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2025年10月30日木曜日

都立大学前駅から柿の木坂

 NHKラジオの音楽遊覧飛行の向谷実「ミュージックエクスプレス」をよく聞き逃し配信で聴いている。

今週(10/27~1030)は都立大学附属高校のホームカミングデイの話題や東急東横線都立大学前駅での失恋話など都立大学と関係する話題が多かった。

それを聴いていると自分の院生時代の記憶が蘇ってきた。

因みに向谷実さんは私より三つ年上の1956年生まれであるので、大学で出会うことはありえ無かった。

附属高校の生徒はよく大学の学食に食べに来ていたのだが、私服だったので大学生と隔たりは無かったので、年代が合えば会う機会は有った。

1958年生まれ織田哲郎もこの高校に在籍していたことがあるが、大学は明治学院大学なので重なることは無い。

都立大学附属高校は有名なミュージシャンを二人も輩出しているとは今まで知らなかった。

そう言えば、私のカラオケで歌うのを聴いて、都立大学出身の先輩が音楽関係者を紹介してやろうかと言ったのも、本気だったのかもしれない。

惜しいことに、当時はミュージシャンになることは諦めて、研究者になることしか考えていなかった。


私は都立大学は大学院の修士しかいなかったので、3年(1年休学)だけの関わりだった。

ただ、下宿が東京都の中野と西落合、横浜市の長津田と転々としたので、一番馴染みのあったのが都立大学前駅だった。

東京都立大学大学院の社会人類学研究会は月に一度か二度研究室でビールを飲みながらオープンな研究会を開き、二次会に駅近くの中華料理店の二階で二次会を行った。

どちらも飲みながらの遠慮の無い討論になるのだが、研究発表者は研究室ではしらふであっても、二次会では酔いながら熱い討論の続きをやったりしていた。

そこらへんが東京大学の上品な研究会とは違うところだったらしい。


そして、普段はゼミや講義でも滅多に会うことが少ない院生なので、三次会を駅前の酒持ち込み可能なスナックのような店で最終電車まで飲み続けていた。

場合によって、駅近くに住んでいる先輩や同級生の下宿に転がり込んで飲み明かすこともあった。

大学院は都立大学出身者はあまりいなくて、偏差値の上は東京大学から下は私のような南山大学からも入っていたが、多くは地方の国立大学と東京の有名私学だった。

中でも高知大学出身の先輩は飲むと必ず「剛気節」を駅前で歌ってもりあがったりした。

 一つとせ 一人のあの娘が戀しけりゃ 潮吹く鯨で氣を晴らせ =そいつ豪氣だね=

その先輩の「そいつあ剛気だね」と歌っていた姿が目に浮かぶが、もうあの世に旅立ってしまった。

本来なら都立大学の校歌をみんなで歌いたいところだったが校歌が無かった。

そこでやけくそで、当時流行の志村けん「東村山音頭」をもじって「目黒区八雲いっちょめ(1丁目) いっちょめ」と連呼して騒いだりしていた。

当時は大学や研究機関への就職先もあまりなくて、院生の心も少々荒んでいたようにも思える。

だから、先輩が大学の職を得たときは、研究室で祝い酒を飲み都立大学の中庭の池に飛び込んで騒いで、その濡れた服のまま電車で帰った。


私の一番記憶に鮮明に残っているのは、駅から大学まで上りが続く柿の木坂だ。

修士論文を提出する日、徹夜でふらふらになりながら、その坂をひとりの先輩に付き添われて一歩一歩と歩いて大学に向かったていた。

そうするともう一人の同期の仲間が、数人の先輩に付き添われながら、やはりふらふらとその坂を上ってきた。

もう二人とも何日間も徹夜が続いていたので、体力も気力も限界に来ていた。

ふと、その仲間の足下を見ると靴下もはかずにスリッパのままだ。

修論の提出日は確か1月10日で真冬の寒いときだったのに、寒さも感じなくなっていたのだろう。

あの時の柿の木坂の光景は一生忘れられない。


残念ながら、私は修論のできが悪くて博士進学の夢を果たせず、そこを去って行った。

大学も八王子に移転してしまってそこを訪ねて行っても何も無く空しいだけと思っていた。

以前に自分が学生時代に暮らしていた所を訪ね歩いて写真に収めてきたが、ここだけは行かなかった。

それでも、向谷実さんの話を聞いたら、また行ってみたくなった。

そこには恋愛も失恋も無かったけれど、夢を抱いた研究と酒に明け暮れ、そして夢を捨てた想い出しか無いけれど・・・・・




2025年10月29日水曜日

鶏よりも卵を優先

 私はかつて安い鶏の肉を買ってきて、わが家で燻製にして毎日美味しく食べていた。

ところがある日突然、右足の親指の付け根がすさまじく痛くなった。

通風である。

鶏の肉にはプリン体が多くて、場合によって通風を引き起こすことを知らなかった。

関西では鶏の肉のことを「カシワ」というが、子どもの頃に普通に食べられる肉はカシワしか無かった。

当時は豚肉も牛肉も高くて滅多に食べられなかった。

鶏は普段から食べられたし、家でも飼っていたので、クリスマスなどに潰して食べたりした。

それでも、昔はカシワは毎日は食べられる物ではなかったのだ。

それを毎日食べ続けたのが悪かった。

それ以来カシワは家内も気をつけて料理に出している。


卵も昔は今のように安いものではなくて、お好み焼き屋には卵を持っていって中に入れて貰ったりした。

家でも卵を産ませるための鶏を飼っていて、それが毎日の栄養源ともなっていた。

また、子どもの頃はおやつなどあまり買ってくれなかったので、卵をおやつ代わりに食べたりした。

それは、生卵の殻の先に目打ちなどで穴を開け、そこから中身を吸い出す。

ただ、白身はあまり美味しくないので吐き出したりしたが、黄身は濃厚で非常に美味しかった。


大学時代はお金が無かったので、一番の栄養源として安い卵は欠かさなかった。

毎日のように卵かけご飯を食べていた。

結婚してから家内は生卵が嫌いで、卵かけご飯どころかすき焼きも家でしたことが無かった。

それでも、どうしても食べたくなって、私だけ卵かけご飯にして食べていた。

最近は健康のことを考えるようになり、平飼いの1個50円ほどの高い卵を毎朝食べ始めた。

卵の値段は以前は安売りの時には10個100円ほどで買えたのに、最近では安売りしていて200円以上する。

もう既に安い卵では無くなっている。


先日、図書館に行って健康雑誌を読んでいたら、年老いたら卵を一日に3個から4個食べると良いと書いてあった。

これは医師鎌田 實氏の説のようだ。

糖尿病の私は以前から、糖質が少なくてタンパク質が多い食べ物は無いか探していた。

卵が良いことが分かっていたが、コレストロールが気になっていた。

その健康雑誌にはコレストロールに関わる病気を持っていない限り、大丈夫だと書いてあったので試すことにした。

最初は固茹で卵にして食べたのだが、家内から温泉卵が良いと言われて、ネットで調べたら生卵のよりも栄養価が高いという。

家内は温泉卵を作る小道具を既に買ってあった。

一つは生卵を割って容器に移して黄身を針でつついてから電子レンジで加熱する。

もう一つは容器に生卵を二つ入れて、熱湯を注ぐと自然に湯が落ちていき、空になるとできあがりというものだ。

しかし、どれも自分には面倒くさく感じた。


そこで冷温調理のできる炊飯器を用いることにした。

ネットでは温泉卵を作りるには70℃の温度で30分と書いてあったが、その炊飯器がどれだけの時間で70℃に達するのか分からないので最初は40分でやってみた。

それではやはり黄身も硬めの半熟で、白身もそこそこ固まってしまった。

次は70℃で30分でやってみたのだが、白身は温泉卵らしいのだが、やはり黄身が少し硬めで温泉卵とは言いづらい。

そこで、今度は65℃で30分茹でることにした。

そうすると、正しく温泉卵ができあがった。

ただ、私はもう少し黄身が固まっている方が好きなので、時間は時間を長めにしようと思っている。


牛や山羊なども肉よりも乳を日常の食糧としてきた。

鶏も普段は卵の方を頂くのが身体にも鶏にも良いのだろう。

本当は家で鶏を飼いたいと思うのだが、家内はどうしても嫌だと言って譲らない。

鳥インフルエンザを怖れているのと、あの鳥の足が嫌なのだそうだ。

私は子どもの頃には、父が自分で潰した鶏の足先の筋をむき出しにして、引っ張ったら指が動くので、しばらくはオモチャにしていた。

今の子どもは身近に鶏もいないので、肉も卵も工場で作られる食品と々感覚だろう。

テキ屋のおじさんが祭りで色つきのひよこを売ってあったり、小学校の前でも売りに来ていたあの頃は鳥インフルエンザなど聞いたことも無かったな・・・・

2025年10月27日月曜日

生成AI・ロボットよ!そこに愛はあるんか?

 ノンバンクカードローン会社のアイフルのCMで女将さん役の大地真央は「そこに愛はあるんか」と問い続ける。

単にアイフルのアイと、愛をかけただけらしいのだが、カードローンが愛と無縁と思わないようにCMの場面場面で茶化しながら結びつけているいるのが面白い。

本来、愛している人から利子など取らない筈なのに、愛を標榜するのはおかしいのは明らかだ。

それとちがってコンピューターの生成AIやロボットに愛(感情)があるかどうかは簡単に考えられなくて、ネットで検索したら色んな意見が書かれて有って興味深い。

これは人間の脳の身体外での道具として発達したコンピューターやロボットに「命」を認めるかどうかの問題ともなる。

アントニオ・ダマシオ 高橋洋訳 『進化の意外な順序』 白揚社 2019(2018 THE STRANGE ORDER OF THINGS 以降[アントニオ・ダマシオ2019(2018)]) によると、

感情とはホメオスタシスの心的な表現であり、感情の庇護のもとで作用するホメオスタシスは、初期の生物を、身体と神経系の並外れた協調関係へと導く機能的な糸と見なすことができる。この協調関係は意識の出現をもたらし、かくして生まれた感じる心は、人間性のもっとも顕著な現われである文化や文明をもたらした。このように感情は本書の中心的なテーマをなすが、その力はホメオスタシスに由来するのである[アントニオ・ダマシオ2019(2018):15]


ホメオスタシスは恒常性と訳されるが、つまり生命そのものに関わる重要な概念だ。

それは生物が生体の各組織に必要な水分、栄養素、酸素を確保することで、エネルギー資源のエネルギーへの変換を可能にする化学的プロセスを自動的に調節することをいう[前掲書:57-58]

彼の理論に沿えばコンピューターやロボットに感情を認めることは「命」を認めることにもなるが、明らかにホメオスタシスの条件を満たしていない。

逆に「命」を認めず感情を認めるとすれば、彼の理論とは別の理論で感情を説明する必要があるが、それについては別に考えねばならない。

まずはダマシオ氏の理論にそって考えるが、この問題を別の著書*1で次のように述べている。


今こそ、こうした事実を認識し、AIやロボット工学の新たな章を切り開くときだ。「ホメオスタシス由来の感情」に従って機能する機械を開発できることは今や明白で、そのために必要なのは、機能維持のために調節や調整を必要とする〝身体″をロボットに与えることだろう。つまり、逆説的とも言えるが、ロボット工学の世界であまりにも高く評価されている堅牢性に、一定の脆弱性を付け加えることこそが必要なのだ。[アントニオ・ダマシオ2022(2021):184]


彼に言わせれば、まだ感情を持つに至っていなくて、「ホメオスタシス由来の感情」に従って機能する機械を将来持たせるべきということになる。

それを目指すかどうかは、軍事利用の問題も含めて徹底的に議論すべきだろうが、まだまだ命を認める段階では無いというのが生物学的な専門家の意見だろう。

ただ、命は単に生物学的に捉える問題では無くて、人の生活に根ざした信仰や情愛の社会的、心理的な問題でもある。


日本人は何にでもタマシイが宿るというアニミズム的な信仰を持ち続けているので、自然の無生物や人工的な機械などにも命を見いだしたりする。

だから、すんなりとコンピューターに命と感情の存在を肯定できるように思う。

それは生物学的な意味とは違って、日常の生活でそう接っすることができるということだ。

もう既に、愛車に対してのそういう感情を忌野清志郎は「雨上がりの夜空に」で歌っている。

これは愛車に霊的なものを認めているわけでは無くて、まるで恋人のように愛情を感じることを歌っている。

ただし、以前は正月には愛車に注連飾りをしたりしたし、今でも新車を神社でお祓いを受けたりするので、霊的なものとの関係が全くないわけでは無い。

有名はところではロボット犬アイボに対する人気は強く、一度は生産を取りやめたのに再開することが決まっているそうだ。

場合によっては生きている犬よりも、愛情を注ぎ込むことができるのがアイボかもしれない。

まるでそこに「命」があるかのように、アイボは扱われているように思う。


問題はあたかも生成AIが生きている人物のように恋愛対象になってしまったり、相談相手になってしまって、場合によって自殺までしてしまう人がいることだ。

ここまで行くと、日本でもアニミズム・シャーマニズム信仰で祟りや呪いがあったのと同じレベルになってしまう。

かつて科学や医学が発達していなかった時代は、信仰の力が大きな力をもっていて、場合によって病気や死と深く関わっていた。

今の時代は科学と医学が発達しているのだから、生物学的な見地にも立って生成AIやロボットにだけに依存してしまわないことが大切だろう。

そして、愛(感情)は人間の最も恐ろしい側面ももっている。

愛国心は戦争を生み、恋愛は殺人に結びつくこともある。

特に戦争はその抑止を考えないと人類破滅に結びつくと思われる。

だから、ダマシオ教授のような明るい未来だけを私は予測はしない。


*1 『ダマシオ教授の教養としての「意識」―機械が到達できない最後の人間性』  アントニオ・ダマシオ 千葉敏生訳 2022 ダイヤモンド社:(2021 FEELING AND KNOWING   Making Minds Conscious)





2025年10月25日土曜日

隣の柿はよく犬食う柿だ

 我が家ではクロという雄犬を飼っている。

このところ、庭先などの柿の木から熟した柿が道に落ちていて、散歩の際にそれを食べるのを楽しみにしている。

本来なら拾い食いなどさせない方が良いのだが、ある意味で道路の掃除にもなるし、餌の足しにもなると思って許している。

毎日、道に落ちた熟し柿を数個食べているので、少々肥満気味になっている。

隣の村の犬と一緒によく散歩するおじいさんの犬も柿が好きらしく、おじいさんは道ばたの柿を杖で落として与えている。

人間と違って、犬は赤色を見分けるのが苦手らしく、草むらに隠れていたりするとなかなか探せない。

熟した柿の臭いを目当てに探すので、見ていてもどかしくて、時々こちらが導いてやる。

また、放置されている柿は烏の餌になってしまっているので、食べられてしまう前に枝から採ってやって与えることもある。


近所の家の1軒では3本ほど柿の木を植えている。

そこのご主人は食べなくて、親戚など人にあげるのが楽しみらしい。

ところがそこの柿の木に登って実をあさる動物が数年前から現れた。

アライグマだとかハクビシンではないかということだ。

採った柿の実を屋根の上で食べるので、その滓や糞が樋などに詰まって困っているという。

今年はその対策としてビニールネットで幹を覆ったが、どうも登ってひっかいた形跡があるのであまり役に立っていないらしい。

ご主人は私に勝手にとって持って行ってと言うが、放置されている柿ならいざ知らず、ちゃんと世話をしている柿の実を勝手に持っていくのは気が引ける。

だから、道ばたに落ちた熟し柿を、クロに食べさせているに留めている。


とにかく村で昔から住んでいる人はどの家でも柿の木は自給用として1本以上植えている。

昔であれば子や孫の美味しいおやつであり、干し柿にして冬場の大切な食糧にもなったのだろうと思う。

私の子どもの頃過ごした赤穂尾崎の住宅地の中では、珍しく向の家に柿があってたまに貰うと、凄く嬉しかったのを憶えている。

そう言えば前総理の石破さんの地元の鳥取の八頭は柿の産地で有名だ。

そこをドライブするたびに、柿の実がなっていくのを目にして季節の移ろいを感じていた。

我が家では道の駅で熟し柿があると私だけが食べるために買うこともある。

家内の実家ではおかあさんが渋柿を渋抜きして美味しく食べられるようにしたり、おとうさんが正月用の立派な干し柿を作ってくれていた。

暖冬の影響で干し柿も作ればカビがはえてしまう。


今住んでいる上郡では店に柿を置いていても、みんな貰えるから誰も買わない。

うちも去年まではバケツ一杯の柿を貰っていた。

貰わなくても、放置されている柿の木の実なら遠慮無くいただける。

私は血糖値が気になるので、クロに食べさせる以外は普段はほとんど食べない。

残念ながらこの近辺ではクロのような犬やカラスなどの野鳥の大切な食糧になってしまっているのが現状だ。

今年は熊の出現を怖れて、庭の柿の実を大きな枝毎落としてしまった家もある。

いつも、放置されている柿の実を見るたびに、何かに利用できないものかと考えている。

ただ、人間に以外の動物や鳥などの大切な食糧になっていることも確かで、特にこれから冬場には人以上の数のカラスが村にはやってきてて賑やかになる。

このインバウンド被害は村に何の収益をももたらさないけど・・・・・

2025年10月23日木曜日

教師と国会議員の世襲比較

 私は実は娘が教師になることも期待していた。

大学を出て地元で残って働けるところは、地方公務員くらいしか無かったからだ。

民間の企業に就職しても、転勤や単身赴任で地元から離れてしまう場合が今では多い。

最近は高卒でも大きい企業に入っていれば、地元から離れて仕事しなくてはならなくなっている。

そこが、都会と地方の大きな違いで、名古屋に住んでいるイトコは大学卒業してからもずっと名古屋に住んでいる。

それに対して、赤穂に生まれ育った兄弟やイトコでは本家のイトコが亡くなってしまったので、私を含めて全て地元赤穂から離れてしまっている。

そして、娘は教師にも公務員にもならずに、生まれた赤穂からも育った上郡からも離れてしまった。


私の知り合いの夫婦ともそろって管理職なった人には一人娘がいて、何とか教師にしたいと思っていたという。

大学に入ってから、教員免許を取るようにと言ったが、嫌がってとろうとしない。

そこで、大学の授業料を出さないと言ったら渋々免許は取ったそうだ。

しかし、教師にはならないで住んでいる町の市役所に就職したそうだ。

この場合は両親のそばで就職しただけマシなので、私の娘は教員を多く輩出している大学に入りながら教員免許も取らなかった。

私はブラック職業になって行きつつあるのであえて強く勧めなかったが、どうも本人は地元の学校で私の知り合い教師に特別な目で見られた経験が教師嫌いにしたようだ。


学校の教師は以前は世襲している場合が多かった。

自分の子どもが採用されるように、色々と手を尽くすことで苦労する人も見かけた。

特に管理職の子どもが教師になっているケースが多かったように思う。

しかし、今は先ほど紹介したケースでも分かるように、必ずしも世襲を子どもは望んでいない。

だから、国会議員が世襲が多いのと根本的に変わってしまったのだと思う。

教師も以前は給料は安いが楽な職業と思われていた時は、世襲も多かったと思う。

たぶん、国会議員は給料が高い上に、権力を行使して面白仕事と思われているから世襲が多いのだろう。


実際、私は教育現場で現役の教師が病気を患って死んでいったのを身近で何人も知っている。

現役国会議員が病気を患って亡くなるケースはあまり目にしない。

ただ、教師は暗殺されることは無いと思うので、国会議員の方がそういうリスクは高いと思う。

教師のスキャンダルはマスコミなどで盛んに報じられているが、警察やマスコミの抑えの効く国会議員はそれと比較はできないだろう。

一方、今度の総理大臣は世襲どころか、多額の選挙資金を自分や親からつぎ込んで国会議員になった。

そこまでしてでもなりたいと思うのが国会議員なのだと改めて感心した。

かつての教師も給料は安いけど誇りと権威があったので、世襲がなされたのだろう。

国会議員は給料が高く、誇りと権威があるから世襲もなされるし、リスクを冒してもなろうとするのだと思う。

この違いは結局、将来の日本人の人材育成に関わっていると思う。





2025年10月21日火曜日

荒れゆく田畑との格闘

 私の生まれ育った赤穂では、海に近い田畑は荒廃が進んでいる。

結婚後しばらく親戚の家を借りて住んでいた大津は、田畑の耕作を止めて太陽光発電の施設を林立させている。

私の誰もいなくなった実家には畑が残されていて、手が回らずセイタカアワダチソウが生い茂ってしまった。

本当は今年からサツマイモを植えたので、もっと手を掛けるはずだった。

ところが、酷暑と雨不足で上郡の自宅裏の畑の方に、水やりを中心とした作業に時間をとられるし、暑くて昼間は農作業は無理してやれなかった。

実家の畑は赤穂高校の近くにあるのだが、そばの水田は作る人も無く葦が生えて、畑も荒れ地になったのも多く見られる。

ただ、市民農園もあるし、家庭菜園として仲間と遠くから通っている人もいる。


うちの畑の隣は同級生が作っているのだが、草が生えないように耕しているだけで、作物はほとんど作っていない。

心臓が悪いので健康のために土いじりをしているという感じだ。

その同級生の畑にも迷惑を掛けているので、やっと涼しくなった先日(10/14)背負いエンジン草刈り機と充電草刈り機を持って赤穂の畑に草刈りに出かけた。

ちょうど同級生も来て草刈りを手で行っていた。

充電草刈り機も持っているそうだが、性能が悪くてすぐに草が絡まり止まってしまうので使っていないという。

セイタカアワダチソウのジャングルとなったうちの畑では性能の良いマキタの充電草刈り機でも厳しい。

そこでホンダ製の4サイクルの背負い式エンジン草刈り機をフル回転させて、そのジャングルに挑んだのだ。


普段はせいぜい膝の高さくらいの草を刈るのだが、自分の背よりも高くなった草を前にするとアドレナリンもでて興奮状態になった。

本当はゆっくりと根元から刈れば良いのだが、必死に草を薙ぎ倒しにかかった。

草を刈るというよりも草をぶった切るという感覚になって、心臓もばくばくと鼓動を打った。

エンジンもスロットル全開で、大きな唸りを上げている。

そういう格闘が1時間ほど続いただろうか。

時計を見る余裕も無く、ほとんど薙ぎ倒した段階で、やっと軽トラの荷台に腰掛けて持ってきたペットボトルのお茶をがぶ飲みした。


その後は、畑に植えているスダチがいっぱい実を付けているので、採って帰ることにしたのだが、蔓が絡まって大変なことになっている。

スダチの木に絡まった蔓を、持ってきた手斧やノコギリ鎌で引きずり下ろしながら、取り除いていくのだが、なかなか上の方は取り除けない。

ヤブ蚊の襲撃も凄いので、とりあえずは下の枝にたわわになっている実を枝ごと切り取っていった。

あまり多く持って帰っても食べきれないので、高さ20cm程のコンテナいっぱいにして持って帰ることにした。

市販されているスダチは小さな実の状態なのだが、うちの実は温州ミカン程度に大きくなっている。

黄色く色づくと、皮まま食べることもできるが、あおいうちに採って香を楽しみながら酸っぱさを味わうのが良い。

こういう恩恵もこの荒れた畑でも残っている。


今回驚いたのは、梅雨時に植えたサツマイモが生き残っていたことだ。

セイタカアワダチソウのジャングルの中で、ちゃんと蔓を伸ばしていた。

雨もあまり降らなかったので、枯れてしまったものと諦めていた。

さすがニューギニアの初期農耕でも栽培できる優れものだ。

実は今年はニューギニア式サツマイモ栽培の実践①~下準備~ に挑戦しているのだが、その成果はもう少ししてからのお楽しみだ。

こちらにサツマイモを多く作ることができれば、上郡の自宅裏では別のものを作ることができる。

まだ、手のかかる作物までできないのが実情なので、食糧危機への対策はまだまだだと言うしか無い。

荒れた畑でも半野生状態で何とか活用したいと思っている。





2025年10月20日月曜日

教員になりたくてもなれなかった頃

 今日、プールで泳いでいると、隣のコースに知り合いの教師が来ていて話ができた。

その人は私よりも一つ年上で、特別支援学校を長く勤めていた。

年金が支給される年齢なのに、まだ学校勤めを辞めていないという。

辞めるにも辞められないのだそうだ。

教師のなり手が無くて、仮に来ても仕事ができなくてすぐ辞めてしまうからだそうだ。

その先生は元気でまだまだ勤められそうだが、こういう先生がいる間にはたして優秀な教員の志望者が増えるだろうか


かつて高校に勤めていたときに、新任校長が赴任する学校に勤める機会が多かった。

これは何を意味するかというと、地域の名だたる進学校の伝統校には新任校長は赴任させられることはない。

ちゃんと経験を積んでそういう学校に転勤してくる。

ある地域の伝統校だった高校では、かつては新任校長が赴任してくる学校では無かったが、進学実績などが落ちて人気を失うと新任校長が赴任してきた。

私は西播地域の高校や特別支援学校で働いてきたのだが、進学指導実績がそこそこ良い学校は大学付属だけだったので、校長は大学の先生だった。

新任校長は赴任早々に大切な出張が待っているようだ。

東京に集められて総理大臣からの祝辞? 訓示?を受けるらしい。

ネットで見られる新任校長研修で公立小・中・高の新任校長の悉皆研修となっているのとは別と思われる。

以前いた学校で教頭に確かめようとしたが、話をはぐらかされてしまったので公表されていないのかもしれない。

因みに全国高等学校校長会は別にあって、それはネットでも公開してあり、来賓として文部科学大臣が予定されている。

これからしても、総理大臣謁見の新任校長の会が特別なものか分かると思う。


このことから、戦前の教育の反省から教育は国家から地域が担うものという方針が示されたことは既に忘れ去られていることが分かる。

私たちが採用される時代では、まだ卒業式で君が代斉唱。日の丸掲揚を行うかどうかが問題になっていた時代だった。

教員採用試験で日の丸・君が代問題について面接で聞かれるので、どう答えるべきかの問答集があったりした。

日の丸掲揚、君が代斉唱をどう思うかと訊かれたら、反対と面接で答えれば採用されないだろうと言われていた。

それで、聞かれたらとりあえずは、今は判断できないので採用されてから考えると答えるのが良いように言われていたように思う。

実際に面接を受けたときは、そういう質問はされなかったが、社会科は臨時常勤講師が多かったので、面接の質問を現場で言われると不味いと思ったのかもしれない。

私も当時は中学校の臨時常勤講師をしていて、校長先生に面接の練習もして貰っていた。


私の初任校は今は特別支援学校と言われるが、当時は精神薄弱の養護学校と言われていた。

今は障害時教育の免許を持っていないと、赴任させられることは無いと思うが、当時の初任者は持っていない教師がほとんどだった。

当時の私はそういう学校の存在さえ知らなかったのだが、校長から確認の電話があって、やっと就職できるという思いから勤務することにした。

私が教員になろうとした頃は、石油ショックの影響がまだ残っていて、一般企業の就職も難しく、教員は人気があった。

南山大学の人類学科の授業だけでは中学高校の社会科免許しか取れなかったので、教員採用されやすい英語や国語を他の学科の授業を受けてとる学生もいた。

東京都や都市部では教員人気が高く、早稲田大学の友達が早稲田を出ていても教員に成れないと言っていた。

私も国語の免許を取ろうと思って授業を受けていたが、大学院に進もうと思ったので途中で国語単位取得をやめた。


教育実習でも、東大に行っていた先輩や、京大など七帝大に進学した同級生なども母校に来ていた。

その他、広島大学の教育学部や教員養成の熱心な大学に行く同級生もそこそこいた。

給料は安くても当時は人気があったのだが、人気を一気に失ったのはバブル経済で民間企業の給料が非常に高くなって差が付いてしまってからだ。

バブルの頃は教師は人気が無くて、校長が朝礼で知った人で教員になろうという人を勧誘して欲しいと言われた。

その頃は教員になりやすかったが、教員の資質をもっていない人が教師になって、結局本人も周りも後で苦しむことを目にした。

教員のなり手を増やすために給料も上げていったのだが、バブルが弾けて民間企業も景気が悪くなり、教師の給料も相対的によくなった。

そこで、安定した職業である公務員人気も高まり、教師は特に人気が高くなったので、なりたくてもなれない職業になった。


今の状況はバブル時代の教員不足の頃と似てはいる。

大卒者の初任給が高くなって、給料面でも釣り合いが取れないのだろう。

勤務はブラックとして、給料もさほど高くないのに優秀な人材が集まるはずが無い。

おそらく、給料を上げても人気は高まらないだろう。

今の学校は経験ある教員が退職してしまい若い教師への指導もできない上、負担が非常に増しているからだ。

私はこういう学校の荒廃を招いた原因の一つとして、教員免許更新制度を上げておく。

これは教員の時間的負担だけでなく、誇りも奪い去った。

同じ教員出身ながら、政府と伴に教師を追い込んでいった管理職にも不信感は抱いているが、お金や勲章のためなら仕方ないか・・・・・



















2025年10月18日土曜日

移動スーパーと個配に老後を託す

 私は母がまだ自宅でひとり暮らしをしていたときに、週末には欲しいという食料を買い出しして持っていくのが日課となっていた。

足が悪くなって自分ではスーパーで買い物ができなくなったからだ。

自分の欲しいものを自由に買いたいと言って、コープの個配を注文票で頼むようになったのだが、とんでもない買い物をすることが多くなった。

買う数量が多すぎたり、同じものをいくつも買ったり、老人のひとり暮らしでは到底考えられない買い物でも、コープは注文されればお構いなしに持ってきた。

そこで、品物が来て注文する日の前にヘルパーさんに点検を入れて貰うことにして、幾分改善されたが、冷蔵庫や玄関の階段下には余り物がいっぱい残っていた。


以前、親戚で葬式があったときに、赤穂の鷆和で暮らしている叔母と話す機会があって、買い物について聞いた。

というのも、叔父の認知症がすすんで、車の運転ができなくなったので、スーパーもコンビニも無い鷆和ではどうしているのだろうかと思ったからだ。

その時に叔母は「とくし丸に頼んだら、何でも持ってきてくれる」と言っていた。

とくし丸という移動スーパーがあることは聞いて知っていたが、そんなに頼れるものか疑問に感じていた。

ところが、先日赤穂でのとくし丸のことが民放のテレビで放送されていて驚いた。

赤穂は旬鮮食彩館PAONE(パオーネ)が買い物難民(買い物困難者)対策として頑張ってくれている。

その1号車黒田さんのことが取り上げられていたのだが、まさしく叔母はその黒田さんにお世話になっていたようだ。


旬鮮食彩館PAONE(パオーネ)は以前は日生ショップと言われていたように、岡山県の日生が発祥の地である。

盆や正月で親兄弟が親元に集まるときには、ここでは魚が美味しいのでそれを目当てによく買い物をした。

赤穂はスーパーに関して、以前は播磨生協と言われたコープが出店していたが、主婦の店などに換わってしまっている。

主婦の店は私の子どもの頃からあるスーパーなので、赤穂に根付いていて親しみを感じる店ではある。

加里屋や中広という町の中心部には大型スーパーもできて、便利にはなっているが、それ以外の所はそういう大型スーパーに客を奪われて、小さな店やスーパーは減ってしまった。

実は母の住む実家のほん近所にあった日生ショップ尾崎店も潰れてしまっていたのだった。


鷆和は私の子どもの頃は万屋も魚屋もあって、そこで買い物ができたし、自転車で果物を売りに来るおじさんもいた。

今はちょっとした店が酒を中心に売っている程度で、小さなスーパーは隣の村の折方に行かなくては無い。

叔母のように認知症の叔父がいる場合は、バスに乗って買い物に出かけるのも大変だろうと思う。

コープの個配もあるとは思うが、電話で欲しいものを聞いてくれて、週に2回も来てくれるとくし丸の方が少し高くなってもよほど便利である。

子どもや孫に買い物を頼んだら、ガソリン代として小遣いをあげるので、却って高く付くことはテレビでも取り上げていた。

黒田さんは正月以外はほとんど休み無く働いて年収は700万円以上稼いでいるそうだが、地域の福祉を担っている点でいえば、収入だけで評価できないだろう。

何よりも感動したのは、家の中だけで無く場合によって台所まで品物を運んであげたり、頼まれれば二階からベッドを下ろしてあげていることだ。

単に商品のやりとりをするのでは無く、暮らしの支援をして信頼されている。

ただ、働き方には無理があるように思えるので、収入面でも勤務時間でも余裕のある体制で運営できれば、心ある若い人がもっと活躍できると思う。


上郡町はコミュニティーバスを頻繁に走らせているが、全く乗っていないときが多く、乗っていても一人か二人である。

これは町の高齢者のためというよりも、バスの運転手のための雇用対策としか思えない。

国や地方自治体はこういうとくし丸のような取り組みに補助金を出して奨励するべきだと思う。

コープの個配や移動店舗もとくし丸のように、電話などでの注文できめ細やかに対応してくれたらもっと利用しやすくなると思う。


それにしても、私の子どもの頃の赤穂の尾崎では、近所のお豆腐屋や八百屋にお使いで買い物によく行かされた。

また、行商の人が自転車や車力を使って、魚、果物、野菜を運んできて私の家の前で広げていたので、近所の人やって来て買うことが多かった。

駄菓子屋やお好み焼き屋も近所にあって、おやつを買ったりご飯を食べるのに不自由は無かった。

車社会になって、売り場、食堂、しゃべり場、遊び場であった町の小さな店や路地裏はその命を失ってしまった。

新しく家を建てて移り住んだ住宅地では、そういうものは近所に根付かなかった。

因みに結婚後子どものために移り住んだ農村地帯の上郡町の中野でも、近所には掛け売りをしてくれる酒・煙草屋兼万屋もあったし、ちょっと足を伸ばせばAコープもあった。

万屋は自動販売機に取って代わられ、Aコープも潰れてしまった。

だから、町でも田舎でも車が使えない人を細やかに助ける仕組みが必要になったのだ。

とくし丸のような取り組みがどんどん広がっていってくれたら、自分の老後の心配も少しは減ると思うのだが・・・・








2025年10月16日木曜日

安い肉を美味しく食べる

 我が家では家族三人のうちで、雑穀米を食べるのは私だけで、しかも三食のうちに一食しか食べない。

そこで、一人分の雑穀米の2合炊いて冷蔵しながら、4日ほど持たせている。

炊飯器も私用のものを購入した。(炊飯器 3合炊き 一人暮らし用 ミニ マイコン 炊飯ジャー 3合 温度調理 省エネ 早炊き 山善 YJT-M05(W)/(B) マイコン式 炊飯器)

これを選んだのはその購入時では5,430円という低価格であった上、雑穀米はもちろん色んなものが作れる機能が付いていた。

特に、低温調理ができるのが魅力だった。


だいぶ前からシャトルシェフで色々と低温調理をしてきたが、省エネではあるが温度管理が難しかった。

納豆を作ったり、甘酒を作ったり、発酵に関わるものも色々試したが、うまく行くことより失敗する方が多かった。

だから、温度管理をしっかりする必要があるものは、発酵専門の電気製品をリサイクルショップで買ったりしていた。

それでも納豆は夏場など雑菌が多い季節では失敗することが多くて、納豆は作らなくなり甘酒と豆乳ヨーグルトは新たに買ったソイリッチで作っていた。


以前は安い肉を美味しく食べるために、安い鶏のもも肉を燻製にして食べていた。

今でも鶏のもも肉は安いが、10年ほど前では100g50円を下回っていた。

家内に味付けをして貰い、自分で作った燻製器具に仕込み低温で時間をかけて燻製にすると非常に美味しくて、家族にも好評だった。

だが、落とし穴があった。

鶏肉はヘルシーと言われているが、プリン体が多くて尿酸値を上げてしまう。

おまけに、大好きなビールのつまみとして食べていたものだから、ついい痛風を発症させてしまった。

それ以来、鶏肉の燻製を作ることもないし、焼き鳥もほどほどにしている。


でも、糖尿病である以上はできるだけ糖質を抑えて、タンパク質を摂りたい。

安くて美味しい豚足に目を付けて、煮込んでスープにした豚足を毎日食べていたら、またもや痛風になってしまった。

まさか、豚足にプリン体が多いとは知らなかった。

豚肉でプリン体が少ない部位を調べたら、バラや肩肉が少ない。

牛肉は美味しいけれど、値段が高い上にプリン体も豚肉より多いそうだ。

そこで量販店のトライアルへ行って安い豚肉を探したら、カナダ産の肩肉が安く売っている。

今回は、ローストポークには塊の方が美味しいだろうと100g220円を300gと奮発したが、トンテキ用の薄い肩肉だったら100g118円で売っている。

また、マックスバリューの火曜市向けの広告では、同じカナダ産のトンテキ用の豚肉が100g98円と書かれていた。

国産の鶏肉とあまりかわらない値段である。

次回からはトンテキ用を買うことにした。


とりあえず、その肩肉の塊300gを家内に頼んで下味を付けて貰って冷蔵庫で寝かせて、山善炊飯器で低温調理してみることにした。

付属していたマニュアルのレシピは牛肉で65℃の1リットルのお湯で30分としていたが、豚肉なので念のために1時間ジプロックに入れて加熱した。

冷めるまで待って、家内に切ってもらって食べると、なんと美味しいことか。

私は血圧も高いので塩分も控えめにして貰っていたが、何のタレや醤油も必要なくジューシーで思わず5枚も食べてしまった。

今までローストビーフなどもよく食べてきたが、パサついて美味しくなかったのもけっこうあった。

確かに肉そのもののうま味は牛肉には勝てないが、今まで食べた焼豚や煮豚よりもずっと美味しい。

その美味しさは塩や調味料によって作られた美味しさでは無くて、豚そのものの肉の美味しさが感じられている。

実は家内によると秘けつがあって、砂糖をしっかりと前もって塗り込んでおくと保湿効果で柔らかくジューシーになるそうである。


本当は国産の豚肉を食べたいところだが、カナダ産に比べて倍以上の値段がする。

安全性が気になってネットのカナダ産の豚肉って危険なの?日本では禁止のラクトパミンの心配は?」調べたら一応は問題はなさそうだ。

最近はJAと政府の失策で米が値上がりしてしまったことから、日本の農家のための国産に拘る気がしなくなった。

本来はかつての沖縄や奄美は正月用に各家で豚を飼っていて、浜に出て自分で解体していたようだが、現在は規制が厳しいようだ。

ドイツではいまだに自給的な小規模な飼育がなされ、庭先で吊されたりしていて、それは肉屋に頼んで解体してもらいソーセージに加工しているという[ドイツの豚飼育]

しかし、近所では養豚どころか家畜の飼育は難しいので、当面は生活防衛のために安いカナダ産の肉を低温調理して美味しく食べていこうと思っている。


2025年10月14日火曜日

脱石油にむけての農作業

 やっと手回しの唐箕を手に入れた。

昔であれば木製なのだが、37,580円する鉄製の唐箕(クリーントーミ F型手動式 オギハラ工業)を通販で買って自分で組みたてた。

足踏み脱穀機に関しては5年ほど前に、大豆を脱穀するために買っていた。

その前は大きな鍋に稔って乾燥させた大豆を枝ごと入れて、太い棒で突いて脱穀していたのだが、江戸時代の農業よりも稚拙であった。

足踏み脱穀機を買った後も、殻と実を選別は手箕と篩(ふるい)を使ってしていた。

手箕を上下さしてゴミを口で吹いたりして飛ばしたりしたので、けっこう手間と労力が要った。

このところ、ソルガム(高黍)に力を入れ始めたので、小さな実にはどうしても唐箕が必要となった。

背の高いソルガムの実は簡単に脱穀できたが、矮性のソルガムの実は殻からなかなか外れないので、家庭用の電動精米機も使っている。

手動の唐箕は自分で風力の加減をしながら、殻やゴミを上手く飛ばして選別できた。

これでやっと篩から解放されることができた。


こんな作業を米農家が見たら呆れるだろう。

稲作の作業はほとんど機械化されており、時間も労力も大してかからない。

その換わり機械の購入とメンテナンスに掛ける費用はかなりものとなる。

最近は営農団体ができて共同で機械を購入管理する農家も出てきたが、以前は一軒で担うのが当たり前だった。

だから、その負担に耐えられない農家は機械を持っている農家に頼らざるを得なくなった。

現在では同じ村の組の30軒ほどある家で、稲作が自分でできているのは1軒だけだ。

ただ、村の家は基本地主であって、小作料も物納で貰っている。


私はこの村に田畑も持たず転入してきた昔で言う水呑百姓である。

ただ、昔と違って村入りの費用も払って、村の構成員にもなっている。

当初は畑にする休耕田を貸して貰うのに苦労したが、今は水田にできなくて管理に困っている休耕田を村から転出した人から無償で借り受けている。

そのかわりその農地の周りの草刈り等の管理をきちっとしなくてはならない。

稲は人に任せるが、畑は自分のところでやっている人はそこそこいる。

転入して畑をやっていた頃は、本当にできるのかと疑われていたが、今では同じ組の中でも上手にやっている方だ。

そして、農作業での脱石油化を進めてきて、近所の農家とは一線画している。


農作業でガソリン燃料がどうしても必要なのは、まず軽トラックである。

これはアルミ製のリアカーを買ったので、現在農作業では農機具や農作物、肥料を遠くに運ぶときにしか使っていない。

草刈り機に関しては充電式を主に使っているが、村作業や草にまみれている赤穂の畑の草刈りには背負のエンジン草刈り機を使っている。

小型のエンジン式耕運機は持っているが、このところは自然農法を基本としているので、滅多に使っていない。

ただ、今年は酷暑で雨が降らなかったので、エンジンポンプは頻繁に使わざるを得なかったが、普段はバケツで溝から水をくみあげている。

一方、スコップや備中鍬、手鎌などを中心とした手作業の農具が普段使う道具なのだ。


これから歳を取って体力も落ちてくると思うので、機械に頼らざるを得ないとは思う。

ただ、できるだけ充電式や電動式の機械を使っていきたいと思っている。

すでに、草刈り機以外でもチェンソー、ブロワー、のこぎり、ポンプ、園芸用バリカンなど石油に頼らない道具をマキタの製品を中心にそろえてきている。

近所の人もマキタの工具は充電器の性能が良いと言うことで、電灯や空調服まで全てマキタでそろえる人もいる。

値段は高いが持続性や出力の高さ、様々な道具への汎用性などで抜きん出ている。

これからは、空飛ぶタクシーよりも軽トラックや大型農業機器も電動式を開発して貰いたいと思う。

そして、何より自分の家や村で発電と充電が安くできるようになれば、温暖化対策の一翼をもっと担えると思う。








2025年10月12日日曜日

奄美のミキ~米麹代わりの生サツマイモおろし

 秋祭りのあるこの季節は、子どもの頃には必ず母が甘酒を作ってくれた。

今のように保温する電気器具も無く、電気炊飯器も保温機能が付いていなかった。

だからご飯を木製のおひつに移して、米麹を入れてしかり混ぜるのだが、私はその仕事を任されて、子どもとしてはしんどい作業だった。

そのおひつは毛布や布団にくるんで、できれば電気コタツのそばで温めておく。

数日するとあの甘酒独特のいい香りがして、それを鍋で炊いて飲ませて貰った。

しばらくすると甘酒も酸っぱくなって、不味くなってしまったが、子どもの頃にはおやつなどあまりなかったので、滅多にない美味しいおやつであった。


最近は発酵機能が付いた電気製品が多くあるが、今私が主に使っているのはソイリッチだ。

素材をスープ機能でペースト状にして、乾燥米麹を加えて発酵機能でしばらく置いておくと美味しい甘酒が簡単にできるからだ。

今まで甘酒にした材料は、白米、玄米、大豆、小豆、精白もち麦、ダイシモチ麦、ジャガイモ、コウリャン(ソルガム)、そしてサツマイモだ。

ところが、サツマイモは米麹を用いなくても甘酒風の乳酸飲料ができることを初めて知った。


面白いことに奄美でも八月の行事には本土の甘酒に似たミキが作られて飲まれていた。

実は奄美の与路島に村落調査で通っていた頃に、神人行事などでミシャキ(ミキ)が用いられているし、八月行事でも家庭で作っている人もいた。

本土のような清酒なら酔えるので飲んでも良いと持ったが、アルコール分はなさそうなので、あえて飲ませて貰わなかった。

今は米とサツマイモや砂糖を用いて作るもので、古くは噛み酒であったという。

甘酒のように米麹は使わないで発酵させるので乳酸飲料に近いが、最近は健康食品としてペットボトルや紙パックなどで売られている。

奄美大島伝統発酵食品『ミキ』によれば、生のサツマイモ自体に消化酵素β−アミラーゼがあるのでデンプンは糖に変えてくれるので、米麹は必要ないのだ。


唾液のアミラーゼを用いて作っていたのを、生サツマイモおろしで代用させたということだろう。
ただ、奄美には黒糖があったので、アルコールを造るのには米麹は必要なかった。
酒税の低い焼酎にするために米麹を使って、それが風味をよくしているという。
また、味噌などにも「なり麹」が用いられて、米麹は必要なかった。
元々は奄美も本土も米を用いた発酵飲料を祭りなどに用いていたのだろう。
本土では神事では甘酒、どぶろく、清酒が使われるようになった。
奄美ではミキが神事や行事に使われ、宴席で飲む焼酎とは区別してきたということだろう。
奄美のミキの面白いところは、本土のようにアルコール発酵させたどぶろくにはせずに甘酒とも違う乳酸飲料として健康食品にしたことだ。
そこが同じ焼酎文化を持つ九州とも違うところだと思う。

私もためしに作ってみたが、ダイシモチ麦のお粥に生のサツマイモのすりおろしの代わりにサツマイモジュースをソイリッチで作って加えてみた。
温度は人肌くらいにして、シャトルシェフで保温しておいた。
まだ、1日ほどしか経っていないが、確かに微かな甘みと酸味が感じられる。
砂糖を加えると確かに飲みやすくなる。
米麹を使った甘酒ほどには糖質がなくて、牛乳ヨーグルトと比べても栄養価としても引けをとらないという。
甘酒というより穀物ヨーグルト(乳酸発酵飲料)として、飲むのも良いかもしれない。



2025年10月10日金曜日

ドーパミンから見た社会④~日本とアメリカの比較

 もう、このドーパミンのテーマも4回目だ。

 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』   ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020(2018 THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity and Will Determine the Fate of the Iluman Race) 合同出版 (以降D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)]と記す。)

を相変わらずいまだに読み続けているが、やはりアメリカの記述は重要に思う。

アメリカはドーパミン活性の高い移民が形づくつている国という。

そして、移民の非常に少ないのが日本として対照的に上げられている。

移民の問題は単に、現在移民を受け入れているかどうかだけで、その国の人々構成を考えるのは間違いだと思う。

日本は現在は移民という形でのあまり受け入れはしていないが、かつて近隣諸国を植民地にしてそこからの住民の流入が多かった。

また、北海道には先住民のアイヌが住んでいたし、琉球王国はかつての独立国で言語の上でも遺伝的な上でも違いも見いだせる。

かつての琉球王国から流入は現在でも続いているし、在日朝鮮韓国の人々は独自の文化も維持している。

そして、日本は他にあまり例を見ないような、有史以前からの遺伝子が温存された多様な形質を保っている国でもある。

日本の政治家は単一民族と嘯く人もいるが、多様性という見方からすれば、アメリカほどではないにしろ、けっして少ない方ではない。

ある意味で東京や大阪などの大都市集中は、色んな地域や色んな階層の人が移動してくるわけで、その人たちの活力は移民のドーパミン活性と遜色ないと思う。


移民の多いアメリカにノーベル賞が多く、起業家も多いというのは、優秀な移民がアメリカを舞台として活躍しているからだという。

ノーベル賞は「人類に対して大きな貢献をした人物」に与えられるとされるが、そうなると生活のために努力しているレベルでは貰えないのは当然だ。

要するにアメリカのように経済発展をしていて、基礎研究につぎ込む時間と資金がある国でなければ困難だ。

起業家に関しても先端技術と絡んでいるので、研究への取り組みと大きく絡んでいるが、低賃金の国やまだ未開拓の国は起業はしやすいだろう。

アメリカは最先端の分野の起業は多いようだが、鉄鋼などの製造業では古いまま低迷している。

日本はそもそも最先端ではアメリカからの締め付けが強いので、従来の製造業での発展をするしかない。

ということは、ドーパミンの高さが大きい影響を持って強力な力を持っているのは、移民だけのではないと考えるべきだろう。


ドーパミンと関わるものでアメリカを特徴付けているのは、私はこの書ではあまり取り上げられていないが、世界一の軍事力がその一つだろうと思う。

少ない中でが軍事力に関しての指摘は次のようにある。

ドーパミン活性の違いは、別の設問でも現れている。アメリカの回答者には、国家の目標達成手段としての軍事力の使用―まさに変化の強制的行使―を容認する人が多く、国連の許可を得る必要があると答えた人は少なかった。D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):280]

今のトランプ大統領がその代表とも言えるかもしれないが、軍事力を背景とした他国への圧力を行使してノーベル平和賞を求めている。

そもそもアメリカは核兵器を民間人にも用いて虐殺行為を行いながら、なんら反省もなく正当化し、より恐怖を与える兵器を開発して覇権を握っている国である。

日本はかつては軍国主義の国と言われたが、アメリカに敗れて以来その従属国となり、自衛以外の軍事力は封印されている。

日本は確かに軍事力の面で現在はドーパミンは活性化させていないと思われるが、企業戦士という言葉が示しているように、経済力への取り組みはかなりのものである。

日本では長時間労働が問題となっているのに、自民党総裁は「働いて 働いて 働いて」を公言して美徳のように言っている。

日本人は過労死や過労自殺をするくらい、ドーパミンを活性化させて働いてきた反省もみられない。

アメリカ人の軍事力は日本人の経済力と考えて良いと思う。


そして、もう一つ重要なのは意外に思うかもしれないが、宗教である。

「(アメリカは)人生において宗教を重視する傾向が強く、五〇%がきわめて重要だと回答した。欧州では、きわめて重要と答えた人は半分未満で、スペインでは二二%、ドイツでは二一%、イギリスでは一七%、フランスでは一三%だった。[ibid:280]」

なぜ、宗教とドーパミンが関連しているかというと

「そして宗教家なら、人知を超越した存在こそが人間の根幹だと言うかもしれない。それはつまり、実体のある現実を見下ろす存在だ。宗教家にとって、人間のもっとも重要な要素は、空間と時間を超えて存在する不滅の魂だ。魂はその姿を見ることも、音を聞くことも、においを嗅ぐことも、味わうことも、触れることもできない。ゆえに、想像のなかでしか出会えない。それはまさに、ドーパミンだ。[ibid:282]

これもトランプ大統領がキリスト教福音派と強い関係を持っていることからも分かるだろう。

よく言われている話だが、日本ではダーウィンの進化論を否定する人はいないだろうが、アメリカではヒトを神が創造したものとして否定する人も少なからずいるという。


宗教に関しては政教分離は建前上は守られているが、現在高市早苗総裁誕生で話題となっている靖国神社の問題がある。

靖国神社は英霊という不滅の魂を得ることで、国家のために戦死できるようにする宗教である。

因みに私の母方の太平洋戦争で戦死した祖父もこの神社に祀られているが、東シナ海の海の底に眠っていると思うで一度も参拝したことは無い。

また、自民党と統一教会、公明党と創価学会の関係からも、政治と宗教は大きく関係していることが分かる。

確かに一般の日本人は教理による宗教への信仰はあまり見られないと思うが、古来からのアニミズム、シャーマニズムなどの系統をひく信仰が形を変えて続いている。

その一つがかつて問題となった霊感商法だろうし、パワースポットブームもそうだろう。

神社神道も慣習行事という形で根付いているし、仏教も葬式には依然欠かせない。

そして、日本のアニメは宗教に代わる想像の世界でドーパミンと関わりがあるように思う。

アメリカはキリスト教の絶対的な崇拝が基本であり、日本は多神教的な多様性に満ちた信仰が維持されている違いがある。


将来におけるドーパミン活性化社会である両国の大きな違いは人口問題だ。

「娯楽の形があまりにも多く、教育に割く年月があまりにも長く、仕事に費やす時間があまりにも長いとなると、何かをあきらめなければならない。その何かとは、家庭だ。米国勢調査局によれば、一九七六年から二〇一二年のあいだに、子どもを持たない米国人女性の数はおよそ二倍に増加した。『ニューヨーク・タイムズ』の報道によれば、二〇一五年には第一回「ノットマム・サミット」が開催され、みずからの選択や境遇を理由に子どもを持たない女性たちが世界中から集まったという。[ibid:293

アメリカも日本も女性が子どもを産む数は減少しているが、アメリカが日本のように人口減少にならないのは移民のお陰なのだという。
日本は今後人口減少で活力を失っていくだろうが、アメリカはその問題は回避できている。
ただし、現在トランプ大統領が不法移民排除に苦慮しているように、都合の良い移民ばかりが来てくれるわけではない。
多くの移民によって政治的分断が起こり、治安の問題も深刻化している。
日本が労働者不足でも移民を受け入れるのを拒んでいるのも、アメリカの現状を見ているからだろう。
そういうことから考えるとドーパミンの活性化に頼る両国の未来は決して明るいものではないように思う。


2025年10月8日水曜日

シバ栗食べたい

 今は栗のなる季節だ。

地元兵庫県では丹波篠山の丹波栗があまりにも有名で、この季節には観光客で賑わう。

もう少しすると、丹波の黒豆の枝豆も一斉に売り出されるので、城近くにある駐車場に入るのも時間がかかるほど混雑する。

そこで売られている丹波栗は、圧力を掛けて爆発させる焼き方で、剥くのも手間がかからない。

大きくて甘くて美味しいその焼き栗を買って食べるのが何よりも楽しみになっている。

ただ、値段はけっこうするので、一年に一度の贅沢というところだ。


その丹波栗には遠く及ばないが、私が好きなのは近所の山や山ぎわにになる自生のシバ栗(山栗)が大好きだ。

非常に小粒で食べ応えは無いのだが、甘くて味が濃厚で店で売られている一般の大きな栗よりも美味しいと思う。

小さ過ぎるので剥いて栗ご飯にするのは難しいので、自分で茹でたり蒸したりして囓って食べる。

前歯で縦に噛み割って、下の前歯でそぎ落とせばきれいに食べられるが、どうしても食べかすが落ちるので家内には嫌がられる。

こんな面倒な食べ方をするのは私だけで、お膳の上に置いてあっても息子や家内は食べてくれない。


シバ栗のとの付き合いは30年ほど前のある職業高校の勤務に始まる。

その高校の裏には山があって、放課後の休憩時間に同僚と散歩したりしていた。

そこにはたくさんのシバ栗の木があり、秋になると栗がいっぱい落ちている。

鹿なども食べるらしく、食べた後の鬼皮もそこかしこに落ちているのが見られる。

だから、鹿との競争でシバ栗を拾っていたわけだ。

ビニール袋いっぱいに拾ったりしていたが、地元のおばさん達も拾いに来ていた。


上郡に引っ越しして見渡せば、自宅の周りの山にもいっぱいシバ栗の木がある。

いつも犬と散歩する道にもよくなる木があって、そこをこの季節は毎日通って拾っていた。

たくさん拾えた木は、柵を立てるのに邪魔になったのか、地元の人が切り倒してしまったので、色んな所で拾うようになった。

このところ農作業が忙しかったのでシバ栗をわざわざ拾う道を通ることは無かったのだが、日曜(10/5)は雨で農作業もできないので犬と拾いに行った。

ところがいつも拾う場所には全然落ちていない。

時機を逸してしまったのかと思って、もう少し上の場所に行くと少しではあるが落ちていた。

テレビニュースでも言われているように、今年は不作なのかもしれない。

ただ、翌日の月曜日は晴れたがもう一度見に行くと、栗のイガは青くて熟していないことが分かった。

9月も真夏並みに暑かったのが原因しているのかもしれない。


散歩の途中では、電気柵をくぐり抜けて、うり坊が稔った田んぼを走り回っているのを見かけている。

シバ栗が少なかったり実りが遅いとなると、対策をきちっとできていない田畑は猪や鹿などの被害が多くなるだろう。

そのうち熊もやってくるかもしれない。

村の周辺のシバ栗はちゃんと拾って置かないと、彼らに遭遇する可能性がある。

ここしばらくは散歩コースはシバ栗拾いコースとなり、毎日片方のポケット一杯のシバ栗を拾っている。

2025年10月6日月曜日

私を活かしてくれたロック

 2013年NHKの「病の起源」第3集は「うつ病」であった

人類は進化の過程で「うつ病」原因を得たのだが、「平等」であることで未然に防いだという。
しかし、文明社会は格差をますます広げている。
学校こそ偏差値によって格差を助長する場所であることは疑いないだろう。
そんな中で、うつ病にならずに済んでいるのは、格差を顕在化させる競争の中にも、平等を作り出す仕組みがあったからのように思う。
受験勉強と関係のない授業科目もそうだし、クラブや学校行事がそうだろう。
私は進学結果が絶対の学校の私立中学・高校にいたので、その悲劇も知っている。
ただ、当時は現役の上級生が自殺する意味が、あまりよく分かってはいなかった。
文学青年よろしく「死への憧れ」と解釈していたようにも思う。
しかし、大学に入ってから、不本意な大学(同志社大学)に入ったことを恥じて自殺した先輩を知って、自分で自分を追い詰めてしまう学校であったことも自覚した。
ただ、私はその大学より偏差値の低い南山大学に入ったが、高校時代にロックバンドをやっていたことで、妙に開き直れていた。

中学生の頃の私は、小学校の時に経験があった剣道部に入ったが続かなかったし、授業も面白くないし、満たされない気持ちで勉強への意欲を失わせていった。
そんな中で夢中になれたのはロックであった。
と言っても、最初は気の合った友達とフォークギターを使って教室や公園で一緒に歌うのを楽しみにする程度だった。
高校の文化祭でステージに立ちたいと、エレキギターも買ってもらってバンドを組んで練習した。
そのオーディションにも落ちて、野外ステージで演奏させてもらったが、観客は数人だった。
でも、バンド活動を通して先輩とも仲良くなり、一緒にバンドを組んで高校2年では体育館ステージにも出演して盛況だった。
高校3年生でも同級生や下級生ともバンドを組んで、野外ステージに立って多くの仲間に見て貰ったし、それをきっかけに隣の女子校にいた留学生とも仲良くなれた。
どんどんと成績が落ち込んでいく中で、唯一の救いがロックであり、バンド仲間だった。
文化祭でのステージは唯一の見せ場でもあり、誇りでもあった。
50歳も半ば過ぎた同窓会で、東大に行って弁護士になった同級生が、もう一度聴きたいと言ってくれた時は、本当に嬉しくてカラオケで喜んで歌った。

大学受験を失敗したときには、もっと勉強もまじめにやれば良かったと後悔もした。
父親にもバンド活動でまともに勉強しなかったからと、私ばかりかエレキギターを買ってくれた母親まで責められた。
しかし、考えてみれば強く関心のある学問は無かったし、男子校で彼女もいなかった自分としては、精神的に何とか高校生活をロックで持ちこたえていたようにも思える。
ミュージシャンになることを夢見ていたので、不本意な大学でも開き直れた。
ただ、大学では軽音部に入りながらも肌が合わずミュージシャンへの夢も失い、学問に関心が持てるようになって大学院に進むことになった。
研究者になるには博士に進学せねばならなかったので「良い修士論文」を書かねばならないという現実の重圧に、自分を見失って失敗してしまった。
その時にはロックもそれに代わるものもなかった。

研究者への夢も失い、高校教師になってからの自分を救ってくれたのはやはりロックだった。
同じ職員とバンドを組んだり生徒と一緒に演奏するなど、ロックを中心とした音楽活動を通した楽しみを見いだした。
研究者への未練が断ちきれず、教師を辞めたいと思い続けながらも、30年ほど教師を続けられたのはロックのお陰かもしれない。
結局、研究者への道も断念してしまったので、中途半端な生き方となってしまった。
でも、その中途半端な人間を活かしてくれたのがロックだったように思う。
また、母親は歌手になりたかったがなれなかったので、子どものバンド活動に理解をしてくれていたのだが、父親も老いてからはカラオケや民謡に凝りだした。
親兄弟、そしてその家族が集まってカラオケを中心とした歌でみんなが楽しめるようになった原点は兄弟が皆バンド活動をしていたお陰である。

私はロックに対してはそれだけの思い入れがある。
自民党の総裁になった高市早苗さんも大学時代はロックバンドのドラマーをつとめたという。
ハードロックやメタルロックが今でも好きだそうだが、同じ世代として共感をおぼえる。
その人がロックに馴染まないことを政策に掲げているのを聞くと非常に悲しい。
本人の基盤の弱さから、党内の権力闘争にその野心を利用されざるえない状況も、安物のドラマを見ているようで空しい。
アメリカでは独裁的なトランプ大統領に先頭になって批判を行っているロックのミュージシャンもいる。
きっと、高市さんも総理大臣になる前に、ロック魂を復活させて豹変して石破さんのように反省の弁を語って、真の日本のリーダーになって欲しい。

山羊のいる暮らし

 私が生まれ育った赤穂では、昔は町の中でも山羊や羊を飼っていた。

生まれたのは鷆和という田舎だったが、育ったのは尾崎という町だった。

町と言っても、元々は塩田に関連する地主や浜子が住み始めたところだったのだが、引っ越しして来た頃には医院、商店や散髪屋などがあって不自由は無かった。

その住んでいた尾崎の家の向の家には山羊が飼われていて、たまに乳を貰って飲んでいた。

牛も友達の家の隣で飼われていて、草を摘んで食べさせるのが面白かった。

今の時代に町で家畜を飼うと、臭いや蠅などの虫が出るので苦情が出て、とうてい飼うことなどできないだろう。


私が村落調査で訪れていた奄美の与路島では、豚、牛、山羊が普通に良く飼われていた。

豚や牛はちゃんとした小屋で飼われていたが、当時はけっこう集落の中にもいた。

その中でも山羊は家の柵の中で飼われたり、家から連れ出せれて海岸などの木のそばに紐で繋がれているのをよく見かけた。

山には放たれた山羊も棲んでいて、持ち主は耳に刻みを入れて分かるようにしていた。

山羊を飼う目的は肉を食べることなので、子ヤギの飲む乳を人が飲むことは無かった。

子ヤギは道ばたで遊んでいるのをよく見かけたが、ペットのように可愛がることはされていなかった。

ただ、指を口に持っていくと、チューチュー吸うと言って地元の人は面白がっていた。


乳をとるのが目的なら可愛がっても良いだろう。

山村を舞台にした映画の「Wood Job」でも、山羊に紐を付けて散歩する人が描かれている。

しかし、奄美・沖縄では肉が目的なので、そのように可愛がると自分で殺できなくなってしまう。

私は奄美に行き始めて、山羊の肉を初めて食べたのだが、その強烈な臭いと独特な味のトリコになってしまった。

東京でも山羊汁は郷土料理店で食べられるが、値段が高い上に肉も大して入っていなかった。

調査中には肉を買って自分で山羊汁にして食べたりしたが、八月祭りの相撲を取る前に区長さんの家で大鍋で炊かれた山羊汁の味が忘れられない。

与路では塩味なのだが、区長さんが青年のために1頭を潰して、庭先で振る舞ってくれたのだ。

私も頂いた以上は本番の相撲でもまわしを締めて頑張ったが、あっけなく負けてしまった。

また、仲良くなった地元の友達の家で、殺したばかりの山羊の一頭全部を一輪車に積んで持って帰ってきていたのには驚いた。

その晩は私もご馳走にあずかった。


そんな思い出深い山羊なのだが、上郡にに引っ越ししてきて再び巡り会うことができた。

近所の山ぎわの休耕田で山羊の夫婦が飼われていた。

おそらく、休耕田の草を食べてもらって、草刈りの手間を省くのも兼ねていたのかもしれない。

そこの山羊夫婦には子どももできたが、やがてどこかに引き取られ、雌山羊も亡くなって雄山羊だけになってしまった。

ひとり残された雄山羊はときどき悲しそうな鳴き声で鳴いたりしていた。

その雄山羊に必ず散歩の時に草をあげるおじいさんもいて、私からも貰えるのかと思って近づいてきたが、連れている犬が過剰反応するので近づけなかった。

やがて、その雄山羊も亡くなっていなくなってしまい、草だらけの休耕田だけが残った。


また、大規模に農業を行っている人の中には、山羊を使って農地の草を食べさせる人もいたが、山羊の世話が却って手間なのか、数年で止めてしまった。

可愛い子ヤギも誕生して、与路島の子ヤギを思い出したりもした。

確かに、草刈りは草刈り機や除草剤を使った方が手間はかからない。

奄美沖縄のように肉を食べる習慣も本土にはない。

昔のように山羊の乳を飲んだり、ヨーロッパのようにチーズに加工したりすれば、山羊を飼う価値も出てくるかもしれない。

山羊は草だけで無く、木の葉も食べてくれて飼いやすい家畜なので、今後活用を考えても良いのではないかと思う。

情緒豊かな農村のバイオエネルギーとして考えることもできるようにも思える。


2025年10月4日土曜日

刈らないで、彼岸花

 彼岸花はこんな暑さが続いて、まだ夏が続いていると思っていたのに、ちゃんとお彼岸の頃に咲いてくれた。

でも日照時間に反応して咲くのでは無く、平均気温が25℃を下回る頃に咲くのだそうだ。

ということは、日中は暑くても朝晩涼しくなったことに、われわれの方が鈍感だったのかもしれない。

私は赤穂の実家に住んでいた頃は、周りで彼岸花は咲いていなくて、姫路への電車通学の車窓からきれいなこの花を眺めていた。

今は上郡の農村地帯に住んでいるので、周りは彼岸花で溢れている。

庭先、田んぼの畦、道ばた、川の土手などあらゆる所で一斉に彼岸花が咲いて、景色を一変させてくれた。

ただ、その咲いている期間は1週間ほどで、枯れると幽霊のようになってしまう。


地域によってはわざわざ彼岸花の球根を田んぼや畑の周りに植えるところもあるようだ。

私の知っている人の地元富山では、村作業として道端に球根を植えていると聞いた。

その目的はモグラやネズミの侵入を防ぐためだという。

畦や道ばたに穴を開けられてしまうと、水持ちが悪いだけでなく崩れてしまう。

彼岸花は救荒植物として、饑饉の時に毒抜きをして食べる役割も果たしていたという。

住んでいる人の役に立ちながら、季節の移ろいを実感させ、心に潤いを与えてくれるのが彼岸花である。


ところが、ちょうどこの時期は本格的な稲刈り、村祭り時期に当たってしまう。

そうすると個人的や村作業として田畑の畦や道ばたの草をきちっと刈ることが多い。

先日(9/28)も村作業で道作りがあったので、背負い式の4サイクルの草刈り機をもって参加した。

人によっては咲いている彼岸花を雑草と一緒に刈ってしまうので、咲いている場所にわざと行って花を避けて草を刈った。

雑草も少し残ることになって、作業としては不完全とも言えるが、刈られてしまった彼岸花を観るのは忍びない。

私の作っている畑のそばに咲いている彼岸花が近所の人に刈られているのを見て、その人の心の貧しさを感じざるをえなかった。


私の大好きな桑田佳祐の歌に「東京」という曲がある。


 去かないで向日葵(ひまわり)
 この都会の隅に生きて
 世の痛みに耐えて咲いてくれ


これは女性をひまわりに喩えたものだが、これをもじると


 刈らないで彼岸花

 この田舎の隅に生きて

 過疎の痛みに耐えて咲いている


ということになる。

稲刈りでもコンバインと軽トラが走るだけになっている田園風景だ。

せめて、散歩する人や車で通りかかる人に、美しい田園風景を見せて欲しいと思う。

彼岸花は有史以前の外来植物で、日本人が田畑と伴に守り続けた物だということも知っておきたいと思う。

咲いている場所をコンクリートでかためてしまったり、何年も保つ草抑えシートで覆ってしまったら、過疎の村はもっと殺風景になってしまう。


2025年10月2日木曜日

足腰に水泳も効果的

 日曜朝の「健康カプセル!元気の時間」は必ず録画して、深夜ゆっくりと観ている。

今回(9/28)は、「〜長寿の秘訣は下半身にアリ!〜足腰健者のマル秘ルーティン」だった。

驚いたのは70歳を超えたご老人が巧みな足さばきでサッカーをしている。

私は高校で教師をしている40歳後半ときに、校内球技大会のサッカーで教師チームの一員として生徒と試合を行ったことがある。

その時既に、息を切らすだけでなく、足の踏ん張りが利かずに倒れたりしていた。

一番の原因は、練習をしていなかったことだが、若いときのような足腰の強さが失われていたのだ。

実はサッカーは高校時代は得意中の得意で、サッカー部の顧問から勧誘されたこともあった。

だから、身の程も知らずムキになってやったのが悪かったのだと思う。


私は水泳を自分でやる前は、ランニングを中心に練習していた。

市民マラソンなどに参加するのに、ムキになって練習したり、特別支援学校では生徒と一緒に走るのが仕事でもあった。

走る中での故障は色々あったが、一番酷いのは左膝の靱帯を損傷してギブスをはめねばならなかった。

これは子どもの運動会で地区対抗リレーに出て、スピードを出しすぎてコーナーを曲がりきれずに転倒して負った怪我だった。

その後以来膝は後遺症となって、走るときにはサポーターをはめるのが普通だった。

そのほか、剣道で痛めたアキレスの腫れを悪化させたり、足底腱膜炎になったり、腰痛になったりと色んな故障が絶えなかった。

そして、決定的に走るのを諦めたのは、50歳半ばで経験した鼠径ヘルニアだった。


この鼠径ヘルニアはサッカー選手もよくなるらしくて、年がいもなく無理な走りをしたのが原因だった。

そして、生まれて初めて全身麻酔をして手術をしたのだが、その影響でデベソになってしまった。

だから、今でも水泳をするときには、自分のへそが気になったりするが、最近はレースに出ていないので人に見られることはあまりない。

走らない代わりに、毎朝犬の散歩でしっかりと歩いてきたのだが、当然ランニングしていた頃に比べれば、足腰は弱っていた。

一番それを感じたのは、水泳の練習でフィン(足ひれ)を付けて練習したときだった。

水泳部の顧問をしているときは、フィンを付けて生徒と一緒に泳いだり、サボっている生徒の後ろから追いかけたりしていた。

それがフィンが重く感じて、ちゃんと蹴れなくなってしまっていた。


だから、最近は水泳の練習のほとんどでフィンを付けている。

そのおかげで太ももの周りの長さは55cmと、同年代の平均48cmを大きく上回っている。

腹の周りには確かに脂肪は付いているが、太ももの周りには脂肪は無い。

何よりも散歩で歩く速度が速くなったし、坂道も楽に上れるようになった。

水泳でもキック力が付いたので、フィンを外して泳いでもバタフライや背泳ぎが楽になっている。

バタフライの50mも辛くなく泳げるようになったので、200m個人メドレーの練習もできるようになった。


多くのプールではフィンを使うことが禁止されているようだが、私が通っている上郡のプールは歩行コース以外で普通に使える。

また、相生のプールのように、歩行禁止のコースでの使用を認めてくれているので、そういう対応をして欲しい。

そうすれば、サッカーやランニングと同じように足腰のトレーニングを楽しく行うことができて利用者も増えると思う。

また、プールに来ている人の中では腰痛で苦しんでいる人もある。

腰痛の人には水中歩行や軽い泳ぎのほうが負担が少ないと思う。

ジムや家で筋トレをするのも良いが、水泳は色んな泳ぎができるようになるのが楽しい。

そして、自分の身体の変化を鏡で確かめられるのも水泳だ。

プールも高齢者が利用できる時間だけの特別なコース規則を設けるなどの配慮をお願いしたい。