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2012年12月17日月曜日

いつかのメリークリスマス

久しぶりにギターを持って生徒の前で歌った。教師も沢山いた。
学年のクリスマス会の余興での話である。
たかが、学年行事と言っても、総勢100名、ちょっとした小ホールである。
カラオケで歌うのとは違って、どんな舞台に立つ時も緊張し、逃げ出したくなった。
それでいて、性懲りもなく人前で演奏し歌う。
今回は3年生の最後のクリスマス会なので、自ら志願した。
曲はB’zの「いつかのメリークリスマス」である。職場の忘年会のカラオケステージで歌って以来である。
練習をして、ギターは何とか弾けたが、さびの部分の声が納得いかなかった。
それでも、たいていは本番では何とか声が出ることが分かっていたので、本番に望み何とかこなせた。
既にB'zは過去の栄光を失っていたので、今ひとつの反応だったが、自分としてはまずまずだった。

私がB’zを歌い始めたのは、以前勤めていた高校で生徒とバンドを組んで以来である。
ギター好きのその生徒はギターに入れ込んでいたが、人と合わせるのが苦手で、折角の文化祭でもバンドが組めないでいた。
それなら、一緒にやってみようと言うことで、まさしくB’zと同じように二人で始めた。
結局、あぶれたベースと3人で高校の文化祭のステージに立った。
当時は生徒もよくB’zを知っていたので、えらい盛り上がりようだった。
曲によってはかなり厳しいものもあったが、歌いこんで何とかこなせた。

それをきっかけにB’zに興味を持って、NHKの特集を録画して生徒に見せたりもした。
あの声を維持するための稲葉浩志のストイックな生活は、プロたる者はどんなものかを示すのに相応しいと思ったからである。
ボーカルを経験した人なら誰でも分かるが、練習を続けないと声は直ぐ出なくなる。
今回も、声が出る状態まで歌いこみたかったが、そこまでは行けなかったので納得はしていない。
ただ、こういうきっかけがないと、最近では歌を練習する気にはなれなかった。
声帯を一皮剥いた感じで声が出るように本当は歌い込みたかった。
声が出ない分、雰囲気でカバーしようと思ったが、緊張して余裕がなかった。
唯一の救いは、これまでいくらギターを弾いてみろ言っても、手にしなかった女子生徒がその後直ぐにギターを鳴らし出したことだ。

実はこの稲葉浩志は横浜国立大学の教育学部数学科を出ている。
教師を志した時もあったようで、その数学科の同級生が兵庫県の教職員にもいた。
その教師はそのことを自慢げに話してくれたが、当時はそれ程関心がなかったので、聞き流していた。
残念ならがらその教師は私学に換わってしまったので、会う機会もなくなってしまった。
もっと聞いておけば良かったと残念に思っている。
教師を志しながら、ミュージシャンで大成功を収めている稲葉浩志。
ミュージシャンを志して大学へ行きながら、教師になった自分。
比較すると家内に鼻で笑われるほどの雲泥の差である。
しかし、いなかのプレスリーならぬ、稲葉浩志と同僚に おべっか言われて悪い気はしない。

私が今日用いたギターは中学校3年生の時に、友人と一緒に店に行って、彼に勧められて買ったヤマキのギターである。
因みに彼はベーシストで、高校卒業までバンドを組み続けた。
彼は早稲田大の軽音に入ったが、研究者になった。
このヤマキのギターは、糸巻きを途中で変えた以外は、大事に使ってきた。
たまたま、今日同じ学年の先生に見せたら、実は彼もヤマキのギターを大切持っているという。
しかも、彼のは当時でも10万円以上もする物で、今ではプレミアがついて何十万円もするという。
私のは23、000円だったので、よくて10万円になればというくらいかも知れない。
今でも中学校から40年近くも大切に使っているのはこのギターくらいだろう。
 そして、「いつかのメリークリスマス」の歌詞のようにはかない恋愛を、傍で見続けてくれたギターでもある・・・






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