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2026年8月23日日曜日

仕事優先が生むDV(家庭内暴力)

 私は大学院時代(1984年)に家庭教師派遣センターからの紹介で高校浪人をしている生徒A君の指導を任された。

そのA君の実家は大阪にあったが、中学時代に不良グループと問題行動を多く起こして、高校にも入れなかった。

その父親は年齢が高く単身赴任で東京に来ていた。

母親は不良グループから引き離す意味も込めて、単身赴任をしている夫を頼って子供と一緒に上京してきていた。

私が家庭教師として選ばれたのはおそらく見た目ががっしりしていたし、剣道も少しかじっていたことも有ると思う。

A君は確かに見た目はいわゆるヤンキーぽかったが、話をすると非常に明るくて素直な感じだった。


ところがある日、家を訪れるとふすまがズタズタに破けている。

どうしたのかと尋ねたら、どうも父親と一戦やって暴れた後らしい。

本人は父親に暴力を振るうつもりは無かったが、もみあいになって引き倒して馬乗りになってしまったという。

そしたら、父親が驚いて息を詰まらせてしまったという。

A君はそんな父親を観て却って動揺したようだが、母親から「死んだらどうする」と酷く叱られたのが不満でもあったようだ。

手を先に出してきたのは父親のほうだったからだ。

おそらく父親は自分の力を過信していたのと、まさか抵抗するとは思っていなかったのだろう。

父親は妻子のために働いて尽くしてきたつもりでも、家庭より企業を優先してきたことは確かであった。


実は私は父親には何度も殴られたことがあったが、元船乗りで職工をしていた父に一度もやり返そうとは思わなかった。

私は幼い頃から父親とは色んな場面での関わりが非常に深かったこともその理由だと思う。

ところが弟は父親と取っ組み合いの互角の喧嘩をしたことがある。

父も年齢のせいで弟を圧倒できる体力と気迫が欠けていたのだと思うが、弟とは私に比べて父親との関わりが少なかった。

それは子供が増えるし、生長するのでて仕事優先の生活になっていたからだ。

A君の父親は息子に手を出せるくらいの親密な信頼関係ができていなかったのだと思う。

私はA君とは高校入試前まで付き合って、勉強以外にも一緒に釣りをしたり、受験勉強合宿として父親の会社の伊豆の温泉保養施設で過ごしたりした。

A君は私には反抗的な態度をとることもなく、色々と話をしてくれたが、大人に対する反抗心は持ち続けていた。

それでも大阪に戻って私立高校を受けて合格したと手紙をもらって安心した。


こういう未成年の子供が親に行うDVは、子供が大人になるにつれて行われなくなるだろうが、男女間のDVは大人になってから生じるようだ。

教師をしていると卒業生が恋人からDVで苦しんでいる話も聞くこともあったが、こればっかりは救いようがなかった。

恋人関係は関わり方が一面的で、互いにわかり合うには時間が少なすぎるからだと思う。

そして、一番聞くに堪えないDVは子供が老いた父親に対するものである。

最近聞いた話として、離れて暮らしている50歳代の一人息子が80歳をこえる一人暮らしの父親に対して行っているDVだった。

息子はたまに実家に帰ってくるのだが、父親をこき使って、腹が立つと顔などを殴っているという。

その父親は現在入院しているのだが、退院後には自宅では一人で暮らすのは無理なので施設などに入ることを検討しているが、その息子が反対しているという。

息子にとって父親はDVをして鬱憤晴らしをする相手であるようだ。

そういう状態を近くに居る親戚が知っていても、なかなか対処できないのが現実だ。

その息子は高学歴で非常勤ながら大学の講師を勤めている。

一人っ子として甘やかされて育ったのかもしれないが、本当に大切なことを学んできていない人格破綻者としか言い様がない。

ただ、彼自身も人格を形成する上で、大切な家庭や地域、学校との関わりに問題を抱えさせられていたのかもしれない。


私が家庭教師をしたA君の場合は父親が当時単身赴任だったが、それ以前も船舶関係の仕事をしていたので留守がちであったという。

A君とのしっかりとした親子関係が築かれなかった可能性が高い。

高齢の父親にDVを行う息子は大学に入ってからは家で両親と関わる機会が少なかったようだ。

どちらかというと母親からは溺愛されていたようにも思えたが、その母親が昨年亡くなったのも原因となっているのかもしれない。

母親が亡くなったことの責任を父親に負わせていることも考えられる。

親の介護に関しては、遠くに離れて暮らしてきた子供にとっては、他人とかわらない感覚ではないかと思えたりする。

大人になってからも血縁関係の希薄さはDVや介護放棄に結びつく可能性を感じる。

それは特に地方にとって仕事優先しなくては生活が困難な状況が根本原因である。


最近は父親だけで無く、母親も勤めに出て子供と接する機会が乏しくなっている。

学童に勤めている家内から学童に預けられっぱなしの子供の話をよく聞かされる。

一般的にDVが原因で学童にきている児童もいるようだが、暴力をふるわなかっても、育児から逃げている親はDVに準ずるように思える。

いじめにも暴力行為と無視行為あるように、育児逃避は無視行為に近いと思われる。

親子関係だけで無く祖父母や親戚との関係が希薄に育った人は、自分の父母や祖父母の年齢の人に対しての詐欺行為に罪意識は感じないかもしれない。

日本人はみんながそろって貧しくなってきていると言われている。

家で農林水産業や商業を行っていた時代は貧しくても、親子や祖父母、親戚と助け合いながら生きていけた。

今は、学童やゲームに任せて働かなければならない時代になってしまっている。

「親はなくとも子は育つ」のは血縁地縁がしっかりした時代ならばこそである。

失った地縁血縁に代わるのが学童やクラブになっているのなら、その充実を国が責任をもって政策として果たすべきだと思う。


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