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2025年10月12日日曜日

奄美のミキ~米麹代わりの生サツマイモおろし

 秋祭りのあるこの季節は、子どもの頃には必ず母が甘酒を作ってくれた。

今のように保温する電気器具も無く、電気炊飯器も保温機能が付いていなかった。

だからご飯を木製のおひつに移して、米麹を入れてしかり混ぜるのだが、私はその仕事を任されて、子どもとしてはしんどい作業だった。

そのおひつは毛布や布団にくるんで、できれば電気コタツのそばで温めておく。

数日するとあの甘酒独特のいい香りがして、それを鍋で炊いて飲ませて貰った。

しばらくすると甘酒も酸っぱくなって、不味くなってしまったが、子どもの頃にはおやつなどあまりなかったので、滅多にない美味しいおやつであった。


最近は発酵機能が付いた電気製品が多くあるが、今私が主に使っているのはソイリッチだ。

素材をスープ機能でペースト状にして、乾燥米麹を加えて発酵機能でしばらく置いておくと美味しい甘酒が簡単にできるからだ。

今まで甘酒にした材料は、白米、玄米、大豆、小豆、精白もち麦、ダイシモチ麦、ジャガイモ、コウリャン(ソルガム)、そしてサツマイモだ。

ところが、サツマイモは米麹を用いなくても甘酒風の乳酸飲料ができることを初めて知った。


面白いことに奄美でも八月の行事には本土の甘酒に似たミキが作られて飲まれていた。

実は奄美の与路島に村落調査で通っていた頃に、神人行事などでミシャキ(ミキ)が用いられているし、八月行事でも家庭で作っている人もいた。

本土のような清酒なら酔えるので飲んでも良いと持ったが、アルコール分はなさそうなので、あえて飲ませて貰わなかった。

今は米とサツマイモや砂糖を用いて作るもので、古くは噛み酒であったという。

甘酒のように米麹は使わないで発酵させるので乳酸飲料に近いが、最近は健康食品としてペットボトルや紙パックなどで売られている。

奄美大島伝統発酵食品『ミキ』によれば、生のサツマイモ自体に消化酵素β−アミラーゼがあるのでデンプンは糖に変えてくれるので、米麹は必要ないのだ。


唾液のアミラーゼを用いて作っていたのを、生サツマイモおろしで代用させたということだろう。
ただ、奄美には黒糖があったので、アルコールを造るのには米麹は必要なかった。
酒税の低い焼酎にするために米麹を使って、それが風味をよくしているという。
また、味噌などにも「なり麹」が用いられて、米麹は必要なかった。
元々は奄美も本土も米を用いた発酵飲料を祭りなどに用いていたのだろう。
本土では神事では甘酒、どぶろく、清酒が使われるようになった。
奄美ではミキが神事や行事に使われ、宴席で飲む焼酎とは区別してきたということだろう。
奄美のミキの面白いところは、本土のようにアルコール発酵させたどぶろくにはせずに甘酒とも違う乳酸飲料として健康食品にしたことだ。
そこが同じ焼酎文化を持つ九州とも違うところだと思う。

私もためしに作ってみたが、ダイシモチ麦のお粥に生のサツマイモのすりおろしの代わりにサツマイモジュースをソイリッチで作って加えてみた。
温度は人肌くらいにして、シャトルシェフで保温しておいた。
まだ、1日ほどしか経っていないが、確かに微かな甘みと酸味が感じられる。
砂糖を加えると確かに飲みやすくなる。
米麹を使った甘酒ほどには糖質がなくて、牛乳ヨーグルトと比べても栄養価としても引けをとらないという。
甘酒というより穀物ヨーグルト(乳酸発酵飲料)として、飲むのも良いかもしれない。



2025年10月10日金曜日

ドーパミンから見た社会④~日本とアメリカの比較

 もう、このドーパミンのテーマも4回目だ。

 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018 THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity and Will Determine the Fate of the Iluman Race) 合同出版 (以降[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

を相変わらずいまだに読み続けているが、やはりアメリカの記述は重要に思う。

アメリカはドーパミン活性の高い移民が形づくつている国という。

そして、移民の非常に少ないのが日本として対照的に上げられている。

移民の問題は単に、現在移民を受け入れているかどうかだけで、その国の人々構成を考えるのは間違いだと思う。

日本は現在は移民という形でのあまり受け入れはしていないが、かつて近隣諸国を植民地にしてそこからの住民の流入が多かった。

また、北海道には先住民のアイヌが住んでいたし、琉球王国はかつての独立国で言語の上でも遺伝的な上でも違いも見いだせる。

かつての琉球王国から流入は現在でも続いているし、在日朝鮮韓国の人々は独自の文化も維持している。

そして、日本は他にあまり例を見ないような、有史以前からの遺伝子が温存された多様な形質を保っている国でもある。

日本の政治家は単一民族と嘯く人もいるが、多様性という見方からすれば、アメリカほどではないにしろ、けっして少ない方ではない。

ある意味で東京や大阪などの大都市集中は、色んな地域や色んな階層の人が移動してくるわけで、その人たちの活力は移民のドーパミン活性と遜色ないと思う。


移民の多いアメリカにノーベル賞が多く、起業家も多いというのは、優秀な移民がアメリカを舞台として活躍しているからだという。

ノーベル賞は「人類に対して大きな貢献をした人物」に与えられるとされるが、そうなると生活のために努力しているレベルでは貰えないのは当然だ。

要するにアメリカのように経済発展をしていて、基礎研究につぎ込む時間と資金がある国でなければ困難だ。

起業家に関しても先端技術と絡んでいるので、研究への取り組みと大きく絡んでいるが、低賃金の国やまだ未開拓の国は起業はしやすいだろう。

アメリカは最先端の分野の起業は多いようだが、鉄鋼などの製造業では古いまま低迷している。

日本はそもそも最先端ではアメリカからの締め付けが強いので、従来の製造業での発展をするしかない。

ということは、ドーパミンの高さが大きい影響を持って強力な力を持っているのは、移民だけのではないと考えるべきだろう。


ドーパミンと関わるものでアメリカを特徴付けているのは、私はこの書ではあまり取り上げられていないが、世界一の軍事力がその一つだろうと思う。

少ない中でが軍事力に関しての指摘は次のようにある。

「ドーパミン活性の違いは、別の設問でも現れている。アメリカの回答者には、国家の目標達成手段としての軍事力の使用―まさに変化の強制的行使―を容認する人が多く、国連の許可を得る必要があると答えた人は少なかった。[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):280]」

今のトランプ大統領がその代表とも言えるかもしれないが、軍事力を背景とした他国への圧力を行使してノーベル平和賞を求めている。

そもそもアメリカは核兵器を民間人にも用いて虐殺行為を行いながら、なんら反省もなく正当化し、より恐怖を与える兵器を開発して覇権を握っている国である。

日本はかつては軍国主義の国と言われたが、アメリカに敗れて以来その従属国となり、自衛以外の軍事力は封印されている。

日本は確かに軍事力の面で現在はドーパミンは活性化させていないと思われるが、企業戦士という言葉が示しているように、経済力への取り組みはかなりのものである。

日本では長時間労働が問題となっているのに、自民党総裁は「働いて 働いて 働いて」を公言して美徳のように言っている。

日本人は過労死や過労自殺をするくらい、ドーパミンを活性化させて働いてきた反省もみられない。

アメリカ人の軍事力は日本人の経済力と考えて良いと思う。


そして、もう一つ重要なのは意外に思うかもしれないが、宗教である。

「(アメリカは)人生において宗教を重視する傾向が強く、五〇%がきわめて重要だと回答した。欧州では、きわめて重要と答えた人は半分未満で、スペインでは二二%、ドイツでは二一%、イギリスでは一七%、フランスでは一三%だった。[ibid:280]」

なぜ、宗教とドーパミンが関連しているかというと

「そして宗教家なら、人知を超越した存在こそが人間の根幹だと言うかもしれない。それはつまり、実体のある現実を見下ろす存在だ。宗教家にとって、人間のもっとも重要な要素は、空間と時間を超えて存在する不滅の魂だ。魂はその姿を見ることも、音を聞くことも、においを嗅ぐことも、味わうことも、触れることもできない。ゆえに、想像のなかでしか出会えない。それはまさに、ドーパミンだ。[ibid:282]

これもトランプ大統領がキリスト教福音派と強い関係を持っていることからも分かるだろう。

よく言われている話だが、日本ではダーウィンの進化論を否定する人はいないだろうが、アメリカではヒトを神が創造したものとして否定する人も少なからずいるという。


宗教に関しては政教分離は建前上は守られているが、現在高市早苗総裁誕生で話題となっている靖国神社の問題がある。

靖国神社は英霊という不滅の魂を得ることで、国家のために戦死できるようにする宗教である。

因みに私の母方の太平洋戦争で戦死した祖父もこの神社に祀られているが、東シナ海の海の底に眠っていると思うで一度も参拝したことは無い。

また、自民党と統一教会、公明党と創価学会の関係からも、政治と宗教は大きく関係していることが分かる。

確かに一般の日本人は教理による宗教への信仰はあまり見られないと思うが、古来からのアニミズム、シャーマニズムなどの系統をひく信仰が形を変えて続いている。

その一つがかつて問題となった霊感商法だろうし、パワースポットブームもそうだろう。

神社神道も慣習行事という形で根付いているし、仏教も葬式には依然欠かせない。

そして、日本のアニメは宗教に代わる想像の世界でドーパミンと関わりがあるように思う。

アメリカはキリスト教の絶対的な崇拝が基本であり、日本は多神教的な多様性に満ちた信仰が維持されている違いがある。


将来におけるドーパミン活性化社会である両国の大きな違いは人口問題だ。

「娯楽の形があまりにも多く、教育に割く年月があまりにも長く、仕事に費やす時間があまりにも長いとなると、何かをあきらめなければならない。その何かとは、家庭だ。米国勢調査局によれば、一九七六年から二〇一二年のあいだに、子どもを持たない米国人女性の数はおよそ二倍に増加した。『ニューヨーク・タイムズ』の報道によれば、二〇一五年には第一回「ノットマム・サミット」が開催され、みずからの選択や境遇を理由に子どもを持たない女性たちが世界中から集まったという。[ibid:293」

アメリカも日本も女性が子どもを産む数は減少しているが、アメリカが日本のように人口減少にならないのは移民のお陰なのだという。
日本は今後人口減少で活力を失っていくだろうが、アメリカはその問題は回避できている。
ただし、現在トランプ大統領が不法移民排除に苦慮しているように、都合の良い移民ばかりが来てくれるわけではない。
多くの移民によって政治的分断が起こり、治安の問題も深刻化している。
日本が労働者不足でも移民を受け入れるのを拒んでいるのも、アメリカの現状を見ているからだろう。
そういうことから考えるとドーパミンの活性化に頼る両国の未来は決して明るいものではないように思う。


2025年10月8日水曜日

シバ栗食べたい

 今は栗のなる季節だ。

地元兵庫県では丹波篠山の丹波栗があまりにも有名で、この季節には観光客で賑わう。

もう少しすると、丹波の黒豆の枝豆も一斉に売り出されるので、城近くにある駐車場に入るのも時間がかかるほど混雑する。

そこで売られている丹波栗は、圧力を掛けて爆発させる焼き方で、剥くのも手間がかからない。

大きくて甘くて美味しいその焼き栗を買って食べるのが何よりも楽しみになっている。

ただ、値段はけっこうするので、一年に一度の贅沢というところだ。


その丹波栗には遠く及ばないが、私が好きなのは近所の山や山ぎわにになる自生のシバ栗(山栗)が大好きだ。

非常に小粒で食べ応えは無いのだが、甘くて味が濃厚で店で売られている一般の大きな栗よりも美味しいと思う。

小さ過ぎるので剥いて栗ご飯にするのは難しいので、自分で茹でたり蒸したりして囓って食べる。

前歯で縦に噛み割って、下の前歯でそぎ落とせばきれいに食べられるが、どうしても食べかすが落ちるので家内には嫌がられる。

こんな面倒な食べ方をするのは私だけで、お膳の上に置いてあっても息子や家内は食べてくれない。


シバ栗のとの付き合いは30年ほど前のある職業高校の勤務に始まる。

その高校の裏には山があって、放課後の休憩時間に同僚と散歩したりしていた。

そこにはたくさんのシバ栗の木があり、秋になると栗がいっぱい落ちている。

鹿なども食べるらしく、食べた後の鬼皮もそこかしこに落ちているのが見られる。

だから、鹿との競争でシバ栗を拾っていたわけだ。

ビニール袋いっぱいに拾ったりしていたが、地元のおばさん達も拾いに来ていた。


上郡に引っ越しして見渡せば、自宅の周りの山にもいっぱいシバ栗の木がある。

いつも犬と散歩する道にもよくなる木があって、そこをこの季節は毎日通って拾っていた。

たくさん拾えた木は、柵を立てるのに邪魔になったのか、地元の人が切り倒してしまったので、色んな所で拾うようになった。

このところ農作業が忙しかったのでシバ栗をわざわざ拾う道を通ることは無かったのだが、日曜(10/5)は雨で農作業もできないので犬と拾いに行った。

ところがいつも拾う場所には全然落ちていない。

時機を逸してしまったのかと思って、もう少し上の場所に行くと少しではあるが落ちていた。

テレビニュースでも言われているように、今年は不作なのかもしれない。

ただ、翌日の月曜日は晴れたがもう一度見に行くと、栗のイガは青くて熟していないことが分かった。

9月も真夏並みに暑かったのが原因しているのかもしれない。


散歩の途中では、電気柵をくぐり抜けて、うり坊が稔った田んぼを走り回っているのを見かけている。

シバ栗が少なかったり実りが遅いとなると、対策をきちっとできていない田畑は猪や鹿などの被害が多くなるだろう。

そのうち熊もやってくるかもしれない。

村の周辺のシバ栗はちゃんと拾って置かないと、彼らに遭遇する可能性がある。

ここしばらくは散歩コースはシバ栗拾いコースとなり、毎日片方のポケット一杯のシバ栗を拾っている。

2025年10月6日月曜日

私を活かしてくれたロック

 2013年NHKの「病の起源」第3集は「うつ病」であった

人類は進化の過程で「うつ病」原因を得たのだが、「平等」であることで未然に防いだという。
しかし、文明社会は格差をますます広げている。
学校こそ偏差値によって格差を助長する場所であることは疑いないだろう。
そんな中で、うつ病にならずに済んでいるのは、格差を顕在化させる競争の中にも、平等を作り出す仕組みがあったからのように思う。
受験勉強と関係のない授業科目もそうだし、クラブや学校行事がそうだろう。
私は進学結果が絶対の学校の私立中学・高校にいたので、その悲劇も知っている。
ただ、当時は現役の上級生が自殺する意味が、あまりよく分かってはいなかった。
文学青年よろしく「死への憧れ」と解釈していたようにも思う。
しかし、大学に入ってから、不本意な大学(同志社大学)に入ったことを恥じて自殺した先輩を知って、自分で自分を追い詰めてしまう学校であったことも自覚した。
ただ、私はその大学より偏差値の低い南山大学に入ったが、高校時代にロックバンドをやっていたことで、妙に開き直れていた。

中学生の頃の私は、小学校の時に経験があった剣道部に入ったが続かなかったし、授業も面白くないし、満たされない気持ちで勉強への意欲を失わせていった。
そんな中で夢中になれたのはロックであった。
と言っても、最初は気の合った友達とフォークギターを使って教室や公園で一緒に歌うのを楽しみにする程度だった。
高校の文化祭でステージに立ちたいと、エレキギターも買ってもらってバンドを組んで練習した。
そのオーディションにも落ちて、野外ステージで演奏させてもらったが、観客は数人だった。
でも、バンド活動を通して先輩とも仲良くなり、一緒にバンドを組んで高校2年では体育館ステージにも出演して盛況だった。
高校3年生でも同級生や下級生ともバンドを組んで、野外ステージに立って多くの仲間に見て貰ったし、それをきっかけに隣の女子校にいた留学生とも仲良くなれた。
どんどんと成績が落ち込んでいく中で、唯一の救いがロックであり、バンド仲間だった。
文化祭でのステージは唯一の見せ場でもあり、誇りでもあった。
50歳も半ば過ぎた同窓会で、東大に行って弁護士になった同級生が、もう一度聴きたいと言ってくれた時は、本当に嬉しくてカラオケで喜んで歌った。

大学受験を失敗したときには、もっと勉強もまじめにやれば良かったと後悔もした。
父親にもバンド活動でまともに勉強しなかったからと、私ばかりかエレキギターを買ってくれた母親まで責められた。
しかし、考えてみれば強く関心のある学問は無かったし、男子校で彼女もいなかった自分としては、精神的に何とか高校生活をロックで持ちこたえていたようにも思える。
ミュージシャンになることを夢見ていたので、不本意な大学でも開き直れた。
ただ、大学では軽音部に入りながらも肌が合わずミュージシャンへの夢も失い、学問に関心が持てるようになって大学院に進むことになった。
研究者になるには博士に進学せねばならなかったので「良い修士論文」を書かねばならないという現実の重圧に、自分を見失って失敗してしまった。
その時にはロックもそれに代わるものもなかった。

研究者への夢も失い、高校教師になってからの自分を救ってくれたのはやはりロックだった。
同じ職員とバンドを組んだり生徒と一緒に演奏するなど、ロックを中心とした音楽活動を通した楽しみを見いだした。
研究者への未練が断ちきれず、教師を辞めたいと思い続けながらも、30年ほど教師を続けられたのはロックのお陰かもしれない。
結局、研究者への道も断念してしまったので、中途半端な生き方となってしまった。
でも、その中途半端な人間を活かしてくれたのがロックだったように思う。
また、母親は歌手になりたかったがなれなかったので、子どものバンド活動に理解をしてくれていたのだが、父親も老いてからはカラオケや民謡に凝りだした。
親兄弟、そしてその家族が集まってカラオケを中心とした歌でみんなが楽しめるようになった原点は兄弟が皆バンド活動をしていたお陰である。

私はロックに対してはそれだけの思い入れがある。
自民党の総裁になった高市早苗さんも大学時代はロックバンドのドラマーをつとめたという。
ハードロックやメタルロックが今でも好きだそうだが、同じ世代として共感をおぼえる。
その人がロックに馴染まないことを政策に掲げているのを聞くと非常に悲しい。
本人の基盤の弱さから、党内の権力闘争にその野心を利用されざるえない状況も、安物のドラマを見ているようで空しい。
アメリカでは独裁的なトランプ大統領に先頭になって批判を行っているロックのミュージシャンもいる。
きっと、高市さんも総理大臣になる前に、ロック魂を復活させて豹変して石破さんのように反省の弁を語って、真の日本のリーダーになって欲しい。

山羊のいる暮らし

 私が生まれ育った赤穂では、昔は町の中でも山羊や羊を飼っていた。

生まれたのは鷆和という田舎だったが、育ったのは尾崎という町だった。

町と言っても、元々は塩田に関連する地主や浜子が住み始めたところだったのだが、引っ越しして来た頃には医院、商店や散髪屋などがあって不自由は無かった。

その住んでいた尾崎の家の向の家には山羊が飼われていて、たまに乳を貰って飲んでいた。

牛も友達の家の隣で飼われていて、草を摘んで食べさせるのが面白かった。

今の時代に町で家畜を飼うと、臭いや蠅などの虫が出るので苦情が出て、とうてい飼うことなどできないだろう。


私が村落調査で訪れていた奄美の与路島では、豚、牛、山羊が普通に良く飼われていた。

豚や牛はちゃんとした小屋で飼われていたが、当時はけっこう集落の中にもいた。

その中でも山羊は家の柵の中で飼われたり、家から連れ出せれて海岸などの木のそばに紐で繋がれているのをよく見かけた。

山には放たれた山羊も棲んでいて、持ち主は耳に刻みを入れて分かるようにしていた。

山羊を飼う目的は肉を食べることなので、子ヤギの飲む乳を人が飲むことは無かった。

子ヤギは道ばたで遊んでいるのをよく見かけたが、ペットのように可愛がることはされていなかった。

ただ、指を口に持っていくと、チューチュー吸うと言って地元の人は面白がっていた。


乳をとるのが目的なら可愛がっても良いだろう。

山村を舞台にした映画の「Wood Job」でも、山羊に紐を付けて散歩する人が描かれている。

しかし、奄美・沖縄では肉が目的なので、そのように可愛がると自分で屠殺できなくなってしまう。

私は奄美に行き始めて、山羊の肉を初めて食べたのだが、その強烈な臭いと独特な味のトリコになってしまった。

東京でも山羊汁は郷土料理店で食べられるが、値段が高い上に肉も大して入っていなかった。

調査中には肉を買って自分で山羊汁にして食べたりしたが、八月祭りの相撲を取る前に区長さんの家で大鍋で炊かれた山羊汁の味が忘れられない。

与路では塩味なのだが、区長さんが青年のために1頭を潰して、庭先で振る舞ってくれたのだ。

私も頂いた以上は本番の相撲でもまわしを締めて頑張ったが、あっけなく負けてしまった。

また、仲良くなった地元の友達の家で、屠殺したばかりの山羊の一頭全部を一輪車に積んで持って帰ってきていたのには驚いた。

その晩は私もご馳走にあずかった。


そんな思い出深い山羊なのだが、上郡にに引っ越ししてきて再び巡り会うことができた。

近所の山ぎわの休耕田で山羊の夫婦が飼われていた。

おそらく、休耕田の草を食べてもらって、草刈りの手間を省くのも兼ねていたのかもしれない。

そこの山羊夫婦には子どももできたが、やがてどこかに引き取られ、雌山羊も亡くなって雄山羊だけになってしまった。

ひとり残された雄山羊はときどき悲しそうな鳴き声で鳴いたりしていた。

その雄山羊に必ず散歩の時に草をあげるおじいさんもいて、私からも貰えるのかと思って近づいてきたが、連れている犬が過剰反応するので近づけなかった。

やがて、その雄山羊も亡くなっていなくなってしまい、草だらけの休耕田だけが残った。


また、大規模に農業を行っている人の中には、山羊を使って農地の草を食べさせる人もいたが、山羊の世話が却って手間なのか、数年で止めてしまった。

可愛い子ヤギも誕生して、与路島の子ヤギを思い出したりもした。

確かに、草刈りは草刈り機や除草剤を使った方が手間はかからない。

奄美沖縄のように肉を食べる習慣も本土にはない。

昔のように山羊の乳を飲んだり、ヨーロッパのようにチーズに加工したりすれば、山羊を飼う価値も出てくるかもしれない。

山羊は草だけで無く、木の葉も食べてくれて飼いやすい家畜なので、今後活用を考えても良いのではないかと思う。

情緒豊かな農村のバイオエネルギーとして考えることもできるようにも思える。


2025年10月4日土曜日

刈らないで、彼岸花

 彼岸花はこんな暑さが続いて、まだ夏が続いていると思っていたのに、ちゃんとお彼岸の頃に咲いてくれた。

でも日照時間に反応して咲くのでは無く、平均気温が25℃を下回る頃に咲くのだそうだ。

ということは、日中は暑くても朝晩涼しくなったことに、われわれの方が鈍感だったのかもしれない。

私は赤穂の実家に住んでいた頃は、周りで彼岸花は咲いていなくて、姫路への電車通学の車窓からきれいなこの花を眺めていた。

今は上郡の農村地帯に住んでいるので、周りは彼岸花で溢れている。

庭先、田んぼの畦、道ばた、川の土手などあらゆる所で一斉に彼岸花が咲いて、景色を一変させてくれた。

ただ、その咲いている期間は1週間ほどで、枯れると幽霊のようになってしまう。


地域によってはわざわざ彼岸花の球根を田んぼや畑の周りに植えるところもあるようだ。

私の知っている人の地元富山では、村作業として道端に球根を植えていると聞いた。

その目的はモグラやネズミの侵入を防ぐためだという。

畦や道ばたに穴を開けられてしまうと、水持ちが悪いだけでなく崩れてしまう。

彼岸花は救荒植物として、饑饉の時に毒抜きをして食べる役割も果たしていたという。

住んでいる人の役に立ちながら、季節の移ろいを実感させ、心に潤いを与えてくれるのが彼岸花である。


ところが、ちょうどこの時期は本格的な稲刈り、村祭り時期に当たってしまう。

そうすると個人的や村作業として田畑の畦や道ばたの草をきちっと刈ることが多い。

先日(9/28)も村作業で道作りがあったので、背負い式の4サイクルの草刈り機をもって参加した。

人によっては咲いている彼岸花を雑草と一緒に刈ってしまうので、咲いている場所にわざと行って花を避けて草を刈った。

雑草も少し残ることになって、作業としては不完全とも言えるが、刈られてしまった彼岸花を観るのは忍びない。

私の作っている畑のそばに咲いている彼岸花が近所の人に刈られているのを見て、その人の心の貧しさを感じざるをえなかった。


私の大好きな桑田佳祐の歌に「東京」という曲がある。


 去かないで向日葵(ひまわり)
 この都会の隅に生きて
 世の痛みに耐えて咲いてくれ


これは女性をひまわりに喩えたものだが、これをもじると


 刈らないで彼岸花

 この田舎の隅に生きて

 過疎の痛みに耐えて咲いている


ということになる。

稲刈りでもコンバインと軽トラが走るだけになっている田園風景だ。

せめて、散歩する人や車で通りかかる人に、美しい田園風景を見せて欲しいと思う。

彼岸花は有史以前の外来植物で、日本人が田畑と伴に守り続けた物だということも知っておきたいと思う。

咲いている場所をコンクリートでかためてしまったり、何年も保つ草抑えシートで覆ってしまったら、過疎の村はもっと殺風景になってしまう。


2025年10月2日木曜日

足腰に水泳も効果的

 日曜朝の「健康カプセル!元気の時間」は必ず録画して、深夜ゆっくりと観ている。

今回(9/28)は、「〜長寿の秘訣は下半身にアリ!〜足腰健者のマル秘ルーティン」だった。

驚いたのは70歳を超えたご老人が巧みな足さばきでサッカーをしている。

私は高校で教師をしている40歳後半ときに、校内球技大会のサッカーで教師チームの一員として生徒と試合を行ったことがある。

その時既に、息を切らすだけでなく、足の踏ん張りが利かずに倒れたりしていた。

一番の原因は、練習をしていなかったことだが、若いときのような足腰の強さが失われていたのだ。

実はサッカーは高校時代は得意中の得意で、サッカー部の顧問から勧誘されたこともあった。

だから、身の程も知らずムキになってやったのが悪かったのだと思う。


私は水泳を自分でやる前は、ランニングを中心に練習していた。

市民マラソンなどに参加するのに、ムキになって練習したり、特別支援学校では生徒と一緒に走るのが仕事でもあった。

走る中での故障は色々あったが、一番酷いのは左膝の靱帯を損傷してギブスをはめねばならなかった。

これは子どもの運動会で地区対抗リレーに出て、スピードを出しすぎてコーナーを曲がりきれずに転倒して負った怪我だった。

その後以来膝は後遺症となって、走るときにはサポーターをはめるのが普通だった。

そのほか、剣道で痛めたアキレスの腫れを悪化させたり、足底腱膜炎になったり、腰痛になったりと色んな故障が絶えなかった。

そして、決定的に走るのを諦めたのは、50歳半ばで経験した鼠径ヘルニアだった。


この鼠径ヘルニアはサッカー選手もよくなるらしくて、年がいもなく無理な走りをしたのが原因だった。

そして、生まれて初めて全身麻酔をして手術をしたのだが、その影響でデベソになってしまった。

だから、今でも水泳をするときには、自分のへそが気になったりするが、最近はレースに出ていないので人に見られることはあまりない。

走らない代わりに、毎朝犬の散歩でしっかりと歩いてきたのだが、当然ランニングしていた頃に比べれば、足腰は弱っていた。

一番それを感じたのは、水泳の練習でフィン(足ひれ)を付けて練習したときだった。

水泳部の顧問をしているときは、フィンを付けて生徒と一緒に泳いだり、サボっている生徒の後ろから追いかけたりしていた。

それがフィンが重く感じて、ちゃんと蹴れなくなってしまっていた。


だから、最近は水泳の練習のほとんどでフィンを付けている。

そのおかげで太ももの周りの長さは55cmと、同年代の平均48cmを大きく上回っている。

腹の周りには確かに脂肪は付いているが、太ももの周りには脂肪は無い。

何よりも散歩で歩く速度が速くなったし、坂道も楽に上れるようになった。

水泳でもキック力が付いたので、フィンを外して泳いでもバタフライや背泳ぎが楽になっている。

バタフライの50mも辛くなく泳げるようになったので、200m個人メドレーの練習もできるようになった。


多くのプールではフィンを使うことが禁止されているようだが、私が通っている上郡のプールは歩行コース以外で普通に使える。

また、相生のプールのように、歩行禁止のコースでの使用を認めてくれているので、そういう対応をして欲しい。

そうすれば、サッカーやランニングと同じように足腰のトレーニングを楽しく行うことができて利用者も増えると思う。

また、プールに来ている人の中では腰痛で苦しんでいる人もある。

腰痛の人には水中歩行や軽い泳ぎのほうが負担が少ないと思う。

ジムや家で筋トレをするのも良いが、水泳は色んな泳ぎができるようになるのが楽しい。

そして、自分の身体の変化を鏡で確かめられるのも水泳だ。

プールも高齢者が利用できる時間だけの特別なコース規則を設けるなどの配慮をお願いしたい。