ページビューの合計

2014年9月15日月曜日

秋の農作業と時間

夏休みが終わってやっと休みがとれた。
先週の土日は水泳の県大会の関係で、終日神戸に出かけていた。
近所の農家は、既に白菜の苗を植え付け、大根の種を蒔いて芽が出ていた。
私が手がけている畑には、夏物野菜と草が乱雑に生い茂っていた。
何とか二日がかりで、白菜の苗を植え、大根の種を蒔いた。

今ちょうど、渡辺由文『時間と出来事』中央公論新社を読んでいて、ふと思った。
我々は時間を管理する組織の下で働かされている。
教師は比較的自由な時間は持てるが、勝手に始業時間に遅れることは出来ない。
対して農作業は、基本、いつやっていつ終わっても構わない。
つまり、季節に追われはするが、時間に縛られず、時間から自由なのである。
私の父親は生前、熱心に畑仕事をしていた。
事務職になる前の、職工時代でも田畑の仕事を良くしていた。
生活のためだと思っていたが、それだけではなくて、自由に働く楽しさを知っていたのだ今回気づいた。
元々船乗りの父親は、雇われてする仕事よりも、自分でする農作業に楽しみを見いだしていたのだろう。
確かに、パチンコや釣りなどの娯楽も、自由な時間を使う楽しみかもしれない。
ただ、リスクがあまりにも大きすぎるような気がする。
費やす時間に見合うだけの成果は、普通の人はなかなか得られない。
対して作物は、それなりの学習時間は必要だが、費やす時間に素直に応えてくれることが多い。
そういう意味で、唯一、時間を自分で有効に管理できているのである。

もう一つ楽しいことは、厳しく成果を求められないと言うことである。
それは、現金収入に縛られないで済むということだ。
よく採れれば生活の足しになったり、あげれば別のものになって返ってきたりする。
この夏は天候不順であったが、そこそこ野菜が採れて食卓も潤った。
面白いことに、畑のキュウリが終わったら、庭に自然に生えていたキュウリがなりだした。
食べきれずに庭に捨てていたキュウリが芽を出したのである。
何せキュウリも一本百円以上するというので、貴重な成果である。
先日も自家製の黒ニンニクを母親や兄弟家族にあげたら、非常に喜ばれた。
何せ普通に買ったら500円ほどするのを、30個ほど持って行ってあげたからだ。
家では惜しげも無く、毎日一個を家族で分けて食べている。
また、去年収穫した黒大豆は、豆乳として貴重な健康食になっている。
投資した機械代や、肥料代などに見合うかというと、厳しいものもある。
父親はそれに拘り続けて、殆ど機械は用いず、結局体を壊した。
そちらの方が、返って採算に合わなくなる。
採算がとんとんでも、楽して成果が得られれば、それで良いのである。
なにせ夜に読書するだけの体力は残しておかねばならない。
涼しくなった秋こそ、昼耕夜読の季節である。

0 件のコメント:

コメントを投稿