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2025年11月18日火曜日

失われた絆と残された想い

 母が亡くなって2年半も経とうとしているのに、空き家に残された遺品は片付けが終わっていない。

末弟もだいぶ手伝ってくれて、以前よりはましにはなっているが、家具類が多く残されたままだ。

家内の実家は義母が亡くなって半年も経たないうちに、業者に頼んできれいに片付いている。

業者に頼んだのは喪主を務めた跡取り息子だが、実家とは盆正月に帰省したりしていただけで、母親の介護や看護には殆ど関わらなかった。

実家に残っていた遺品にはあまり思い入れが無かったようだ。

それに対して、結婚してからも実家とはそこそこ行き来のあり、看護や介護に関わってきた私や末弟にはそれなりの思い入れがあったことは確かだ。


亡くなった親の遺品を子どもが片付けるのは当たり前のことなのだが、親の遺品以外の想い出の品の処分は簡単ではない。

一番悲しいのは伴侶や自分の子どもの遺品がある場合であろう。

病気、事故や事件で亡くなった後もそのままに部屋をしているのが、報道されたりドラマになったりする。

一方で、失われた絆への悲しみから脱して、新しい絆を結んだ場合には遺品や想い出の品の扱いは非常に難しくなる。

新しく結ばれた人に対して、その遺品や想い出の品を大切にすることをどう説明するかが非常に難しい。

親であったら自分を大切にしてくれた人の想い出を大切にしておくと理解して貰えるのだが、親以外はむしろ断ち切って欲しいと思われることもあるだろう。

その関係が死んだ子であれ元夫婦や恋人であれ、かつての自分の生きる支えになってくれた大切な人であることを理解して貰うのは難しい。

新しい絆を結んだ人との比較であったり、当てつけをすることは厳に慎むべきは確かなことである。

ただ、自分を理解してもらう上で、かつて深い絆で結ばれていた関係によって、自分が大きく変わっていったことを知っておいて貰いたいところでもある。

かつての絆は死であれ離別であれ、失われてしまったけれどその想い出を大切にする心は新しい絆を結んだ人を大切にする心と同じだということも知って欲しいと思う。


母親の遺品整理が滞っているのを見かねて、自分が業者に頼んで処分してやろうとも別の弟に言われた。

私もどうしても残しておきたいわけでは無くて、必要に迫られれば業者に頼む気持ちもある。

末弟は空き家になった家に来ると、まだ親を感じると言っているが、私は仏壇でお世話にしているのでそちらで毎日感じている。

私と弟の感じ方は違うのだが、それは亡くなった親をどのようにイメージするかの違いとも言える。

子どもは親の記憶を様々なイメージとして感情がある限り、死ぬまで感じ続けるのだろうと思う。

今の自分の存在と深く関わった人に対しては、親で無くてもそうだと思う。

その人が死んでいしまった場合も、まだ生きている場合も同じだと思う。

そして、そういう思いは単に未練というのではなくて、出会えたことへの感謝の気持ちを抱き続けている場合もある。






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