今日9月21日敬老の日に自虐的に老人に捧げる替え歌です
元歌はご存知、ジローズの「戦争を知らない子どもたち」作詞は北山修です
闇市が終わって わしらは生まれた
闇市を知らずに わしらは育った
歳を取って 気づき始める
昔の演歌を 口ずさみながら
わしらの名前は 忘れてほしい
孫を知らない 年寄りたちじゃ
老けすぎてるからと 相手にされないなら
髪の毛が薄いと 嗤われるなら
今のわしらに残っているのは
出費を抑えて 遊ぶことだけじゃ
わしらの名前は 忘れてほしい
孫を知らない 年寄りたちじゃ
飲むことが好きで カラオケが好きで
いつでも スマホを持っている人なら
誰でも一緒に ひまをつぶそうや
店の混まない 平日の昼間を
わしらの名前は 忘れてほしい
孫を知らない 年寄りたちじゃ
孫を知らない 年寄りたちじゃ
解説
一番
作者が生まれたのは戦後の復興が始まって経済成長が始まろうとしている頃で、闇市もなくなり「もはや戦後では無い」と言われた年の3年後だった。
一人称では「わし」を使っているが、生まれ育った地方では当時は「わい」が普通に使われていたのに、実際の作者は「ぼく」から「おれ」へとテレビ言葉に影響されていた。
作者の言う演歌とは大泉逸郎の「孫」のことで、年寄りにとって孫はまさしく「宝もの」であり、当たり前と思っていた幸せが得られないことを象徴している。
孫がいないことは結局、自分の名前や存在は早々と忘れ去れることであり、どうせならさっさと忘れて欲しいと開き直っている。
二番
老けていることで、若い者から相手にされなくなり、髪の毛が白くなったり薄くなったりして、自信が持てなくなった自分を表現している。
本当はいつまでも格好良く、異性から注目を浴びたいし、同性からも一目置かれたいのである。
それが無理なので、せめて少ない年金でなるべく費用を抑えて、楽しむことが唯一年寄りの特権だと見栄を張っている。
3番
歳をとってから互いに楽しめることは、酒を飲んでカラオケをすることだった。
コロナの流行以降、その楽しみさえ失って、こうして歌にして呼びかけるしかない。
平日は、モールや飲食店は混んでいなくて、平日メニューで安かったりするので、年寄り同士で楽しめたら良いと思う。
それなのに、作者は平日は農作業と散歩を毎日欠かさず、週3回は水泳の練習をし、時間があれば夕方にひとりカラオケをしたりしている。
なので、実際は週末や祝祭日に妻と二人でドライブがてら昼食をしに行くだけだ。
このスマホというのは支払いもPayPayで割り勘にできるし、普段からラインで連絡を取り合えることを意味している。
大学時代のライン仲間は合って飲もうと言いあいながら、一度もあったことはない。
そういう同級生は孫の誕生を自慢するけれど、孫のいない人間もここにいるのだぞと言っているわけである。
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