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2025年9月15日月曜日

年金暮らしの野良人

 飼い犬、野良犬、山犬(狼)そして飼い猫、野良猫、山猫という言葉がある。

英語に直すと犬はpet dog,stray dog,wolf、猫はpet cat, stray cat,lynx(wild cat)

日本では山犬と狼は区別しようとする意図があるが、英語では無いようだ。

これは日本で豚と猪を区別するが、中国では区別しないのに似ている。

家畜化された犬猫が野生に戻って存在するのを許容するかどうかの違いのようにも思う。

日本は野生化した犬は野生そのものの狼とさほど区別はしていなかったようだ。


また、ペットの位置づけは食用とか使役の問題だろうが、日本では犬や猫は肉ないし皮を利用したり、狩猟やネズミ退治に使われていた。

江戸時代に生類憐れみの令が出されて、犬は特に食用を禁じたようだが戦前までは食べる人もいたようだ。

英語のpetは愛玩の意味が強いようで、日本のような利用をしないようだ。

そういえば、欧米では馬は愛玩動物の意味もあるのか、決して日本のように食べないようだ。

日本人は家畜は建前上は使役のみで、実際に裏では食用にもなっていた。

そういう意味で、本土の馬や牛は犬や猫と違って飼い馬、飼い牛、と言う表現はないけれど、馬を飼うとか牛を飼うと表現もする。

牛馬と犬猫の厳密な区別がなされていないように思う。

その点で行けば、英語では犬・猫・馬はhave,keepを使い、牛はraiseで区別しているのは食用とも関係しているのかもしれない。


一番大きな違いは野良犬と野良猫だ、英語のstrayには迷うとかはぐれるの意味があるが、日本語の野良にはそういう意味は無い。

野良は屋外を指すが迷う場所でもはぐれた場所でも無く、野生そのものの「山」よりも人の生活に近い場所を言う。

英語では本来人と共にあるべき犬・猫が迷ったりはぐれている意味があるが、日本語は人に飼われてはいないが、野生の動物のように自活はしていない状態を意味している。

そして、そういう人には飼われずに居住地域周辺に生きる犬・猫の存在を許容していたように思える。

野生でも家畜でも無くて人のそばで生きてきたのが野良犬・野良猫だった。


人の場合は今の日本では屋外で生活していると浮浪者と見なされる。

昔は木地師やマタギのような移動生活者もいたが、仮小屋とは別に家屋を持っているのがふつうだったようだ。

だけど、人類の歴史を考えると狩猟採集時代の移動生活が殆どだった。

そして、日本では定住生活になっても、常に村落の回りや自然界の山や海との関わりを保ち続けていた。

そこで、山仕事をしたり野良仕事をして暮らしてきたのだ。


近代化されて、都市部に暮らす人は信仰やリクレーション以外に、自然との関わりを無くしていった。

農林水産業に携わる人も、収入の対象としての自然という見方になってきた。

野良作業・仕事は賃金目的でする労働のことを指してはいない。

暮らしに必要な物を手に入れたり、村が山になってしまわないために行う作業・仕事を言う。

完全に機械化管理されたところでは野良作業・仕事とは言わないだろう。

野良作業・仕事の方が肉体的にきつくても気楽で面白いこともある。

そこから得られる物を金に換算したり、時間に追われることが無いからだ。

本来賃金目的でする仕事には無い魅力があるし、時間に追われない分、好きな研究や多くの趣味や健康管理に没頭できる。


私は今は完全退職して、畑での野良仕事を中心とした生活をしている。

作った農作物はたまに人にあげるが、殆どは家で食べる物だ。

出荷して金に換えても大した額にもならないし、いろいろ面倒なことも起こる。

そして、自分の都合に合わせて朝早くでも、夕方遅くでも自由にできる。

季節によって、村の回りの山菜なども採って食べたりもする。

村の溝掃除や道作りなどの野良仕事もちゃんと参加している。

以前は、それに出ないと出不足金を取られていた。

今は、出た分を村会費から引いて貰えるが、賃金は支払われない。

いわば家には住んでいるけれど野良人と言っても良いかもしれない。


これまでは、収入を得るために学校の教師として働いていた。

言い方は悪いが、県に飼われていたと言って良いだろう。

ペットのように可愛がられはしなかったが、雇用は守られて生活できる賃金をもらうことができていた。

その代わり、時間外の労働や、無理な仕事を命じられることも多く、心身の健康を害することもあった。

年金が完全支給されて、やっとそういう賃金目的の仕事から解放されたのであってはぐれたのではない。

雇われ続けたかった人にとっては、追い出されたとかはぐれたと感じるかもしれない。

私にとって野良作業・仕事は大切な生きがいであるのでそのように感じない。

できれば、山や海で狩猟・漁労もやってみたいが、それはこれからの課題だろう。

現代の日本の勤労者の殆どは賃労働とボランティアしか頭にないかもしれない。

野良作業・仕事は結果的に収入になったり奉仕であったりするかもしれないが、それを目的としていない。

本来は自分の意思で自由に居住近辺で野生と向き合うのが野良作業・仕事だと思う。

そういう作業・仕事を立派にこなせる野良人になることに努めたいと思っている。

その一方で、山人や海人に対しての憧れも抱き続けている。





2025年9月13日土曜日

ドーパミンから見た社会②~ポルノビデオと少子化問題

 江戸時代の春画を始め、男女の性描写は人々の心を捉え続けてきた。

絵画が写真となり、そしてビデオとなったのだが、それとは格段の違いとなったのがインターネットの配信だった。

今回も次の書籍を元に考えてみる。

『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018 THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity and Will Determine the Fate of the Iluman Race) 合同出版 (以降[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

この書では安易にネットでポルノビデオにアクセスできるようになって、ポルノ依存症が増加していることを指摘している。

衝動的なポルノ鑑賞が常習性薬物と厳密に同じだという確証はまだないが、共通する点はいくつかある。常習性薬物の場合と同じく、過剰なポルノ消費のサイクルに陥ってしまった人は、日ごとにその活動に長い時間を費やすようになる。ときには毎日数時間になることもある。アダルトサイトに集中したいがために、ほかの活動を避けるようになる。パートナーとの性的関係の頻度が減り、満足度も低くなる傾向がある。ある若い男性は、デートするのを完全にやめてしまった。現実の女性とデートするよりもポルノを見ているほうがいい、写真のなかの女性は何も要求しないし、絶対にノーと言わないから、というのが彼の言いぶんだ。[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):85]

ドーパミンによって常に新しく刺激のあるポルノビデオを求めるようになる。

この生殖と関連するドーパミン作用は薬物などの習慣の有無の問題で無く、生存そのものに関する重要なことだ。

それが薬物と同じような依存性を伴ってしまう。


この頃はポルノビデオだけで無く、以前はオナニーとかマスターベーションと言われていたのが、セルフプレジャーと言う表現で市民権を得てきている。

そして、それに関するグッズが多く販売されて、若者だけで無く高齢者も愛用されているようだ。

ポルノビデオは場合によって、男女間のセックスの役に立って、それが妊娠に繋がる可能性もある。

しかし、セックスができなかったり、面倒になった者にとっては、セルフプレジャーだけに利用するもので、妊娠とは結びつかない。

もう子育てが済んで望めない高齢者はともかく、若者の多くがそういうことになれば、ますます少子化が進んでしまう。

本来はドーパミンと関わるセックスが、妊娠出産によって子どもを育てる幸福感のオキシトシンに繋がるべきなのだ。


ただ、ネット上のポルノビデオだけに責任を負わせて規制を厳しくしても解決にはならないだろう。

これからは男女だけにかかわらず多様な性関係が認められるようになる。

その選択肢の中で、子育てを望むような環境作りが重要なのだと思う。

子育てを通して得られた幸福感(著者はヒア&ナウ(H&N)」と呼ぶ神経伝達物質による)が、子育て期間を過ぎても得られていたのが家族や親族だったと思う。

その家族・親族が行きすぎた資本主義社会の犠牲になって解体されて、幸福感を得る場所を失ってしまった。

だから、むうしろポルノ依存症は少子化の原因では無くて、代償とも言える。

つまり、政府や企業は子育てとその後の家族・親族を通して得られる幸福感を支援できる仕組みを作らねば少子化対策にはならない。

そもそも非正規雇用を多く生む政策を行い格差社会を助長して、結婚もできない男女を多く作った自民党・公明党の政権に根本的な原因もあるとも思える。

近年は男性の育児休暇や、時間外労働時間の規制を進めているが、外国人を含めて非正規雇用の人々を犠牲にしたやり方なら、根本的解決にはならないだろう。



2025年9月11日木曜日

ゴルフより読書

 石破首相はゴルフよりも読書が好きだというが、地元でゴルフをしていて嫌みを言われたので、挨拶回りの方を優先したらしい。

それでも読書家であることは確かなようで、それが漫画好きの麻生元首相と馬が合わないのも分かるような気がする。

また、ゴルフは高校時代のクラブでの競技スポーツとしての経験だろうから、社交ゴルフには違和感があったのかもしれない。

それよりも、いわゆる昔で言う「オタク系」に思われる首相の趣味は、誰にでも受け入れられることは確かだろう。


私は中学高校と電車通学だったので、勉強は嫌いだったが本はよく読んだがオタクではなく、いわゆるロックバンドの不良だった。

しかし、そのわりには純文学の方を中心に読んでいて柄にも無く夢見る少年だった。

大学へ入ってからは1年目は軽音楽部や剣道部だったときは殆ど本を読んでいなかった。

ところが、文化人類学研究会に入ってから村落調査をするのに必要に迫られて、専門書を読むようになった。

でも、読書よりフィールドワークの方が好きだった。

そんな私が研究者になろうとしたのだから、かなり無理があったのは確かで、特に英語の論文がまともに読めなかったが致命的だった。


文化人類学はフィールドワークが重要だったので、そんな私にも研究者への望みもあったのだが、やはり文献をこなす研究者の資質に欠けていた。

だから、理論よりも実践が重要な教師になったのが正解だったようにも思える。

臨床教育学という分野もあるが、大学の教育学の研究者は研究対象の学校の実践経験に乏しい。

現場の教師の実戦経験を聞いたり観察したりだけで、理論を組みたてていくので非常に無理があると思う。

教育学者と政治家、官僚を中心に作られた学校指導要録や免許更新制度などに、どれだけ現場の教師が振り回されて大変な思いをしたか実感として知っている。


政治家は理論家ではなくて実践家の部類になるのだと思う。

選挙はある意味で闘いで、自分を選んでくれる人としっかり向き合わねばならないだろうし、外交ならその相手とも公私にわたって関係を築かねばならないだろう。

それは教育現場で生徒としっかりと向き合ったり、進学先や就職先との関係を築くことと似たところがある。

もし、現場の教師が教育理論を振り回して、生徒から人気はそこそこあっても、職場の仲間との関係が上手く築けなかったら優秀な教師とは言えない。

ただ、教育現場でも派閥や管理職との関係よりも生徒のための指導に徹する孤軍奮闘教師はそれなりに存在価値はあると思う。


今の自民党は人気を失って定員割れを起こした大学や高校に似ている。

そして、そこの学長や校長が人気などとは関係なく、学校自体が人気を失っているケースなのだ。

私は石破首相の広島でのスピーチには感動さえ覚えた。

歴代の首相とは違って、気持ちをそれまでの読書から得られた知識で活かすことができたのではないかと思う。

気の毒に思うのは、こういう理想家の人を支える献身的な部下はいても、辣腕の部下を欠いていたことだろう。

単に調整の旨い人や格好だけで中身の無い人に頼っていては、強い実行力の乏しい理想家の弱点をさらしてしまうだけだ。

首相が人気が無いわけでは無いのに、自民党の人気が減ったのは自民党が頼ってきたアメリカがトランプ大統領のせいで信頼が失われたのと歩調を合わせているとも思う。

大手企業を重視した政策がトランプの関税政策対応などで国民を犠牲にしているように感じさせた。


私はゴルフを始めようとゴルフセットやゴルフシューズまで買ったのに、打ちっぱなしに行った程度で、一度もラウンドを回ったことは無い。

何度も、職場の教師から誘われたり勧められたりしたが、結局はしなかった。

授業でゴルフ場の自然破壊を力説しながら、自ら加担するわけには行かなかった。

また、土日はクラブ活動や、家族と一緒に過ごすのに時間を費やしたかったからでもある。

最近は熊が近隣で出たというので、しまっておいたゴルフクラブを杖代わりに持って朝の散歩に役立てることはできた。

読書は相変わらず多くの時間を費やしているが、前立腺が炎症を起こしてから立ったり座ったりの工夫が必要となってしまった。

だから、読書はほどほどにして、散歩、農作業、水泳で健康を維持している。

石破首相の容貌や体型を見ていると、読書やオタク趣味も良いけれど健康のためにゴルフをした方が良いようにも思う。

私の叔父はゴルフをする機会を失ってから、糖尿病を悪化させて亡くなってしまった。

首相を辞めたら、鳥取にももっと滞在して、あのすばらしい自然と向き合って欲しい。




2025年9月10日水曜日

突然のスコールのような雷

 地理を学んでいる者は常識なのだが、台風は移動性熱帯低気圧と言われながら、赤道の北と南の5度以内では自転の関係で発生しない。

その代わりにスコールが良く発生すると教えられるが、元来はスコールは熱帯に限らず突風のことを指したらしいのを、日本では驟雨のような突然の雨を一般にさしている。

以前に修学旅行で生徒と一緒にグアム島に行ったのだが、そこでスコールに遭遇したことがある。

向こうの方から雲がやってくるのが見えて、突然降り出したかと思うと直ぐに止んでしまった。

北緯13度にあるので、熱帯海洋性気候でこのあたりは4から5年に一度は台風はやってきて被害が出るそうだが、日本のように毎年は来ないそうだ。

琉球列島や九州などが台風の通り道となって、毎年台風がやってくるのが普通なのだ。

ところが、今年は台風が例年のようにやって来ていないが、熱帯並の海水温が高くて、日本近海でも発生するらしい。

ということは、グアム島のようになることかもしれない。


日本は海に囲まれて海洋性気候になって良いはずなのだが、大陸の東岸に位置するのでその影響が強い。

しかも、南からのモンスーン(季節風)の影響も強く受けるので、温暖湿潤気候になっている。

地理では冬に大陸から、夏に海からの影響を受けることを教えて、大陸西岸の地域との違いを教える。

しかし、このように温暖化の影響で日本の周りの海が熱帯並になってしまったら、従来通りの気候の捉え方ができなくなる。

日本は夏は熱帯性大陸東岸気候と呼ぶべきかもしれない。

太平洋高気圧とチベット高気圧の影響によって高温で、雨は少ないが局地的には豪雨となる。


昨日(9/9)の午後の4時頃に上郡ではすさまじい雷雨となった。

ちょうど、私はプールで水泳をしていたのだが、雨の音が大きくて流れている音楽が全く聞こえなかった。

家のことが心配で帰ろうと思うのだが、傘を持たずに来ているので車まで行くのにずぶ濡れになるから泳いで時間を潰した。

小止みになって家に戻って開けてでていた部屋の窓を確かめたら、息子が閉めてくれていたので布団が濡れずに済んだ。

昼頃にはちょっとした雨があったので、洗濯物は室内に取り込んでいたのも幸いした。

奄美では弁当を忘れても傘を忘れるなと言うがそれは単なる譬えで、昔の小学生は道ばたの大きなクワズイモの葉を傘にしたという。

東南アジアでは雨の後で直ぐ晴れるので濡れること自体あまり気にしないが、奄美でも農作業では少々の雨は気にしなかったのだと思う。

こちらでは今まで、晴れ続きだったので、これからは雨への心構えが必要となった。

幸いなことに、試しにサツマイモの蔓を昨日の朝に植えてみたので、水やりは助かった。

今朝(9/10)散歩をしていて、道の草や田んぼの稲が倒れているところをいくつも見た。

近所の高田川は大して増水していなかったので、短期間に雷雨と突風が酷かったのだと分かった。


地理はケッペンの気候区分を覚えるのが生徒にとって苦痛なのだが、その気候区分も温暖化の影響で実際とずれてきたのではないかと思う。

今年のような年の雨温図(気温と降水量のグラフ)で、その観測位置や気候帯を推測するのは無理だろう。

破綻してしまった気候を地理の教科書で理解するのは難しくなったと思う。

おそらく今後は台風シーズンが初夏や初冬に広がったり、真夏が乾燥帯のような気候になるかもしれない。

服装も夏場の外出時は晴雨兼用傘と空調服が当たり前になっていくかもしれない。

子どもの頃の穏やかな夏が恋しく思う今日この頃である。



2025年9月9日火曜日

平和教育と戦争肯定

 我々日本人は現代では戦争を肯定する言論は普通どこでもなされることは無い。

学校においても平和教育が基本で、教師が戦争を肯定したり賛美したりすると、非難されるだろう。

学校では戦争は悲惨なもので絶対するべきでは無いと教え込まれる。

しかし、一方で教科書での日本史や世界史の戦争の記述では、戦争によって時代が変わったり、近代化がなされたり、経済復興したことが記述されている。

そして、負けた側の日本の立場で戦争否定が絶対化しているように見られるが、勝った側のアメリカが戦争を肯定していることに触れようとしない。

今回のトランプ大統領が国防省(Department of Defence)を戦争省(Department of War)に改めようとしていることが、如実にそれを物語っている。

アメリカではかつて戦争省と呼ばれていた時代があって、その時代がまさしくアメリカが偉大で有ったのでそれに倣いたいと言うことらしい。


日本はアジア・太平洋戦争で自国に多くの人命や富を失ったし、他国にも多くの損害を与えてその倍賞に負われた。

一方、アメリカはその戦争を含む第二次世界大戦に勝ったおかげで、世界のトップの超大国にのし上がることができたのを誇りに思っているようだ。

日本人も戊辰戦争、日清戦争、日露戦争によって近代化や経済発展、領土拡大されたことを歴史的に否定することは無いのと同じである。

そのアメリカもベトナム戦争の長期化で自国で反戦運動が起こったのだが、それでその後の戦争を止めたわけでも無い。

アメリカは戦争を通して世界での覇権を握ったのであり、ロシアや中国、北朝鮮もそれに対抗するための軍備拡大を行ってきた。

GDPでの世界ランキングでは中国は2位だがロシアに関しては11位、北朝鮮では137位である。

世界に大きな影響を与えているウクライナ戦争は、経済だけが世界を動かしているわけは無いことがよく示されている。


トランプ大統領は関税という経済政策によって世界を操作しようとしているが、それを成り立たせるのは軍事力だと言うことをよく分かっている。

だから省の名前も変更しようとしているのだが、その一番のパートナーにしてもらおうとする日本はその相手をしっかりと知るべきだ。

学校での平和教育は戦争否定だけで無く、戦争を肯定する国の実体もしっかりと教えるべきだ。

日本国の平和憲法は理想としてはそうあるべきだと思うが、学校やマスメディアなどでは単に理想で済まされない現実をきちっと発信せねばならない時代になったと思う。


私は「戦争放棄の戦略」でも書いたように、戦争を否定するのが日本にとっては重要なことだと思っている。

しかし、戦争を肯定する国の本質をきちっと理解し、日本国民に知らせておくべきだと思う。

特に学校教育では人権教育と同じように、被害者の立場でしか解説がなされないことが多い。

マスメディアも戦争反対のキャンペーンでは、悲惨な面を報道するのが主である。

確かに、それは重要なことだけど、加害者のことも、戦争で恩恵を受けることもきちっと踏まえて、学習や報道がなされるべきだと思う。

また、イデオロギーや宗教の問題として戦争が論じられてきたが、人類の生来の認知機能に基づく行動からの論じ方も必要だろう。

トランプ大統領の出現が、悲惨さだけで戦争を理解させる時代からの転換を実感させた。




2025年9月8日月曜日

貧乏性にした責任

 家内が底が外れたサンダルを修理したと自慢している。

私はそんなにうちは貧乏では無いから、新しいのを買うように言うのだが買おうとしない。

それはお金の節約という意味もあるが、足が非常に小さくて(22.5cm)気に入ったものを探すのが大変なのだ。

やっと安くて自分の気に入った履き物は修理してでも使い続けたいらしい。

本来なら、大きな街に行って時間を使い探せば良いのだろうが、私に気兼ねしているのかそれもしない。

他にも、特に衣服などは安売りの物しか買わずに、安く買えたのを大阪のおばちゃんのように自慢している。

専業主婦から臨時の職員になった関係で、今でも給料が安いので無駄遣いと思われるのも嫌なようだ。


私自身が一人だけとか知り合いと出かけていったりしたら良いのだが、退職してから家に籠もって研究が中心となり出かける機会を失ってしまった。

そういえば、家内から聞いたのだが、研究職だった夫が大学を退職するのを機会に、知り合いの奥さんの方が薬剤師としてしっかりと外で働くようになった例がある。

薬剤師の資格を持っていて働いていて、結婚後に出産を機会に辞めたのだと言うが、それなら子どもが家から離れた時点で復帰しても良さそうだ。

つまり、夫が家に籠もって研究するので、一緒にいる時間を減らそうとしたと言うことだ。


家内自身も60歳を超えても外で働いているが、半日程度の仕事である。

知り合いの奥さんのように気兼ねなく、出かけるのが躊躇われるらしい。

私は教師をしていた関係で、高給取りの女性教師を多く知っているが、その人たちは夫に遠慮無く一人や友達と泊まりがけで出かけたりしていた。

もし、私も職場結婚して正規採用の女性教師と結婚していたら、それと同じような生活になっていただろう。

そういう知人の夫婦ともども教師が、退職後には夫婦が別々の楽しみを見つけて暮らしているのも知っている。

ただ、住んでいる村では専業主婦が多くて、奥さんが自由に外出しているケースはあまりない。

家内の母親も専業主婦だったので、それと似たようなものだった。


私自身は、現役の教師の頃は仕事だけでなく、職場の人との付き合いや、ひとりでも泊まり歩くことは多かった。

特に、自分の研究で鹿児島や奄美には一人で旅行に出かけることも多かった。

それをしなくなったのは、自費出版した上に早期退職でお金の余裕が無くなってからだ。

その耐乏生活は家内にも及んで、貧乏性にもしてしまったようだ。

年金が満額支給されるまでの8年間に及ぶ耐乏生活が、家内の貧乏性を生んだのであれば私の責任だ。

私自身は年金が満額支給されるまで退職金を切り崩せば良いと気楽に考えていたのだが、家内は今後の家の修理や老後の問題で切実に思っていたようだ。

私は子どもの頃から金に不自由しながら育ってきているので、金の無いのがそれほど苦ではなかった。

それに対し、金に不自由なく育ってきた家内は危機的に思って倹約していたようだ。

家内から「金が無いのは首が無いのと同じだ」と親から聞かされて育ったということを聞いていた。

でも、自分の母親が多くの貯金をもちながら、それを有効に使わずに入院して1年も経たないうちに亡くなったので考えもようやく変わってきた。

貯金も殆ど残さずに亡くなった私の母とよく比較するのだが、必要な物や心身の健康にお金を使うことは決して無駄遣いで無いと私は言い続けている。。


世の中には現役時代では高給取りで多くの出費をしていた人が、退職後の年金暮らしでもそういう生活が止められず破綻したケースもあるようだ。

田舎暮らしで、子どもにも教育費が多くかかって、余裕のある生活ができなかった私たち夫婦には贅沢な暮らし方そのものの経験が無くてわからない。

私自身が物質的に裕福な暮らしよりも、自由でマイペースな生活を重んじているのが、家内の行動にも影響を与えてしまったようだ。

田舎では夫が非常にわがままな老夫婦を見かけることがたまにあるが、それほど露骨でないにせよ私がプレッシャーになっていることにはかわりない。

老後が長くなる以上はよくよく考えて、家内が負担を感じないようにせねばならないと思っている。

夫婦も不即不離をモットーにせねばならないと言うことかもしれない。


2025年9月6日土曜日

ドーパミンから見た社会①~芸能スキャンダルの背景~

 以前から神経伝達物質のドーパミンのことが気になっていた。

そこで入門書と思って

『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018 THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity and Will Determine the Fate of the Iluman Race) 合同出版 

(以降[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

を図書館から借りて読んでいる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、ドーパミンをきちっと医学的に概説してくれているが、前記の入門書を読むと理解しやすい。

この書は、ジョージワシントン大学の精神医学・行動科学部教授のダニエル・Z・リーハーマンとライター、スピーチライター、脚本家のマイケル・E・ロングの共著である。

つまり医学的な内容を、分かりやすいように物語として事例を挙げているのだ。


その中で、女あさりを唯一の楽しみとする優秀なソフトウェアーの営業マンであるアンドリューの例がある。

これは、まさしく芸能界を揺るがしているスキャンダルの理解にもってこいの内容だった。

そもそもドーパミン自体が快楽物質だと誤解しがちだがその本質を知る必要がある。

第1章 愛●恋愛から友愛へと 第2章 依存症●「欲求ドーパミン」の駆動力[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]から重要に思えることを上げると次のようになる。

①ドーパミンは脳が身体外空間を処理するときには、あるひとつの化学物質が、ほかのすべての化学物質を凌駕する支配力を行使する。期待と可能性を司る化学物質

②ドーパミンの本質は、期待物質。いま手にしているものを楽しむためには、未来志向のドーパミンから現在志向の化学物質に脳を移行させる必要がある。

③現在志向の神経伝達物質は、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィン(モルヒネの脳内バージョン)、そしてエンドカンナビノイド(マリファナの脳内バージョン。「内因性カンナビノイド」とも)と呼ばれる一群の化学物質だ。(著者はヒア&ナウ(H&N)」と呼ぶ)

④ドーパミンが強迫的な切望を司る物質であるのに対し、長期的な絆ともっとも関係の深い化学物質は、オキシトシンとバソプレシンだ。オキシトシンは女性で、バソプレシンは男性でより活性が高い。

⑤ドーパミン停止がオーガズムをもたらす


⑤が最もスキャンダルと関連しているので詳しく引用する。

セックスはいわば早送りの愛だ。セックスは欲望からはじまる。これはテストステロンの引き起こすドーパミン作動性の現象だ。それに続く興奮も、未来志向のドーパミン的体験だ。身体的な接触がはじまると、脳の支配権はH&Nへ移り、おもにエンドルフィンの放出をつうじて感覚的な体験の喜びがもたらされる。行為の極致、すなわちオーガズムは、ほぼ完全に「いまここ」での体験だ。この瞬間、エンドルフィンをはじめとするH&N神経伝達物質が連携し、ドーパミンをシャットダウンする[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):40-41]。


要するに女性をとっかえひっかえ引っかけて喜びを得ている人は、ドーパミンに支配されており行く着くところはセックスよりもナンパそのものになるという。

それは、ドーパミンは快感そのものを与える物質では無いことが原因となっている。

つまり、ドーパミンに支配されてなければ一人の女性から得られる快感でも満足できると言うことだ。

この書では、ミックジャガーのSatisfactionの歌はまさしく、満足いかない彼が4000人くらいの女性とつきあった事を表現する歌だったことが書いてある。

元ビートルズのポールマッカートニーも女あさりで有名だが、ミュージシャンのモチベーションはドーパミンによって維持されているのかもしれない。

そうすると、芸能人が同じような行動をとるのも不思議では無いのだが、本人の魅力で女あさりをしたのと、権力や権威を背景に不同意の女あさりをしたのでは意味が違う。

芸能人で無くても音楽や絵画などの芸術家や文学者などが女あさり的な行動をするのは良く聞かれる話である。

また、政治的権力や経済力を背景とした女あさりを「英雄色好む」と表現したいりもして、1万円札になった渋沢栄一もその一人だろう。

大国のトップもそういう噂は絶えないので、英雄はドーパミンに支配されているとも言えるかもしれない。


この書はまだ全部読み切っていないので、もっと人間の本質に迫る内容が期待できると思っている。

私は文化人類学の研究の途上で、人類の認知機能の問題に強く関心を持っている。

これは他の地球上の植物や動物と連なる重要な問題だと思うからだ。

そういう進化論的な問題だけで無く、社会問題の理解にも役立つように思えたので、今回紹介しようと思った。

今回は触れられなかったが、薬物依存の問題もこれを読むと良く理解できる。

これは芸能界だけで無く経済界の問題にもなってきたようにも思うのだが・・・・・