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2025年9月28日日曜日

ドーパミンから見た社会③~精神疾患

 以前紹介した

 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018) 合同出版 (以降D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

をいまだに読み続けているのだが、その中で精神疾患になったメイという若い女性の事例が胸に刺さったD・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):181-183]

というのもこれに似た事例を知人から聞いてよく知っているからだ。

この事例のメイは移民の娘で言葉の困難な親に代わって色んな用事を行い、優しく素直で成績も優秀で親には期待されていた少女だった。

そのメイが自殺を図って1週間集中治療室に入らねばならないことになってしまった。

その背景を医師が長い時間をかけてメイから聞き出した。

メイは回りの期待に応えるために無理をしていて、アンフェタミンを常用していたのが原因だった。

この薬は「一九六〇年代はじめ、当時の広告の表現を借りれば「快活さ、頭の回転、楽観性」を促進する目的で、ドーパミンを活性化するアンフェタミンが医師により処方されていたD・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):105]」

メイ自身は医師からの処方を受けずに飲んでいたようだ。

このアンフェタミンは医師処方の薬剤で無い限り、日本では覚醒剤として禁止、アメリカでは薬物・精神刺激薬として規制されている[ウィキペディア]

要するにドーパミンを自ら薬で活性化させて、親の期待に応えようとして破綻してしまったので、治療としては親から引き離さざるを得なかった。


知人から聞いた茂之(仮名)さんも、メイに似て優しく素直で、勉強やスポーツもできた。

ただ、幼い頃に父親は結核で亡くなって、母親の再婚に際しては祖母に預けられた経験もあった。

母親の再婚相手は、妻と離婚して娘を連れての婿養子としての再婚でもあった。

茂之さんは新たに生まれた弟、連れ子で来た妹と継父、そして実母と実の祖母の6人で暮らしていた。

茂之さんが中学生の頃に母親は再婚した夫との関係が悪くなり別居状態になってしまった。

そのころ、茂之さんは自分が仲が悪くなった原因ではないかと悩んでいたという。

この継父は別居してまもなく、急に心臓発作で亡くなってしまった。

連れてこられていた娘は遠い親戚に預けられ、実弟と祖母、母との4人で暮らすことになった。


その茂之さんは大学受験に失敗してしまい、予備校の寮に暮らし始めたのだが、相部屋の相手とも相性が合わず家に戻ろうとした。

それを母親は頬を叩いてまで叱って、何とか頑張らそうとしたが、結局は戻らざるを得ない状態になった。

その後は、その挫折感とそれまでの押し殺してきた感情が爆発して、家の中で暴れ始めてしまった。

その対応に色々と手を尽くしたが、自殺未遂も起こし、結局大学病院の精神科の医者に頼らざるを得なくなった。

どんな薬が処方されていたか分からないが、本人は医者のモルモットにされて薬に頼らざるを得なくなったと言っていたという。

いくら薬を強くしたりして変えても症状は改善されず、医者に出される薬に頼ったまま家に引き籠もってしまった。

その後は弟も結婚して独立し、祖母も亡くなって、母親と二人で暮らしていたが、母親も高齢になって寝たきり状態が長かったが、入院せざるを得なくなった。

そしてその茂之さんは家にひとり引き籠もったまま、今年突然亡くなってしまった。

70歳あまりの生涯で半世紀も閉じこもった生活の幕が下りてしまったのだった。


今から思えば薬を飲んだ後の酷い脱力感から、ドーパミンを抑える薬だったのかもしれない。

もし、このケースが医者が処方した治療薬が原因だったとしたら、治療ミスとも言えるだろう。

しかし、当時は薬事治療が中心でカウンセリングなどもまだ広く行われなかった時代でもある。

現在では薬物に指定されているアンフェタミンが普通に手に入れられた時代ともそう離れていない。

メイのケースも茂之さんのケースも、家族や本人をしっかりとサポートできる体制があったらそこまでにはならなかった事例のように思う。

単に麻薬だけで無く即効性のある治療薬も、人生を狂わせる毒薬となり得ると思った。

ただ、半世紀も引き籠もった悲劇に思える茂之さんの人生だが、ひとり暮らしで淋しくなった叔母を支えたし、何よりも入院するまで寝たきりの母親の介護をし続けたという。

それは、茂之さんだからこそできた親孝行で、その母親は茂之さんの死を知らせられなかったが感づいていたようで、安心したかのように半年後に亡くなったと聞いた。



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