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2025年10月18日土曜日

移動スーパーと個配に老後を託す

 私は母がまだ自宅でひとり暮らしをしていたときに、週末には欲しいという食料を買い出しして持っていくのが日課となっていた。

足が悪くなって自分ではスーパーで買い物ができなくなったからだ。

自分の欲しいものを自由に買いたいと言って、コープの個配を注文票で頼むようになったのだが、とんでもない買い物をすることが多くなった。

買う数量が多すぎたり、同じものをいくつも買ったり、老人のひとり暮らしでは到底考えられない買い物でも、コープは注文されればお構いなしに持ってきた。

そこで、品物が来て注文する日の前にヘルパーさんに点検を入れて貰うことにして、幾分改善されたが、冷蔵庫や玄関の階段下には余り物がいっぱい残っていた。


以前、親戚で葬式があったときに、赤穂の鷆和で暮らしている叔母と話す機会があって、買い物について聞いた。

というのも、叔父の認知症がすすんで、車の運転ができなくなったので、スーパーもコンビニも無い鷆和ではどうしているのだろうかと思ったからだ。

その時に叔母は「とくし丸に頼んだら、何でも持ってきてくれる」と言っていた。

とくし丸という移動スーパーがあることは聞いて知っていたが、そんなに頼れるものか疑問に感じていた。

ところが、先日赤穂でのとくし丸のことが民放のテレビで放送されていて驚いた。

赤穂は旬鮮食彩館PAONE(パオーネ)が買い物難民(買い物困難者)対策として頑張ってくれている。

その1号車黒田さんのことが取り上げられていたのだが、まさしく叔母はその黒田さんにお世話になっていたようだ。


旬鮮食彩館PAONE(パオーネ)は以前は日生ショップと言われていたように、岡山県の日生が発祥の地である。

盆や正月で親兄弟が親元に集まるときには、ここでは魚が美味しいのでそれを目当てによく買い物をした。

赤穂はスーパーに関して、以前は播磨生協と言われたコープが出店していたが、主婦の店などに換わってしまっている。

主婦の店は私の子どもの頃からあるスーパーなので、赤穂に根付いていて親しみを感じる店ではある。

加里屋や中広という町の中心部には大型スーパーもできて、便利にはなっているが、それ以外の所はそういう大型スーパーに客を奪われて、小さな店やスーパーは減ってしまった。

実は母の住む実家のほん近所にあった日生ショップ尾崎店も潰れてしまっていたのだった。


鷆和は私の子どもの頃は万屋も魚屋もあって、そこで買い物ができたし、自転車で果物を売りに来るおじさんもいた。

今はちょっとした店が酒を中心に売っている程度で、小さなスーパーは隣の村の折方に行かなくては無い。

叔母のように認知症の叔父がいる場合は、バスに乗って買い物に出かけるのも大変だろうと思う。

コープの個配もあるとは思うが、電話で欲しいものを聞いてくれて、週に2回も来てくれるとくし丸の方が少し高くなってもよほど便利である。

子どもや孫に買い物を頼んだら、ガソリン代として小遣いをあげるので、却って高く付くことはテレビでも取り上げていた。

黒田さんは正月以外はほとんど休み無く働いて年収は700万円以上稼いでいるそうだが、地域の福祉を担っている点でいえば、収入だけで評価できないだろう。

何よりも感動したのは、家の中だけで無く場合によって台所まで品物を運んであげたり、頼まれれば二階からベッドを下ろしてあげていることだ。

単に商品のやりとりをするのでは無く、暮らしの支援をして信頼されている。

ただ、働き方には無理があるように思えるので、収入面でも勤務時間でも余裕のある体制で運営できれば、心ある若い人がもっと活躍できると思う。


上郡町はコミュニティーバスを頻繁に走らせているが、全く乗っていないときが多く、乗っていても一人か二人である。

これは町の高齢者のためというよりも、バスの運転手のための雇用対策としか思えない。

国や地方自治体はこういうとくし丸のような取り組みに補助金を出して奨励するべきだと思う。

コープの個配や移動店舗もとくし丸のように、電話などでの注文できめ細やかに対応してくれたらもっと利用しやすくなると思う。


それにしても、私の子どもの頃の赤穂の尾崎では、近所のお豆腐屋や八百屋にお使いで買い物によく行かされた。

また、行商の人が自転車や車力を使って、魚、果物、野菜を運んできて私の家の前で広げていたので、近所の人やって来て買うことが多かった。

駄菓子屋やお好み焼き屋も近所にあって、おやつを買ったりご飯を食べるのに不自由は無かった。

車社会になって、売り場、食堂、しゃべり場、遊び場であった町の小さな店や路地裏はその命を失ってしまった。

新しく家を建てて移り住んだ住宅地では、そういうものは近所に根付かなかった。

因みに結婚後子どものために移り住んだ農村地帯の上郡町の中野でも、近所には掛け売りをしてくれる酒・煙草屋兼万屋もあったし、ちょっと足を伸ばせばAコープもあった。

万屋は自動販売機に取って代わられ、Aコープも潰れてしまった。

だから、町でも田舎でも車が使えない人を細やかに助ける仕組みが必要になったのだ。

とくし丸のような取り組みがどんどん広がっていってくれたら、自分の老後の心配も少しは減ると思うのだが・・・・








2025年10月16日木曜日

安い肉を美味しく食べる

 我が家では家族三人のうちで、雑穀米を食べるのは私だけで、しかも三食のうちに一食しか食べない。

そこで、一人分の雑穀米の2合炊いて冷蔵しながら、4日ほど持たせている。

炊飯器も私用のものを購入した。(炊飯器 3合炊き 一人暮らし用 ミニ マイコン 炊飯ジャー 3合 温度調理 省エネ 早炊き 山善 YJT-M05(W)/(B) マイコン式 炊飯器)

これを選んだのはその購入時では5,430円という低価格であった上、雑穀米はもちろん色んなものが作れる機能が付いていた。

特に、低温調理ができるのが魅力だった。


だいぶ前からシャトルシェフで色々と低温調理をしてきたが、省エネではあるが温度管理が難しかった。

納豆を作ったり、甘酒を作ったり、発酵に関わるものも色々試したが、うまく行くことより失敗する方が多かった。

だから、温度管理をしっかりする必要があるものは、発酵専門の電気製品をリサイクルショップで買ったりしていた。

それでも納豆は夏場など雑菌が多い季節では失敗することが多くて、納豆は作らなくなり甘酒と豆乳ヨーグルトは新たに買ったソイリッチで作っていた。


以前は安い肉を美味しく食べるために、安い鶏のもも肉を燻製にして食べていた。

今でも鶏のもも肉は安いが、10年ほど前では100g50円を下回っていた。

家内に味付けをして貰い、自分で作った燻製器具に仕込み低温で時間をかけて燻製にすると非常に美味しくて、家族にも好評だった。

だが、落とし穴があった。

鶏肉はヘルシーと言われているが、プリン体が多くて尿酸値を上げてしまう。

おまけに、大好きなビールのつまみとして食べていたものだから、ついい痛風を発症させてしまった。

それ以来、鶏肉の燻製を作ることもないし、焼き鳥もほどほどにしている。


でも、糖尿病である以上はできるだけ糖質を抑えて、タンパク質を摂りたい。

安くて美味しい豚足に目を付けて、煮込んでスープにした豚足を毎日食べていたら、またもや痛風になってしまった。

まさか、豚足にプリン体が多いとは知らなかった。

豚肉でプリン体が少ない部位を調べたら、バラや肩肉が少ない。

牛肉は美味しいけれど、値段が高い上にプリン体も豚肉より多いそうだ。

そこで量販店のトライアルへ行って安い豚肉を探したら、カナダ産の肩肉が安く売っている。

今回は、ローストポークには塊の方が美味しいだろうと100g220円を300gと奮発したが、トンテキ用の薄い肩肉だったら100g118円で売っている。

また、マックスバリューの火曜市向けの広告では、同じカナダ産のトンテキ用の豚肉が100g98円と書かれていた。

国産の鶏肉とあまりかわらない値段である。

次回からはトンテキ用を買うことにした。


とりあえず、その肩肉の塊300gを家内に頼んで下味を付けて貰って冷蔵庫で寝かせて、山善炊飯器で低温調理してみることにした。

付属していたマニュアルのレシピは牛肉で65℃の1リットルのお湯で30分としていたが、豚肉なので念のために1時間ジプロックに入れて加熱した。

冷めるまで待って、家内に切ってもらって食べると、なんと美味しいことか。

私は血圧も高いので塩分も控えめにして貰っていたが、何のタレや醤油も必要なくジューシーで思わず5枚も食べてしまった。

今までローストビーフなどもよく食べてきたが、パサついて美味しくなかったのもけっこうあった。

確かに肉そのもののうま味は牛肉には勝てないが、今まで食べた焼豚や煮豚よりもずっと美味しい。

その美味しさは塩や調味料によって作られた美味しさでは無くて、豚そのものの肉の美味しさが感じられている。

実は家内によると秘けつがあって、砂糖をしっかりと前もって塗り込んでおくと保湿効果で柔らかくジューシーになるそうである。


本当は国産の豚肉を食べたいところだが、カナダ産に比べて倍以上の値段がする。

安全性が気になってネットの「カナダ産の豚肉って危険なの?日本では禁止のラクトパミンの心配は?」で調べたら一応は問題はなさそうだ。

最近はJAと政府の失策で米が値上がりしてしまったことから、日本の農家のための国産に拘る気がしなくなった。

本来はかつての沖縄や奄美は正月用に各家で豚を飼っていて、浜に出て自分で解体していたようだが、現在は規制が厳しいようだ。

ドイツではいまだに自給的な小規模な飼育がなされ、庭先で吊されたりしていて、それは肉屋に頼んで解体してもらいソーセージに加工しているという[ドイツの豚飼育]。

しかし、近所では養豚どころか家畜の飼育は難しいので、当面は生活防衛のために安いカナダ産の肉を低温調理して美味しく食べていこうと思っている。


2025年10月14日火曜日

脱石油にむけての農作業

 やっと手回しの唐箕を手に入れた。

昔であれば木製なのだが、37,580円する鉄製の唐箕(クリーントーミ F型手動式 オギハラ工業)を通販で買って自分で組みたてた。

足踏み脱穀機に関しては5年ほど前に、大豆を脱穀するために買っていた。

その前は大きな鍋に稔って乾燥させた大豆を枝ごと入れて、太い棒で突いて脱穀していたのだが、江戸時代の農業よりも稚拙であった。

足踏み脱穀機を買った後も、殻と実を選別は手箕と篩(ふるい)を使ってしていた。

手箕を上下さしてゴミを口で吹いたりして飛ばしたりしたので、けっこう手間と労力が要った。

このところ、ソルガム(高黍)に力を入れ始めたので、小さな実にはどうしても唐箕が必要となった。

背の高いソルガムの実は簡単に脱穀できたが、矮性のソルガムの実は殻からなかなか外れないので、家庭用の電動精米機も使っている。

手動の唐箕は自分で風力の加減をしながら、殻やゴミを上手く飛ばして選別できた。

これでやっと篩から解放されることができた。


こんな作業を米農家が見たら呆れるだろう。

稲作の作業はほとんど機械化されており、時間も労力も大してかからない。

その換わり機械の購入とメンテナンスに掛ける費用はかなりものとなる。

最近は営農団体ができて共同で機械を購入管理する農家も出てきたが、以前は一軒で担うのが当たり前だった。

だから、その負担に耐えられない農家は機械を持っている農家に頼らざるを得なくなった。

現在では同じ村の組の30軒ほどある家で、稲作が自分でできているのは1軒だけだ。

ただ、村の家は基本地主であって、小作料も物納で貰っている。


私はこの村に田畑も持たず転入してきた昔で言う水呑百姓である。

ただ、昔と違って村入りの費用も払って、村の構成員にもなっている。

当初は畑にする休耕田を貸して貰うのに苦労したが、今は水田にできなくて管理に困っている休耕田を村から転出した人から無償で借り受けている。

そのかわりその農地の周りの草刈り等の管理をきちっとしなくてはならない。

稲は人に任せるが、畑は自分のところでやっている人はそこそこいる。

転入して畑をやっていた頃は、本当にできるのかと疑われていたが、今では同じ組の中でも上手にやっている方だ。

そして、農作業での脱石油化を進めてきて、近所の農家とは一線画している。


農作業でガソリン燃料がどうしても必要なのは、まず軽トラックである。

これはアルミ製のリアカーを買ったので、現在農作業では農機具や農作物、肥料を遠くに運ぶときにしか使っていない。

草刈り機に関しては充電式を主に使っているが、村作業や草にまみれている赤穂の畑の草刈りには背負のエンジン草刈り機を使っている。

小型のエンジン式耕運機は持っているが、このところは自然農法を基本としているので、滅多に使っていない。

ただ、今年は酷暑で雨が降らなかったので、エンジンポンプは頻繁に使わざるを得なかったが、普段はバケツで溝から水をくみあげている。

一方、スコップや備中鍬、手鎌などを中心とした手作業の農具が普段使う道具なのだ。


これから歳を取って体力も落ちてくると思うので、機械に頼らざるを得ないとは思う。

ただ、できるだけ充電式や電動式の機械を使っていきたいと思っている。

すでに、草刈り機以外でもチェンソー、ブロワー、のこぎり、ポンプ、園芸用バリカンなど石油に頼らない道具をマキタの製品を中心にそろえてきている。

近所の人もマキタの工具は充電器の性能が良いと言うことで、電灯や空調服まで全てマキタでそろえる人もいる。

値段は高いが持続性や出力の高さ、様々な道具への汎用性などで抜きん出ている。

これからは、空飛ぶタクシーよりも軽トラックや大型農業機器も電動式を開発して貰いたいと思う。

そして、何より自分の家や村で発電と充電が安くできるようになれば、温暖化対策の一翼をもっと担えると思う。








2025年10月12日日曜日

奄美のミキ~米麹代わりの生サツマイモおろし

 秋祭りのあるこの季節は、子どもの頃には必ず母が甘酒を作ってくれた。

今のように保温する電気器具も無く、電気炊飯器も保温機能が付いていなかった。

だからご飯を木製のおひつに移して、米麹を入れてしかり混ぜるのだが、私はその仕事を任されて、子どもとしてはしんどい作業だった。

そのおひつは毛布や布団にくるんで、できれば電気コタツのそばで温めておく。

数日するとあの甘酒独特のいい香りがして、それを鍋で炊いて飲ませて貰った。

しばらくすると甘酒も酸っぱくなって、不味くなってしまったが、子どもの頃にはおやつなどあまりなかったので、滅多にない美味しいおやつであった。


最近は発酵機能が付いた電気製品が多くあるが、今私が主に使っているのはソイリッチだ。

素材をスープ機能でペースト状にして、乾燥米麹を加えて発酵機能でしばらく置いておくと美味しい甘酒が簡単にできるからだ。

今まで甘酒にした材料は、白米、玄米、大豆、小豆、精白もち麦、ダイシモチ麦、ジャガイモ、コウリャン(ソルガム)、そしてサツマイモだ。

ところが、サツマイモは米麹を用いなくても甘酒風の乳酸飲料ができることを初めて知った。


面白いことに奄美でも八月の行事には本土の甘酒に似たミキが作られて飲まれていた。

実は奄美の与路島に村落調査で通っていた頃に、神人行事などでミシャキ(ミキ)が用いられているし、八月行事でも家庭で作っている人もいた。

本土のような清酒なら酔えるので飲んでも良いと持ったが、アルコール分はなさそうなので、あえて飲ませて貰わなかった。

今は米とサツマイモや砂糖を用いて作るもので、古くは噛み酒であったという。

甘酒のように米麹は使わないで発酵させるので乳酸飲料に近いが、最近は健康食品としてペットボトルや紙パックなどで売られている。

奄美大島伝統発酵食品『ミキ』によれば、生のサツマイモ自体に消化酵素β−アミラーゼがあるのでデンプンは糖に変えてくれるので、米麹は必要ないのだ。


唾液のアミラーゼを用いて作っていたのを、生サツマイモおろしで代用させたということだろう。
ただ、奄美には黒糖があったので、アルコールを造るのには米麹は必要なかった。
酒税の低い焼酎にするために米麹を使って、それが風味をよくしているという。
また、味噌などにも「なり麹」が用いられて、米麹は必要なかった。
元々は奄美も本土も米を用いた発酵飲料を祭りなどに用いていたのだろう。
本土では神事では甘酒、どぶろく、清酒が使われるようになった。
奄美ではミキが神事や行事に使われ、宴席で飲む焼酎とは区別してきたということだろう。
奄美のミキの面白いところは、本土のようにアルコール発酵させたどぶろくにはせずに甘酒とも違う乳酸飲料として健康食品にしたことだ。
そこが同じ焼酎文化を持つ九州とも違うところだと思う。

私もためしに作ってみたが、ダイシモチ麦のお粥に生のサツマイモのすりおろしの代わりにサツマイモジュースをソイリッチで作って加えてみた。
温度は人肌くらいにして、シャトルシェフで保温しておいた。
まだ、1日ほどしか経っていないが、確かに微かな甘みと酸味が感じられる。
砂糖を加えると確かに飲みやすくなる。
米麹を使った甘酒ほどには糖質がなくて、牛乳ヨーグルトと比べても栄養価としても引けをとらないという。
甘酒というより穀物ヨーグルト(乳酸発酵飲料)として、飲むのも良いかもしれない。



2025年10月10日金曜日

ドーパミンから見た社会④~日本とアメリカの比較

 もう、このドーパミンのテーマも4回目だ。

 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018 THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity and Will Determine the Fate of the Iluman Race) 合同出版 (以降[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

を相変わらずいまだに読み続けているが、やはりアメリカの記述は重要に思う。

アメリカはドーパミン活性の高い移民が形づくつている国という。

そして、移民の非常に少ないのが日本として対照的に上げられている。

移民の問題は単に、現在移民を受け入れているかどうかだけで、その国の人々構成を考えるのは間違いだと思う。

日本は現在は移民という形でのあまり受け入れはしていないが、かつて近隣諸国を植民地にしてそこからの住民の流入が多かった。

また、北海道には先住民のアイヌが住んでいたし、琉球王国はかつての独立国で言語の上でも遺伝的な上でも違いも見いだせる。

かつての琉球王国から流入は現在でも続いているし、在日朝鮮韓国の人々は独自の文化も維持している。

そして、日本は他にあまり例を見ないような、有史以前からの遺伝子が温存された多様な形質を保っている国でもある。

日本の政治家は単一民族と嘯く人もいるが、多様性という見方からすれば、アメリカほどではないにしろ、けっして少ない方ではない。

ある意味で東京や大阪などの大都市集中は、色んな地域や色んな階層の人が移動してくるわけで、その人たちの活力は移民のドーパミン活性と遜色ないと思う。


移民の多いアメリカにノーベル賞が多く、起業家も多いというのは、優秀な移民がアメリカを舞台として活躍しているからだという。

ノーベル賞は「人類に対して大きな貢献をした人物」に与えられるとされるが、そうなると生活のために努力しているレベルでは貰えないのは当然だ。

要するにアメリカのように経済発展をしていて、基礎研究につぎ込む時間と資金がある国でなければ困難だ。

起業家に関しても先端技術と絡んでいるので、研究への取り組みと大きく絡んでいるが、低賃金の国やまだ未開拓の国は起業はしやすいだろう。

アメリカは最先端の分野の起業は多いようだが、鉄鋼などの製造業では古いまま低迷している。

日本はそもそも最先端ではアメリカからの締め付けが強いので、従来の製造業での発展をするしかない。

ということは、ドーパミンの高さが大きい影響を持って強力な力を持っているのは、移民だけのではないと考えるべきだろう。


ドーパミンと関わるものでアメリカを特徴付けているのは、私はこの書ではあまり取り上げられていないが、世界一の軍事力がその一つだろうと思う。

少ない中でが軍事力に関しての指摘は次のようにある。

「ドーパミン活性の違いは、別の設問でも現れている。アメリカの回答者には、国家の目標達成手段としての軍事力の使用―まさに変化の強制的行使―を容認する人が多く、国連の許可を得る必要があると答えた人は少なかった。[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):280]」

今のトランプ大統領がその代表とも言えるかもしれないが、軍事力を背景とした他国への圧力を行使してノーベル平和賞を求めている。

そもそもアメリカは核兵器を民間人にも用いて虐殺行為を行いながら、なんら反省もなく正当化し、より恐怖を与える兵器を開発して覇権を握っている国である。

日本はかつては軍国主義の国と言われたが、アメリカに敗れて以来その従属国となり、自衛以外の軍事力は封印されている。

日本は確かに軍事力の面で現在はドーパミンは活性化させていないと思われるが、企業戦士という言葉が示しているように、経済力への取り組みはかなりのものである。

日本では長時間労働が問題となっているのに、自民党総裁は「働いて 働いて 働いて」を公言して美徳のように言っている。

日本人は過労死や過労自殺をするくらい、ドーパミンを活性化させて働いてきた反省もみられない。

アメリカ人の軍事力は日本人の経済力と考えて良いと思う。


そして、もう一つ重要なのは意外に思うかもしれないが、宗教である。

「(アメリカは)人生において宗教を重視する傾向が強く、五〇%がきわめて重要だと回答した。欧州では、きわめて重要と答えた人は半分未満で、スペインでは二二%、ドイツでは二一%、イギリスでは一七%、フランスでは一三%だった。[ibid:280]」

なぜ、宗教とドーパミンが関連しているかというと

「そして宗教家なら、人知を超越した存在こそが人間の根幹だと言うかもしれない。それはつまり、実体のある現実を見下ろす存在だ。宗教家にとって、人間のもっとも重要な要素は、空間と時間を超えて存在する不滅の魂だ。魂はその姿を見ることも、音を聞くことも、においを嗅ぐことも、味わうことも、触れることもできない。ゆえに、想像のなかでしか出会えない。それはまさに、ドーパミンだ。[ibid:282]

これもトランプ大統領がキリスト教福音派と強い関係を持っていることからも分かるだろう。

よく言われている話だが、日本ではダーウィンの進化論を否定する人はいないだろうが、アメリカではヒトを神が創造したものとして否定する人も少なからずいるという。


宗教に関しては政教分離は建前上は守られているが、現在高市早苗総裁誕生で話題となっている靖国神社の問題がある。

靖国神社は英霊という不滅の魂を得ることで、国家のために戦死できるようにする宗教である。

因みに私の母方の太平洋戦争で戦死した祖父もこの神社に祀られているが、東シナ海の海の底に眠っていると思うで一度も参拝したことは無い。

また、自民党と統一教会、公明党と創価学会の関係からも、政治と宗教は大きく関係していることが分かる。

確かに一般の日本人は教理による宗教への信仰はあまり見られないと思うが、古来からのアニミズム、シャーマニズムなどの系統をひく信仰が形を変えて続いている。

その一つがかつて問題となった霊感商法だろうし、パワースポットブームもそうだろう。

神社神道も慣習行事という形で根付いているし、仏教も葬式には依然欠かせない。

そして、日本のアニメは宗教に代わる想像の世界でドーパミンと関わりがあるように思う。

アメリカはキリスト教の絶対的な崇拝が基本であり、日本は多神教的な多様性に満ちた信仰が維持されている違いがある。


将来におけるドーパミン活性化社会である両国の大きな違いは人口問題だ。

「娯楽の形があまりにも多く、教育に割く年月があまりにも長く、仕事に費やす時間があまりにも長いとなると、何かをあきらめなければならない。その何かとは、家庭だ。米国勢調査局によれば、一九七六年から二〇一二年のあいだに、子どもを持たない米国人女性の数はおよそ二倍に増加した。『ニューヨーク・タイムズ』の報道によれば、二〇一五年には第一回「ノットマム・サミット」が開催され、みずからの選択や境遇を理由に子どもを持たない女性たちが世界中から集まったという。[ibid:293」

アメリカも日本も女性が子どもを産む数は減少しているが、アメリカが日本のように人口減少にならないのは移民のお陰なのだという。
日本は今後人口減少で活力を失っていくだろうが、アメリカはその問題は回避できている。
ただし、現在トランプ大統領が不法移民排除に苦慮しているように、都合の良い移民ばかりが来てくれるわけではない。
多くの移民によって政治的分断が起こり、治安の問題も深刻化している。
日本が労働者不足でも移民を受け入れるのを拒んでいるのも、アメリカの現状を見ているからだろう。
そういうことから考えるとドーパミンの活性化に頼る両国の未来は決して明るいものではないように思う。


2025年10月8日水曜日

シバ栗食べたい

 今は栗のなる季節だ。

地元兵庫県では丹波篠山の丹波栗があまりにも有名で、この季節には観光客で賑わう。

もう少しすると、丹波の黒豆の枝豆も一斉に売り出されるので、城近くにある駐車場に入るのも時間がかかるほど混雑する。

そこで売られている丹波栗は、圧力を掛けて爆発させる焼き方で、剥くのも手間がかからない。

大きくて甘くて美味しいその焼き栗を買って食べるのが何よりも楽しみになっている。

ただ、値段はけっこうするので、一年に一度の贅沢というところだ。


その丹波栗には遠く及ばないが、私が好きなのは近所の山や山ぎわにになる自生のシバ栗(山栗)が大好きだ。

非常に小粒で食べ応えは無いのだが、甘くて味が濃厚で店で売られている一般の大きな栗よりも美味しいと思う。

小さ過ぎるので剥いて栗ご飯にするのは難しいので、自分で茹でたり蒸したりして囓って食べる。

前歯で縦に噛み割って、下の前歯でそぎ落とせばきれいに食べられるが、どうしても食べかすが落ちるので家内には嫌がられる。

こんな面倒な食べ方をするのは私だけで、お膳の上に置いてあっても息子や家内は食べてくれない。


シバ栗のとの付き合いは30年ほど前のある職業高校の勤務に始まる。

その高校の裏には山があって、放課後の休憩時間に同僚と散歩したりしていた。

そこにはたくさんのシバ栗の木があり、秋になると栗がいっぱい落ちている。

鹿なども食べるらしく、食べた後の鬼皮もそこかしこに落ちているのが見られる。

だから、鹿との競争でシバ栗を拾っていたわけだ。

ビニール袋いっぱいに拾ったりしていたが、地元のおばさん達も拾いに来ていた。


上郡に引っ越しして見渡せば、自宅の周りの山にもいっぱいシバ栗の木がある。

いつも犬と散歩する道にもよくなる木があって、そこをこの季節は毎日通って拾っていた。

たくさん拾えた木は、柵を立てるのに邪魔になったのか、地元の人が切り倒してしまったので、色んな所で拾うようになった。

このところ農作業が忙しかったのでシバ栗をわざわざ拾う道を通ることは無かったのだが、日曜(10/5)は雨で農作業もできないので犬と拾いに行った。

ところがいつも拾う場所には全然落ちていない。

時機を逸してしまったのかと思って、もう少し上の場所に行くと少しではあるが落ちていた。

テレビニュースでも言われているように、今年は不作なのかもしれない。

ただ、翌日の月曜日は晴れたがもう一度見に行くと、栗のイガは青くて熟していないことが分かった。

9月も真夏並みに暑かったのが原因しているのかもしれない。


散歩の途中では、電気柵をくぐり抜けて、うり坊が稔った田んぼを走り回っているのを見かけている。

シバ栗が少なかったり実りが遅いとなると、対策をきちっとできていない田畑は猪や鹿などの被害が多くなるだろう。

そのうち熊もやってくるかもしれない。

村の周辺のシバ栗はちゃんと拾って置かないと、彼らに遭遇する可能性がある。

ここしばらくは散歩コースはシバ栗拾いコースとなり、毎日片方のポケット一杯のシバ栗を拾っている。

2025年10月6日月曜日

私を活かしてくれたロック

 2013年NHKの「病の起源」第3集は「うつ病」であった

人類は進化の過程で「うつ病」原因を得たのだが、「平等」であることで未然に防いだという。
しかし、文明社会は格差をますます広げている。
学校こそ偏差値によって格差を助長する場所であることは疑いないだろう。
そんな中で、うつ病にならずに済んでいるのは、格差を顕在化させる競争の中にも、平等を作り出す仕組みがあったからのように思う。
受験勉強と関係のない授業科目もそうだし、クラブや学校行事がそうだろう。
私は進学結果が絶対の学校の私立中学・高校にいたので、その悲劇も知っている。
ただ、当時は現役の上級生が自殺する意味が、あまりよく分かってはいなかった。
文学青年よろしく「死への憧れ」と解釈していたようにも思う。
しかし、大学に入ってから、不本意な大学(同志社大学)に入ったことを恥じて自殺した先輩を知って、自分で自分を追い詰めてしまう学校であったことも自覚した。
ただ、私はその大学より偏差値の低い南山大学に入ったが、高校時代にロックバンドをやっていたことで、妙に開き直れていた。

中学生の頃の私は、小学校の時に経験があった剣道部に入ったが続かなかったし、授業も面白くないし、満たされない気持ちで勉強への意欲を失わせていった。
そんな中で夢中になれたのはロックであった。
と言っても、最初は気の合った友達とフォークギターを使って教室や公園で一緒に歌うのを楽しみにする程度だった。
高校の文化祭でステージに立ちたいと、エレキギターも買ってもらってバンドを組んで練習した。
そのオーディションにも落ちて、野外ステージで演奏させてもらったが、観客は数人だった。
でも、バンド活動を通して先輩とも仲良くなり、一緒にバンドを組んで高校2年では体育館ステージにも出演して盛況だった。
高校3年生でも同級生や下級生ともバンドを組んで、野外ステージに立って多くの仲間に見て貰ったし、それをきっかけに隣の女子校にいた留学生とも仲良くなれた。
どんどんと成績が落ち込んでいく中で、唯一の救いがロックであり、バンド仲間だった。
文化祭でのステージは唯一の見せ場でもあり、誇りでもあった。
50歳も半ば過ぎた同窓会で、東大に行って弁護士になった同級生が、もう一度聴きたいと言ってくれた時は、本当に嬉しくてカラオケで喜んで歌った。

大学受験を失敗したときには、もっと勉強もまじめにやれば良かったと後悔もした。
父親にもバンド活動でまともに勉強しなかったからと、私ばかりかエレキギターを買ってくれた母親まで責められた。
しかし、考えてみれば強く関心のある学問は無かったし、男子校で彼女もいなかった自分としては、精神的に何とか高校生活をロックで持ちこたえていたようにも思える。
ミュージシャンになることを夢見ていたので、不本意な大学でも開き直れた。
ただ、大学では軽音部に入りながらも肌が合わずミュージシャンへの夢も失い、学問に関心が持てるようになって大学院に進むことになった。
研究者になるには博士に進学せねばならなかったので「良い修士論文」を書かねばならないという現実の重圧に、自分を見失って失敗してしまった。
その時にはロックもそれに代わるものもなかった。

研究者への夢も失い、高校教師になってからの自分を救ってくれたのはやはりロックだった。
同じ職員とバンドを組んだり生徒と一緒に演奏するなど、ロックを中心とした音楽活動を通した楽しみを見いだした。
研究者への未練が断ちきれず、教師を辞めたいと思い続けながらも、30年ほど教師を続けられたのはロックのお陰かもしれない。
結局、研究者への道も断念してしまったので、中途半端な生き方となってしまった。
でも、その中途半端な人間を活かしてくれたのがロックだったように思う。
また、母親は歌手になりたかったがなれなかったので、子どものバンド活動に理解をしてくれていたのだが、父親も老いてからはカラオケや民謡に凝りだした。
親兄弟、そしてその家族が集まってカラオケを中心とした歌でみんなが楽しめるようになった原点は兄弟が皆バンド活動をしていたお陰である。

私はロックに対してはそれだけの思い入れがある。
自民党の総裁になった高市早苗さんも大学時代はロックバンドのドラマーをつとめたという。
ハードロックやメタルロックが今でも好きだそうだが、同じ世代として共感をおぼえる。
その人がロックに馴染まないことを政策に掲げているのを聞くと非常に悲しい。
本人の基盤の弱さから、党内の権力闘争にその野心を利用されざるえない状況も、安物のドラマを見ているようで空しい。
アメリカでは独裁的なトランプ大統領に先頭になって批判を行っているロックのミュージシャンもいる。
きっと、高市さんも総理大臣になる前に、ロック魂を復活させて豹変して石破さんのように反省の弁を語って、真の日本のリーダーになって欲しい。