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2015年3月16日月曜日

祖父の写真

先日母親が、祖父の写真が欲しいと言いだした。
沈没していた戦艦武蔵の映像を見て、自分の父親のことを思い出したという。
私は古いアルバムを母親から預かってスキャンしていた。
私の母方の祖父は、空母の船員であったが、戦死したことは何度も聞かされていた。
父方の方も、父親の兄が同じように海軍の少年兵として戦死していた。
身近に戦死者がいたので、どの家でも戦死者がいるのが当たりまえのように思っていた。
だから、あまり祖父のことは特別詳しく聞いていなかった。
改めて母親に聞いてみると、祖父は職業軍人で下士官だったが、退役して仕事をしていた。
戦争が激しくなって、幼い娘が二人いたのだが、応召されて戦死したと言うことだった。

祖母は女手一つで二人の娘を育て上げた。
母親は父親が亡くなった時に5歳くらいだったので、殆ど父親の記憶が無いという。
残された写真は、若い頃、戦友と撮ったセーラー服を着た写真や、出征祝いの写真であった。
祖父の顔は母方のある従兄弟の若い頃にそっくりだが、祖母からは私自身も似ていると言われていた。
祖父は42歳で亡くなったので、当然年老いた姿は残っていない。
祖母は若い孫たちに、自分の夫の姿を思い浮かべていたのだろう。

今まで戦争の被害者としての家族というイメージしか母の家族には浮かべていなかった。
しかし、祖父は自ら軍人の道を選んだことも確かであった。
貧しい家に生まれたが、選ばれて軍人の道を歩めたのは、それなりの出世であったのだろう。
戦況によって幼い子供を置いて、出征せねばならず戦死したのは不幸ではあった。
その影響は妻子やその家庭にも大きな影響を与えたのも確かである。
しかし、その時代の生き様は、後の時代での結果だけでは評価できるものでは無いと感じた。
確かに我々は今は戦争を体験せずに済んでいる。
しかし、後の時代の子孫たちは、欲望に任せて環境を破壊し尽くした先祖という評価を下すかもしれない。

私の祖父の軍人姿の写真は、やはり格好良い。
そして、家族4人で写った出征記念の写真は痛ましい。
これがその時代の現実なのだろう。

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