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2013年10月24日木曜日

コウノトリのさっちゃんとドジョウ

朝日新聞の西播コーナーにコウノトリのさっちゃんが我が家の近くに再び訪れた記事が載った。
2008年には長く滞在してくれて、飛んでいる姿や、電信柱に留まっている姿など様々見せてもらった。
何よりも羽を広げて飛ぶ姿は、こんなに大きな鳥だったのかと感心した。
その時も、「はたして食べる餌はいっぱいあるのだろうか?」と気になった。
田んぼに降りているので、田んぼにいる小魚などを食べているのだろうと思ったが、あれだけ大きな体を維持できるほどの量があるのかと心配した。

実はうちの近所の溝にはドジョウがいっぱいいる。
田植え前と稲刈り後に溝掃除をするが、泥と一緒にいっぱい上がってくる。
孫や子供に見せようと持って帰る人も居るが、できるだけ溝に返してやる。
私は農薬を多く散布していることを知っているので、食べる気にはなれない。
一度、家の庭の水を入れた桶で飼っていたこともあったが、鳥が来て食べてしまった。
ウナギ以上に栄養価があるというので、養殖してみたいとは思っている。
コウノトリの餌にはこのドジョウが一番らしい。

今勤めている学校の生徒にコウノトリとドジョウの話をした。
実は私の実家はその赤穂の学校の近くにあって、もともとは田んぼだった。
その田んぼには井戸あって、幼い頃は私の父親と一緒にドジョウをよく獲った。
バケツで水をくみ上げて、ザルでこすとうじゃうじゃ獲れた。
うちに持って帰って、きれいな水でしばらく泳がせて泥を吐かせてから食べた。
しばらくはドジョウだらけの食事で、味噌汁にも入っていた。

生徒には「コウノトリは何を食べるのでしょうか?」と聞くと
ある女生徒は「鮭」と答えた。
「白頭鷲ならともかく、ドジョウや!」と教えてやったが、ドジョウのイメージがわかないようだった。
そういえばこの学校の近くは海があって、たまにミサゴも見られるから、そういう猛禽類が大きな魚を捕るイメージと重なったのかもしれない。
私のように身近に大きな鷺が多く居る暮らしとは大きく違うようだ。
先日も田んぼの側溝に大きな鷺が餌を食べていて、そこを私がジョギングで通りかかった。
驚いた鷺は羽ばたいて逃げようとしたが、側溝の壁が邪魔になり飛び立てない。
結局、私が追いついてしまい、慌てふためいた鷺は飛び立てずに回り右をして、走って逃げた。
「捕まえる人もないから逃げることはないのに」と思いつつ、笑えてきた。
こんなのんきな場所だからさっちゃんもやってくるのだろうと思う。




2013年10月13日日曜日

秋の収穫と鳥撫の祭

昨日は自宅近くの畑で、枝豆をとったり、ニンニクを植え付けたりした。
今朝は、赤穂の唐船の近くの畑にサツマイモを掘りに家内と出かけた。
蔓を切り、マルチをめくって備中鍬で掘り始めると、ちょうど良いくらいの芋が出てきた。
日照りが続いたり、高温だったのでちょっと不安だったが、思った以上の収穫だった。
隣の畑で農作業している小学校の同級生のK君に、サツマイモをの出来を聞くとあまりよくなかったという。
彼は熱心に畑に通っているが、可愛がりすぎて、蔓ぼけさせてしまうことが多い。

サツマイモは全部掘ってしまわずに、草を刈ろうかと思い、落花生のそばまで行く。
なんと!! 落花生の殻が散乱しているではないか!
すぐに、カラスの仕業であることが分かる。
例年カラスに落花生はやられるので、ネットを張っていたのだが、今年は忘れていた。
当初の予定にはなかった落花生堀に作業を変更した。
表面付近の落花生はほじくり返されて、殆ど食べられていたが、地中深くは大丈夫だった。
家内と「カラスの食べ残しを頂くのか」とぼやきながら、全部掘り上げた。
カラスに食料を恵んでやることで恩返しをしてもらえるのだろうか?
亀なら竜宮城だが、カラスならあの世にお伴してくれるかも・・・
そういえば八咫烏のように戦いに勝利させてくるかも・・・
家内と冗談を言いながら作業をした。
実際、この程度で目くじらを立てていては百姓はやっていけない。
農作業を終えて近くに住む母に作物をお裾分けし、近くのスーパーに寄った。
そこで家内は昼飯のおかずとモナカアイスを一つ買った。
それを車中二人で交互にかじるのだが、普段は食べないアイスがとても美味かった。

午後からは、職場の人が獅子舞の舞手をするというので、鳥撫の祭りを見に行くことにした。
その人から前もって宮入の時刻を2時と聞いていたのだが、昼寝をして遅くなり3時近くになってしまった。
荒神社は少々石段を登らねばならないのだが、懐かしい笛の音が山にこだまして聞こえてくる。
私は幼稚園に入る前まで、鳥撫で暮らしていたし、尾崎に引っ越ししてからも、本家に呼ばれて祭りを何度も見にきた。
ここの祭りは結婚する前に職場の人と見に来て以来なので、25年ほど見ていない。

なんとか、職場の人が獅子頭の人を肩車をしているのを、カメラに納めることができた。
最後の梯子の上での舞も見ることができてよかった。
ただ、周りの観客には職場の人以外は殆ど知った人がいない。
一人だけ、自治会の役員をしていたので見かけたが、親戚は誰一人見に来ていない。
毎年のことだし、家近くで舞ってくれるので、神社には来ないのだろう。
帰りは家内に迎えに来てもらうのに、墓参りでいつも訪れる場所を指定してそこまで歩いて行った。
幼い頃一緒に遊んだ友達の家などは空き家になっているし、親戚の家も崖崩れでとっくに引っ越して畑になっている。
この50年前の年月は、まさしく私を浦島太郎にしてしまった。
お墓の近くの防波堤に腰掛けながら家内の来るのを待った。
祭りを見ることができたのは良かったのだが、浦島太郎の身が寂しかった。
すると、祭りの笛の音と太鼓が遠くで聞こえだした。
宮入の後も近所を回っているのである。
その音はやはり昔のままである。
鳥撫育ちの私の父はこの音の節をそらんじていた。
私はこの節は複雑で憶えられない、単純な大津や尾崎の祭り囃子なら憶えている。
それでも、幼い心に刻まれた囃子の音は、50年前の記憶を蘇らせてくれた。

その夕べは収穫した枝豆と落花生を圧力鍋で蒸かし、間引きした大根の炊いたのを食べた。
祭りと言えばツナシ寿司や甘酒を思い出すが、我が家の収穫物と炊き込みご飯で祝うのも良いものである。
本当なら日本酒と行きたいのだが、糖質が多いので安い第3のビールと赤ワインを飲む。
どういうわけか家内は携帯で私の酔った顔を写真に撮る。
見せられてたその顔はまさしく浦島太郎だった・・・

2013年10月6日日曜日

真夏のような10月6日

朝、霧が晴れるとランニングシャツと短パンで散歩する私に日差しが容赦なく照りつけた。
しっかり歩くつもりだったのだが、30分ほどで家に戻った。
今日はカヌー型のゴムボートの練習をするにはもってこいだった。
実は、だいぶ前からカヌーがしたくて、いろいろ調べたのだが、結局安くて手軽な二人乗りのゴムボートを買っていた。
春先にネットで購入して、いつでも使えるように、空気を入れて庭先の日陰につるしていた。
結局、夏休みに一度も練習できず今日に至ってしまった。

近くの千種川の河原まで軽トラで運んで、現地で空気を足した。
空気が十分でないのか、真ん中に乗り込むと折れ曲がって水が入ってきたので、後ろ側に乗った。
パドルを使って操船するのだが、思った以上にうまくいかない。
川の流れはたいしたことはないのだが、上流に向かって漕ぐと殆どまともに進まない。
どうしても、右手が強くなって回転してしまう。
水も中に貯まったので、空気を入れ直すことにした。

空気を足して、乗り込もうとすると、前回は簡単に乗れたのに、二度も転覆して下半身がずぶ濡れになった。
それでも、何とか乗り込んで下流の方に漕いでいった。
日差しは夏そのものだが、空は秋の空であった。
腰が沈んでいるので、仰向けになって漕いでいる状態で、空しか景色が見えない。
出発地点へ戻ろうとすると、これが思った以上に大変。
風に流されるし、転覆しそうになるし、やっとの思いで岸に着いた。
正味一時間ほどの練習だったが、いつもしているジョギングや水泳以上に疲れてしまった。
海で練習しようかと思ったが、川でよかった。
海なら戻ってこれなくなっていたかもしれないと思った。
初心者は池で練習する意味がよくわかった。

カヌーの練習の後は農作業をした。
今年は遅く植えたオクラが今でも多くとれてる。
庭先で乾燥させていた黒胡麻もはじけたのをボールに入れた。
胡麻は家内が夕ご飯にいろいろと使ってくれた。
毎日、すり胡麻を納豆と一緒に食べているのだが、まるで味が違う。
穫り入れから乾燥、脱穀と面倒な胡麻だが、手をかけて作る価値はあると思った。
家で作る落花生や枝豆も売っている物とはまるで味が違う。
たぶん有機肥料を使って、無農薬だからだろう。

今日は気温も三〇度を超して、夏と秋の同居した10月の日曜だった。
11月初旬に行った奄美大島を思い出した。
その時も、11月だというのに三〇度近くに気温が上がって暑かった。
カヌーを上達させて、いつか奄美の海を駆け巡るのが私の夢である。