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2025年11月19日水曜日

もし熊が縄文人だったら

 縄文人はどんぐりなどの堅果類に頼った生活をしていたと言われている。

どんぐり等は栽培というのではなくて、管理してきて木材も利用してきた。

どんぐりはたくさん採れたし貯蔵もできたので、狩猟採集では難しい定住化ができたとも言われている。

ただ、どんぐりだけではなくて、鮭など魚類の川や海の自然の恵みも重要だった。


そのどんぐりが不作した原因をネット上では色々と書いてくれている。

それらを見ると人間が引き起こした環境変化が大きな原因のように思える。

特に縄文の人々が多く住んでいた東北地方で大変不作の状況だという。

ゲノム解析でも東北の人々は縄文人のDNAを北海道のアイヌと琉球は別として、他の日本の人々より多く継承している。

古代の蝦夷の生活も縄文人の生活に似た狩猟採集が、重要な生業だったことが知られている。

かつて、東北は冷害で苦しんできたし、北海道では稲作はできなかった。

今は東北どころか北海道が米の重要な産地になっている。

そして、温暖化の影響で縄文人やアイヌ人が大切な食糧としていた、鮭が来なくなってしまった。


すでに縄文人と似た暮らしをしていたアイヌの人々は生活様式を変えてしまっているが、先住民として昔の生活をしていたとしたら大変なことになっていただろう。

東北では江戸時代には大飢饉で多くの犠牲者を生んだが、今はその心配をせずに済んでいる。

その一方で遠い昔の先祖と同じようにどんぐりに依存している熊の襲撃を受けることになった。

アイヌの人々は熊を大切な神様として、イオマンテの祭りを行いながら食べたりした。

東北の人々が自分たちの先祖を熊に見いだすのか、それとも稲作文化を持って移住してきた和人として熊を敵と見なすのか分からない。

言えるのは、もし三内丸山に暮らしていた人がそのまま現在もいたとしたら、どんぐりが無かったら稲作をしている集落を襲った可能性もあるということだ。


我々ホモサピエンスと絶滅したネアンデルタール人の違いを、熊とライオンの違いに似ているいう学者もいる。

熊は雑食性でライオンは肉食性であることがその生存戦略に影響して、雑食のホモサピエンスは生き残り、肉食に頼ったが故にネアンデルタール人は絶滅したというのだ。

熊は熱帯から北極圏にいたるまで、その環境に応じて食性も違うが、ホモサピエンスの起源と言われているアフリカにはいない。

日本人の大好きなジャイアントパンダも熊の仲間で竹以外にも木の実や昆虫も食べるという。

ホッキョクグマは肉食性だが、これはイヌイットの食性に似ている。

人類が文化によって地球のあらゆる所に生活圏を広げたのに対して、身体や食性を適応させることによって生息圏を広げた。

熊は冬眠で知られているが、生息域によっては冬眠はしないそうだ。

そういえばパンダが冬眠するなんて聞いたことが無い。

日本ではヒグマは北海道にしかいないと言うが一万年前には本州にもいて絶滅したという。

また、本州のツキノワグマはホモサピエンスよりも早くに氷河期に渡来して、独自に進化して生息域を広げたが北海道には行けなかった。

縄文が始まる頃にヒグマが本州からいなくなり、ツキノワグマが逆に広まったというのも日本人の歴史と重ねると興味深い。

北海道や本州に生き残ってきた熊が温暖化による環境変化で窮地に追い詰められて、人との間に問題を起こしている。

その姿をかつて日本に暮らしていた旧石器人や縄文人と重ねて考えてみるのも良いのではないかと思う。





2025年11月18日火曜日

失われた絆と残された想い

 母が亡くなって2年半も経とうとしているのに、空き家に残された遺品は片付けが終わっていない。

末弟もだいぶ手伝ってくれて、以前よりはましにはなっているが、家具類が多く残されたままだ。

家内の実家は義母が亡くなって半年も経たないうちに、業者に頼んできれいに片付いている。

業者に頼んだのは喪主を務めた跡取り息子だが、実家とは盆正月に帰省したりしていただけで、母親の介護や看護には殆ど関わらなかった。

実家に残っていた遺品にはあまり思い入れが無かったようだ。

それに対して、結婚してからも実家とはそこそこ行き来のあり、看護や介護に関わってきた私や末弟にはそれなりの思い入れがあったことは確かだ。


亡くなった親の遺品を子どもが片付けるのは当たり前のことなのだが、親の遺品以外の想い出の品の処分は簡単ではない。

一番悲しいのは伴侶や自分の子どもの遺品がある場合であろう。

病気、事故や事件で亡くなった後もそのままに部屋をしているのが、報道されたりドラマになったりする。

一方で、失われた絆への悲しみから脱して、新しい絆を結んだ場合には遺品や想い出の品の扱いは非常に難しくなる。

新しく結ばれた人に対して、その遺品や想い出の品を大切にすることをどう説明するかが非常に難しい。

親であったら自分を大切にしてくれた人の想い出を大切にしておくと理解して貰えるのだが、親以外はむしろ断ち切って欲しいと思われることもあるだろう。

その関係が死んだ子であれ元夫婦や恋人であれ、かつての自分の生きる支えになってくれた大切な人であることを理解して貰うのは難しい。

新しい絆を結んだ人との比較であったり、当てつけをすることは厳に慎むべきは確かなことである。

ただ、自分を理解してもらう上で、かつて深い絆で結ばれていた関係によって、自分が大きく変わっていったことを知っておいて貰いたいところでもある。

かつての絆は死であれ離別であれ、失われてしまったけれどその想い出を大切にする心は新しい絆を結んだ人を大切にする心と同じだということも知って欲しいと思う。


母親の遺品整理が滞っているのを見かねて、自分が業者に頼んで処分してやろうとも別の弟に言われた。

私もどうしても残しておきたいわけでは無くて、必要に迫られれば業者に頼む気持ちもある。

末弟は空き家になった家に来ると、まだ親を感じると言っているが、私は仏壇でお世話にしているのでそちらで毎日感じている。

私と弟の感じ方は違うのだが、それは亡くなった親をどのようにイメージするかの違いとも言える。

子どもは親の記憶を様々なイメージとして感情がある限り、死ぬまで感じ続けるのだろうと思う。

今の自分の存在と深く関わった人に対しては、親で無くてもそうだと思う。

その人が死んでいしまった場合も、まだ生きている場合も同じだと思う。

そして、そういう思いは単に未練というのではなくて、出会えたことへの感謝の気持ちを抱き続けている場合もある。






2025年11月16日日曜日

ツッパリ高校生の喧嘩レベルの外交

 私はかつて困難校と言われて、教員を加配されている職業高校に勤めていた。

担任しているツッパリ生徒は校内だけで無く、校外でもよく喧嘩をした。

いちど、校門近くで有職青年と口げんかをしているのに出くわした。

その時に担任しているツッパリ生徒は「○○さん知っとんやぞ」と、自分のバックとなってくれている組員の名前を相手に投げかけていた。

相手も同じようにバックの名前を言っていたが、その場はそれ以上のトラブルにはならなかった。

ツッパリ高校生レベルの喧嘩はまずバックを確かめてやるものだということを知った。

私も小学校の頃は他校の生徒と殴り合いの喧嘩をしたが、バックのことは考えたことは無かった。


国と国との戦争もこれと似たところがあって、日本の場合は日米安全保障条約はアメリカがバックについているということになる。

以前は基地を提供した上に維持費もそこそこ負担して守って貰うだけで良かった。

ところが集団自衛権の名の下に、アメリカが戦争をし始めたら一緒に戦うことまで引き受けてしまった。

これはツッパリ高校生で言ったらバックの組員がやる抗争に参加することを意味する。

日本は核兵器を持てないのだからツッパリ高校生レベルで、核兵器を持っている国は暴力団レベルのと考えて良いだろう。

これはドスで拳銃に立ち向かうのに似ているが、組員もドス相手にいきなりは拳銃を使わないだろう。


中国は内戦の結果台湾と本土が分裂しているのだから、暴力団で言うと縄張り争いが継続していることになる。

その台湾のバックについているアメリカと一緒に戦うと言うことは、組員の縄張り争いにツッパリ高校生も加わって戦うと言うことだ。

ツッパリ高校生がバック同士の縄張り争いになったら一緒に戦うと言ったのだから、相手の組員に「ガキ(高校生)は黙っとれ、いてまうぞ(殺すぞ)」と言われても仕方ない。

それで相手の組は自分たちの縄張りの人間に「ツッパリのいる所へは行くな」とも言われてしまった。

日本のトップがツッパリ高校生レベルの外交をしたのだから、これは由々しき事態である。

そもそも、日本をツッパリ高校生レベルに仕向けていたのはアメリカなのに、核兵器を持つ相手に核兵器も持たずに一緒に戦うなんて言うこと自体無謀だ。

それは組員が拳銃で守ってくれるから、ドスで戦っても大丈夫だというようなものだ。

この事態に一番喜んでいるのはアメリカで、中国と日本が結託する心配は無くなったし、アメリカの武器を買って貰いやすくなった訳だ。

そして、ウクライナが核兵器を持たずに善戦しているように、日本も国民を犠牲にするつもりで戦ってくれたら、アメリカの損失も少なくて済むと思うつぼなのだ。


2025年11月14日金曜日

落花生は作るに限る

 今年は早めに落花生を掘り起こした。

落花生を植えている場所は日当たりが良いので、これからの作物を作りたかったからだ。

去年は麦わらがあったので、草はだいぶ抑えられたのだが、今年はあまり無かったので、草との戦いになった。

株と株の間を草刈り機で刈っていて切ってしまったり、草を引き抜くときに一緒に抜いてしまったりして、植えた苗がかなり失われてしまった。

本当はポリマルチを使えばそういう手間が省けるのだが、草マルチの自然農法を基本としているので、ポリマルチは使っていない。

今年は雨が降らなかったので生長が悪く、それでエンジンポンプを使って水やりをしたら、草が多く生えることになった。

草の中に落花生が何とか頑張っているのだが、落花生を知らない近所の人に草だらけだと言われて、落花生を植えていると説明する始末だった。


落花生が美味しいのをカラスもよく知っているので、ちゃんとネットで覆ってやらないと食べられてしまう。

今年も、さっそく食べかすを発見したので、あわてて寒冷紗で覆った。

寒冷紗の方がネットより扱いが簡単のだが、強風に弱いのでクリップでちゃんと留めておかねばならない。

私は不精者なので、寒冷紗を直接落花生の茎にクリオップで留めたりしておいた。

完全に覆わなくても、周りをしっかり覆ってやればカラスは中に入ってこない。


落花生を抜いてみると、株にもよるができは悪くなくて、採った数が多かったので家内に高圧鍋で蒸してもらって食べてが、甘くて美味しかった。

掘り上げた株は畑で積み上げてその上にネットで覆って、とりあえずは乾燥させている。

そこから少しずつ持って帰って毎日落花生を電子レンジで蒸してもらってビールのつまみにしている。

このところ、夕方の晩酌には黒大豆の枝豆と落花生をたくさんつまんでいるので、雑穀米やラーメンを食べずに済んでいる。

蒸した落花生は柔らかいので消化に良いから、バターピーナッツより胃に優しい。


最近はおおまさりを中心として生落花生も普通に売られるようになっている。

けっこうな値段がするので、毎年自分で作ることにした。

種も普通に買うと高いので、とれた落花生をおいておいて種にしている。

おおまさりも作ってみたが、大きくて食べ応えがあるけれど、大味の感じがするので今年は普通のと混ぜて作っていて区別できない。

千葉に親戚がいて、以前に土産で貰った落花生が美味しかった。

たまに、はねものが安く売ってあると買ったりするが、中国産の2倍以上の価格するので滅多に買えない。

やはり自分で作った方が美味しくて安上がりである。

本当は孫などがいたら、一緒に掘り上げたら喜ぶだろうと思う。

特別支援学校に勤務していたときには、地元の高校生と落花生の収穫で交流をして喜ばれた。

近くの小学校の菜園でも作っているのを以前見かけたが、手間がかかるので最近は作っていないようだ。

子どもにも大人にも喜ばれる落花生は、楽しみながら作れるのでもっと作られても良さそうだが、乾燥した後で煎って食べるのが面倒らしい。

乾燥した落花生は石焼き芋と同じ要領で、ストーブの上に石を敷いた土鍋を乗せて焼いて食べている。

サツマイモより保存が簡単だし、ちょっとしたつまみやおやつになる。





2025年11月12日水曜日

我が地区にコウノトリが棲み着く理由

 私の今住んでいる上郡町の高田地区にはコウノトリが二羽棲み着いている。

最近は電信柱や高圧線の鉄塔の上でクチバシを鳴らし合っているのをよく見かける。

子育てが済んでしばらくして水田の稲が青々していた頃には見かけないこともあった。

稲刈りが終わるまで、あちこちに出かけて行っていたようだ。

稲刈りが終わって水田が広々としてきたので、コウノトリもゆっくりと水田でも餌を探している。

コウノトリを見かける場所は水田付近以外にも貯水池や大小の川の浅瀬であった。

上郡町内はどこでも見かけることができるのだが、棲み着いて子育てをしたのは高田地区だけである。


私は元々赤穂に生まれ育ったので、上郡町のことはよく分からない。

そこでいつも上郡のプールで一緒になる地元の人に高田地区だけに棲み着いるのはなぜなのかと訊いてみた。

するとその人は「(貯水)池が多いからだろう」と答えてくれた。

それはこういうことだ。

高田地区は一部を除いて扇状地になっており、小さな川は山から流れていて、そこから用水路で水を引いてきていて通常はその水を用いている。

山の中の谷間には小さな貯水ダムを作っているが、いざというときの水を確保するために、山ぎわや水田の真ん中に大小の池を多く作っている。

水田を所有している人はこの池の草刈りを行うし、池からの水を管理するのが仕事になっている。

水田を所有してない者も、用水路の草刈りや畦焼きで池の土手も焼く作業もする。


他の地区は比較的しっかりとした川があったり、上流で大きな貯水ダムがあったりしている。

また、高田地区でも千種川本流から水を引いている村もあって、貯水池をしっかり管理しているところは高田地区の扇状地帯だけだと思う。

山間のきれいな川の水が流れている自然が豊に見える地区は、意外に餌となる動物や虫が少ないのだろうと思われる。

貯水池は小魚や虫などの繁殖場所となっており、そこから用水路を通して水田に入ってきて増えているようだ。

また、それを狙うヘビや蛙などがコウノトリの大切な餌になっているということだと思う。


そう考えると、水田での稲作を大型規模で効率化を図ることと齟齬が生じてしまう。

大規模農家が大規模に水田を作ろうとすると、貯水池とその水路の管理はその農家の仕事になる。

しかし、それは非常に手間のかかることで、本流の上流から取水して配管した方が効率的だろう。

現在水田の地主や一般の村人が行っている村作業があって貯水池と水路は活かされており、そしてそれがコウノトリが棲み着く環境を保ってくれている。

そして、忘れてはいけないのは、このところの温暖化で旱魃になる危険性が増している。

千種川も干上がった時に、貯水池の水はどんなに役に立つか想像できる。

現に何年か前の水不足の時には水田のために緊急放流した。


米の値段だけで大騒ぎして、規模の拡大や輸入の問題ばかり話題になるが、水田の持つ環境保全、災害抑止について真剣に考えるべきだろう。

村は少子高齢化でこれからまともに水田を維持できなくなっていく可能性もでてきている。

地域によっては小作料を貰うどころか、お金を払ってまで大規模農家に作って貰っているところもある。

高い米価のママ据え置いて米離れを助長させてしまったら、減反を余儀なくされてますます稲作農家は減っていくだろう。

環境を考えれば水田はその所有者だけのものではないし、所有者だけで維持できるものではないということを根本的に考えなくてはならないに時代となっている。









2025年11月10日月曜日

黒大豆の枝豆の乾燥と贈答

 うちでは黒大豆を作っていて、多くは豆乳の材料として利用するのだが、枝豆としてたべることもしている。

うちでできる黒大豆の枝豆は粒は小さいが甘くて味に深みがあって美味しい。

糖尿病の私は、枝豆なら大丈夫だと思って、鍋一杯ほどの枝豆を一日で食べたことがあった。

その時に、酷い便秘になってしまい、排便するのに非常に苦しんだ経験がある。

適当の量なら便通に良いはずの枝豆だが、食べ過ぎるととんでもないことになることを思い知った。

それ以来気をつけて食べているので、食べ残った枝豆のことも考えねばならなくなった。

冷凍して置いておくのが一番の方法だが、家庭用の冷蔵庫では解凍したときにしわくなってしまって美味しくない。

そこで、乾燥させて保存しながら食べることにした。


枝豆は茹でたものを剥いてから干しても良いが、莢ごと干してからむいた方がむきやすい。

完全に硬くなるまで干した方が日持ちがするが、少し柔らかめの方が噛みやすいし美味しい。

今年はジャガイモを掘らずに置いておいたので、黒大豆を植える場所がなくて、やむを得ずジャガイモの埋まっている場所に苗を植えた。

これは大きな間違いで、黒大豆は10月末にならないと枝豆として食べられない。

そのうちにジャガイモから芽が出始めてしまった。

そこで急いで枝豆として食べられるようになったらすぐに刈り取るようにした。

そうなるとどうしても余るので、今年も乾燥枝豆を作ることにしたのだ。

家庭用の野菜乾燥機でかなり乾燥させて、日光でも乾燥させることにした。

ところがうっかり雨が降るのにそのままして濡らしてしまった。

それでまた、野菜乾燥機で乾燥する羽目にもなった。


十分に乾燥した枝豆は剥きやすくなっており、一つずつ丁寧に実を取り出していった。

保存をよくするためにもう一度粒の状態で乾燥させてしっかりと硬くした。

そして、以前に買って食べてしまったフィッシュコラーゲンの空き袋にその乾燥枝豆粒を入れて保存している。

今は茹でた枝豆が十分あるので、乾燥した物を食べる必要は無い。

高齢者には硬い枝豆は食べづらいので、冷凍した方が良いようだ。

私の亡くなった母は私が持っていった枝豆は茹でて冷凍にして長く食べ続けていたようだ。

枝豆は人にあげても喜ばれる。

特に黒大豆は人気があり、私の知り合いはわざわざ隣町の佐用まで行って買うそうだが、枝からちぎった莢枝豆は一袋1000円もすると言う。

私はちぎるのが面倒なので、近所の人や知人にはいっぱい実のついた枝豆を葉っぱだけ落としてあげている。

黒大豆は普通の大豆と違って栽培が難しい。

以前に病気が流行って全く採れなかったことも経験している。

また、上げた近所の農家も、黒大豆以外の大豆は上手く作れるのに黒大豆はできがよくないというので差し上げた。

黒豆の枝豆は大切な贈答品にもなっているのである。








2025年11月8日土曜日

先住民としての縄文人

 先日、家内が平日に休みが取れたので、京都まで特別展「世界遺産 縄文」を京都文化博物館まで見に行った。

特急スーパー白兎が大阪止まりになって以来、京都へ行くときは行きは新幹線を使っている。

私は午前中はトイレが近いので、トイレに直ぐ行ける列車で無いと不安でならないが、帰りはそれほどでもないので新快速で帰る。

新幹線は相生駅から「ひかり」に乗って新神戸で「のぞみ」に乗り換えた。

自由席に乗って新神戸までは家内と並んで座れたが、新神戸で乗り換えたときは前後ろの3列席になった。

それでも座れただけましで、列車の中をぞろぞろと自由席の1号車に向かう観光客が移動し、結局立っている人でいっぱいになった。

観光客は欧米人らしき人が多く荷物もかなり大きく、その殆どが京都で降りた。

平日に関わらずその多さにインバウンドのすごさを実感した。

大学の同じゼミの仲間のライングループには、京都で教員をしてる友だちがいて、ラインでその情報は知っていたのだが、新幹線の中からそれを味わうことになったのだ。


私は縄文関係の考古学文献や神話関連など読みあさっていたので、博物館へ行って何かを発見しようという目的は無かった。

家内は博物館や美術館に行くのが好きなので、良い機会だと思っただけなのだ。

京都駅ではまたその人の多さに圧倒されっぱなしで、地下鉄まで満員だった。

地下鉄の「烏丸御池駅」で降りて、案内があったから出口は上手く出られたのだが、そこからがいつものように試練である。

スマホで確かめながら歩くのだが、スマホのマップは分かりづらくて、本来なら3分で行けるところを15分以上かかってしまった。


館内は年配の人を中心に多くの人が訪れていた。

外国人はさすがにそれほど多くなかった。

何よりもの収穫は、遮光器土偶の頭は空洞になっていたことだ。

土偶を作った目的はいろいろと説があるが、私は北方文化の影響だと思っている。

というのも縄文人のゲノムを一番継承しているのはアイヌの人たちだが、二番目に多い琉球の人たちには土偶の歴史が無い。

そもそも、縄文時代とか縄文文化という設定自体もかなり無理があり、それを否定する学説もある。

日本では従来はこの時代に均質化されたとも言われているが、だんだんとそうでもなかったことが分かってきている。


日本人が縄文時代や縄文文化に興味を持って人気があるのは、自分たちの祖先だと思っているからだと思う。

しかし、本土の人のゲノムにはそれほど縄文人から引き継いだものは残っていない。

そして、地域によって現代人に継承されたゲノムの多さが違い、東北には多いのは分かるが、鳥取や島根にも多いのだ。

学術的な根拠は無いが、島根のずーずー弁との関わりもあるかもしれない。

新しく水田稲作文化が早くから伝わったと思っていたところに、意外と多いのも面白い。

とにかく、我々本土の人間は縄文時代以降に大陸から移動してきた遺伝を多く受け継いでいるのであって、そちらを先祖と思うべきなのだ。

そうすると、縄文人はその先祖から駆逐されたり、混血した先住民と捉えるのが自然だろう。

ただ、ユーラシア大陸に繰り広げ得られた狩猟採集民から農耕民への入れ替わりが極端でなかったので先住民という歴史認識が生まれなかったことも理解できる。

だけど、アイヌの人々を先住民と認めてこなかった歴史や、琉球の人々に対する歴史的な無理解とその配慮の無さは改めねばならないだろう。


現在、外国人の移民の問題がどの国でも深刻になっている。

人類の歴史は狩猟採集から農耕、工業、情報と生活の変化と伴に移動によってそこに住む人々は変化している。

日本は島国であったので急激な変化が起こらなかったのだが、交通機関の発達した現代では昔のようには行かないことも確かだ。

そして、変化せざるを得ないことも自覚せねばならないと思う。

その点で、縄文人を再考することは意議があることだと思う。