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2025年9月10日水曜日

突然のスコールのような雷

 地理を学んでいる者は常識なのだが、台風は移動性熱帯低気圧と言われながら、赤道の北と南の5度以内では自転の関係で発生しない。

その代わりにスコールが良く発生すると教えられるが、元来はスコールは熱帯に限らず突風のことを指したらしいのを、日本では驟雨のような突然の雨を一般にさしている。

以前に修学旅行で生徒と一緒にグアム島に行ったのだが、そこでスコールに遭遇したことがある。

向こうの方から雲がやってくるのが見えて、突然降り出したかと思うと直ぐに止んでしまった。

北緯13度にあるので、熱帯海洋性気候でこのあたりは4から5年に一度は台風はやってきて被害が出るそうだが、日本のように毎年は来ないそうだ。

琉球列島や九州などが台風の通り道となって、毎年台風がやってくるのが普通なのだ。

ところが、今年は台風が例年のようにやって来ていないが、熱帯並の海水温が高くて、日本近海でも発生するらしい。

ということは、グアム島のようになることかもしれない。


日本は海に囲まれて海洋性気候になって良いはずなのだが、大陸の東岸に位置するのでその影響が強い。

しかも、南からのモンスーン(季節風)の影響も強く受けるので、温暖湿潤気候になっている。

地理では冬に大陸から、夏に海からの影響を受けることを教えて、大陸西岸の地域との違いを教える。

しかし、このように温暖化の影響で日本の周りの海が熱帯並になってしまったら、従来通りの気候の捉え方ができなくなる。

日本は夏は熱帯性大陸東岸気候と呼ぶべきかもしれない。

太平洋高気圧とチベット高気圧の影響によって高温で、雨は少ないが局地的には豪雨となる。


昨日(9/9)の午後の4時頃に上郡ではすさまじい雷雨となった。

ちょうど、私はプールで水泳をしていたのだが、雨の音が大きくて流れている音楽が全く聞こえなかった。

家のことが心配で帰ろうと思うのだが、傘を持たずに来ているので車まで行くのにずぶ濡れになるから泳いで時間を潰した。

小止みになって家に戻って開けてでていた部屋の窓を確かめたら、息子が閉めてくれていたので布団が濡れずに済んだ。

昼頃にはちょっとした雨があったので、洗濯物は室内に取り込んでいたのも幸いした。

奄美では弁当を忘れても傘を忘れるなと言うがそれは単なる譬えで、昔の小学生は道ばたの大きなクワズイモの葉を傘にしたという。

東南アジアでは雨の後で直ぐ晴れるので濡れること自体あまり気にしないが、奄美でも農作業では少々の雨は気にしなかったのだと思う。

こちらでは今まで、晴れ続きだったので、これからは雨への心構えが必要となった。

幸いなことに、試しにサツマイモの蔓を昨日の朝に植えてみたので、水やりは助かった。

今朝(9/10)散歩をしていて、道の草や田んぼの稲が倒れているところをいくつも見た。

近所の高田川は大して増水していなかったので、短期間に雷雨と突風が酷かったのだと分かった。


地理はケッペンの気候区分を覚えるのが生徒にとって苦痛なのだが、その気候区分も温暖化の影響で実際とずれてきたのではないかと思う。

今年のような年の雨温図(気温と降水量のグラフ)で、その観測位置や気候帯を推測するのは無理だろう。

破綻してしまった気候を地理の教科書で理解するのは難しくなったと思う。

おそらく今後は台風シーズンが初夏や初冬に広がったり、真夏が乾燥帯のような気候になるかもしれない。

服装も夏場の外出時は晴雨兼用傘と空調服が当たり前になっていくかもしれない。

子どもの頃の穏やかな夏が恋しく思う今日この頃である。



2025年9月9日火曜日

平和教育と戦争肯定

 我々日本人は現代では戦争を肯定する言論は普通どこでもなされることは無い。

学校においても平和教育が基本で、教師が戦争を肯定したり賛美したりすると、非難されるだろう。

学校では戦争は悲惨なもので絶対するべきでは無いと教え込まれる。

しかし、一方で教科書での日本史や世界史の戦争の記述では、戦争によって時代が変わったり、近代化がなされたり、経済復興したことが記述されている。

そして、負けた側の日本の立場で戦争否定が絶対化しているように見られるが、勝った側のアメリカが戦争を肯定していることに触れようとしない。

今回のトランプ大統領が国防省(Department of Defence)を戦争省(Department of War)に改めようとしていることが、如実にそれを物語っている。

アメリカではかつて戦争省と呼ばれていた時代があって、その時代がまさしくアメリカが偉大で有ったのでそれに倣いたいと言うことらしい。


日本はアジア・太平洋戦争で自国に多くの人命や富を失ったし、他国にも多くの損害を与えてその倍賞に負われた。

一方、アメリカはその戦争を含む第二次世界大戦に勝ったおかげで、世界のトップの超大国にのし上がることができたのを誇りに思っているようだ。

日本人も戊辰戦争、日清戦争、日露戦争によって近代化や経済発展、領土拡大されたことを歴史的に否定することは無いのと同じである。

そのアメリカもベトナム戦争の長期化で自国で反戦運動が起こったのだが、それでその後の戦争を止めたわけでも無い。

アメリカは戦争を通して世界での覇権を握ったのであり、ロシアや中国、北朝鮮もそれに対抗するための軍備拡大を行ってきた。

GDPでの世界ランキングでは中国は2位だがロシアに関しては11位、北朝鮮では137位である。

世界に大きな影響を与えているウクライナ戦争は、経済だけが世界を動かしているわけは無いことがよく示されている。


トランプ大統領は関税という経済政策によって世界を操作しようとしているが、それを成り立たせるのは軍事力だと言うことをよく分かっている。

だから省の名前も変更しようとしているのだが、その一番のパートナーにしてもらおうとする日本はその相手をしっかりと知るべきだ。

学校での平和教育は戦争否定だけで無く、戦争を肯定する国の実体もしっかりと教えるべきだ。

日本国の平和憲法は理想としてはそうあるべきだと思うが、学校やマスメディアなどでは単に理想で済まされない現実をきちっと発信せねばならない時代になったと思う。


私は「戦争放棄の戦略」でも書いたように、戦争を否定するのが日本にとっては重要なことだと思っている。

しかし、戦争を肯定する国の本質をきちっと理解し、日本国民に知らせておくべきだと思う。

特に学校教育では人権教育と同じように、被害者の立場でしか解説がなされないことが多い。

マスメディアも戦争反対のキャンペーンでは、悲惨な面を報道するのが主である。

確かに、それは重要なことだけど、加害者のことも、戦争で恩恵を受けることもきちっと踏まえて、学習や報道がなされるべきだと思う。

また、イデオロギーや宗教の問題として戦争が論じられてきたが、人類の生来の認知機能に基づく行動からの論じ方も必要だろう。

トランプ大統領の出現が、悲惨さだけで戦争を理解させる時代からの転換を実感させた。




2025年9月8日月曜日

貧乏性にした責任

 家内が底が外れたサンダルを修理したと自慢している。

私はそんなにうちは貧乏では無いから、新しいのを買うように言うのだが買おうとしない。

それはお金の節約という意味もあるが、足が非常に小さくて(22.5cm)気に入ったものを探すのが大変なのだ。

やっと安くて自分の気に入った履き物は修理してでも使い続けたいらしい。

本来なら、大きな街に行って時間を使い探せば良いのだろうが、私に気兼ねしているのかそれもしない。

他にも、特に衣服などは安売りの物しか買わずに、安く買えたのを大阪のおばちゃんのように自慢している。

専業主婦から臨時の職員になった関係で、今でも給料が安いので無駄遣いと思われるのも嫌なようだ。


私自身が一人だけとか知り合いと出かけていったりしたら良いのだが、退職してから家に籠もって研究が中心となり出かける機会を失ってしまった。

そういえば、家内から聞いたのだが、研究職だった夫が大学を退職するのを機会に、知り合いの奥さんの方が薬剤師としてしっかりと外で働くようになった例がある。

薬剤師の資格を持っていて働いていて、結婚後に出産を機会に辞めたのだと言うが、それなら子どもが家から離れた時点で復帰しても良さそうだ。

つまり、夫が家に籠もって研究するので、一緒にいる時間を減らそうとしたと言うことだ。


家内自身も60歳を超えても外で働いているが、半日程度の仕事である。

知り合いの奥さんのように気兼ねなく、出かけるのが躊躇われるらしい。

私は教師をしていた関係で、高給取りの女性教師を多く知っているが、その人たちは夫に遠慮無く一人や友達と泊まりがけで出かけたりしていた。

もし、私も職場結婚して正規採用の女性教師と結婚していたら、それと同じような生活になっていただろう。

そういう知人の夫婦ともども教師が、退職後には夫婦が別々の楽しみを見つけて暮らしているのも知っている。

ただ、住んでいる村では専業主婦が多くて、奥さんが自由に外出しているケースはあまりない。

家内の母親も専業主婦だったので、それと似たようなものだった。


私自身は、現役の教師の頃は仕事だけでなく、職場の人との付き合いや、ひとりでも泊まり歩くことは多かった。

特に、自分の研究で鹿児島や奄美には一人で旅行に出かけることも多かった。

それをしなくなったのは、自費出版した上に早期退職でお金の余裕が無くなってからだ。

その耐乏生活は家内にも及んで、貧乏性にもしてしまったようだ。

年金が満額支給されるまでの8年間に及ぶ耐乏生活が、家内の貧乏性を生んだのであれば私の責任だ。

私自身は年金が満額支給されるまで退職金を切り崩せば良いと気楽に考えていたのだが、家内は今後の家の修理や老後の問題で切実に思っていたようだ。

私は子どもの頃から金に不自由しながら育ってきているので、金の無いのがそれほど苦ではなかった。

それに対し、金に不自由なく育ってきた家内は危機的に思って倹約していたようだ。

家内から「金が無いのは首が無いのと同じだ」と親から聞かされて育ったということを聞いていた。

でも、自分の母親が多くの貯金をもちながら、それを有効に使わずに入院して1年も経たないうちに亡くなったので考えもようやく変わってきた。

貯金も殆ど残さずに亡くなった私の母とよく比較するのだが、必要な物や心身の健康にお金を使うことは決して無駄遣いで無いと私は言い続けている。。


世の中には現役時代では高給取りで多くの出費をしていた人が、退職後の年金暮らしでもそういう生活が止められず破綻したケースもあるようだ。

田舎暮らしで、子どもにも教育費が多くかかって、余裕のある生活ができなかった私たち夫婦には贅沢な暮らし方そのものの経験が無くてわからない。

私自身が物質的に裕福な暮らしよりも、自由でマイペースな生活を重んじているのが、家内の行動にも影響を与えてしまったようだ。

田舎では夫が非常にわがままな老夫婦を見かけることがたまにあるが、それほど露骨でないにせよ私がプレッシャーになっていることにはかわりない。

老後が長くなる以上はよくよく考えて、家内が負担を感じないようにせねばならないと思っている。

夫婦も不即不離をモットーにせねばならないと言うことかもしれない。


2025年9月6日土曜日

ドーパミンから見た社会①~芸能スキャンダルの背景~

 以前から神経伝達物質のドーパミンのことが気になっていた。

そこで入門書と思って

『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018 THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity and Will Determine the Fate of the Iluman Race) 合同出版 

(以降[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

を図書館から借りて読んでいる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、ドーパミンをきちっと医学的に概説してくれているが、前記の入門書を読むと理解しやすい。

この書は、ジョージワシントン大学の精神医学・行動科学部教授のダニエル・Z・リーハーマンとライター、スピーチライター、脚本家のマイケル・E・ロングの共著である。

つまり医学的な内容を、分かりやすいように物語として事例を挙げているのだ。


その中で、女あさりを唯一の楽しみとする優秀なソフトウェアーの営業マンであるアンドリューの例がある。

これは、まさしく芸能界を揺るがしているスキャンダルの理解にもってこいの内容だった。

そもそもドーパミン自体が快楽物質だと誤解しがちだがその本質を知る必要がある。

第1章 愛●恋愛から友愛へと 第2章 依存症●「欲求ドーパミン」の駆動力[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]から重要に思えることを上げると次のようになる。

①ドーパミンは脳が身体外空間を処理するときには、あるひとつの化学物質が、ほかのすべての化学物質を凌駕する支配力を行使する。期待と可能性を司る化学物質

②ドーパミンの本質は、期待物質。いま手にしているものを楽しむためには、未来志向のドーパミンから現在志向の化学物質に脳を移行させる必要がある。

③現在志向の神経伝達物質は、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィン(モルヒネの脳内バージョン)、そしてエンドカンナビノイド(マリファナの脳内バージョン。「内因性カンナビノイド」とも)と呼ばれる一群の化学物質だ。(著者はヒア&ナウ(H&N)」と呼ぶ)

④ドーパミンが強迫的な切望を司る物質であるのに対し、長期的な絆ともっとも関係の深い化学物質は、オキシトシンとバソプレシンだ。オキシトシンは女性で、バソプレシンは男性でより活性が高い。

⑤ドーパミン停止がオーガズムをもたらす


⑤が最もスキャンダルと関連しているので詳しく引用する。

セックスはいわば早送りの愛だ。セックスは欲望からはじまる。これはテストステロンの引き起こすドーパミン作動性の現象だ。それに続く興奮も、未来志向のドーパミン的体験だ。身体的な接触がはじまると、脳の支配権はH&Nへ移り、おもにエンドルフィンの放出をつうじて感覚的な体験の喜びがもたらされる。行為の極致、すなわちオーガズムは、ほぼ完全に「いまここ」での体験だ。この瞬間、エンドルフィンをはじめとするH&N神経伝達物質が連携し、ドーパミンをシャットダウンする[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):40-41]。


要するに女性をとっかえひっかえ引っかけて喜びを得ている人は、ドーパミンに支配されており行く着くところはセックスよりもナンパそのものになるという。

それは、ドーパミンは快感そのものを与える物質では無いことが原因となっている。

つまり、ドーパミンに支配されてなければ一人の女性から得られる快感でも満足できると言うことだ。

この書では、ミックジャガーのSatisfactionの歌はまさしく、満足いかない彼が4000人くらいの女性とつきあった事を表現する歌だったことが書いてある。

元ビートルズのポールマッカートニーも女あさりで有名だが、ミュージシャンのモチベーションはドーパミンによって維持されているのかもしれない。

そうすると、芸能人が同じような行動をとるのも不思議では無いのだが、本人の魅力で女あさりをしたのと、権力や権威を背景に不同意の女あさりをしたのでは意味が違う。

芸能人で無くても音楽や絵画などの芸術家や文学者などが女あさり的な行動をするのは良く聞かれる話である。

また、政治的権力や経済力を背景とした女あさりを「英雄色好む」と表現したいりもして、1万円札になった渋沢栄一もその一人だろう。

大国のトップもそういう噂は絶えないので、英雄はドーパミンに支配されているとも言えるかもしれない。


この書はまだ全部読み切っていないので、もっと人間の本質に迫る内容が期待できると思っている。

私は文化人類学の研究の途上で、人類の認知機能の問題に強く関心を持っている。

これは他の地球上の植物や動物と連なる重要な問題だと思うからだ。

そういう進化論的な問題だけで無く、社会問題の理解にも役立つように思えたので、今回紹介しようと思った。

今回は触れられなかったが、薬物依存の問題もこれを読むと良く理解できる。

これは芸能界だけで無く経済界の問題にもなってきたようにも思うのだが・・・・・




2025年9月5日金曜日

蒜山も暑かった

 このところ毎年一度は夏に蒜山高原にドライブに行ってそばを食べてくる。

休日に少しでも涼しいところで過ごしたいからだ。

いつも行くのは「道の駅 風の家」だ。

かなり前に行きはじめたのだが、蕎麦屋が火事で焼けてしまって無かった頃は行っていなかった。

ためしに蒜山焼きそばも食べたが、蒜山そばには敵わなず遠くまで行く魅力を感じなかったからだ。

去年行ったときには雨模様で雷も鳴って寒ささえ感じた。

この日曜(8/31)も、期待を持って出かけたのだが・・・・・


蒜山高原に行くのにいつもルートを迷うのだが、一番手っ取り早いのは中国縦貫道に乗って、途中から米子道を通って蒜山ICで降りれば直ぐだ。

ガソリンが高い上に高速料金を支払うのは大きな負担なので、下道を通って行っている。

まず、朝の9時過ぎに家を出て上郡から千種川沿いに国道373で上月まで行き、上月から国道179で湯郷近くまで姫新線沿いに山間の道を走って行く。

滅多に1両編成の車両が線路上を走っているのに出くわすことは無くて、線路と木造駅舎を眺めながらいつも乗ってみたいと思いつつ実現できていない。

そして、美作の吉野川沿いにある道の駅の彩菜茶屋で、トイレ休憩がてら販売所を覗いたが欲しいと思う物は無かった。

前回に来たときに黒大豆の枝豆を買ってきて食べたが、自分の家で作るのに比べて甘みが少なく、食感も良くなかったので今回は買わなかった。

観光客相手なので、値段もそんなに安くは無い。


そこから津山に向かって進み、津山の中心街はなるべく避けて、国道181に入る。

いつもは、巨大ガンダム像がある道の駅の久米の里に寄るのだが、今回は素通りして勝山まで進んでいった。

古い街並みの残る勝山からは国道313で旭川沿いに景色を楽しみながら北上していった。

途中で小さな道の駅によって中にあるトイレに入ったのだが、誰もお客さんがいないので申し訳なくてアイスクリームを頼んだ。

すると、その日初めて動かしたらしく、アイスクリームが出てくるのに非常に手間取った。

ジャージー牛乳を使っていて美味しかったが500円という値段もして、後で風の家では400円で売ってあったので高いけど客の人数からすれば仕方ない。

家内とはアイスクリームを車中で運転しながら分け合って食べるのが習慣になっていて、鳥取へ行ったら道の駅の若桜で、必ず買って食べるのだが前回は売り切れていた。


国道313から途中で国道482に入って、稲や蕎麦が目立つ田園景色が続く中で風の家に到着した。

車に示されている温度計は33℃でちっとも涼しそうにない。

去年は天気が悪くても人が多く駐車場に入れるのも困ったが、今回は12時過ぎなのにすんなりと駐車場には入れて蕎麦屋の近くに停められた。

そして、店に入るのに去年はかなり並んでいたのだが、今年は非常に少ない。

順番待ちの記名は店の中と外の希望が書いてあったのでもちろん中にしたが、店の前の庇で陰になったところのベンチに腰掛けて待ち、しばらくすると名前を呼ばれた。

私はとろろ蕎麦の大盛りで、家内はおろし蕎麦を注文した。

蕎麦の麺は太めだが香りが良くて美味しい。

いつものようにとろろ芋をかけてしまわずに、少しずつ蕎麦に絡ませて食べた。

量的にはもう少し欲しかったが、そば湯を頼んで1杯半も飲むとしっかりお腹がいっぱいになった。

かつては猪名川や淡河に十割そばをよく食べに出かけていたが、味と香りでは遜色ないと思った。

店を出るときに、そこそこ店のテラスでも若い人は食べていて、本来ならこちらの方が自然な涼しさを感じられたのだろうと思った。


食事後は向かい側にある特産物や野菜を販売しているところに買い物に出かけた。

ここではテントが並べてあって、餅をついて売っていたり、やまめを焼いて売っていたりする。

また、テントには来客者が食事できるテーブルと椅子が用意されていて食べている家族も見かけるのだが、今回は暑そうに見えた。

とにかく、雰囲気は賑やかで夏祭り気分にさせてくれた。

特産物店では毎回欲しいと思いながら高くて手が出ないのが「がまの籠」だ。

私は竹を編んで作られた市場籠が大好きで、それを持って職場に出かけて授業でも使っていた。

それらは安い輸入品が買えるのだが、がまの籠は1万円以上の値段がするので手が出ない。

昔は山菜や作物を入れるのにちょうど良かったのだろうが、今はこんな高価工芸品には入れられない。

家の近所にもがまはけっこう生えているので、今度採ってきて籠作りに挑戦してみたいと思う。


農産物はトウモロコシが安くて美味しそうだったので買った。

他にも自分の畑では採れていない蕎麦の実、平飼い卵など色々買って、3000円ほど支払った。

できれば特産の肉や牛乳なども買えれば良いのだろうが、今のくらしには贅沢に思えて買わなかった。

農産物の販売所は規模も大きく品数も多いのが魅力でもあり、大勢の人が買い物をしていた。

農産物の直売所は家の近隣でも増えているが、規模が小さい上に品数も少なく人気のあるものは直ぐに売り切れてしまう。

そもそも、上郡などは米農家が多いので、特産品もモロヘイヤなど特殊だし他の農産物の出荷が少ない。

西播磨テクノポリスにも播磨自動車道が完全開通したのをきっかけにこういう道の駅を計画したように思うがどうなったのだろう。

やはり、西播磨は瀬戸内海の魚介類の方に魅力があって人気があり、それに農産物が便乗させた方が良いように思える。


帰りは鳥取道を使って帰ることにしたので、まずは日本海側に出ることにした。

来た道を引き返して、倉吉に向かう国道313に入って高い山間の道を進んだが、いつも通るときは涼しさを感じるのだが温度27℃ほどで窓を開けるほどでは無かった。

国道9が通る北条への道は新しいのが完成しつつあってスムーズに進めたのだが、街並みの見えた以前の道の方が風情があった。

いつもは海沿いの国道9を使って海景色を楽しむのだが、最近通ったばかりだし時間も無いので、途中から山陰道を使って鳥取道へと向かった。


トンネルの多い鳥取道を走って佐用の平福まで行き、そこから下道を通って帰ったが、走行距離は300kmを少し超えていた。

燃費は20kmほどで、15リットルのガソリンを消費したとして、だいたい2500円ほどの燃料代になる。

当然、電車やバスを使ったら二人で2500円で済むはずがなく、安上がりの日帰り旅行ではある。

この日行ってきた場所は、温泉が沢山有るところなので、1泊して温泉を楽しめた方が良いに決まっている。

今回も枕が変わったら眠られない家内とのいつもの強行日帰りドライブだったが、せめて蒜山で涼しさを感じたかった。

それでも、渓流沿い、高原、日本海と色々な景色を楽しめて、良い気分転換になった。









2025年9月3日水曜日

財布に優しくて美味しい豚足

 私は大学時代に豚足を大学の先生に紹介されて食べ始めてから、ずっと思い出したように一人で食べ続けている。

彼女と一緒に食べるものでもなく、結婚してからも家内は豚足は嫌いで食べてくれない。

焼き肉屋でも殆どおいてなくて、沖縄の居酒屋ではおいてあったので注文して一緒に行った仲間にも薦めたら、女性でもおいしいと食べてくれた。

沖縄の豚足料理はテビチと呼ばれて煮込む物らしいが、その時に出されたのは塩焼きにしてあっさりとしていた。

私は大学時代の名古屋では、既にボイルされた物を買って一緒についていた辛子酢味噌で食べていた。


地元の赤穂に戻ってきたときに、豚足は肉屋さんの中で一軒だけ売ってあったので買ってきたら、まだ毛が着いていてそれを焼かねばならなかった。

爪の間もあまり綺麗にしてくれて無くて、匂いも強かったのであまり買わなかった。

この頃はどこのスーパーの肉コーナーに置いてくれていて、半分に切って食べやすくしてくれているが値段が高い。

グラムあたりの値段は安く思えるのだが、骨が殆どで食べられる肉があまり無いので、割高に思える。

豚足は割高だから、姫路駅近くの韓国料理の食材店で豚の顔の部分を買って来て食べたりもした。

こういう豚足や豚の顔は子どもも気味悪がってほとんど食べてくれなかったので、一人で食べていた。

そしてついに加齢と共に、血液検査で中性脂肪値などの脂肪値が高くなってしまって、家内から食べるのを止められてしまった。



近年では、スーパーで見かけるとたまに買う程度がずっと続いていたのだが、よく行っている赤穂の業務スーパーでは必ず生の豚足と耳を置いてくれていて安かった。

赤穂の業務スーパーでは生の豚足が二本で380円程度で買うことができて、東南アジアから働きに来ている外国人らしき人もよく買っていっていた。

以前勤務していた定時制高校の男子生徒はここの食肉を裏方でさばいていたのだが、聞くと豚足はよく売れていると言っていた。

ただ、赤穂の業務スーパーには月に一度行けば良い方だったので、それほど頻繁に食べていたわけでは無い。

そして、龍野にも業務スーパーがあって、そこに冷凍した豚足が安く売っていたので買ってきて、シャトルシェフで人参や大根なども加えて豚足スープを作った。

美味しくてそれを毎日食べ続けていたら、不覚にも痛風になってしまった。

それ以来、豚足スープは作っていないし、豚足はなるべく食べないようにした。


それでも、たまに行く赤穂の業務スーパーでは、豚足より割安な豚の耳の方を買ってきて食べることを細々と続けていた。

そんな折に、豚足を食べる良い口実ができた。

いつも一緒に散歩している我が家の愚犬クロが、今年の夏の暑さにやられて弱ってしまったのだ。

私は豚足の骨は必ずクロに与えていたのだが、喜んで食べていた。

そこで、クロを元気づけるのだと家内に言って、業務スーパーに行き豚足を買ってきた。

前回豚足を買ったときにはシャトルシェフで茹でたのだが、今回は家内に勧められて蒸すことにした。

茹でた豚足は脂分も落ちて柔らかく、健康にも良さそうだったが味は蒸した豚足には叶わない。

豚足は手でつかむと油まみれになるので、ナイフとフォークを上手く使って手を汚さずに食べて、骨も全部バラしてかじりついて綺麗にした。

クロにその骨を上げると喜んで食べて元気にもなった。


私は肉が大好きであったのだが、学生時代は金が無くて100g10円の鳥の皮を普段は食べていて、いい加減飽きてきていた。

だから、たまに食べられる豚足は馳走だった。

今はさほど金に困っているわけでは無いのだが、牛肉や豚肉はそこそこ値が張るので買いづらい。

家内は肉が苦手で、特に脂身が嫌いなので高い肉を普段はあえて買おうとしない。

娘が家にいた頃は娘が肉が大好きだったので、娘のために焼き肉もそこそこしたのだが、今はいないので家内は煙くなると嫌がって滅多にしてくれない。

だから、赤穂の業務スーパーで売っている安くて美味しい豚足と豚の耳は自分で勝手に食べるご馳走であり続けている。

鶏も指肉も安くて美味しく食べられるそうなのだが、スーパーには売っていない。

人気の無い部位の肉は冷凍物が通販では売っているが、配送料がかかるのでそれほど安くは無い。

物価高のこのご時世、豚足のように普通のスーパーや食肉店でも安く手に入ればありがたい。




2025年9月1日月曜日

殺人と戦争ドラマを楽しむ大人たち

 このところ毎日テレビドラマの「相棒」の再放送を録画で見ている。

いつも家内と話をするのは、「相棒」では必ず殺人がある、殺人が起こらないのも有るけど滅多に無いということだ。

「相棒」は殺人事件を解決することや、殺人事件を通して社会問題を顕わにするところが面白い。

では、視聴率の高いこの番組を見ている人は、実際に起こる殺人を肯定しているのだろうか?

答えは「ノー」だろう。

フィクションとして現実では身近に無い殺人を観て楽しんでいるだけなのだ。

でも考えてみれば、自分が幼い頃には親が観ていた殺人の場面が出てくるドラマは嫌いだったし恐かった。

ということは大人になるにつれて、殺人の場面が出てくるドラマや映画が好きになったのだ。


これと同じように、いまだに憶えているのは「同期の桜」という戦争ドラマが子どもの頃にあった。

特攻隊の将校を描いたもので、親は毎回観ていたので自分も同じように見ていた。

ところが、大概はその内容が恐ろしく感じて、夢でうなされることが多かった。

一番憶えているのは、特攻隊の攻撃シーンでは無くて、原爆投下後に苦しむ人たちをリアルに描いたシーンだった。

このシーンは目にこびり付いて、しばらく眠れず夢でもうなされた。

幼い子どもにとって、リアルな戦争は観て楽しめるものではなかった。


ところが、小学校の6年生くらいに観た「決断」という戦争アニメが放送された。

そのアニメは戦争の悲惨さよりも、決断すべき時を逸すると敗れるというのが重要なテーマともなっていた。

だから、戦争の悲惨な部分を実感すること無く、戦争アニメを楽しむことができたのだ。

そういう戦争アニメは「0戦はやと」というのが既にあって、もっと幼い頃に楽しんで観ていた。


現代でも、大河ドラマの多くは戦争や乱である。

歴史的な事柄であれば、そこで実際に起こった悲惨な殺戮や餓死、強姦などを無視してドラマとして楽しめる。

NHKは戦争の悲惨さを語り継ぐための良い番組を作りながら、一方で戦記物のドラマを娯楽として作っている。

たぶん、リアルで悲惨な場面が登場する「映像の世紀」よりも、大河ドラマの方が一般に受けるのだろう。


こういう事を考えれば、私たちは殺人や戦争の残虐性への耐性は成長するに従って得られたことであることが分かる。

これは何も映画やテレビが登場してからの現象では無くて、古代なら神話や伝説の語りに始まり舞台での劇や人形劇でも表現されてきた。

大人は子どもに語り継ぐことによって、殺人や戦争のある現実に適応させて行かざるを得ないのかもしれない。

我々の人間社会は殺人や戦争なしには成り立ってはいない世界とも言える。

先祖を共通するチンパンジーも、敵対するチンパンジーを殺して食べたりすると言う。

ホモ・サピエンスは熊のように、魚肉も植物も食べる雑食性だったからネアンデルタール人のように絶滅せずに済んだとも言われている。

これは肉に頼った狼が絶滅し、熊が生き残った日本列島と同じことだ。

子熊が親から食料の調達や闘い方を学ぶように、狩猟や屠殺から解放された現代人もドラマによって殺しと戦争を楽しく学んでいるのかもしれない。