私は教師をしていた頃に、雨が大嫌いだった時期がある。
第二次ベビーブーマの生徒が荒れた時代の職業高校に勤めていた頃で、雨が降ると生徒が荒れた。
生徒の多くが自転車通学だったのだが、傘差し運転を無くすために校門で立ち番をして、差して来ている傘を取り上げて学期末まで預からねばならなかった。
本人が規則を無視したのが悪いのに、傘をとられた生徒は不満をぶちまけていた。
教室外などで発散できない生徒が、トラブルを起こすことも雨の日は多かった。
ただ、ハードな練習を外で行うクラブの生徒は、雨が降ると喜んでもいた。
一方で、校内の廊下や階段で練習するクラブもあって、放課後は職員室や準備室から出たくなくなった。
この雨の日の校舎内練習で、近隣の中学校では生徒が死んだところもあった。
そもそも、学校行事では雨が一番大敵だった。
一番嫌な思い出は、肢体不自由の特別支援学校で雨の日の校外学習で姫路城に行った時だ。
車椅子の生徒にカッパを着せるのも大ごとだったが、玄関でカッパを脱がせたりタイヤを拭いたりで大仕事になった。
姫路城内は舗装されていないところもあって、泥濘んだ道で車椅子を押してあげるのも大変だった。
雨で延期になる体育祭や球技大会はまだマシなのだが、雨でも行う文化祭もその対応に追われた。
とにかく、教師をしていた頃に雨を良く思ったことは無かった。
農作業をやり始めて30年以上経つが、やはり雨はあまり良いものではなかった。
作物以上に雑草は伸びるし、トマトなどは実が傷むし、毎日行うズッキーニの受粉も面倒になった。
水田を転用して畑にしているので水はけが悪くて、雨が降り続くとどの作物にも悪い影響が出た。
ところが、近年は夏場には高温で雨が降らないので、水やりに多くの労力をかけねばならなくなった。
現役の教師をしていた頃は、そんなに手がかけられないので、枯れたり萎れたりしたら諦めたりもした。
退職してからは、時間が有るのでその対応に、新たな溝を掘ったりエンジンポンプなどを使って散水するようになった。
それでも、去年までは気持ちが入らなくて、作物のできはあまり良くなかった。
ところが、このところ農作物の値上がりで、必要に迫られて力を入れざるを得なくなった。
朝の5時前に起きて、自宅の裏にある畑の水やりをしながら夏物を収穫した。
エンジンポンプは音が近所に迷惑がかかるので、長いコードリールを使って電動ポンプでくみ上げ、それをまた長いホースで散水した。
その農作業と散歩に関する暑さ対策については「汗は冷たいから濡れていたい」で既に書いいる。
日によって、朝に十分水をやれないときには、夕方にエンジンポンプを使って散水した。
畑だけで無く、庭にある鉢物や植木に水をやるために、300リットルタンクに水を用水路からエンジンポンプでくみ上げていた。
とにかく水の対策にずっと振り回されていたのだ。
雨が降るのをどんなに待ち焦がれていたか。
そして、今朝(8/7)に念願の雨が土砂降りとなってやってきた。
収穫作業を途中で止めて、犬の散歩に切り替えた。
犬の散歩用のカッパを着て、連れ出して30分以上歩いた。
うちのクロは池や用水路に自分から入るくせに、洗われるのを極端に嫌がって抵抗する。
身体も大きく力も強くて爪でひっかかれたりされて、身体を洗うのは諦めているので、冬場以外はあえて雨の日に散歩して、雨で身体を洗い流す。
普段は腹だけ水に浸す程度のクロにとっても約1ヶ月ぶりの全身シャワーと言えるのだ。
台風も夕立もなくて雨が降らない状態で、これほど雨を待ち焦がれたのは生まれて初めてのように思う。
雨がテーマで喜びを表現していて知っている曲は「雨に唄えば」と童謡の「あめふり」くらいだろう。
まさしく、この雨は「雨に唄えば」が相応しいだろう。
だけど、畑やあぜ道ではジーン・ケリーのように傘をもって歌う気分にはなれない。
カッパから流れ落ちる水滴やクロの背中から腹に落ちる濁ったしずくを見て安堵しながらいつもの三好英二の「雨」を唄っていた。
雨に濡れながら 立たずむ女(ひと)がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり
約束した時間だけが 躰(からだ)をすり抜ける
雨が降ると雨の日に約束のデートをすっぽかして恋人を泣かせた嫌な記憶が、この歌と共によみがえってしまう。
待ち合わせ場所に来ない私を長いこと待った後で、下宿にやってきて怒りながら泣いていた。
優しさの足りない傲慢だった自分を恥じながら、彼女のことをいつも思い出す
どんなに待ち望んで嬉しい雨でも、やはり雨は気分を鎮めてしまう。
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