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2017年2月4日土曜日

ひとりぼっちのあのこ

今日は朝に会うことができた。
あのこがいないと淋しくて、その日は気持ちがはれない。
一月ほど前までは、ふたりで仲良くいるのがうらやましかった。
雪が降り、氷が池を張りつめて、突然ふたりともいなくなった。
でも、あのこだけは戻って来た。

ひとりになったあのこを、カメラで写す人はいなくなった。
ふたりでいる方が絵になっていたのだろう。
あれ程ふたりを追いかけ回していた、パパラッチも知らん顔である。
私は高圧電線の鉄塔で、気高くひとり立っているあのこに惹かれる。
たったひとりで、寒い冬場の池や田で、少なくなった糧を探しているのだろう。
ひとりでもこの地で、生きていくのだという気持ちが伝わってくる。
今日はあのこがこっちを向いてくれていた様な気がした。

私はひとりぼっちで暮らしていく自信は無い。
あのこを見かける時も、たいてい家のクロと一緒だ。
ひとりでもたくましく羽ばたいているあのこを見ると、こっちの方が弱々しく思える。
こんな私でも、むかしはひとりで南の島に何ヶ月も出かけていったのだ。
最近は心まで老いぼれてしまったのだろうか。
あのこの白くて大きな翼を、いただきたいものである。
そう言えば私がよく行った南の島ではこういう歌があった。

八月やなりゅり 飛羽(ツビバネ)やねらぬ うつじや片羽(カタバネ)貸らちたぼれ

後日談
私は残されたコウノトリはてっきり雌の「さっちゃん」だと思った。
機会があって、パパラッチさんに聞くと、雄の方だという。
雌の方は先に豊岡に戻っていて、飼育員から連絡があったという。
その後しばらくして、雄の方も豊岡に戻ってきたという。
「あのこ」とは彼女に取り残された男で、「あのこ」ではなく「あいつ」というべきで。
まさしく「ひとりぼっちのあいつ」Nowhere Manであった。


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