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2026年8月5日水曜日

自由なる私立中高一貫男子校の喪失

 私は幼稚園から小学校までは公立に通った。

中学校から大学は私学で、大学院は公立だった。

そして、就職したのは公立の公務員だった。

大学院の先輩に慶應大学出身の人がいて、幼稚舎から大学院修士まで慶應で、博士は都立大学、結局慶應大学の教員になった人がいる。

その人は学んだ公立は都立大の博士だけということになるが、博士課程は当時の徒弟制的研究室の中では上位であり、下積みなしのブランド強化とも言えるかもしれない。

修士という下積みで潰れていく院生も少なからずいて、他の大学院の修士で力をつけて博士から入ってくる方が合っている人もいたようだ。

先輩の中には学部が都立大で修士は他の大学、そして博士に都立大に戻ってきた人もいた。

そういう意味では私は私学の大学院修士でのびのびしていた方が合ってたかもしれないが、早めに自分の実力を見極められた良い経験だったのかもしれない。

同じ私立大学でもミッション系とそうでないところでは育ちが方が違ったようにも思え、大学院では早稲田や慶應とは肌色が違っているように感じた。

また、同じミッション系でも国際基督教大学出身の先輩や後輩もいたが、私たちのようなカトリック系の学校とは学生のタイプがかなり違っていたように思える。


私は中学から大学までの10年間をカトリック系ミッションスクールの自由な校風で育ったので、それが抜けきれず大学院の修士で挫折したようにも思える。

研究職を目指すなら大学からゼミの先生との師弟関係をしっかり築き、学閥組織で生き抜く覚悟をしていねばならなかった。

ただ、恋愛に関しては大きな失敗もあったが、多くの掛け替えのない経験をすることができた。

実は、こんど出身校の淳心学院が男女共学になるという。

どうも、少子化の影響で経営的に求められているようだ。

これで中学校から校内でも自由に恋愛ができると思うかもしれない。

私は逆だと思う。


家内は大学以外では男女共学であったが、男子を恋愛対象としてで無く、競争相手とみていてもいたようだ。

そして、大学は女子だけの大学にはいったので、女子だけで気楽に仲良く過ごせたようだ。

中学高校での男子校では女子に対して対抗意識を持ちようが無い。

他校の女子生徒やOLと気楽に友だちでいられる者もそういなくて、しっかりと恋人として付き合うのが普通だった。

要するに女性は恋愛の対象であって、進学などの上で競争する相手ではなかった。

私は大学では男女共学だったが、大学院への進学で競う女性はそもそもいなかった。

その点では国立大学に進んだ理系の娘が男性とも競争して大学院に進んだのとは違う。

娘はずっと男女共学で男子とも競争してきたので結婚できるか心配したが、なんとか職場結婚してくれた。


母校が男女共学になるということは、名前が残るだけで母校を失ってしまったようにも思える。

確かに受験勉強という競争に晒されてはいたが、ミッションスクール特有の自由さで仲間とロックバンド演奏で楽しみ、校外での恋愛を謳歌できた。

その延長上に同じカトリック系ミッションスクールの南山大学があったので、次の都立大大学院では挫折したと言えるかもしれない。

一方で、男子校で恋愛関係に無縁で勉強に勤しんで、立派な医者になった仲間も多く知っている。

また、現在は兵庫県の衆議院の小選挙区12区のうち2区で議員として卒業生が選ばれている。

国公立医学部に限らず東大や京大などの有名国公立や有名私学に進学した仲間で、男女交際を派手にしていた者は同じバンド仲間の数人しか知らない。

男女共学になっても志望する大学に入りたいのなら男女交際はほどほどにせねばならないと、身をもって思う。

ただ、淳心学院卒業後の恋愛や結婚することに関しては、むしろ男子校であったことで、女性に対して思い入れが背中を押してくれたように思う。

「男女7歳にして席を同じせず」というのは、切り離すことで異性を強く意識して却って求め合うことになるからかもしれない。

また、在校当時にはベルギー出身の独身神父さんなどを近くに見ていたので、それが却って結婚願望になったようにも思える……








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