち一食は主食とし、自給できるようにしたいと思っている。

現在、購入した玄米は一週間に1合ほどしか私は食べていないので、もう主食とは言えない。

一方で、毎週日曜に家内と外食するときは、回転寿司などどうしても白米を食べることになるので、白米は特別なご馳走の位置づけになった。

これはたぶん、昔の本土の百姓の米の食べ方よりは贅沢な食事だと思う。

だから、気候崩壊に耐えられるリッチな現代版エコロジカル・ファーマーを目指していると言いたい。





2025年8月23日土曜日

あ~夏休み!が終わる

家内は学童に勤めているので、夏休みの方が普段よりも忙しい。

3日に1回は早出で七時半に家を出るので、 わたしもそれに合わせて動かねばならない。

そのほかの日も弁当を持って昼前に出かけていくが、普段は昼食をとってから12半頃d出かける。

私が完全退職してからずっと家にいるので、昼食や夕食を忙しく用意している。

私はレトルト食品を買い込んでいるし、昼食用に野菜スープを自分で作っているので気を遣わなくて良いと言うのだが、そうはいかないらしい。

我が家は子どもに教育費が多くかかったので、生活費を切り詰める習慣ができていて、私の年金や退職金の残りで何とか暮らしていける。

だから、忙しくて身体に負担があるのなら、仕事を辞めるなり非常勤で働くように言っているから、無理してでも家事をこなそうとしている。


だから、家内は毎日が忙しい夏休みが終わるのを心待ちにしている。

8月の下旬になると「あ~ 夏休みが!やっと終わる!!」と家内は喜ぶ。

私は「あ~ぁ 夏休みが 終わってしまう」と嘆くのだ。

退職して夏休みも普段の日も変わりは無いし、プールが混んで泳ぎづらくなるのだから、夏休みは私も楽しいわけでは無い。

しかし、夏休みは私にとって今でも気持ち上で欠かせないものなのだ。


私は幼稚園から教師を退職するまで夏休みが無かったのは、中学受験の塾と大学受験の予備校に毎日通っていた2回だけだと思う。

退職後はプールの非常勤コーチで一度だけ夏休みが無かったが、それ以外は高校で非常勤で働いているときも夏休みはあった。

60年間染みついた夏休みは完全退職後も心身に染みついているのだ。


夏休みには色んな想い出が詰まっている。

幼稚園から大学院までの学校、教職に就いてからの想い出に残る多くが、夏休みが舞台なのである。

先日もNHKラジオの「マイあさ」で、子どもの夏休みの過ごし方と家庭や親の格差について話があった。

児童・生徒が塾などに通えるかどうかと学力格差、色んな体験がさせられるかどうかと経済格差、親の学歴による教育格差の問題を取り上げていた。

家内から夏休みで家に親がいても、学童にやってくる生徒の話を良く聞かされる。

せめて休みの日くらいは子どもと関わって欲しいというのが家内の気持ちだ。

たぶん親としたら、休みの時くらい普段忙しいのでゆっくりと過ごしたり、自分のやりたいことがしたいのだろう。

このごろは企業も夏休みを多くとることができるようになっているが、教師のように授業が無くなるような仕事の軽減は無いだろう。

ただ、これからの酷暑の時代は仕事の軽減や、有給休暇のまとめどりなどの改革が必要だと思う。

そして何よりも、小学生は親子や家族、親戚、近所の人が一緒に過ごすことの楽しさを知る時間を確保するべきだと思う。

中学生や高校生ではクラブ活動以外にも、学校では学べない読書や体験、趣味を得て次のステップへのモチベーションを得る良い機会である。

大学生以上の学生は、就職しても続けられる独自の特技や趣味などの生きがいを身につける良い機会だと思う。

要するに自分の日常生活の大半を占める学校や職場との関係をなるべく絶って、自分にとって楽しいことや興味あることが自由にできるのが夏休みだった。


「教師は夏休みが有って良い」と確かに言われ続けたが、それはバブルの頃あたりまでで終わっている。

授業の負担が無い変わりに、研修やらクラブ活動などに忙しくさせられるようになってきた。

クラブ活動は熱中症などの深刻な事故があったので、しっかりと付いていなければならなくなった。

採用されたときは自宅研修が勝手にできて、午前中はクラブ指導して午後は自宅研修をしていた。

そのうち計画と報告が義務づけられ、気楽に自宅で過ごしたり研修旅行できなくなった。

バブル時に教員が不足して給料を上げたのだが、バブルがはじけて相対的に給料が良くなりその分、民間同様の拘束された就業を強いられていった。

ただ、授業が無いので今まで取れなかった有給休暇を取ることなどができることは助かっていた。

そうなると、自分でしっかり勉強や体験、自己研鑽に励むより、せっかくの休暇を楽しく過ごしたいというのが普通だろう。

そういえば、夏休みにクラブの顧問同士の付き合いに無理をして亡くなってしまった教師もかつて在職した学校でいた。

教師とてもそんなに夏休みが過ごしやすいものではなくなってきたので、普段のブラックな仕事を夏休みの魅力で補うことはできなくなっている。


完全退職の現在は、時間は研究と農作業に多く割き、健康管理に歩きと水泳にも時間をしっかりかけている。

夏休みと言うより夏場の方が農作業が忙しいので、冬場の方がゆっくりと研究や歌の練習ができている。

だから、現役の頃の夏休みをふと思い出しながら、過ぎていくのを惜しんでいるだけなのだ。

以前勤めていた大学附属高校で、一年2学期制だったころは秋休みがあった。

その時に、季節も良く旅行客も少ないので安くできる海外旅行をする教師もいた。

秋は収穫で忙しいのでが、私は昔の百姓よろしく、冬場の農閑期を夏休み並に活用しようと思っている。

あと何年健康で活動できるか分からない老人だからこそ、長期の自由な時間がかけがえのない時間となっている。



2025年8月21日木曜日

夏バテする我が家の番犬クロ

 このところクロの餌入れに蟻がいっぱい集(たか)っていた。

原因が何か分からなかったのだが、この二・三日散歩から帰ってきても餌をすぐには食べずに、後から食べても残していることに気がついた。

以前は、餌がもの足りないのか綺麗に餌入れを舐めていたのだが、それをしていないから蟻が集ったらしい。

実は、去年までは早朝の涼しい時間帯にしっかり一緒に歩いていたのだが、私の都合で朝でも暑くなった時間になってしまった。

用水路に入って何度も腹を水に浸しながら水を飲んでいるのだが、家に戻るとデッキの下に潜ってしまう。


クロはハウンド(猟犬)で室内で飼う犬では無いので、南側の吐き出しの窓から伸ばしているデッキの横に小屋を置いてある。

去年はエアコンが壊れてしまっていたので、犬小屋の横にある室外機はあまり動いていなかった。

今年は新しいエアコンの室外機がフル活動している、その温風も厚さの原因となっているとも思う。

暑い日のクロは犬小屋には殆ど入らず、デッキの下の狭い空間で寝そべって過ごしている。

去年までは昼間は温和しくても、夜になったら元気に動いて音を立てていたのだが、今年は夜も静かなのである。

ついに餌を残すまでに至って、こちらも完全に夏バテとして対策せねばならなくなった。


そこで、今朝からは朝五時に起きたらまず、クロと散歩に出かけることにした。

これまでより、しっかりとした歩きでいるのが分かった。

何度も入っていた用水路も回数は減った。

ただ戻って来て水を飲んだきりデッキの下に入ってしまい、餌はデッキの上に置いておいた。

しばらくすると食べていたのだが、まだ調子は戻ってはいない。

餌を寝そべったまま食べるし、やはり同じように残すので量を減らした。

そこで室外機からの温風がいかないように仕切りをしてやり、犬小屋の上にもすだれをかけてやった。


うちのクロがここまでバテてしまうのは、朝の散歩と室外機に大きな原因があるとは言え、やはり連日の酷暑が一番の原因だ。

先週は、雨が続いたがちゃんと犬小屋に入って過ごしていた。

室内で飼われている犬はエアコンの恩恵を受けているだろうが、クロのように庭などで飼われている犬にとって残酷な夏になってしまっている。

熱帯雨林の地方で高床式の家屋が作られている理由は人にとっては雨などの対策だが、家畜などがその下で涼しく過ごせることも重要だ。

奄美の高倉も雨の日の作業や山羊などの家畜の居場所に役に立っていたようだ。

来年の夏に向けて、高床の倉庫建てたり、デッキを改良することを真剣に考えねばならないかもしれない。

これからの暮らし方は、熱帯雨林やサバンナ気候の暮らし方も取り入れる必要があるだろう。

もう既に、亜熱帯の沖縄は海洋性気候でより温帯の本土よりも涼しいので、夏は避暑に沖縄に行く方が良いかもしれない。




2025年8月20日水曜日

安い米より安全な米

 以前にも書いたが、我が家は近所の米農家から30kg8000円という安い玄米を購入している。

街に住んでいる人は安いと思うかもしれないが、水田の用水路の溝掃除や道作りの作業も行っている。

村では水田を所有していて当たり前なので、うちのように水田を持たない人からの作業に対する文句は出ない。

その米農家は街から買いに来る人にも同じ値段で売っているので、配達してもらっているとはいえ、特別安くしてもらっているわけでは無い。


今回、もうその米農家から購入するのを止めることを決意することが生じた。

今まではトラクターに噴霧器を付けて農薬を撒いていたのを、今年からラジコンヘリで撒きだした。

その米農家が耕作している水田は我が家とか向の家に隣接している。

米農家自体の家は水田から離れたところにあって問題ない。

JAに委託して、農薬を自ら浴びること無く済ませることができたのだ。


この地に家を建てて引っ越してきたときに、裏は水田でそこで所有者が手作業で農薬を浴びながら撒いていて、我が家の中にも農薬が入ってきていた。

やがてそこは畑と倉庫に変わって、農薬が家の中に入ってくることが無くなっていた。

農薬の空中散布は何度も繰り返して書いてきたように、EUでは禁止されていて危険なものだ。

アメリカなどの大農場でやるべきことを、日本ではどこでも平然と行われている。

ついに、民家のそばの水田にまで農薬の空中散布し始めたことに憤りを禁じ得なかった。

今まで安く分けてもらっていた手前で文句を言うこともできない。

これからは高い玄米を買うことでは出費になるが、その米農家から買うのを止めにした。


コウノトリの親子も農薬の空中散布を米農家がドローンなどでし始めて、近くにいなくなっていたが、親鳥は戻って来ている。

そして、餌を探しているのは主に、休耕田である。

米不足で休耕田も減って、餌探しも大変そうだ。

豊岡のようにコウノトリが安全に棲めるような水田に変えていく気運もない。

私はこれからは減農薬の特別栽培米を作っている千種や波賀の玄米を買いに行こうと思っている。

千種高校に非常勤高校で勤めていたときは、安い玄米を買っていたので買う気になれなかった。

千種高校の生徒も栽培に関わっている特別栽培米の「ちくさの舞」も買ってみようかと思う。

また、豊岡ではコウノトリ棲息のための水田を維持していて、コウノトリ米として売り出している。

それを支援するためにも今後は買うことも考えている。

健康のため、環境のため、無理をしてでも安全な米を買うことに決めた。


2025年8月19日火曜日

荒れる畑は未來の予兆?

 ついに、ズッキーニが枯れ出した。

寒冷紗で暑さを和らげて、元気を取り戻していたのだが、大雨の後の高温で限界が来たらしい。

10本ほど植えたのに、これまでの収穫は数えるほどしか無かった。

高温の気候では難しいので来年は諦めるか、最初から寒冷紗を使って栽培するか考えねばならない。

カボチャも雄花ばかり咲いて、蔓は元気そうに見えるが実がならない。

トマトもミニトマトはそこそこできたが、大玉は数えるほどしかできなかった。

例外的に良くできたのは白ナスビで、これは近辺でも同じらしく売っている値段も安い。

逆に、水ナスはいっぱい水をやったのに、生長が悪く実もできが悪い。

それでも、実験的に栽培している低い丈の高黍(コーリャン)が比較的元気で穂を付けて、花を咲かせ始めている。

ただ、去年の高い丈の高黍は花が咲いても実がならなかったので油断はできない。

里芋はさっぱりだが、サツマイモは水をしっかりやったお陰で蔓だけは元気に伸びている。

一番期待しているのはオクラで、水をしっかりやったので元気になって、実を沢山付け始めている。

オクラは買っても安いのでそれほど人気は無いが、長けても硬くならない丸いオクラを毎年作って長くならし続けている。


私が作っている畑は作物で青々しいのだが、近所の畑には雑草で青々しい畑がいっぱい有る。

自然農法を頑張っていた近所の若い人もお手上げ状態になっている。

お年寄りのしている畑も殆どの作物を枯らしてしまっている。

知り合いで家庭菜園を頑張っている人も、作物のできの悪さをぼやいていた。

いつもながら立派な畑は年配の奥さんが朝晩畑に出て頑張っているところだけだ。

この奥さんは空調服も着けずに暑そうな格好で、空調服を着ている私が避ける時間帯でも畑に出て、主に水やりをしている。

そこまでしないとこの酷暑の露地栽培は持たなかったのだ。


例年、家庭菜園は夏物の作物をしっかりならすのが楽しみだった。

ところが、こういう酷暑になると作業も辛いし、せっかく頑張ったのに作物も応えてくれない。

やり方を根本的に考え直さねばならないように思う。

例えばトマトは雨除けをするのが普通だったが、今は日除けが必要だろう。

どうも、瓜系統は暑さに弱いようなので、暑さ対策を最初からする必要が有るように思う。

それには、寒冷紗も有効だが高黍の間で作る手も有るように思う。

近所の若い人は水やりがちゃんとできなかったようだが、酷暑ではポンプを使わないと身体がもたない。

今年は水を作物にやる対策ができなかった畑は深刻なダメージを受けている。


これから実験的に行いたいのは、秋から冬にかけての作物や冬から春にかけての作物に力を入れることだ。

今までは秋ジャガにはあまり力を入れなかったが、今回は種芋も注文しておいた。

早く成長する夏物野菜を秋に作り直す手もありそうだ。

また、夏の草抑えとしての藁をエン麦でしようと種も買った。

麦は食べることよりも緑肥やマルチとして活用した方が良さそうなのだ。


北海道でも温暖化の影響で山や川に食べ物が無くなって、農作物や人を食べる被害が出ている。

自然界は急激な気候変動にすぐには適応できていない。

この気候変動で野生の動物たちは追い詰められていき、何とか人の手で維持している畑を荒らしに来るだろう。

当然それに対する垣やネットなどで対策をしなければならないとは思っている。

だから、農家も温暖化を加速させるような畦などの除草剤の使用や、ポリマルチの多用は避けた方が良いように思う。

このところ、太陽光発電の影響で村の周りや畑の放棄地が太陽パネルで覆われてきている。

二酸化炭素を減らして温暖化を防ぐ取り組みが、村近辺の温暖化を進めているようにも思える。

また、どうせ太陽光発電するなら電動農機具をもっと開発して、それを活用できるシステムを構築すべきだ。

何度もこれからも繰り返し訴えたいと思うが、食糧危機は目の前に迫っている。

革命的な対策が今必要とされている。






2025年8月17日日曜日

ネズミ、恐るべし

 私は奄美の与路島に村落調査に行っていたとき、教員住宅に長期滞在させてもらったことがある。

墓場の一角にあった当時の教員住宅は、作りも古くネズミがよく出没した。

下手に食べ物を置いておくと囓られてしまい、固形石けんまで囓られていた。

そこを毎日訪ねてきた地元の友達がいたのだが、彼にそのことを話すと「ネズミが聞いているから、言わん方が良い」と諭された。

つまり、ネズミが人間の言葉を理解して、悪口を言っていたら仕返しをするという意味だった。

私たちの感覚では、害になるネズミは即刻駆除というものだが、シマの人の感覚は恨みを買うと不味いというものだと思った。

実は、ネズミは場合によってハブを呼び込んでしまうので、軽視できない存在だったのだ。


周りが農地の上郡の私の家でも時折ネズミが出没して、それを駆除したり追い払うのに苦労している。

ネズミが嫌がるという音や光を発する装置を付けているし、天井を走り回るときには嫌がる匂いの忌避剤や殺鼠剤を置いたりもする。

効き目があるのは一時で、直ぐに慣れられてしまうので、結局は捕まえねばならない。

大きなネズミの入り口は換気扇で、うまくこじ開けて入って来るので、対策をしようと思っていて忘れている。

ハツカネズミほどの小さなネズミは、玄関や窓の隙間が開いていればいつでも入れる。

駆除する方法は粘着トラップだが、そう簡単にはかかってくれない。

まさしくネズミとの知恵比べで、警戒されないように上手に餌などを置かねばならない。

大物がかかったらかかったらで始末が大変で、チューチュー鳴いているのを粘着シートをたたんで持ってゴミ袋に入れねばならない。

大概はその仕事は私の役割なのだが、家内にも先日やってもらったら嫌そうだったがちゃんとできた。


今回も連続して大きいのを2匹捕まえたのだが、問題はそれで解決しなかった。

どういうわけか、ガスコンロの一つが着火しても直ぐに消えてしまう。

家内が下を覗いたら、安全装置の線が切れているという。

どうも、ネズミに囓られたらしい。

食べられもしない細い銅線を囓るなんて嫌がらせか、ただの遊びか。

多くある線の二本しか囓られていないので、匂いがするので囓ったが食べられなかったと言うだけかもしれない。

とにかく修理に出したら手間と費用がかかるので、私が直すことにした。


その囓られた線は非常に細くて、釣りに使うハリス程度なのだ。

銅線のカバーをライターで焼いて剥がして、少し出た銅線を繋ぐのはかなり難しい。

二つの線を上手くねじれないので、テープの代わりに絆創膏を使って止めて置いた。

しばらくはそれで持っていたのだが、しばらくつすると熱で緩んだらしく、またつかなくなってしまった。


今度は家内に手伝ってもらうことにした。

以前手芸のビーズをしていたので、手先が器用だと思ったのだ。

今度はしっかりと銅線を捻ることにして家内にやってもらったのだが、どうもうまく繋がらない。

間違った線に繋いだのかと思ったが、交換してもうまくいかない。

見ていて捻り方が気になっていたので、私が頑張って捻ってみた。

そうしたらうまく行ったが、本来は線を交差して絡ませねばならないのに、家内は線を平行のまま捻ってしまっていたのだ。

こういう電線関係では私はプラモデルのモーター関係で扱っていたのだが、家内にはその経験が乏しかったのが悪かったらしい。

これで面目躍如だが、家内の手先が器用という評価が下がってしまった。


とにかく、自分で修理できたから大した被害とは言えないのだが、もし修理に出さねばならない状態だったら大変なことになっていた。

そういえばネズミにガス管を囓られて事故になったケースも以前はあったように思う。

今はヒューズがついているので大丈夫だと思うが、何をしでかすか分からない大変な相手であることに違いない。

私は常々、ネズミ対策に猫を飼いたいと言っているのだが、家内はその前に部屋を綺麗に片付けてちょうだいと言って了解してくれない。

私は猫を飼うことを決めたら部屋を片付けると言っているのだが、家内は自分がやらされると思っているようだ。

ただ、最近の猫はネズミを捕まえてくれないそうなので、決定的な対策にならないかもしれない。


現代では野良猫や野良犬がいなくなっても、このネズミだけはいなくなりそうに無い依然恐るべき動物だ。

ディズニーランドのミッキーやトムとジェリーのジェリーは人気あるキャラクターなのだが、それらは欧米文化の流れにある。

東アジアや日本では干支の一番となっている食わせものであるし、ドラえもんの耳を囓ってしまった手強い相手なので、猫の方がキャラクターとしては人気がある。

そう言いながら、私は子どもの頃には白いハツカネズミやハムスターを飼っていたこともあって、ネズミそのものを毛嫌いしているわけでは無い。

要するに、家に寄生して害をなすネズミに敵意を感じているのだ。

さすがに毒ヘビは家の中に入ってこないので、当時の与路島の人のように深刻に扱うことはしなくて済んでいる。






2025年8月15日金曜日

日航ジャンボ機墜落事故とブルートレイン

 私は1985年に起きたこの事故のことを鮮明におぼえている。

当時は横浜の長津田に住んでいて、ずっとテレビでニュースを見ていた。

事故は8月12日だったが、私は13日の夕方にブルートレイン(寝台列車)に乗ってツレと山口に向かう予定だった。

ツレの仕事の都合で東京駅で乗る予定だったのに、事故の報道に夢中になってアパートを出ねばならない予定時間が過ぎてしまった。

ツレと電話で連絡を取り合ってから、一か八か一番駅の近い東急田園都市線の田奈駅まで走って行った。

田奈駅から長津田駅まで私鉄に乗り、長津田駅からJR横浜線に急いで乗りかえて横浜駅まで行った。

横浜駅でそのツレが既に乗っているブルートレインに何とか乗り込んで事なきを得たが、ジャンボ機の迷走よりはましにせよ、連れも私も寿命が縮まる思いだった。

事故と自分のハプニングが一緒になって、毎年8月12日はその時の記憶がよみがえってしまう。


今年は事故から40年目にあたり、テレビなどでは色々と特集していたので、ウィキペディア(Wikipedia)で調べてみた。

改めてこの事故が「死者520名という日本では史上最悪の航空事故で、単独機の事故としても世界史上最悪の航空事故となっている」であることに驚いた。

日本だけならともかく、世界史上でも最悪というのは知らなかった。

このところ、亡くなった人を追悼することや、遺族の高齢化で事故の風化を懸念することなどの番組が多い。

しかし、事故の原因が分かっていて、それを政府がきちっと対処しなかったことに対しての報道がなされていない。

世界史上最悪の航空機事故に対する企業と政府の対応の仕方を問題視した特集をもっとしてしかるべきだろう。

戦争の悲惨さが自然災害のように描かれるのとなんら変わりが無い。

戦争はいけない、飛行機事故はいけない、しかし、どちらもなくならない。

勝者側に立った戊辰戦争、日清戦争、日露戦争が否定されず、敗者側に立った太平洋戦争だけが否定されている。

それに似て、事故さえなかったら便利だが危うい飛行機が否定されることは無い。

戦争を多くの人が否定しているのは、太平洋戦争では被害にあった人が身近にいて、国民全体が責任を負わされて戦争そのものを否定させられたからだ。

飛行機自体が否定されないのは、事故で亡くなった人は身近にいなくて、しかも責任はなく、飛行機の構造やシステムを否定されなかったからだと思う。


実は、私の亡父は死ぬまで一度も飛行機に乗ったことが無い。

頑なに飛行機に乗ることを拒み続けたので、両親は海外旅行に一度も行けなかった。

「あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて信じられん」というのだ。

実際は鉄の塊では無いのだが、かつて100トンほどの木造船を運航し、造船所で鉄船に関わってきたことからそう感じたのだろう。

本人は言わなかったが、この日航機事故を意識していたのかもしれない。

その一方でその父の孫にあたる私の甥が民間機のパイロットになった。

就職した時は、父は既に他界していなかったのだが、生きていたら孫になんと言っていたのだろうかと思う。

そして、パイロットになった息子を誇らしく思う反面、事故の恐ろしさを知っている両親はこの事故に関してもそれなりの思いがあるだろう。


事故の報道に気をとられて危うく乗り逃しかけたブルートレインは既に廃止されてしまった。

安くて便利な夜行バスもさることながら、何よりも格安航空の影響も大きいと思う。

日航機事故の教訓が活かされてか、航空機事故は殆ど無くなってはいる。

しかし、安全神話はいつかは崩れる。

福島原発のように、予想された自然災害を軽視して起こった事故もある。

去年起きた羽田空港地上衝突事故はパイロットの勘違いによるものだった。

そして、最も忘れてはいけないことは、飛行機こそ戦争では無差別な爆撃を行い、原子爆弾を投下するのに使われたものだ。

そして、今でもミサイルやドローンと共に戦闘機として戦争の主力を担っている。

そのことを考えると、亡くなった父が飛行機を怖れたことを年寄りの戯言(たわごと)と嗤うことはできない。