今日は朝に会うことができた。
あのこがいないと淋しくて、その日は気持ちがはれない。
一月ほど前までは、ふたりで仲良くいるのがうらやましかった。
雪が降り、氷が池を張りつめて、突然ふたりともいなくなった。
でも、あのこだけは戻って来た。
ひとりになったあのこを、カメラで写す人はいなくなった。
ふたりでいる方が絵になっていたのだろう。
あれ程ふたりを追いかけ回していた、パパラッチも知らん顔である。
私は高圧電線の鉄塔で、気高くひとり立っているあのこに惹かれる。
たったひとりで、寒い冬場の池や田で、少なくなった糧を探しているのだろう。
ひとりでもこの地で、生きていくのだという気持ちが伝わってくる。
今日はあのこがこっちを向いてくれていた様な気がした。
私はひとりぼっちで暮らしていく自信は無い。
あのこを見かける時も、たいてい家のクロと一緒だ。
ひとりでもたくましく羽ばたいているあのこを見ると、こっちの方が弱々しく思える。
こんな私でも、むかしはひとりで南の島に何ヶ月も出かけていったのだ。
最近は心まで老いぼれてしまったのだろうか。
あのこの白くて大きな翼を、いただきたいものである。
そう言えば私がよく行った南の島ではこういう歌があった。
八月やなりゅり 飛羽(ツビバネ)やねらぬ うつじや片羽(カタバネ)貸らちたぼれ
後日談
私は残されたコウノトリはてっきり雌の「さっちゃん」だと思った。
機会があって、パパラッチさんに聞くと、雄の方だという。
雌の方は先に豊岡に戻っていて、飼育員から連絡があったという。
その後しばらくして、雄の方も豊岡に戻ってきたという。
「あのこ」とは彼女に取り残された男で、「あのこ」ではなく「あいつ」というべきで。
まさしく「ひとりぼっちのあいつ」Nowhere Manであった。
0 件のコメント:
コメントを投稿