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2013年1月20日日曜日

赤穂への思い

長い闘病生活の後に、名古屋に住む叔父が亡くなった。74歳だった。
叔父は赤穂高校を卒業して、愛知県で会社勤めをして、名古屋に家を構えた。
叔父は生前から赤穂へ戻りたいとずっと言い続けていた。
離れて50年以上も経つのにそこまで赤穂に思いがあったのは、自分の身内や幼友達が居たからだろう。
叔父の葬式には、自宅の近所の人や知り合いらしき人は殆どいなかった。
叔父が近所付き合いや友達付き合いが苦手であったことがよく分かった。
その分、私らのような甥が名古屋の大学に進学することを喜んだ。
私も学生時代に名古屋に4年住んだが、住み続けたいとは思わなかった。

通夜で驚いたのは、僧侶が読経の後で長々と焼香のマナーを説教した。
故人のことは何一つ言わなかった。そもそも、叔父は浄土真宗の門徒なのだが、妻の叔母の方の曹洞宗の寺で葬式を行ったことにもよる。
つまり、真宗の僧侶が違う宗派のお寺に出張してくれたのであった。
もっと、驚いたのは八事霊園での火葬場の風景である。
友引明けで葬式が多いとは事前に知らされていたが、30基以上ある炉がフル稼働している。
不謹慎な言い方だが、どこかの観光地に来ているようで、マイクロバスや黒い行列が所狭しと並んでいる。
炉はあたかも工場のようである。そこには別れを惜しむ感傷など生じるはずもなかった。
赤穂の火葬場で弔った私の父親とは全く違う光景であった。

そんな一連の葬儀の中で心に残ったのは、喪主である従兄弟のお礼の挨拶だった。
叔父の大好きだった長男の兄に因んだ名前を息子につけ、その戦死した兄と同じ日が命日となった。
そして、何よりも叔父がずっと赤穂に帰りたいとその息子に言い続けていたという。
おそらく、一緒に家族で戻ってきたかったのであろう。
都会育ちの叔母や子供は、盆正月で帰省したときでさえ、赤穂の鳥撫の村には馴染まなかった。
叔父の兄弟姉妹は全て赤穂市内にいて、叔父一人が赤穂から離れていた。
私の弟も二人赤穂を離れているし、私自身隣の上郡に移り住んでいる。
弟は帰りたいとは言わないし、私も叔父が思うほど赤穂に戻りたいという気持にはなれない。
何故なら、もう赤穂は自分たちが育った赤穂とはまるで違うからである。
むしろ、上郡の方が昔の鳥撫の風景を彷彿とさせてくれる。
叔父にとっては、それでも大変身を遂げた名古屋よりはましだったのだろう。

私は「ふるさとは遠きにありて思うもの」と室生犀星が歌ったのとは違い、「みやこ」ではなく「いなか」に戻る。
しかし、昔の赤穂への思いは親や親戚とのふれあいと共に忘れてはいない。
葬式に集まった久しぶりのイトコらと話しをすると、盆正月に集まった頃の気持に戻ってしまう。
仕事や生活環境は違ってしまったが、幼い頃の想い出をいつまでも覚えていた。
叔父の赤穂への思いは、名古屋のお寺で少しの間だけ、みんなの手で叶えられたのかも知れない。
命の繋がりは、記憶の繋がりでもあり、心の繋がりでもあると教えられた。


2013年1月13日日曜日

色あせた正月

子供の頃正月は一番楽しい行事で、歌ではないが指折り数えて待っていた。
大晦日から本家に集まって、従姉妹達と家の中を走り回ったり、トランプなどをして楽しんだ。
本家は元々船での運輸業が家業だったので、花札を普通に父やおじさん達がしていた。
子供らもそれを真似て楽しんだ。
年を経るに従い、本家での正月には行かなくなった。
その頃は、大人と子供が完全に食事を別にされて、中学生くらいになると、小さな従姉妹並みの扱いが嫌になっていた。

自宅で正月を過ごすようになると、近くの尾崎の八幡神社に夜中の12時に詣りに行った。
因みこの八幡さんの15日朝のトンドは子供の頃の大きな楽しみで暗い内から出かけた。
初日の出を拝むことが流行りだして、大学生の頃には兄弟や友達と御崎や室津の海岸に車で出かけた。
その初日の出を拝む習慣は結婚してからも暫く続き、赤穂の大津に住んでいた時には高山に登って拝み、上郡に来てからは小野豆の上から拝んだ。
正月は新たな年を迎える新鮮な儀式としての気持は最近まで持っていた。

いつしか正月に集まるのも本家ではなくて、自分の親元に換わった。
兄弟が結婚して子供ができるに従い、尾崎の親元に正月は必ず集まるようになった。
そこでは飲み食いの他に、カラオケに行ったり、ドライブで初詣に行くことが多かった。
今年は弟夫婦が正月から仕事をしたり、別の弟の娘の大学受験と言うことで、集まった人数は少なかった。
カラオケも好きな者が通信ネットで楽しむ程度で、てんでにテレビを見たりして過ごした。
下宿している娘は、課題が残っているというので、2日に帰ると言うことで、東広島の西条までドライブがてら送ってやった。
そこで正月ながら開いているお好み焼き店で、広島焼きなるものを久しぶりに食べた。
渋滞に巻き込まれながら戻ってきて、普段と変わらない食事を2日の夜にはした。

このところ元旦は犬の散歩がてら、近くの荒神さんに初詣に行くことが日課になっている。
そこには御神酒として一升瓶とするめが置いてあり、参拝した人は勝手に頂いて良い。
例年は長く散歩した後、最後によって参拝して頂くのだが、今年はあまり歩かないうちに頂いた。
当然空きっ腹なので、いくらコップに一杯とはいえ、ほろ酔いになりあまり歩く気がしなくなってしまった。
神聖な気分になるどころか、ほろ酔い気分になってしまった。
初日の出は2階の寝室の窓から拝み、初詣でほろ酔い気分では、締まりがない。
というのも、やはりこのところ年末は家の片付けで疲れてしまって、楽しく祝う気持ちが湧いてこない。
年賀状を書くのさえ億劫で、結局三日に書いて出した。
年賀状がなかりせば・・・と思いつつ、久しぶりに届いた知人の年賀状は嬉しいものである。
ネットでのメールが主流になりつつあると言いながら、年賀状には暖かみがある。
今年こそはちゃんと年末に書こうと、今は思っている。

旧暦なら今日(2013/01/13)はまだ、十二月の二日である。
今年の旧暦の正月は2月10日となっている。
私が今住んでいる地区では、自分たちでとんどを作るのだが、今年は今日作って燃やすという。
成人の日が1月15日ではなくなっても、14日の夕方と決めていて守られていた。
今年は天候を考えて、13日にするそうである。
以前は翌日が休みなので、トンドの火を囲んで地区の人と牡蠣を焼いたりして明け方まで飲んだ。
トンドでよく世話をしてくれた隣人も去年亡くなってしまった。
寂しさを感じさせる正月が終わる・・・