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2019年7月28日日曜日

日曜は散歩と博物館で気分転換

今日の朝の散歩は、日曜日ということで、いつもと違うコースを歩いた。
実は、クロと散歩するようになるまでは、家から南に向かう平坦なコースがいつもの散歩コースだった。
このコースは山際や田んぼの中の道を歩いて、千種川の土手あたりまで行くコースで、途中に高田小学校もある。
高田地区の中心部であるので、けっこう近隣の人も散歩やジョギング、サイクリングを楽しんでいた。
クロはそういう人や他の犬に過剰に反応するので、そのコースは避けるようになったのである。
日曜日は気分的に余裕があるので、昔からのそのコースを散歩した。

このコースを歩くと、子供と一緒に散歩したことや、ジョギングをしていたことのことを思い出す。
30年ほどの記憶が風景と共に刻まれている。
自分の育った赤穂の自宅付近は、どんどん風景が変わってしまい、昔の記憶を思い出させるものは少なくなった。
しかし、今住んでいる上郡の自宅付近はあまり変わっていない。
そのあまり変わらない風景の中で、歳がいって変わっていっているのは自分である。
そして、よく出会った年配の方とも会わなくなった。
また、散歩に連れている犬もクロで三代目である。
子供と歩いたことよりも、犬と歩いたことが当然多い。
一代目のモモ、二代目のトラとの散歩のことも思い出す。
クロは今までの犬と大きく違うのは、溝や川に飛び込むことである。
今日も用水路で泳いだ。
普段と違う散歩をして戻ると、同じくらいの時間を歩きながら、いつもより長く感じ、違う気分にもなった。
散歩の後はいつもの農作業をして汗をいっぱいかき、早めの昼食を摂った。

午後から少し昼寝をして、考古博物館に家内と出かけることにした。
雷の音が遠くで鳴って、いつ降り出してもおかしくはなかった。
播磨町にある県立考古博物館では、「壱岐の古代文化」の特別展をしている。
博物館近くは晴れ渡っていて暑く、車を駐車場に停めて足早に館内に逃げ込んだ。
展示の規模が小さいので、伝わってくるその時代の様子も少ない。
何より、子供にも分かりやすくするために、マンガ風に説明の絵を描いているのだが、それが却って古代のロマンを打ち消していた。
これからの展示は親しみやすさの方が優先されるのだろう。

私にとって一番役に立ったのは、石器の展示だった。
最近文献を読み込んで、やっと石器や土器の種類などが、区別できるようになってきた。
ただ、文献での写真や図では、その大きさなどがイメージしずらかった。
どうしても、石器は大きく、土器は小さくイメージされるのだが、実物はそうではなかった。
また、ナウマン象の狩猟の再現した旧石器人の手に持つ槍には石器が付いていないのが前回来た時から気になっていた。
現実に象を狩猟する時は、木の槍の先を尖らせるだけで十分だったのだろう。
それなら旧石器時代の遺跡でも、石器が見つからなくても納得がいく。
最後に家内と壱岐の観光案内のビデオをロビーで見たが、壱岐の魅力が伝わってきた。
自分の関心はどうしても南西諸島に向いているのだが、壱岐や対馬にも行ってみたいように思えた。
ビデオを見て、少しは壱岐に行ったような気分にもなれて良かった。

前回は渋滞を避けて迂回したため時間が非常にかかったが、今回は太子・姫路バイパスと明姫幹線を使って、行きも帰りも一時間足らず済んだ。
駐車料金も200円であるし、割引入館料も二人で300円であった。
図書の利用だけなら、入館料も要らないようだし、夏の暑い時にはもってこいの場所かも知れない。






2019年7月27日土曜日

いつの間にか

以前、高校の同窓会で、容貌が変わってしまった同級生に驚いた話を書いた。
今回は、教師として同期採用となった仲間のKさんの変貌について書く。
たまたま、出張で同じ会場で出会った。
彼とは初任校の特別支援学校(当時は養護学校)で一緒となり、それ以来のお付き合いだ。
といっても、最近は毎年年賀状で状況を報告する程度であった。
彼の結婚式は私が司会を務め、奥さんも元同僚でよく知っていた。

その日、昼下がりの暑い中を会場まで歩いていた。
すると、年配の人が私を追い越していった。
会場に向かう人には、若い人も多くいたが、皆暑くてゆっくりと歩いていた。
私はきっと普段から身体を鍛えていて、歩くのも速い人だろうと、その人の後を追うように歩いた。
会場の玄関で、その人は手間取っていたので、結局部屋に向かう階段で一緒になった。
同じ部屋に行くことが分かったので、階段を登りながら話をした。
そして、部屋の前の受付の名簿チェックを入れている時に、その人は「あっ」と声を上げた。
何かとその人をよくよく見ると、Kさんではないか・・・
私たちはさっきまで、初対面の者同士として話をしていたのだ。
それが、30年以上の知り合いのKさんであったのだ。
彼とは10年以上も会っていなかったので、互いに顔も声を変化していて気づかなかった。
その後は、色々と情報交換をした。

受付で名前を確認しなかったら、おそらく最後まで気がつかなかっただろう。
その日は、以前勤めていた職場の知り合いが多くいて、挨拶をした。
やはり、若い人は直ぐに分かった。
私たちの年齢になると、容貌が大きく変化して、わかりづらくなる。
それは男性女性とも同じである。
完全に退職してしまえば、一緒に働いた職場の仲間とは会う機会は無いだろう。
そして、たとえ町で出会ったとしても、気がつかなくなってしまう。
ひょっとしたら、この出張の機会が、そういう仲間と会う最後のチャンスだったのかと思えた。
そして、先輩達も同じ気持ちで、いつの間にか消え去っていったのだなと感じ入った。



2019年7月25日木曜日

蓮の花2019

今年も蓮の花が咲く季節がやってきた。
一年中ほぼ同じコースを毎日クロと散歩する私にとって、散歩するのを楽しみに出来る季節の一つでもある。
私はつい最近までは、朝の8時頃から9時半頃まで散歩していたが、勤務の関係で7時からすることになった。
近所の人は、早々と早朝から散歩を済ませているので、7時といえど会うことは殆どない。
会うのは田んぼの畦の草刈りをしている人や、通勤で自転車に乗っている人くらいだ。
7時は既に蒸し暑くなっており、しばらく歩くと汗が出てくる。
つい先日も、出かける時は曇り空だったので、竹笠を被らずに出かけたら、途中で陽が照りだして大汗をかいた。
8時頃になると、晴れ間が出てくるのが夏の天気であることを忘れていた。

近所には蓮の花が咲く池が幾つかあるが、私が通るコースの池でお気に入りは車も殆ど通らない農道のそばにある。
以前は一番大きい池にいっぱい咲いて壮観な景色を見せてくれていたのだが、その池の蓮はどういうわけか殆どなくなってしまった。
お気に入りの池も、以前より数を減らしてしまい、何とか頑張って咲いている感じだ。
一番良く咲いている池は、村の管理している池で、レンコンを掘ったり、蓮の実をとったりしたが、車が通る道のそばにある。
だから、その池の蓮の花は、職場に出かける時に、車から眺めている。

散歩の時に眺める蓮の花は特別に良い。
心を和ませてくれるからだ。
蓮の花は大きく開いてしまうと、中の雄しべや雌しべがむき出しになってしまう。
だから、開きはじめや、蕾の方が美しく思える。
わざわざ遠くまで見に行かずとも、散歩のついでに見ることの出来る蓮の花。
いつまでも変わらすに毎年咲いて欲しいと思っている。
心配なのは、ヌートリアなどが新芽を食べていることだ。
このごろ、池にはヌートリアが多く生息している。
池の底の土質も気にかかるところである。
蓮は自然そのものではなく、人が管理してあげねばならないものらしい。

2019年7月23日火曜日

気分転換の図書館

朝から村作業で、公園の草刈りをし、その後庭の草も少し刈った。
その後、昼過ぎまで、ゆっくりしていたが、午後からは家にこもるのも、気が滅入る感じがした。
天気が良ければ、少し遠くまでドライブというところだが、長引く曇り空でそういう気分にもなれない。
そこで、家内を誘って赤穂の図書館に行くことにした。

図書館には多くの人たちが来ており、どの席も埋まっていた。
閲覧の机にも問題集をもってきて、勉強している生徒もいた。
私は本を借りる目的で来たのではなく、雑誌を読むつもりで来ていた。
まずは、農業関連の雑誌を読んで、畑の作物作りの勉強をする。
「やさい畑」では、にんじんを新聞紙の筒で苗作りをするのが目にとまった。

そして、いつもの健康雑誌、たいていいつも図書館で見るのがこれである。
今回は「ためしてガッテン」の蒟蒻の美味しい食べ方が面白い。
いつも、蒟蒻ゼリーを買っているので、この方法を使えば節約できるように思えた。
何気なく、ニュートンを見ると、睡眠が特集してある。
科学雑誌のニュートンは専門過ぎて分からないことも多いが、今回の睡眠は何とか理解できた。
日本人は世界的にも睡眠不足だそうだが、私自身睡眠に関しては、いつも気にかかっている。
私は、熟睡してしっかりと眠るというのが少ない。
途切れ途切れで、しかも眠りが浅く、夢もよく見る。
夢が起きたときの気分を左右していることが多い。

雑誌に夢中になっていると、家内が「ずいぶん探した」と言って来た。
家内は家で読む本を探していたのだ。
私は読む本は専門書が多いので、たいていは県立図書館の本を利用している。
家内は図書館にあった、県立考古博物館のパンフレットを見つけた。
今度壱岐島を特集しているので行ってみたいと思っている。

夏の暑い時は、ショッピングモールでゆっくり過ごすのも良いが、図書館や博物館で好きな本や展示を見て過ごすのも良い。
家にこもっていると、天気が悪いと気分がさえないのが、ちょっと出かけるだけでも気分転換になる。
そういう場所がもっと身近に合ってくれればと思う。



2019年7月15日月曜日

ちょっと淡河までそば食べに

以前は猪名川町の道の駅まで十割そばを食べに出かけていた。
もう少し近くで十割そばを食べさせてくれる道の駅を探していた。
家内が淡河の道の駅に、十割そばを出しているというのをネットで調べてくれた。
今日(7/15)は昨日までの天気と違って、青空がのぞいている。
久しぶりにクロの散歩の途中で、岡山空港に着陸する低空の飛行機を見ることが出来た。
散歩後は、野菜の採り入れと、伸びに伸びた草抜きである。
特に大豆の間には、大豆と同じくらいの背丈になった草が生い茂っている。
汗まみれになってシャワーを浴びて、出かける準備をした。

ルートはまず姫路バイパスを通って、加古川小野線の新しい自動車道を使うことにした。
初めて走った自動車道の景色は良かったが、途中までしか開通しておらず、八幡稲美からは田んぼの中の道を通っていった。
今回はあまり自信が無いので、行きは私が運転して家内のスマホにナビを任せた。
三木まで来ると、三木近辺は何度も来ているのでなじみはあった。
三木からはそれほど時間もかからずに到着できたが、道の駅の入り口を一度通り越して引っ返した。
道の駅の駐車場は広くなく、新しい道の駅が建設中で、そのあたりのスペースも使えなかった。

何とか車を停車させて、食堂でざるそば定食の食券を買って並んだ。
昼の12時半過ぎということもあって、お客さんも多いのだが、食堂も狭い。
並んでいるお客さんはお年寄りや若い家族連れ、自転車やバイクのツーリングの人まで様々だった。
食堂で働いている人は、見た感じご高齢の女性ばかりで、若い人は一人もいなかった。
食券を買って並んで、やっと注文の番号札をもらって席に着いた。
しばらくして番号を呼ばれたので、カウンターまで取りに行った。

そばの麺はしっかりしていて美味しかったが、つけ汁が少し甘く感じた。
炊き込みご飯も薄味で優しい味がした。
天ぷらはエビ以外は地元の野菜と言うことで、食感が新鮮な感じがした。
人が多く並んで待っているので、ゆっくりとすることも出来ず、当然そば湯を頼める状態ではなく、自分たちで返却台まで持って行った。
そのところが、待つ時間が非常に長くても、ゆっくりと食べられた猪名川の道の駅とは違うところだ。

どうもこの道の駅は地域おこしとして始めたようだが、人気が出て拡張しているらしい。
食事後に立ち寄った販売所では、品数も少なく、買いたいと思うものは無かった。
本来はちょっと立ち寄れる田舎の十割そばという道の駅だったのだろうが、土日に多くの客が来るようになって対応がおぼつかなくなった感じだ。
平日に来ればゆっくりと食事を楽しめるのかも知れない。

帰りは行きが南から上ってきたので、北回りで帰ることにしていた。
ルートは何とかなるだろうと、ナビも使わずに車を走らせた。
結局ゴルフ場の間の道を使いながら、社町の県の教育研修所の近くに出てきた。
社町の兵庫教育大学に2年間通ったのだが、今日通った道は初めてであった。
三木、小野、加東のあたりは山も低くて、風景も西播とは大きく違う。
今回も家内は立ち並ぶ家が大きいのに感心していたが、経済的に豊かさを感じさせてくれる。
大きな都市への通勤圏内として、兼業農家でも上手くやって行けているのかなとも思える。

途中福崎のJAの直売所に立ち寄り、そこで運転も家内と交代して帰った。
朝の11時頃に出て、戻ったのが16時半くらいになった。
そばを食べるためにわざわざそこまでしなくてもと人に言われそうだと思いつつ。
そもそもドライブがそばのための心のおかずでもあると言いたい。
美味しいそばなら近所にでもあるのだが、普段とは違う場で味わうのが楽しいのである。
そして、ドライブは家とは違う話が出てくる。
今日も、ライオン工場の前を通った時に、子供が小学生の頃、工場見学に行って歯ブラシをもらってきた時の話を家内から初めて聞いた。
同級生は妹の分までもらってきたのに、息子は妹の分をもらわなかった話である。
そういう話は、きっかけがないと思い出さない。
また、車中で聴いていたFMラジオでは、「今日は一日メガヒット三昧」がかかっていた。
私も家内も知った曲がかかると口ずさんで楽しんだ。
昔の曲はその時のことを思い出して話題になるし、ドライブで今見ている風景とも重なって記憶に残る。
要するに十割そばを食べに行くことは、過去の想い出と今の新しい想い出の道筋をつけるためにドライブをする言い訳にしか過ぎないようだ。




2019年7月8日月曜日

マリンピア神戸までのドライブ

今日(7/7)は梅雨の晴れ間で、朝から天気が良く、クロの散歩の後は畑の草取りをした。
思い切り汗をかいて、シャワーを浴び、早めの昼食をとった。
昨日は家内と姫路に買い物に行っていたのだが、垂水にあるアウトレットが話に出たので午後からは行くつもりでいた。
行きは明姫幹線を使ったが、思ったより信号待ちに時間がかかったし、明石駅付近では渋滞にあった。
実は、明石は臨時講師で尼崎小田高校に勤めていた時に、少しだけ住んだことがある。
港近くで窓から海の見える安アパートだった。

明石を過ぎると、海沿いの道があるのだが、家内とこの道をドライブするのは婚約時代以来である。
その時は、須磨海岸までドライブしたのだが、私が殆ど運転していたこともあり、家内はここを通ったことさえ憶えていない。
だいたい、家内は運転していても、景色は殆ど憶えておらず、通ったことさえ忘れてしまうことが多い。
今回も行きは家内の運転だったが、おそらくどのような道を通ったか直ぐ忘れるだろう。
明石や垂水は海がそばにあるので、方向を失うことは殆どなく、自分にはなじみのあるところなので、迷うことはなかった。

垂水までの海沿いにある国道2号はJRや山陽電鉄と並行して走っているが、ここが一番渋滞した。
その山陽電鉄に西舞子という駅がある。
私は高校時代に一番仲の良かった友達が住んでいたところである。
彼とは中学時代からバンドを組んでいて、ベースをしてくれていた。
西舞子にある彼の家には何度か泊まりに行った。
彼の家には綺麗なお姉さんが二人いて、お姉さんにお目にかかるのも楽しみだった。
遊びに行って、たいていは音楽を楽しんだり、二人で六甲山を縦走したりしたが、近くの海岸に一緒に行ったりもした。
今は明石海峡大橋が出来て、舞子付近は様変わりしてしまったが、当時は落ち着いた海岸だった。
その友達とは予備校まで一緒だったが、彼は早稲田に行き、私は落ちたので、バンド活動は終わってしまった。
もし、私が早稲田に行けていたら、一緒にバンド活動を続けていた筈で、プロになっていたかも知れないと家内に話した。
家内は素っ気なく鼻で笑った。
因みに友達は早稲田の軽音で活動したが、研究の方に転向してしまった。

結局、垂水のマリンピア神戸には家から二時間もかかって到着した。
三田のアウトレットの渋滞も酷かったが、倉敷のアウトレットは渋滞など無かった。
垂水のアウトレットは三田のアウトレットに近い感覚で行くべきだったのだ。
三田は山の景色が素晴らしかったが、垂水は海と橋が見えて、私にはこちらの方が景色的には気に入った。
ただ、三田のようにイオンタウンがないので、規模的には小さい感じだ。
展望室から見た海の景色が素晴らしいので、買い物よりゆっくり食事を楽しむのも良いように思えた。

帰りは私が運転して、第二神明と姫路バイパスを使って帰った。
同じアウトレットに行くのでも、倉敷と垂水では全然違う感じがすると家内と話した。
やはり垂水は都会の感覚だった。
倉敷は岡山もそうだが、大いなる田舎という感じだ。
というのも、お客さんの服装が垂水はよそ行きのおしゃれであるが、倉敷などは普段着の人が多いように思えた。
かく言う私ら夫婦は普段着に近かったので、おそらく場違いに見えたのだろうと思う。
今まで明石近辺にはあまり行くことが無かったが、これからはたまに来てみようかなと思えた。
できれば、休みのとれた平日の方が良さそうだった。

2019年7月3日水曜日

母の付き添いと読書

私の母は一人暮らしだが心臓が悪くて、毎月定期的に病院に通っている。
病院は母の住む赤穂の市民病院で、赤穂に住む弟と交代しながら付き添っている。
母は介護認定も受けており、週に三回のデイサービスと週一回の訪問介護を受けている。
少しは歩けるようになったが、歩くのも困難で、病院では車椅子を借りている。
そして、耳も遠くなっており、医師の言うことが聞き取れないのと、理解が難しいので付き添いが必要である。
今日(7/2)は、月に一度の定期的な通院だったが、途中で調子悪くなり、2度通院した。
その時も私と弟で対応した。
つまり、この二週間ほどで三度も病院に行ったことになる。

今日は上郡の自宅を8時に出て、母を迎えに行って、病院には9時前に受付を済ませた。
それから、心臓の関連の検査と、泌尿器科の検査を行って順番を待った。
泌尿器科の方は10時過ぎには、診察をしてもらえたが、循環器の方は時間通りには行かなかった。
というのも、急患の対応があったと言うことで、表示には75分遅れと書いてあった。
泌尿器科も、検査が必要と言うことで、その後検査に時間がかかったり、医師との面談もあった。
循環器の診察をしてもらえたのは、12時を過ぎており、その後、泌尿器科と再び診察があって、全て終わったのは13時半を過ぎていた。

それから、支払いを済ませ、薬局へ行き、処方された薬の仕上がりが30分後というので、母を自宅に送った。
しばらくして、薬を取りに行き母に渡し、自分の自宅に戻ったのは、15時前だった。
つまり、私は7時間ほど、母の通院に付き合ったわけになる。
途中、食事も摂ることなく、自動販売機のコーヒーを飲んだだけだった。
ただ、私はこの時間をボーと過ごしていたわけではない。

母の通院の付き添いにしても、自分の通院にしてもパソコンと文庫本は必ず持って行っている。
今回読んだのは、考古学に関する専門書であった。
パソコンで文献をOCRを使って読むと、データーを残すことが出来るので気楽なのである。
たいていは二度読んで必要な資料を作るので、最初に読む時は気軽に読んでいる。
読んでいる文庫本も対談集で分かりやすい内容のものである。
時間がかかりそうな時は、パソコンを取り出し、そうでない時は文庫本である。
今回は恐ろしく長い時間を待合所で過ごすことになったが、読書をしていたのでそれほど苦痛ではなかった。
一番苦痛だったのは、待たされた母本人だっただろうと思う。
病院に行くことが却って、体に負担を強いることになってしまった。

それにしても、病院には高齢者が多い。
多くは同じ高齢者が付き添っているが、中高年の女性の付き添いも多い。
私のような年齢の男性の付き添いは滅多にいない。
本来なら、仕事が忙しくて付き添いの出来ない年齢である。
今回、付き添いが出来たのも、定期考査中で休みが取れたからである。
やはり、気になったのは、一人では通院が無理そうな人もいたことである。
おそらく、それでも一人で通院できる人はましで、できずに我慢している人もいると思う。
数ヶ月前に亡くなった近所の人は、民生委員の人に付き添ってもらっていたが、手遅れになった。

逆に裕福そうな人は、あまり病院の待合室で見かけることは無い。
裕福な人は健康な人が多いのか、特別な扱いで通院しているのか分からない。
実は私も一度だけ、友達の医師に特別扱いで、待たずに私立の総合病院で診てもらったことがある。
裕福な人は特別な扱いで私立病院で診てもらっているのかも知れない。
裕福でない私は、病院を図書室として活用するほかはない。
図書室と違って賑やかで、感染のリスクはあるが、空調は図書質並みである。
そして、少しは親孝行もできいている。
実は、私は幼い頃は身体が弱くて、母親には通院でずいぶんと苦労をかけていた。
そのお返しが出来ていることになる。
弟も色々苦労をかけた母親への恩返しで付き添いをしていると思う。
私は読書と親孝行ができる場として、この7時間を悪く思うのはよそうと思っている。
そうでないと、次の通院が思いやられる・・・








2019年7月1日月曜日

ズッキーニと真空パック

私は毎年ズッキーニを作っている。
今年も10本以上が家の裏の畑で元気に育った。
ズッキーニは受粉が大切なので、数がそこそこないと、雄花が足りなかったりする。
ミツバチもいるにはいるが、受粉を任せられるほどの数ではない。
そこで朝は、受粉と収穫を必ず行う。
葉っぱが大きいので、しっかり株と株の間隔を開けてないと、作業がしづらくなる。
上に伸びてくると、倒れてくるので、支え木を立てて補助をしてやらねばならない。
補助を怠ると、茎が折れてしまい、途中で収穫を断念せねばならない。

ズッキーニは近所の人は作っていないし、食べる習慣もないので、自分の家や親元に配るしかない。
そして、一度にたくさん採れるので、毎年どう保存するか頭を悩ませている。
今年は、筍保存の時に、湯がいた筍を乾燥させて冷凍庫に入れて、上手くいったので、最初はその方法をとった。
まずは、ズッキーニを輪切りにして、電子レンジで加熱して、それを乾燥機では37℃で乾かした。
ネットでは、50~60℃で乾燥としていたが、電気代がもったいないので、その方法をとったのだ。
生のまま低温で乾燥させると、酵素が生きているので変質すると思ったからでもある。

そして冷凍庫に保存するのも、量的に限界があるので、真空パックにすることにして、機械を買った。
本体は8000円ほどの物で、家内が選んでロールシートと一緒にネットで買った。
さっそく、冷凍庫に保存していた乾燥ズッキーニと、乾燥筍を真空パックした。
思ったより簡単にできた。
これを密封できる容器に入れて、常温で保存しておくことにした。
どれだけカビが行かずに、持つか分からないが、何事も挑戦である。

後日、生のズッキーニを58℃で乾燥させた。
2段重ねで、時間も少し多くかかったが、仕上がりも良くしっかり乾燥していた。
先に乾燥して真空パックしたものが、黒ずんできたので、やはり高温乾燥の方が適しているように思える。