2月9日(日)、以前から家内も行きたがっていたし、自分も興味のあったゴッホ展に出かけた。
コロナウィルスが流行っているから、そんなに混雑していないのではないかと甘い考えでいた。
朝の10時過ぎにでかけて、着いたのは12時頃だった。
ところが、兵庫県立美術館は当然駐車場は満杯だし、近くの駐車場も満車だった。
そこで、海岸端の公園の横の道路に、多くの車が駐車してあったので、ひとまず駐めて会場をのぞいた。
ちょうど、観光バスで団体客も押しかけていて、相当入るのに時間がかかるのではないかと,車に戻り駐車場を探した。
少し離れた所に青空の駐車場が有り、まずはそこに駐めて昼食をとることにした。
近くのショッピングモールに入り、美味しそうな店を探した結果、海鮮丼を食べさせてくるところにした。
名前を書いて、しばらくあたりで時間を潰して、15分くらいで入れた。
子ども連れのお客さんが多くて、食べるのに時間がかかって回転が悪かった。
ここはうどんなども食べさせてくれて、幼い子どもを連れてくれるにはちょうど良いのだろう。
私は味噌汁付きの海鮮丼、家内は柚子胡椒うどん付きの海鮮丼を頼んだ。
柚子胡椒うどんは、二人で分け合って食べたが、とても美味しかった。
海鮮丼は華やかでつい注文してしまうが、そんなに満足させてくれるものではなかった。
支払う時に分かったのだが、美術館に行った後で入場券を見せると割り引いてくれたらしい。
今回は、時間的に無理だった。
ゴッホ展はチケットを買う時から非常に並ばされ、入場するにも長くかかった。
ただ、外の港の景色が見えるので、耐えがたいものではなかった。
都会の人は並ぶのは当たり前のようだが、自分たちのように田舎者が並ぶのは本当に苦痛である。
入場した後も、絵を見るのに観客は列をなしていた。
私はかぶりつきで見るつもりは無いので、列から離れて少し離れてみた。
展示の目玉の「自画像」や「糸杉」は特別な扱いだった。
確かに本物は写真や映像で見るのとは違って、存在感がある。
ただ、以前から見慣れているせいか、迫ってくるものはあまりなかった。
その日は常設展が無料だったので、小磯良平の絵画も鑑賞した。
むしろ、そちらの絵に心を奪われた。
このところ、また絵を描いてみたいなと思っていたので、非常に興味が持てた。
美術館の特別な空間の中で、普段の生活とは異次元の世界にしばらくは浸ることができた。
ドライブで景色を眺めるのとは違う、人の息づかいを感じさせるものだった。
混雑して多くの時間を並ぶのに費やされたが、これも田舎者には特別な体験でもある。
かつて私は水泳の大会や学校の出張などの用事で来る事が多かった。
最近は、家内と博物館や美術館に出かけることも多くなった。
予備校時代に数ヶ月だけ住んで、その後通っていた神戸は、これからももっと訪れたい町である。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2020年2月14日金曜日
2020年2月7日金曜日
人生は創るもの
今の職場では、当番でホワイトボードにメッセージを書くのだが、それがいつも悩みの種になっている。
ありきたりだと、誰も見向きもしてくれないし、人の心を捉える言葉など考えつかない。
そこで、前回からネットで名言集から引用させてもらっている。
やはり、立派な先人の言葉にはその人の重みが感じられるからだ。
例えば、松下幸之助氏の
「こけたら 起きなはれ」には、説得力を感じさせられた。
普通に親が子どもにいう言葉なのだが、大会社の設立者となるの説得力は桁違いである。
今回はバーナードショーの
「人生は自分を見つけることではない。自分を創ることだ」
という言葉を引用させてもらった。
よく以前は「自分探し」とか言う言葉がはやった。
どこかに自分らしい仕事や生き方があるかのごとく、それを見つける旅や行動を起こす。
しかし、そんなものがあるわけではなく、見つかる筈もない。
それは教育現場で「自己実現」という言葉が流行ってきたのと同じである。
まさしく「自己」があたかも確立されているかのごとくの前提である。
何歳になっても自己など確立して完成するはずもないように、自分は考えている。
事実、この歳になって、学生時代にやり残した事を未だに引きずって生きている。
この歳になっても、新しい自分を創り出そうともがいてさえいるのだ。
今朝の新聞で孤独死のことが書かれてあった。
特に男性は仕事を失って社会との関わりを無くしてしまう。
仕事以外に自分を生かせていく場をつくる努力と機会が無かったからだろう。
そして仕事は何も雇用されて賃労働するだけではないはずだ。
この春に退職して、常勤に終止符をひとまずうつ自分としても、考えさせられる。
私はこれからの人生を創らねばならない。
ありきたりだと、誰も見向きもしてくれないし、人の心を捉える言葉など考えつかない。
そこで、前回からネットで名言集から引用させてもらっている。
やはり、立派な先人の言葉にはその人の重みが感じられるからだ。
例えば、松下幸之助氏の
「こけたら 起きなはれ」には、説得力を感じさせられた。
普通に親が子どもにいう言葉なのだが、大会社の設立者となるの説得力は桁違いである。
今回はバーナードショーの
「人生は自分を見つけることではない。自分を創ることだ」
という言葉を引用させてもらった。
よく以前は「自分探し」とか言う言葉がはやった。
どこかに自分らしい仕事や生き方があるかのごとく、それを見つける旅や行動を起こす。
しかし、そんなものがあるわけではなく、見つかる筈もない。
それは教育現場で「自己実現」という言葉が流行ってきたのと同じである。
まさしく「自己」があたかも確立されているかのごとくの前提である。
何歳になっても自己など確立して完成するはずもないように、自分は考えている。
事実、この歳になって、学生時代にやり残した事を未だに引きずって生きている。
この歳になっても、新しい自分を創り出そうともがいてさえいるのだ。
今朝の新聞で孤独死のことが書かれてあった。
特に男性は仕事を失って社会との関わりを無くしてしまう。
仕事以外に自分を生かせていく場をつくる努力と機会が無かったからだろう。
そして仕事は何も雇用されて賃労働するだけではないはずだ。
この春に退職して、常勤に終止符をひとまずうつ自分としても、考えさせられる。
私はこれからの人生を創らねばならない。
2020年2月1日土曜日
風邪の功名
久しぶりに風邪で仕事を休んだ。
前日、風邪ぎみのところ、夕方6時頃から一時間ほど、じっと駐車場係の立ち番をしていた。
ベンチコートを着て備えたつもりだったが、こういう時にはくアウターパンツをはいていなかった。
すでに、室内に戻った頃は熱が出て寒気がしていた。
帰宅する時、「明日は休むかも知れない」と言って職場を出た。
翌朝、回復せず熱を測ってみると37.5℃で、仕事を休んで医者に診てもらうことにした。
少し離れた医院に行くと、熱も38℃に上がっており、別室で待機させられた。
そこで、一時間以上横になって、診てもらうのを待った。
呼ばれてインフルエンザの検査をして、しばらく後結果を聞いた。
インフルエンザではなく、風邪であろうということだった。
薬をいっぱい出してもらい、隣の薬局で受け取って帰った。
午後からは、ベッドに横たわりながら、うとうととした。
不思議なもので、妙に気分が落ち着いて普段のように焦りが無い。
普段の休日や、休みを取った時は何かしなければと思うので、意外に落ち着かない。
寝ているしか無いと思うと、何年も忘れていた安らぎを感じた。
そして、まぶたに浮かんだのは、東京の西落合で過ごしたアパートの窓の景色だった。
西武新宿線の新井薬師駅の近くで、路地を入った安アパートだった。
2DKだけど、風呂は付いていなかった。
南の窓には手すりが着いてあって、そこに余ったご飯を干したりしていた。
すると、毎日のようにキジバトがやってきて、それをついばんだ。
近くには哲学堂があったので、そこに棲んでいたのかも知れない。
一度、餌をひっくり返して、慌てふためいて飛んで逃げた事があったので、ドテバトと名付けていた。
そのいつもドテバトがやってきていた、窓の風景が不思議にも思い出された。
私は学生時代、大学で2、大学院で3、の計5カ所のアパートを経験している。
それなりに窓際の風景があったのに、なぜこの時思い浮かんだのが西落合のアパートなのか分からない。
ただ、東京圏に3年暮らして、一番落ち着けていたのがこのアパートだったように思う。
家賃が安かった上、買い物するにも食事をするにも便利だったし、風呂屋も近くにあった。
何よりも、哲学堂がそばにあって、毎日のように散歩に出かけた。
鉄道のアクセスも良かったので、家庭教師のバイトにはとても便利だった。
大学時代の友達も遊びに来て、泊めてあげることができた。
一度などは、失恋した親友が夏休みにやってきて、二人で3日ほど飲み明かしたこともあった。
風邪で床について、長い間忘れていた安らぎと記憶を思い出せた。
おそらく毎日元気ではつらつと生活していたら、思い出すことはなかっただろう。
入院して病室で長く過ごすことも何度かあったが、病室は全て相部屋だったし、ゆっくりと落ち着けるものでもなかった。
それほど酷くも無い風邪の症状で、ゆっくりすることが心地よいという良い体験が出来た。
ただし、翌日からの仕事は、まだ症状の残る中、大変辛いものだった。
それでも、安らかに過ごす事の大切さを教えてくれたのは風邪だったように思う。
自分は知らず知らずにあくせく暮らす生活しか、出来ないようになっていたからだろう。
前日、風邪ぎみのところ、夕方6時頃から一時間ほど、じっと駐車場係の立ち番をしていた。
ベンチコートを着て備えたつもりだったが、こういう時にはくアウターパンツをはいていなかった。
すでに、室内に戻った頃は熱が出て寒気がしていた。
帰宅する時、「明日は休むかも知れない」と言って職場を出た。
翌朝、回復せず熱を測ってみると37.5℃で、仕事を休んで医者に診てもらうことにした。
少し離れた医院に行くと、熱も38℃に上がっており、別室で待機させられた。
そこで、一時間以上横になって、診てもらうのを待った。
呼ばれてインフルエンザの検査をして、しばらく後結果を聞いた。
インフルエンザではなく、風邪であろうということだった。
薬をいっぱい出してもらい、隣の薬局で受け取って帰った。
午後からは、ベッドに横たわりながら、うとうととした。
不思議なもので、妙に気分が落ち着いて普段のように焦りが無い。
普段の休日や、休みを取った時は何かしなければと思うので、意外に落ち着かない。
寝ているしか無いと思うと、何年も忘れていた安らぎを感じた。
そして、まぶたに浮かんだのは、東京の西落合で過ごしたアパートの窓の景色だった。
西武新宿線の新井薬師駅の近くで、路地を入った安アパートだった。
2DKだけど、風呂は付いていなかった。
南の窓には手すりが着いてあって、そこに余ったご飯を干したりしていた。
すると、毎日のようにキジバトがやってきて、それをついばんだ。
近くには哲学堂があったので、そこに棲んでいたのかも知れない。
一度、餌をひっくり返して、慌てふためいて飛んで逃げた事があったので、ドテバトと名付けていた。
そのいつもドテバトがやってきていた、窓の風景が不思議にも思い出された。
私は学生時代、大学で2、大学院で3、の計5カ所のアパートを経験している。
それなりに窓際の風景があったのに、なぜこの時思い浮かんだのが西落合のアパートなのか分からない。
ただ、東京圏に3年暮らして、一番落ち着けていたのがこのアパートだったように思う。
家賃が安かった上、買い物するにも食事をするにも便利だったし、風呂屋も近くにあった。
何よりも、哲学堂がそばにあって、毎日のように散歩に出かけた。
鉄道のアクセスも良かったので、家庭教師のバイトにはとても便利だった。
大学時代の友達も遊びに来て、泊めてあげることができた。
一度などは、失恋した親友が夏休みにやってきて、二人で3日ほど飲み明かしたこともあった。
風邪で床について、長い間忘れていた安らぎと記憶を思い出せた。
おそらく毎日元気ではつらつと生活していたら、思い出すことはなかっただろう。
入院して病室で長く過ごすことも何度かあったが、病室は全て相部屋だったし、ゆっくりと落ち着けるものでもなかった。
それほど酷くも無い風邪の症状で、ゆっくりすることが心地よいという良い体験が出来た。
ただし、翌日からの仕事は、まだ症状の残る中、大変辛いものだった。
それでも、安らかに過ごす事の大切さを教えてくれたのは風邪だったように思う。
自分は知らず知らずにあくせく暮らす生活しか、出来ないようになっていたからだろう。
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