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2025年11月2日日曜日

世界の山本由伸投手を生んだ伊部

 伊部を「いんべ」とちゃんと読める人は最近では近隣でも少ないと思う。

ここで作られる陶器を今は備前焼というのが普通になったが、以前はここらでは伊部焼きと言っていた。

備前焼は日本六古の一つで、最も古くは名刀の産地で知られる長船で作られ、鎌倉時代くらいから伊部で盛んに作られるようになったという。

因みに伊部は吉井川のそばにある長船から北東方向に約5kmほど離れた山沿いのところにある。

有名な閑谷学校は伊部からまた北東に5km程離れたところに有り、その屋根瓦も備前焼が用いられてきており耐久性がある。

備前焼は実用品として古来から作られてきたが、戦国時代には火薬の入れ物としても重宝されたという。

この長船にあった備前福岡は黒田官兵衛の先祖が住んでいたことから、九州にその名前を持ち込んだとして有名である。

姫路生まれの黒田官兵衛と備前に関係あるように、西播磨と東備前は西と東のせめぎ合いの場所でもあったし、交流も盛んだった。


私が生まれた赤穂の西に位置する鷆和の鳥撫は播磨と備前の境界だが、私の母方の祖父母は備前福河に生まれ育った。

赤穂は大和政権によって播磨となるまでは、千種川より西側は吉備の国だったので、私はそのころの国名で言えば吉備の人間ということになる。

鳥撫の父方の伯父夫婦の言葉は赤穂弁よりも備前の方の言葉に近かった。

伯父は石材を運ぶ木造船を使った仕事をしていたが、船を停泊させるのに地元以外では備前の日生や片上の港を使うことが多かった。

私も子どもの頃には祖母と毎年備前福河に行っていたし、遊びに日生から小豆島に行ったり、備前焼の見学で伊部に行くこともあり馴染みのあるところであった。


伊部には備前焼の作家が方々で窯を構えているのが煙突や置いてある松の木の薪で分かる。

東京の大学院にいたときに、先輩がわざわざ伊部まで来て陶芸をしていると聞いて驚いたことがある。

また、私がしばらく勤めていた閑谷学校の研修所でも、備前焼を体験することも行われ、講師に備前焼の作家がそこから来てくれていた。

古くからの街並みも残っているが、去年には新しく駅前に立派な備前焼ミュージアムができた。

今年の10月に行われた備前焼祭りもたくさんの観光客で賑わっていた。


山本由伸投手のことは伊部駅近くのビルの垂れ幕に書かれたこともあったが、今は国道2号線沿いにある伊部小学校の外塀に細々と横断幕で紹介されている。

山本選手は野球は地元では中学校までで、高校は宮崎の都城高校なので、故星野仙一監督のように岡山を代表する選手という感じでは無いようだ。

大谷翔平選手や佐々木朗希選手のように地元の高校出身で無いことが、地元での盛り上がりを欠く原因となっているのかもしれない。

その一方で、ドジャースの選手が「オカヤマ オカヤマ」と山本選手を讃えているのが嬉しかった。

山本選手も中学生までは野球の全国大会で岡山県を背負っていたことも確かなのだし、県民の人も誇りに思って欲しいと思う。

私は備前焼では全国的に知られてはいるが、5000人ほどの小さな町に生まれた山本選手がアメリカのワールドシリーズでMVPを獲得したことに感動をおぼえている。

山本選手は既に大谷選手と同じように日本を超えた存在で、地元云々のレベルでは無いのかもしれない。

ただ、どんな小さな町や村でもしっかりした指導者がいれば、世界で通用できるスポーツ選手が誕生することの証明でもあると思う。

この際、備前焼も山本選手と一緒に世界にもっと売り込んでみたらどうだろうか?








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