私は先日(12/1)より、備前市の社会教育施設で働き始めたので、AKB58ととなった。
A:赤穂で生まれ、K:上郡で暮らし、B:備前市で働く58歳である。
初日の職場カルチャーショックにさいなまれた。
上郡の自宅から赤穂高校へ行くほどの距離なのに、異次元の世界なのである。
岡山(備前)弁が飛び交う世界。
「~じゃろう」「~せられー」「ぼっけー」がふんだんに用いられ、30年ぶりのカルチャーショックを受けた。
私は大学が名古屋だったので、そこで名古屋弁の洗礼を受けた。
そして大学院は東京で、こちらは東京弁の日常化の洗礼を受けた。
職場は尼崎も経験したが、殆どが播州内に収まっていたので、言葉の違和感はさほどでは無かった。
かつて入院していた赤穂中央病院では看護師や患者がそこそこ岡山弁だった。
ただそれは、二週間ほどで終わった。
今回の違和感は仕事について以来と言うことになる。
家に居ても、よく耳をすませれば近所に備前から来た人が話をしている。
しかし、少数派なので意に留めなかった。
ところが、今度の職場は播州弁をしゃべる私が少数派どころか、唯一の存在なのである。
名古屋でも東京でも播州弁を失うことはなかった。
ただ、奄美に行った時は習いたての「シマ口(奄美語)」を使うことを心がけた。
今回は岡山弁を習って使うかどうか迷っている。
わざと使うと、不自然に感じられるかもしれない。
以前から主張している「多方言主義」で行くしかないかなとも思っている。
幸い、今度の職場には両親とも赤穂の人が居るので、ニュアンスも理解してもらえるだろう。
気をつけねばならないは、遠くから来た人を案内をする時に播州弁で話すと、違和感を感じさせるかもしれない。
その時は、東京で身につけた標準語を用いようと思っている。
残念なのは、せっかく身につけた名古屋弁や奄美語を活かす機会が無いことだ。
教師をしていた時は、時々紹介していた。
名古屋や奄美からの来所者を待つしかないか・・・
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