先日(7/31)の朝日新聞の「語る 人生の贈りもの」切明千枝子:10 ずるっと抜けた髪「これで楽に」に書いてあった一節
いまの慰霊碑には「殉国学徒之碑」とある。建てたとき、この碑文で一悶着(ひともんちゃく)ありました。同窓生は「国に殺されたんだ」と反対する。でもお父さんやお母さんは「お国のために死んだと思わないと身が持たん」と。同窓生は沈黙するのみでした
この文章に胸が詰まった。
原爆投下は明らかにアメリカ軍による大虐殺であるが、亡くなった人の死に対して、虫けらのように殺されたとか、軍国主義国家の犠牲になったという刻印は酷すぎる。
それが現実であっても、せめて慰霊碑には「お国のため」の尊い死として刻んであげたいと思うのが、肉親の心であろう。
その言葉で恨みや憤りを覆い隠さないと、辛くて生きていけないということだろう。
そういう意味では、慰霊碑に隠された肉親の心情をも感じ続けなくてはならないと思う。
東大を出た国会議員が天皇の歴史を2600年と平然と言うアホな時代に、学び続けなければならないのが戦争の現実だと思う。
「殉国学徒之碑」という文言だけでは隠されたその肉親の心情が伝わってこない。
そういう意味で切明千枝子さんの語りは、当時の肉親の生の心情がひしひしと伝わってくる。
実は、私も祖父が戦死した場面を、その娘である伯母から聞かされたことがある。
機関兵だった祖父は乗っていた航空母艦が攻撃を受けて沈没しかかる時に、甲板まではなんとか這いずりながら出てきたけれど、生き延びることができなかったという。
祖母はその話を同じ艦に乗っていて助かった戦友から聞かされて、ひどく泣いていたそうだ。
夫を亡くした祖母の気持ちは当時の私には分からなかった。
祖母は戦死した夫の墓を長い間建てられないでいた、二人の娘を育てるのに精一杯で立てる余裕が無かったのだと思う。
祖父の墓をちゃんとしていないことを祖父の兄弟から責められて、侘びながら泣いていた場面にたまたま居合わせた。
私の母方の祖父母の実家は福浦(備前福河)にあり、祖母に連れられて夏休みに墓参りに行ったりしていた。
祖母はその立ち去る時も幼い私らの前で、泣きながら悔しくて怒っていたのを憶えている。
夫を亡くして必死で生きていた祖母を、周りの親戚は本当に気遣うことができたのかと思う。
祖母は自分の娘の家族と家を新築して赤穂で暮らし始めて落ち着いてから、高山墓地に小さなお墓を建てた。
戦死した人の墓は、たいていそれと分かる先のとがった立派な軍人墓が建てられる。
祖母は敢えて戦死したことが分からないような小さな墓を建てた。
当然、海で戦死した祖父には遺骨は無くて、出撃する前に知人に託した遺髪が残されていただけだった。
祖母にとっては本当に遺骨の眠っていないお墓を、30年近く経って誇らしげに建てる気がしなかったのかもしれない。
私自身も墓参りする時に、祖父が戦死したことはあまり意識しない。
ただ、祖父の50回忌は多くの親戚を多く招いて盛大に行われ、祖父の子や孫の家族がしっかりと暮らしていることを披露できた。
私自身は祖父の戦死に関しては思いをはせたのは、学生時代に村落調査で通っていた奄美に行く時にフェリーで通った東シナ海だった。
祖父が戦死したのは東シナ海とだけ、幼い頃から聞かされ続けていたからだ。
そのとてつもなく広い海に祖父を感じようとしていたし、奄美に通うようになったことに因縁を感じたりした。
祖父の戦死をアメリア軍の攻撃や戦地に追いやった日本国に単に殺されただけと孫としては決して思いたくない。
幼い娘が二人もいるのに召集した国に殉じたとは言いたくもない。
ただ、後世に残る人のための尊厳ある死だったとは思いたい。
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