先日、家内が平日に休みが取れたので、京都まで特別展「世界遺産 縄文」を京都文化博物館まで見に行った。
特急スーパー白兎が大阪止まりになって以来、京都へ行くときは行きは新幹線を使っている。
私は午前中はトイレが近いので、トイレに直ぐ行ける列車で無いと不安でならないが、帰りはそれほどでもないので新快速で帰る。
新幹線は相生駅から「ひかり」に乗って新神戸で「のぞみ」に乗り換えた。
自由席に乗って新神戸までは家内と並んで座れたが、新神戸で乗り換えたときは前後ろの3列席になった。
それでも座れただけましで、列車の中をぞろぞろと自由席の1号車に向かう観光客が移動し、結局立っている人でいっぱいになった。
観光客は欧米人らしき人が多く荷物もかなり大きく、その殆どが京都で降りた。
平日に関わらずその多さにインバウンドのすごさを実感した。
大学の同じゼミの仲間のライングループには、京都で教員をしてる友だちがいて、ラインでその情報は知っていたのだが、新幹線の中からそれを味わうことになったのだ。
私は縄文関係の考古学文献や神話関連など読みあさっていたので、博物館へ行って何かを発見しようという目的は無かった。
家内は博物館や美術館に行くのが好きなので、良い機会だと思っただけなのだ。
京都駅ではまたその人の多さに圧倒されっぱなしで、地下鉄まで満員だった。
地下鉄の「烏丸御池駅」で降りて、案内があったから出口は上手く出られたのだが、そこからがいつものように試練である。
スマホで確かめながら歩くのだが、スマホのマップは分かりづらくて、本来なら3分で行けるところを15分以上かかってしまった。
館内は年配の人を中心に多くの人が訪れていた。
外国人はさすがにそれほど多くなかった。
何よりもの収穫は、遮光器土偶の頭は空洞になっていたことだ。
土偶を作った目的はいろいろと説があるが、私は北方文化の影響だと思っている。
というのも縄文人のゲノムを一番継承しているのはアイヌの人たちだが、二番目に多い琉球の人たちには土偶の歴史が無い。
そもそも、縄文時代とか縄文文化という設定自体もかなり無理があり、それを否定する学説もある。
日本では従来はこの時代に均質化されたとも言われているが、だんだんとそうでもなかったことが分かってきている。
日本人が縄文時代や縄文文化に興味を持って人気があるのは、自分たちの祖先だと思っているからだと思う。
しかし、本土の人のゲノムにはそれほど縄文人から引き継いだものは残っていない。
そして、地域によって現代人に継承されたゲノムの多さが違い、東北には多いのは分かるが、鳥取や島根にも多いのだ。
学術的な根拠は無いが、島根のずーずー弁との関わりもあるかもしれない。
新しく水田稲作文化が早くから伝わったと思っていたところに、意外と多いのも面白い。
とにかく、我々本土の人間は縄文時代以降に大陸から移動してきた遺伝を多く受け継いでいるのであって、そちらを先祖と思うべきなのだ。
そうすると、縄文人はその先祖から駆逐されたり、混血した先住民と捉えるのが自然だろう。
ただ、ユーラシア大陸に繰り広げ得られた狩猟採集民から農耕民への入れ替わりが極端でなかったので先住民という歴史認識が生まれなかったことも理解できる。
だけど、アイヌの人々を先住民と認めてこなかった歴史や、琉球の人々に対する歴史的な無理解とその配慮の無さは改めねばならないだろう。
現在、外国人の移民の問題がどの国でも深刻になっている。
人類の歴史は狩猟採集から農耕、工業、情報と生活の変化と伴に移動によってそこに住む人々は変化している。
日本は島国であったので急激な変化が起こらなかったのだが、交通機関の発達した現代では昔のようには行かないことも確かだ。
そして、変化せざるを得ないことも自覚せねばならないと思う。
その点で、縄文人を再考することは意議があることだと思う。
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